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原発と再処理はまったく次元の異なること。。。

■温暖化対策に原子力必要 安倍前首相が再処理工場視察

 安倍晋三前首相は3日、青森県六ケ所村を訪れ、試運転中の使用済み核燃料再処理工場を視察した。首相経験者の工場視察は2002年10月の森喜朗元首相以来2回目で、核燃料を用いた試運転開始後は初めて。

 視察では、事業者の日本原燃の児島伊佐美社長らが工場の概要を説明。安倍前首相は工場の中央制御室と、フランスと英国から返還された高レベル放射性廃棄物の貯蔵管理センターをガラス越しに見学した。

 安倍前首相は視察後、村内の保養施設「ろっかぽっか」に移動し、同村の古川健治村長ら村民と懇談。安倍前首相は「地球温暖化問題の解決の鍵の一つは(二酸化炭素を出さない)原子力。石油約145万トンの発電量はウランだと約20トンで賄える上、再処理でリサイクルできる」と述べ、核燃料サイクル政策の重要性を説いた。

[河北新報]


■東大生に教わる「温暖化対策」(上)=原子力発電をアトム発電と呼ぼう

− 地球温暖化対策は賛成だが、「生活を変えたくない」または「変えられない」というジレンマをかかえるのが、おおかたであろう。そうした中で、東京大学工学部システム創成学科の学生たち有志が、「何かを犠牲にすることがほとんどない」という地球温暖化対策のプロジェクト“チーム・マイナス7%”(小平翼代表)を結成。昨年11月から8カ月かけて、日本の風土にあった総合的な対策手段を構築した。その成果を5月25日、本郷キャンパスの学園祭“第81回五月祭”で発表した。

 東大生たちはそこでこう説明していた。学生であるという立場にあることで、必要な情報は、教授にお願いすれば答えてもらえる。その道の専門家にも直ちに紹介してもらえる。このような「高レベルの情報による総合的なビジョンの構築が可能なのは、学生であるからこそ、です」と。たしかに私たちは、メディアの流す断片情報に埋もれている。にもかかわらず総合的な判断ができる、とは言えないでいる。われわれはどう対応すべきなのか。若さと柔軟性に富んだ東大生の提案を、ここで紹介してみたい。

 提案のタイトルは「Channel to Earth〜科学と理系思考による温暖化対策」である。代表の小平翼君は「われわれは工学部ではありますが、科学技術だけでなく、政治や経済も盛り込み、すべての知識を結集して、真剣勝負で温暖化に立ち向かいます。多岐に亘る対策の選択肢を精査し、『E-RISE』という構想に収束させました」と語る。

 “チーム・マイナス7%”というのは、環境省の地球温暖化対策でライフスタイル「COOL BIZ」を推進中の“チーム・マイナス6%”を意識、それを上まわる提案にしたいという意欲を示したもの。学生たちを取りまとめるのは、上坂充教授である。東大の工学部では「工学、それは意志を実現する体系」を標ぼうしている。

 その精神に沿って“チーム・マイナス7%”は「日本の持続可能な発展を体現し、世界を指導するという『未来への意志』を明確に打ち出し、社会へと発信するというのだ。つまり「やらねばならぬことは、できる」(注:「なすべきであると意識するがゆえに、そのことをなすことができると判断する」という哲学者カントの言葉を、PJが勝手に解釈したもの)の工学部バージョンであろう。

 まず、“チーム・マイナス7%”は、環境問題を解決した理想の状態(To Be)を設定している。その状態に比較して現在はどうなのか、という現状を分析する。それから、現状を理想のあるべき姿にしてゆくには、何が必要かを洗い出し、解決策を提案するのである。そこから、Energy‐Resources(エネルギー供給)、Industry(産業)、Surrounding (生活環境)、Education(広義の教育)の4部門別のビジョンを設定している。

 そのProject1は、ビジョンで導かれた必要なエネルギーの確保である。ここで2100年には、日本のエネルギーを100%自給するという目標を立てる。それは、次の4つのミッションからなる。1)太陽光発電を導入せよ。2)バイオマス導入をせよ。3)原子力発電を倍増せよ。4)効率化・天然ガスシフトを実現せよ、である。

 このなかに、原子力発電を倍増させるために、「原子力発電をアトム発電と呼ぼう」という提案がある。「原子力発電」を「アトム発電」と呼ぶと、なぜ原子力発電が倍増するのか? その論理はこうだ。——現状の日本では、原子力推進派と反対派が対立し、不毛の議論を重ねていることを指摘する。問題の核心は、安全性への認識の違いにある。

 賛成派は、必要性と安全性を理論で主張し、反対派は、事故が起きるのではないかという不安によって、心理的な拒否反応を起こしている。こうした論争は、意味がない。双方の主張は相対的なものでしかない。

 安全性についての論議は、どういう状況のもとで、それを判断するかが、問題である。例えば、幼児が取り扱えば危険だが、大人が扱えば安全というものは、現在も多く存在する。成熟した人間のボーダーラインと未成熟な人間とのボーダーラインを引いて、安全性を考えるべきである。エネルギー100%自給ビジョンの達成には、原子力発電の安全性を向上させ、活用をしなければならない。火を扱うのが危険だからといって、われわれは火を使わないでいるだろうか。(注:電車や車は取り扱いによっては、危険であるが、そのために利用をしないということではない、という主旨のようだ)。

 原子力反対派の主張には、原子力の使われてきた歴史的な負のイメージが付きまとっている。そこには感情、つまり心の起こすものにとらわれたものがある。「原子力発電」という呼称には、不安のイメージが付きまとい、その効能に対し冷静な検討ができないでいる。そこで、これを「アトム発電」と呼称を変え、安全性と効用とのバランスを感情的にならずに検討したらどうであろう、というものだ。【つづく】

[livedoorニュース]

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Posted by nob : 2008年06月05日 00:08