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■改憲の道「なぜ急ぐ」 国民投票法案
憲法改正手続きを定める国民投票法案が、衆院を通過した。改憲を参院選の争点にしようと図る安倍内閣にとって、法案はその地ならしの意味を持つ。専門家は審議の拙速を批判し、原爆や空襲を経験した被害者らは「あきらめてはいけない」と声を上げた。
◇被爆者ら講義
「国民投票法案 安倍さんどうしてそんなに急いで採決するの?」。長崎市の平和公園。9日正午過ぎ、約50人がこんな横断幕を広げて座り込んだ。82年から、原爆の日の8月を除いて毎月9日に行われている「反核9の日座り込み」。この日で311回目だった。
列の中に、長崎市の元小学教諭で被爆者の元山寿恵子さん(76)がいた。10年ほど前から、ほぼ毎月参加している。00年に設立した市民団体「活憲21ながさき」の代表。
原点には被爆体験がある。爆心地から約2・4キロの自宅で被爆。一緒にいた姉は無事だったが、母親は耳に大けが。姉の夫は勤務先で爆死し、同級生も失った。
60年前、憲法ができた時の喜びを今も覚えている。「これで戦争はなくなるんだ」。自由にものが言える喜びも感じた。
座り込みが何になるのか、という人もいる。しかし、たとえ国民投票になっても9条を守るために、頑張れるだけ頑張るつもりだ。
広島市でも13日正午すぎ、被爆者や労働組合関係者らでつくる広島県原水禁のメンバー75人が、原爆ドーム前に集結。抗議の座り込みをした。
23年前からドームの水彩画を描き続けている原広司さん(75)も、座り込みに加わった。この日朝から1905枚目のドームの絵を描き上げた。「ドームはいつもより暗く、寂しい表情だった」
原爆投下時は現・江田島市の親類宅にいて無事だったが、翌日に広島市内に入って被爆した。同学年のいとこや学校の友人の多くを亡くした。自身も戦後、大腸がんなどに苦しんできた。高校生から小学生まで5人の孫がいる。「終戦からたった六十数年。なのに、戦争ができる国に着々と変わろうとしているように見える。孫たちに同じ思いをさせたくない」
作家の早乙女勝元さん(75)は国民投票法案を通した与党の最大の狙いは、9条の改変だと考えている。
12歳で東京大空襲に遭った。一晩で約10万人が死んだ。作品や講演で体験を語り継ぎ、02年に民間募金で設立された「東京大空襲・戦災資料センター」の館長に就いた。
憲法改正は再び戦争への道につながる、としか早乙女さんには思えない。「私たちは過去の戦争犠牲者と、今の子どもたちの声なき声に耳を傾け続けなければいけない」と語った。
◇推進派からも異議
国民投票法の制定を主張してきた市民グループ「国民投票/住民投票情報室」(村西俊雄代表)は、衆院憲法調査特別委員会で与党修正案が可決された12日夜、異議を唱える見解を発表した。
「合理性に富むルール設定が全会一致でなされることを期待したが、選挙などを意識した政党幹部の言動により、与党のみの採決となったことは極めて残念だ」と批判。内容についても「公務員が主権者として原則自由に国民投票キャンペーンに参加できることを保障するべきだ。参院で修正され、衆院に差し戻されて再可決されることを立法府に求める」としている。
〔朝日新聞〕
Posted by nob : 2007年04月14日 10:08