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起きてしまったことを消してしまうことはできないし、残された問題点は解消していかねば私たちは前に進めない。。。

■廃炉について、デマと誤報を乗り越えるための4つの論点(上)

開沼 博:社会学者

3.11から6年。いまだに福島第一原発を巡っては誤報やデマが頻発し、福島の復興を遅らせ、廃炉作業の足も引っ張っている。廃炉が一筋縄でいかないことは事実。しかし、事実を正確に知ったうえで、「性急に判断せずに粘り強く議論を続ける」姿勢が醸成されれば、道は開けていくはずだ。(社会学者 開沼 博)

今も止まらない誤報・デマ
2月に起きたドタバタ劇

 650シーベルト――。2017年2月、東京電力福島第一原発(以下、1F)では、2号機の内部を調査する過程で過去にない高放射線量が検出された。新聞はこぞって「その場に数十秒いただけで死に至るレベル」などと報じた。

 たちまち、1Fは「絶望の淵に立たされた」存在に立っているかのように扱われた。海外メディアは福島全体、あるいは東京までも放射線量が上昇したかのように報じ、再び原発事故が起こっているかのように語られすらした。明らかな誤報・デマの嵐に、米原子力学会はそれらの報道を「明らかな間違い」と冷静に対応するように声明を出したほどだ。

 しかし、それは単なる誤報・デマで止まらない。韓国の済州(チェジュ)航空は、今月18日に福島空港を出発、仁川空港に着いてソウルに向かい、20日に再び福島空港に到着するツアーのチャーター便を運行する予定だった。

 しかし、1Fの放射線量の「上昇」を受けて福島空港発着を拒否。福島空港ではなく仙台空港を利用するよう、ツアー主催のHISに要求し、客室乗務員も搭乗を拒否した。インターネット上では、済州航空への非難の声が上がったという。これを受けて日本政府は、韓国政府に3度に渡って抗議するも埒があかず、結局、HISは運航航空会社を日本航空に変更した。用意していた185席は、ほぼ満席だった。

 福島空港の放射線量は国内外の空港と同レベル、というか、むしろ福島空港よりも高い空港はいくらでもある。

 3.11前には福島空港から韓国への定期便が存在したが、6年間止まったままだ。日本全体ではインバウンド観光の激増が喜ばしい話題として扱われるが、福島は完全に取り残されて6年間を過ごしてきた。日本全体の外国人観光客数は、10年に比べて15年は238.5%と飛躍的に伸びた。しかし、同期間で福島県への外国人の観光客は58.7%へと減ったまま。その差は大きい。

2号機650シーベルトを
どう捉えるべきか?

 では廃炉の現場で働く者たちは、この2号機内部の650シーベルトをどう捉えたのか。彼らの言葉に耳を傾けてみると、意外な反応が返ってくる。

 端的に言えば「特にどうとも捉えていない」人が大部分。むしろ、これまで誰も見たことがなかった未踏領域への到達を喜ぶ声さえ聞く。

 当然だ。今になって1Fの構内で放射線量が上がったという事実は微塵もない。むしろこの6年間、構内の放射線量は下がり続け、空間を飛ぶ細かいチリ、ホコリの放射線量も都内・霞が関周辺と同程度になっている。

 原発の運転中は、原子炉内部で650シーベルトどころではない高放射線量が日常的に存在する。問題は、それを外部に漏れ出ないように隔離できているかどうかだ。今回、650シーベルトを発見できたのは、作業が進み、厳重に外部に漏れ出ないように隔離されていた原子炉を格納する容器の内部まで、遠隔操作をもって計測しに行くことができたからだ。

 もちろん、安全だという話ではない。そこに人間が行けば「その場に数十秒いただけで死に至るレベル」のは間違いない事実だ。ただ、原発が運転していた状態から6年たち、原発内で発生する熱エネルギーも放射線量も当然大きく減り、なおかつ、その放射性物質がザルのようにバンバン外に漏れ出る状態ではないことは自明だ(もし内部の放射能が外に漏れ出る構造にあったら、むしろ、もっと内部の放射線量は下がっている)。

 誤解を恐れずに例えるならば、「エベレストに登りました、人が長時間そこにいれば死に至るような過酷な環境がそこにありました」と言っているようなものだ。エベレストの未踏領域に行けばそういう状況があることは、その山を登る人は当然知っている。それがどのような環境なのか、はじめて現場に行って具体的にわかりました、やっとそこまで到達したんですねという話だ。

 もし、いま稼働している火力発電所のタービンの上に行って「ここに人がいれば数秒で死にます」と言えば「そりゃそうだ」と答えるだろう。元からそこにあった、わざわざ人が行く必要もない場所でもある。650シーベルトが見つかったことは「大発見!」などではない。

 先に言っておくが、今後作業が進む中で、もっと高い線量が出る可能性は高い。それは、作業が核心部の未踏領域に近づき、「Unknown」が「Known」になるからだ。例えば、1、3号機は今回調査した2号機よりも溶け落ちた燃料の量は多いと言われている。より事故状態の時間が長かったのだ。そういう事実関係を事前に把握しておく人がどれだけいるかどうかで、受け止め方は変わる。誤った方向に社会が進むリスクは減る。

マスコミや専門家の機能不全が
福島に「2次被害」をもたらす

 デマと差別は、無知と不安から生まれる。「その場に数十秒いただけで死に至るレベル」という情報自体は、正確な事実。ただ、それを聞いて、デマを含めた誤った情報が世界に流通するのは十分事前に想定できた話だ。

 一方、「6年経ってやっと作業がそこまで進んだのか」という現場の認識も正確な事実。しかし、両者には大きな乖離がある。どちらを考え、判断するためのモノサシとするのかで、社会が進む方向は大きく変わる。今回は明らかに被災地・被災者への偏見を助長し、済州航空の一件のような、具体的な経済的損失も出したと言わざるをえない。

 本来、メディア=媒介はこういうモノサシが複数存在する現象に対して、ズレた複数の世界観同士をつなぐ役割をもっているはずだった。専門家の役割もそう。しかし、福島の問題、とりわけ廃炉の問題についてはその役割が機能していない。

 いわゆる「風評被害」と呼ばれる福島忌避による経済的損失や、それを引き起こすデマ・差別は問題だと世間は言う。ではそれを何が作り出しているのかと言えば、バランスの取れた世界観を得られずにいる世間自体でもある。背景に、モノサシの機能不全があることは明らかだ。

 福島からの避難者へのいじめもそうだ。「福島から来たお前は菌だ、病気になる」と言われるのは、子どもの無知が原因だということになっている。だから、道徳の教科書を読ませておけば、いじめはなくなるという対処療法がとられている。しかし、あまりに皮相的かつ責任転嫁も甚だしい対応だ。これは大人自身の問題だ。大人が「福島から来た人間や一次産品が汚染されていることはない」とモノサシ・根拠をもって言い返せる前提がなければ、今後も問題は続く。

 3.11以降、日本はその前提を整えて来なかったから、現にそこに起こった災害・原発事故そのものとはまた別の、2次被害が起こっている。

 前置きが長くなった。1Fには6年たっても福島に残った問題、そして今後も中長期に渡って残り続ける問題が凝縮されている。安全かどうかを大声で叫び合う前に、「不安だ」「とんでもないことになる」「廃炉なんか無理なんだ」と錯乱する前に、そもそも私たちはどういうモノサシを持って、現実に向き合えばいいのか考えておくべきだ。以下、いくつか1F廃炉が抱える課題をあぶり出しながら、私たちが持っておくべきモノサシをまとめる。

論点1:外れ続けてきた
1Fへの「負の予言」

 最初に取り上げたいのは、1F廃炉の失敗を願う人々が喧伝する「絶望の象徴」化だ。

 1Fが「絶望の淵に立っている」という設定で語られたのは、今回の「650シーベルト大発見!」問題に始まったわけではない。オオカミ少年が「オオカミが来た」と何度も叫ぶように、「1Fは絶望の淵に立っている」と叫ぶ声が何度も聞こえてきたのが1Fの6年間だった。

 例えば、「大量の被曝による廃炉作業員の人員不足で作業が継続できなくなる」「4号機が崩壊して使用済み燃料が原子炉建屋の外にこぼれ落ちて再避難」「多核種除去設備(ALPS)が完成せず汚染水問題は窮地に陥る」といった話が、その時々のトレンドになる。

 マスメディアはそれを匂わす。SNS等はそれをデマ混じりに拡散する。「4号機 崩壊」などで検索していけばその残骸はいまでも観察可能だ。それを見れば「このままいけば、日本滅亡」とでも言わんばかりの、煽りと虚偽にまみれたものが多数存在することに気づく。喜々としてネガティブな情報だけを選別してTwitterなどSNSで流し「こういう話を求めていた。これが福島の現実だ」などと、したり顔をする「有識者」「思想家」も多数いた。

 しかし実際には、作業の進捗と時の経過のなかで、それらの予言は外れ続けてきた。現在、作業員の確保も4号機もALPSも、安定的な状態にある。

 もちろん、それは現場での多大な努力があったからだ。人員確保も4号機の安定化も多核種除去設備の稼働も、様々なリソースを結集したからこそ成立したことだ。手放し無策のままでも大丈夫でした、という話ではない。

 ただ、この手の予言が厄介なのは、無責任なオオカミ少年たちが手を替え品を替え、デマを通して恐怖の共感を集めようとする中で、本当に必要な課題への注視がなされず、必要な手立てが看過されてしまうということだ。

 そろそろ外れたことが明らかになる予言は「凍土壁は絶対に失敗する」というものだ。凍土壁が完成すれば、汚染水管理などの大きな課題の解決に向けて前進することは間違いない。ただ、ここから先に問題となるのは、膨大な量のタンクに貯蔵されている浄化済み水の処理とデブリ取り出しという、具体的な、より難度の高い課題だ。

 そもそも原子力規制委員会もしばしば指摘してきたことだが、凍土壁は根治療法ではない。よりハードルの高い課題を解決すべき状況が目の前に迫ってくるということこそが、私たちがもっと早い時期から意識すべきだったのを、「予言」は覆い隠してしまう。

 1F廃炉の話は難しい。だから多くの人が口をつぐむ。饒舌に話す一部の人間の言葉には、明らかな偏りがあった。一般レベルでの1F廃炉を取り巻く言説は、その失敗を願う人ばかりに固められてきた。失敗を願って拝んでいれば思考停止できるから楽だ。デマには事実を持って反駁し、失敗を願うことしかしない思考停止の愚者は放っておけばいいが、一方で、いかにすれば前に進むのか頭を悩ませ、汗をかく人の層を厚くしていく必要がある。

「失敗か成功か」の二択クイズでは
廃炉の真実は見えてこない

 先日の2号機内部のサソリ型ロボットによる調査は最終的に想定していた作業を完了できず、結局、ケーブルを切って内部に放置することになった。その後開かれた記者会見では、どうにかして東電の担当者に「失敗した」と言わせようという問答が繰り返された。東電が「成果があった」という態度を取り続けたからだ。

 果たして失敗したのか、それとも本当に成果があったのか。ここでも正しいモノサシでもって考える姿勢が必要になる。

 途中でロボットが動かなくなったということは、当初の想定通りにことを進めるという意味では明確に失敗だった。一方で、今回は1F内部の情報を、カメラなどを入れながら細かく捉えることが目的であり、その意味では、一定の成果があったとも言える。

 東電が「失敗しました」と涙を流しうなだれる姿を見たい人はいまでも多いだろう。それでスッキリする人もいるかもしれない。ただ、この問題を追いかけ続け、どうにかしたいと思っている私にとっては、そんなものを見せられても何の得もない。知りたいのは、どんな情報が取れて、それがどれだけ意義あるもので、次の工程にどんな影響を与えるのか、ということだ。近日始まる予定の1号機内部の調査をはじめ、デブリ取り出し前の作業の今後につながる何かがあるのかということだ。さらに、それがどのように地域の復興に影響しうるのかということだ。

 成功か失敗か、という二択クイズをやっていては見えてこない、クロともシロともつかないことの中で、私たちは考え続けなければならない。同じようにシロクロで評価できない出来事は、今後も繰り返し起こるだろう。

 廃炉費用は21.5兆円で、当初想定していた額の倍になった。これは問題だ。電力消費者や国民の負担が出ることの正統性も、熟議されるべきなのは当然である。一方で、「こんな膨大な額の無駄遣いはだめだ。削減しろ」とでも言わんばかりの議論がある。

 では単純にカネをかけない、そして、技術もヒトも集まらなくていい、という話になったらどうなるか。ただでさえ30~40年かかると言われる廃炉の計画がさらに長期化するだろう。「そもそも30~40年なんて無理なんだ」という議論もあるが、現状ですら無理である可能性があるものが、さらに難易度を増すということだ。

 いかに効率的にカネをかけるか、あるいはこれだけの額をかけるからには、いかなるアウトプットを得られるのか。こうしたことを具体的に考えるには、相当な知力体力が求められる。

 とは言っても、普段から経済政策や外交防衛、医療福祉を考えて議論するのと大きなレベルの差はないと思う。ただし、最初に学んで前提知識をつけるためのツールが、廃炉に関しては大きく不足しているのも事実だった。だから私は『福島第一原発廃炉図鑑』という本を昨年刊行した。「いかにすれば前に進むのか頭を悩ませ、汗をかく」というモノサシをもち、思考停止しない人が求められているからだ。

>>(下)に続く

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Posted by nob : 2017年03月15日 15:48