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起きてしまったことを消してしまうことはできないし、残された問題点は解消していかねば私たちは前に進めない。。。Vol.2
■廃炉について、デマと誤報を乗り越えるための4つの論点(下)
開沼 博:社会学者
>>(上)より続く
論点2:ほかの被災地の6年遅れで
福島の復興は始まる
次に、福島問題のターニングポイントとなる、廃炉の3つの作業について取り上げる。
今年は福島復興・1F廃炉にとって大きな転換点になる。復興から5年の節目だった去年よりも、今年の重要性は遥かに大きい。というのは、1Fとその周辺地域における実質的な復興作業が始まる年と言っていいからだ。具体的には、「相当な範囲で避難指示解除がかかること」と「廃炉作業の主軸が、汚染水対策から原子炉内の燃料取り出しに移っていくこと」の2点がある。
まず、相当な範囲で避難指示解除がかかることの意味は大きい。3.11後の福島では、1Fから半径20km以内を中心に立ち入りができない警戒区域が設定され、その後、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3区域に再編され今に至る。いずれの区域も許可なしに居住はできないが、汚染の度合いの低い避難指示解除準備区域、居住制限区域の避難指示が解除されることになるのが今年だ。
ここで何が起こるのかというと、端的に言えば、宮城、岩手、その他地域も含む地震・津波被災地域が11年からはじめていた生活の復興、つまり仕事や教育、医療福祉の再建と、それらを基盤にしたコミュニティづくりを、6年たったいまから後追いで始めるということだ。
6年間も人が住まなかった地域は、あらゆるものが消滅している。店も病院も人のつながりも、もっと目に見えない、例えば地域の魅力や、そこで暮らす人の生きがいのようなものも。建物の老朽化もひどく、取り壊される家も多いだろう。津波で流された町の再建ももちろん大変だが、原発被災地には廃炉の仕事で3.11後にやってきた人や、避難先との往復を続ける2拠点居住をする住民もいて、また別な課題が山積する。
もう1つが、廃炉作業の主軸が汚染水対策から原子炉内の燃料取り出しに移っていくこと。ニュースなどを見ていてわかるだろうが、この6年間あらゆるリソースが集められてきた汚染水の問題に一定の目処がつき、いよいよ原発内部の本格的な調査が始まっている。これは汚染水対策から燃料取り出しへと軸が移りつつつあることを指す。
汚染水対策が一段落して
燃料取り出しに焦点が移った
福島第一原発で何が起こっているのか。断片的な情報が飛び交い、総括的な議論がなされる機会が少ないので混乱している人も多いかもしれないが、基本的には以下の3つの作業が行われていると考えればよい。
(1)汚染水対策
(2)燃料取り出し(使用済み燃料&燃料デブリ)
(3)解体・片付け
よく分からない動きがあっても、基本的にはこの3つの作業につながることをやっている。そういう目でニュースを見ればいい。いずれも廃炉工程が続く限り必要な作業だ。
1つずつ見てみよう。まずは(1)汚染水対策。これが一定程度落ち着いたのは、話題の中心から去ったということだけではなく、例えば、1F内部で働く人の数からも読み取れる。昨年度までは1F内では7000~8000人程度の人が働いていた。これは凍土遮水壁の設置工事や、事務作業をする建物などの土木・建設工事が大掛かりに行われていたからだ。しかし、それらが終わった今年度は6000人ほどに減っている。作業が労働集約的なものから、燃料取り出しのような、より知識集約型のものに移りつつつあるからだ。
(2)燃料取り出しには、2種類あることは押さえておきたい。1つが使用済み燃料の取り出し。これはその名の通り、一度発電で使ってエネルギーを失っている燃料だ。4号機ではこの燃料の取り出しが終わっている。次は3号機で取り出し作業が行われる予定で、近いうちに動きがあるのでニュースでも報じられるだろう。
もう1つがいわゆる「燃料デブリ」、溶け落ちた燃料の取り出しだ。これはややこしい。今はどういう戦略で戦うのかを、事前調査をしている段階。具体的に取り出し作業をするのは20年の東京五輪以降になる。
ちなみに、今も土木工事は続いている。どこで続いているかというと、航空写真で見るとわかるが、福島第一原発構内の北側、自治体で言うと双葉町側の森だったエリアで廃棄物を保管・処理するためのスペースを作っている。森だったところは全部木を切って、整地されている。そこには、これまで6年間の作業で使った、いわゆるタイベックスーツ(防護服)や構内で出た汚染の低い廃棄物を置く。
(3)解体・片付けは、最終的には、取り出した燃料や建屋自体にも及ぶ。それらを私たちは最終的にどう処理するべきなのかは、まだ全く議論を始められていない。次世代以降に押し付けないためにも、議論だけでも始めておく必要がある。
(1)汚染水対策、(2)燃料取り出し(使用済み燃料&燃料デブリ)、(3)解体・片付け――。この3つ作業のうち、何がどこまで進んでいるのか、いま起こっているトラブルはどの作業のトラブルで、他の作業にどんな影響をおよぼすのか。そんなモノサシを持って見ると、今後1Fで起こることの根本的な問題を把握しやすくなるだろう。
論点3:最先端の優秀な人材が
廃炉作業に集結するか?
次に見るのは、必要な人材について。これも新たな戦略が必要な時期になっている。
ここまで述べたように、時間の経過とともに作業の内容も質も変わってきている。はじめは土木作業などが中心で、とにかく頭数が必要だった。現場の放射線量も高かったから、一人一人が長時間働くにも限界があった。
しかし、現在の作業は、また別の人材の確保が必要になってくる。1つは高度な技術を研究・開発し、イノベーションを起こし続けるような人材。燃料取り出し、特に燃料デブリの取り出しには高性能ロボットやドローン、バーチャルリアリティ(VR)など、先端技術が関わってくる。それらを操ることができるかどうかで、作業進捗は大きく変わる。
石棺化したチェルノブイリの事例のみを見て「人類に燃料デブリ取り出し実績なし」と思っている人もいるだろうが、過去に原発事故後の燃料デブリ取り出しの実績はある。1979年に起きたスリーマイル島原発事故の処理だ。1Fでのデブリ取り出しに関する予算や工法は、スリーマイルを参考にして試算されている。
社会に存在する技術は、当時よりは充実していることは言うまでもない。それはアドバンテージだ。一方、スリーマイル島原発事故と違い、3つの建屋が同時に事故を起こしている上に、原子炉内部でのデブリの溶け方に関しては、明らかに福島のほうが状況が悪い。つまり、作業は圧倒的にしづらい。ここはディスアドバンテージだ。アドバンテージを享受しつつ、ディスアドバンテージをクリアして廃炉を進めるためには、先端技術に精通した優秀な人材が必要になる。
それでどうやって人材を集めるのかということだ。紋切り型すぎる言い方かもしれないが、分かりやすく言えば、グーグルやアップルに行くような、あるいはトヨタや日産に行って自動運転をやりたいというようなレベルの人材だ。最先端技術を開発しながら実用化に落とし込む知識と技術力が求められる。
昔は、宇宙産業などと並んで原発も最先端技術だった。しかし、今の福島にそんな人材が集まるだろうか?「厳しい」――これは現場で働く多くの人が口にすることだ。廃炉という後ろ向きな作業に、若くて野心ある人材が集まるのか。しかし、これはどうにかして集めなければならないし、集めれば廃炉作業は様々な展開が可能になる。
地元出身人材の確保も
廃炉の未来を左右する
さらにもう1つ、必要な人材がある。長期にわたる作業を地元に根づいて支える人材だ。現時点で1Fで働く人のうち、地元住民の割合は5~6割程度だ。
原発内には様々な業務がある。原発作業と言われて多くの人がイメージするような仕事ばかりではない。6000人が働く場所だ。自動車整備工場やガソリンスタンド、コンビニや食堂もあるし、ガードマンもいる。こういう作業を長期に渡って支える地元人材の層が厚いことは、作業の中長期の安定につながる。
しかし、この地元人材の確保も、現状は厳しい部分がある。決して魅力ある労働環境ではないから、人が定着しないのだ。
現在、1Fで働く人の多くは午前3時、4時から起きる生活をしている。1Fと、住宅地やスーパーなどが充実しているいわき市などの居住地が40km以上離れているような人も多く、通勤に時間がかかる。
さらに、全面マスクにタイベックといった格好での作業が続いた時期が長く、夏場の熱中症が労働災害として多かったことも、この早朝の涼しいうちから働きだす慣習につながっている。それが冬でも変わらずに定着した。1F構内に何時に何人入っているのか、というのは各作業員がつける線量計の貸出数で推計できるが、それによれば、ピークは朝9時、10時。つまり、夜明け前に現場に入り、昼前には作業を終えて帰るというリズムで生活をしている人が多いことがわかる。朝は渋滞も起こるから、我先にと現場に入る。
まだ若くて独身だったり、子育てが終わった世代ならまだしも、そうでない人には厳しい勤務条件だ。
この問題を解決するには、家族と住んでも生活に不便がなく、通勤もしやすい場所に町がないとだめだろう。ただ、その復興の見通しはまだ立っていない。先に述べた通り、1F周辺の地域の復興はやっとこれからはじまるのだ。
そういった意味では、1Fの構内=「オンサイト」だけを見ていては、廃炉の全体像は見えない。「オフサイト」も含めた全体像を見る必要がある。そして、廃炉を直接担っている、そこで働く人々にとって、そこでの生活がどれだけ魅力があるものになるのかが問われる。
そこに求められているものを端的に言えば、「夢」だ。私は1Fの状況を呑気に楽観視しているのではない。しかし、ネガティブな課題の中に、いかに創造性や最先端性を見い出せるのか。あるいは、周辺地域の生活に子どもたちとの未来を感じること、老後も住む魅力を感じることができるのか。実際に、 3.11以前は、長年発電所で働いた技術者が生活環境がいいからと、わざわざ双葉郡に移住するケースもあった。廃炉が未来に「夢」を描ける形で進んでいるのか、いないのか。そのモノサシは現場の人はもちろん、それを外から見る私たちにも求められる。
論点4:廃炉が無事に済んだら…
豊洲問題から1Fを考える
最後に、議論されてこなかったことだが、意識しておくべき問題に触れる。仮に、1Fの廃炉が進んでいったとして、最終的にあの場所をどうするのか、という問題だ。
当然、東電は答えを用意している。「更地にして返す。それが福島の被災者との約束だ」と。事故当事者である東電の立場からそう言うのは当然だ。地元住民の中にも、そうしてもらわないと困るという心情が確実にある。
しかし、更地にして返すことだけが唯一のゴールなのかというと、議論の余地はある。
ここで言う更地を「グリーンフィールド」と呼ぶことがある。これと対になる「ブラウンフィールド」という言葉もある。グリーンフィールドとは廃棄物、汚染物質などが残っていない環境になった土地のことだ。一方、ブラウンフィールドとは一定の汚染が残っている土地を指す。厳密な定義の議論はあるが、ここでは割愛する。
分かりやすくするために、あえて話を時事ネタに飛ばす。私たちは築地市場の豊洲移転問題で気づいたことがある。日本国内で何らかの施設を開発するのに有用な土地で、完全にグリーンフィールドの土地がどれだけあるのかということだ。東京だけではない。地方でも、よほどの過疎地に行っても空き地・山林に産業廃棄物が置かれているのを目にすることは多い。
豊洲移転の話を私たちが初めて知った時に、まずは完全にきれいにするべきだと思ったのは当然だ。しかし、その汚染のレベルが、飲水の環境基準で見てどうなのか、コンクリートで遮蔽してどうなのか、という議論が進んでいき、ましてや、汚染を完全になくして更地にするための予算が、青天井と言ってもいいぐらいに膨れることを知る中で、立場は分かれていく。
じゃあ、豊洲はやめにしよう、築地こそがゼロリスクだ、と思って話を進めようとしたら、戦後進駐軍のクリーニング店があった影響で汚染土壌が見つかり、でもそこで長年飲食物を扱ってきた事実もあり…。そんな話が繰り広げられる。
この件についてこれ以上議論は深めない。グリーンフィールドだけがベストアンサーではない、という視点は、私たち素人には持ちにくい。事実として、豊洲を当初そうしようとしたように、1F跡地もブラウンフィールドにしつつ、リスクを抑える策を最大限施し、折り合いをつけながら利用する可能性を探っていく方法もある。
ブラウンフィールドでも問題がないと言っているのではない。仮に完全なグリーンフィールドを目指すとして、誰が膨大な費用負担をするのか。他に折り合いをつける方法があるなかで、敢えてグリーンフィールドを目指すとするなら、その社会的合意を誰がどう取るのか。
1F廃炉についても、そういう議論は視野に入れていく必要がある。21.5兆円。それがさらに増えるという時に、どこをゴールにするのか。その設定の仕方次第で全く先行きは変わる。実質的にかかる費用と、いわば「不安・不満解消費」とを分けながら、どう見ていくのか。これは「理科・数学」の問題ではなく「社会・国語」の問題だ。
廃炉のゴール設定について、これまで「石棺化すればいい」という議論をしばしば聞いた。この議論には大きく2種類ある。
1つが「どうせ廃炉は無理なんだから、チェルノブイリのように、とにかく今すぐ周りをコンクリートで固めて石棺化しろ」という感情論レベルのもの。これは論外だ。チェルノブイリの場合は、ああせざるをえなかったし、ああすることで一定の安定状態になる状態だった。しかし、福島の場合は同じことをしても汚染水の問題をはじめ、リスク管理ができなくなる。議論の前提が違うもの(チェルノブイリと福島第一原発)を無理に並べて語ってみたところで、全く的外れな話にしかならない。
もう1つは、石棺といっても、チェルノブイリのようなものを指すのではなく、一定の手を加えた上で、原子炉やデブリの一部をリスク管理可能な形にして残す、ブラウンフィールド的なものを目指すべきだという議論だ。見た目も、チェルノブイリの石棺とは大きく違ったものになるだろう。
これは議論としてありえる。デブリを全量きれいに取り出すことができるのか、できるとして、その作業をコスト・リソースを大量にかけてでも完遂すべきなのか。その点を追求していった時に、ここまではやって、ここからはやらない。やらない部分は、例えば、人が簡単には侵入できないように、何かあったらメンテナンスできるように覆いとなる建物で囲むなどする。そういう落とし所を目指す議論だ。
現状では、デブリを全て取り出し更地にする可能性を追求すべきだ。住民の思いもあるし、あらゆるリソースを投入することに大きな反発はない。しかし、数十年単位で見ればその前提は変わる可能性はある。その中で、リスクとコストのバランスを見ながら柔軟な議論をしていく余地を残しておく必要はあるだろう。
なぜメディアは
デマにつながる報道をしたか
皆が合意できる点を見つけていく作業を、時間をかけて成熟させて行く必要がある。当然、豊洲移転の問題で指摘されているように、裏でコソコソやるようなことは許されない。徹底的に透明性を確保し、住民の参画も促しながら議論をすべきだ。
そのためにも、1人でも多くの人が最終的にどうするのか、というモノサシも持つ必要がある。その中で、長期的な先行きが見えてくる。
冒頭では650シーベルトのデマ報道による2次被害について触れたが、メディアが何の躊躇も反省もなくそうなっているわけではない。
2月に日本記者クラブが主催する福島視察に全国の新聞・テレビの記者が来た。彼ら一人ひとりを見れば、本当に悩みながら報道している。これは間違いない事実だ。県内メディア、自治体関係者、私のような研究者と違い、日常の仕事があるから、ずっと福島を見ているわけにもいかない。でも、福島や廃炉を伝えなければならないと思っている。
彼らもどうにか分かりにくいものを分かりやすくしたい、そして多くの人に問題意識をもってほしいとモノサシを提示しようとしている。その結果が残念ながら「その場に数十秒いただけで死に至るレベル」という表現になってしまった。ただ、議論を深めれば「報じないわけにはいかない話だったが、次からは活かしたい」「人が死に至るレベルといった上で、『それが外に漏れることはない』と付け加えればよかったのかもしれない」など、具体的な改善のアイディアが出てくる。こちらも、多くのことを考えさせられた。
コミュニケーションを取り、学び合いながら次につなげる。これはメディアだけではなく、多くの人が1F廃炉を見る際に意識すべきことだろう。
福島の復興や廃炉に限った話ではない。あらゆる社会問題は、時間が経つほどに追い続ける人が少なくなっていく。記者も行政官も、数年経てば人事異動で去っていく。ただ、その中で人が変わっても皆で共有する知見の水準を高め、引き継いでいくことを、より意識していく方法はあるはずだ。今後はそのことをますます意識する必要があるだろう。
[DIAMOND online]
Posted by nob : 2017年03月15日 16:14