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リアル、、、身につまされる。。。
■【小室被告初公判(1)】起訴事実に「詳しく聞いて確かめたい」
《希代のヒットメーカーを、詐欺へと駆り立てたものは果たして何だったのか。音楽著作権の譲渡を個人投資家の男性に持ちかけて5億円をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた音楽プロデューサー、小室哲哉被告(50)の初公判が21日午前10時から、大阪地裁(杉田宗久裁判長)で始まった》
《小室被告は午前7時半すぎ、ワゴン車に乗って大阪地裁に到着した。昨年11月21日に保釈されて以来、公の場に姿を見せるのはちょうど2カ月ぶり。車を降りた小室被告はベージュのタートルネックセーターの上に黒のジャケットとダッフルコートを羽織り、表情は硬かった。待ち構える報道陣に「ご苦労さまです」と幾度も頭を下げ、庁舎内に入っていった。この日の公判の一般傍聴席は61席。大阪地裁には早朝から1034人の傍聴希望者が詰めかけた》
《大阪地裁で最も大きな201号法廷。報道機関による廷内の撮影が終わった後の午前10時1分、裁判官席に向かって右側のドアが静かに開き、きょうの“主役”が法廷に姿を現した。席を埋めた傍聴人がみな、身を乗り出す。小室被告はコートを脱いだジャケット姿。緊張した面持ちで、2人の弁護人の間にそっと腰を下ろした。通常の公判では弁護人席の前に被告席が設けられるが、この事件では弁護人の間に座ることになっているようだ》
裁判長「では、被告人は前へ」
《すぐさま裁判長に声をかけられ、正面の証言台に進み出る小室被告。被告人の氏名などを確認する人定質問が行われた》
裁判長「名前は」
小室被告「小室哲哉です」
《手を前に組み、ぼそぼそと小さな声で答える小室被告。そこに、かつて華やかなスポットライトを浴びていた面影はなかった》
裁判長「生年月日は」
小室被告「昭和33年11月27日です」
裁判長「そうすると、年齢はいくつになりますか」
小室被告「50歳です」
裁判長「職業は」
小室被告「音楽家です」
裁判長「起訴状には『音楽家・会社役員』とありますが、それで間違いないですか」
小室被告「はい」
裁判長「では本籍地と住所は、そこに置いてある書面に書いてください」
《証言台に立ったまま、右手に持ったペンで紙に住所を書き込む小室被告。書き終えると、書記官が杉田裁判長の手元へと持っていく。目を通した裁判長から「(番地なども)具体的に書き込んでもらえますか」などと何度も注文が入り、小室被告はそのたびに書き直した》
裁判長「では、検察官は起訴状の朗読をお願いします」
《小室被告は立ったまま検察官が読み上げる起訴状の内容に耳を傾けた。ときおり前髪に手をやったり、足下に視線を落としたり。5分近くにわたった朗読の間、所在なげな様子だった。朗読が終わり、いよいよ罪状認否に移る》
裁判長「さきほど検察官が読み上げた公訴事実は理解できましたか」
小室被告「はい」
裁判長「なにか違っているところはありましたか」
小室被告「おおよそ合っています」
裁判長「『おおよそ』ということは、違う点があるということですか」
小室被告「これから詳しく聞いて確かめたいです」
《続いて弁護人も小室被告と同じ意見である旨を述べ、冒頭手続きが終了。小室被告は再び弁護人の間に座り、検察 《罪状認否を終えた小室被告が着席すると、裁判所職員から検察側の冒頭陳述の写しが弁護人に配られた》
検察官「検察官が証拠により立証しようとする事実は以下の通りです」
《検察官はまず、小室被告の身上・経歴を明らかにする。そこからは、かつて一世を風靡(ふうび)した売れっ子音楽プロデューサーとしての顔が見て取れる》
検察官「小室被告は東京都に出生し、早稲田大学を中退し、その後プロの音楽家となりました。キーボード奏者だった一方、ほかの歌手らに楽曲提供などをしていました。この間、平成7年からは連続してレコード大賞を受賞。平成8年、9年には2年連続して納税額が十数億円になっていました」
検察官「一方で、被告人はイベント会社トライバルキックスの取締役を務めていました。また、(元歌手の)吉田麻美との間に長女をもうけましたが、平成14年3月に協議離婚し、その後再婚して現在に至っています。被告人には道路交通法違反の前科が一犯あります」側の冒頭陳述が始まった》
《続いて冒頭陳述は、小室被告が犯行に至った経緯に。検察官は事件のカラクリとなった音楽著作権の仕組みについて、日本音楽著作権協会と出版社、著作権者との関係などを読み上げていく。この間、小室被告は硬い表情で前を見据えたまま、時折、弁護人がめくる冒頭陳述の写しに目を落とす以外は、読み上げを続ける検察官を見ているようだ》
検察官「続いて被告人が多額の負債を負うようになった経緯についてです。被告人は平成8年および9年ごろ、著作権による収入は約10億円あったが、不動産や遊興費に費消していました」
《この後検察官は、小室被告の借金について列挙していく。小室被告が一気に転落していく様子がうかがえる》
検察官「平成13年1月には、ソニーミュージックエンタテイメントとの専属契約を解約。5月ごろまでに、前受けしていた歌手のプロモーションなどで得られるプロデュース印税などの報酬約18億円を返還したが、不足を補うため平成13年8月、銀行から10億円を借り入れました」
検察官「さらに被告人は、平成14年3月から15年3月までの間に、前妻との離婚に関し、3回に分けて計約3億7000万円の慰謝料を支払うことで合意。また、長女には、平成14年3月から成人になる平成33年までに毎月200万円から390万円の養育費を支払うことを約束しました」
検察官「しかし、平成15年3月に慰謝料の支払いが滞り、16年8月には養育費の支払いも滞るようになり、前妻に対して約7億8000万円の債務を負うようになりました。そして平成17年1月、前妻から、年間約1億円あった被告人の著作権使用料分配金請求債権を差し押さえられました」
《検察官が明らかにした小室被告の債務は、平成17年1月ごろで、銀行に対して未返済の約3億円、前妻に対し約7億8000万円、エイベックス・エンタテインメントに約7億円だった。この後検察官は、音楽プロデューサーである小室被告にとってきつい一言を添えた》
検察官「すでにこのころは、被告人はヒット曲に恵まれていなかった。前妻に対する差し押さえによって、収入源は音楽出版社から支払われる年間約1億円の著作印税のみとなっていた」
《続いて、小室被告が木村隆被告(57)ら共犯者と知り合った経緯を述べる検察官。小室被告は彼らと相談の上で自身が作った曲の著作権を二重譲渡し、いよいよのっぴきならない状況へと追い込まれていく》
検察官「被告人の資金繰りが破綻状態になった経緯です。被告人は銀行などへの債務など合計17億8000万円の債務を負う一方、平成17年7月には収入が年間約5000万円まで減り、もはや金融機関からの借り入れはできなくなっていました。平成18年には銀行に対する返済も、遅れながら時々する状態になっていました」
《そして、小室被告は今回の詐欺事件の被害者に融資を依頼していく》
検察官「このように被告人の資金繰りが破綻状態になる中、木村被告らは平成18年6月、通信販売業を営んでいる被害者に、被告人への融資を持ちかけました。融資そのものは断られたものの、『音楽作品の全著作権を10億円で譲り受けることには興味がある』と言われました」
《いよいよ冒頭陳述は、今回の事件の犯行状況に移った》
検察官「被告人は平成18年7月、東京都内の被告人マンションにあるスタジオで、木村被告らと被害者に著作権の譲渡代金名目で10億円を拠出させる方法について話し合いました。木村被告は、被害者が慎重な性格であることから、『あの人はすごく慎重な人ですよ。著作権をすでに譲渡していることを正直に話せば、お金を出さない』と提案し、被告人も『とりあえず目先のことが大事でしょ。その辺は言わなくていいよ』などと応じました」
《小室被告が口にした文言が明らかにされ、身を乗り出す報道関係者も。一方、小室被告は前を向いたまま身動き一つしなかった》
検察官「そこで木村被告らは被告人の提案を了解し、共謀が成立した。被告人は平成18年7月30日ごろ、東京都港区のホテルで木村被告らとともに被害者らと会い、『ジャスラックに登録してある806曲の著作権を10億円で買っていただきたい。著作権はすべて僕にある。売買代金を支払ってもらえれば差し押さえを解除してもらいます』と言った。この際、瑕疵(かし)がない状態で譲渡するよう言われ、『僕はこれでも世間で名の知れた男です。逃げも隠れもしません』などと言い、被害者を信用させ、10億円を出す旨了解させた」
《被害者にうそをついて信用させ、作品806曲の著作権の譲渡代金として10億円を出させることを了解させた小室被告。冒頭陳述は、小室被告がさらに言葉巧みに被害者を信用させていく様子を詳述していく》
検察官「被告人は平成18年8月10日ごろまでには銀行への返済資金が1億円程度必要だったため、8月7日、東京都内のホテルで被害者と会いました。その際、被告人は被害者のために作曲したCDをプレゼントして、『僕は僕の曲を大切にしてくださる方に、僕が持っている著作権全部をお売りしたいんです』などと信用させた上で、『ジャスラックに登録済みの806曲については全部僕に著作権があります』などとうそを言って、これを信用した被害者から8月中に5億円を支払い、うち1億5000万円を先に振り込むことを了解させました」
《こうして被害者は、10億円を支払えば806曲すべての著作権の譲渡を受けられると信じて、8月9日には1億5000万円を、29日には3億5000万円を振り込んだ。これをさっそく銀行への返済などに充てるなどして、全額を使い切った小室被告。しかし、当然のごとく、このままでは済まなかった》
検察官「その後、被告人の作品の著作権の実態や、5億円が被告人の資金繰りに使われたことを知った被害者から、被告人は再三、5億円の返還を求められました。しかし被告人はこれに応じなかったため、被害者は民事訴訟を提起し、結局、平成20年7月には、被告人が同年9月までに慰謝料1億円を加えた計6億円を支払うことで和解したが、被告人は9月30日から10月8日までに3回にわたって計900万円を支払ったのみでした」
《検察官による冒頭陳述の読み上げが終了。この間、小室被告は身じろぎもせずに聞いていた。その後、検察側が証拠を請求。弁護側が同意したため、すべて採用されて取り調べられることになった》
裁判長「では、ここで今後の審理の予定を確認しておきましょう」
《事前に裁判所と検察、弁護側が協議していた審理予定がここで明らかに。この日の初公判ではこの後、夕方までかけて検察側が採用された書証の要旨を朗読。3月12日に開かれる第2回公判では情状証人の証人尋問を行い、3回公判では被告人質問、4回公判で論告弁論を行って結審する予定だという》
《検察官が要旨の告知を始める。配られた手元の書面に目を向けたまま、じっと聞き入る小室被告。まずは被害者の供述調書が読み上げられた》
検察官「私は16年10月ごろ、兵庫県芦屋市内の自宅で、情報通信社の経営者で、知人の木村被告から『小室哲哉をご存じですか』と電話を受けました。私は小室被告がglobeといったユニットや安室奈美恵など多数の歌手を通じ、ミリオンセラーを連発したことは知っていました。またCDなどは持っていませんでしたが、小室被告の独創的な音楽性には惹かれていました」
《供述調書は、木村被告が被害者を信用させていく様子に移る》
検察官「しかし、当時は全盛期のような活動はしていなかったので、小室被告の存在が頭から消えていたのが正直な気持ちでした。私は『知っていますよ。でも最近テレビで見かけなくなりましたね』と答えました。木村被告は『私は音楽面や資金面で彼をサポートしています』と言うので、私は大変驚き『すごいですね』と答えました。木村被告は『小室は著作権を担保に入れて譲りたいと思っている。ネームバリューもあるので、融資や売買は億単位になるが興味ありませんか』と持ちかけてきました」
《木村被告から“著作権ビジネス”を持ちかけれた被害者。法廷ではさらに被害者の供述調書の朗読が続く》
検察官「私は平成17年1月ごろ、小室被告がリーダー音楽ユニット、globeの3枚組CDを木村被告からもらいました。結成10周年のベスト盤の限定生産で、小室被告のサインが入っていました。こうしたことから私は、木村被告と小室被告がかなり親しいことを知りました。でも、木村被告から電話で連絡があった際に、『小室さんに出資しませんか』と持ちかけられましたが、『興味ないです』と断りました」
《調書が読み上げられる間、小室被告は微動だにせず、まっすぐ前を向いて聞き入っていた》
検察官「私は、木村被告からの電話以降、テレビや週刊誌などで取り上げられる小室被告について意識するようになりました。小室被告は平成10年ごろから香港に活動の拠点を移転し、高額納税者番付の常連となったようです。
しかし平成13年以降は香港での事業もうまく運ばず、2億5000万円あった年収が8000万円ほどまで減少。さらに平成14年3月には前妻と離婚。約3億円以上の慰謝料の支払いも滞っていることを知りました。こうした背景に、木村被告からの著作権売買の話が持ち上がったのだと思うようになりました。
こうした多額の借金を支払うために、最後の財産といえる自分の楽曲の著作権を私に売りたいと思っているのだろうと思いました」
《こうしたやりとりの間も、小室被告はしきりとまばたきを繰り返したものの表情を変えることはほとんどなかった。さらに被害者の調書が読み上げられる》
検察官「平成18年6月ごろ、木村被告から再度、私に電話がありました。木村被告は『小室さんの資金繰りが悪化している。クレジットカードの支払いもできない状態です。音楽活動を続けるための資金をつくりたいと小室さんが言っているので、著作権を買ってくれませんか』という内容でした。
そこで私は『週刊誌などで小室さんの事情はある程度知っている。小室さんと直接、お会いして意思を確認したい』と伝えました」
検察官「すると、木村被告から『(小室被告も役員を務めるイベント企画会社の)トライバルキックスの社長と話をしに行くので、会ってくれないか』との連絡が入り、木村被告と社長が私の自宅に来て、小室被告への融資を依頼しました。社長からは『小室さんは金に困っている。800曲の著作を担保にして5億円を融資してほしい』と持ちかけられました。そして、音楽著作権に関することについて説明を聞きました。さらに社長は『大手広告代理店などからも小室さんの著作権を買いたいというオファーがあります。17億〜18億円くらいの査定です。つなぎ資金として融資してくれませんか。自分の保険を担保にしてもいいです』と続けました。そこで私は『まったくの素人なので、なんとも答えようがない。小室さんに実際に会って意思を確認しなければ、どんな案件も了承できない』と答えました」
《融資を前に、小室被告との面会を求めた被害者。供述調書は、小室被告との顔合わせに至る経緯を明らかにしていく》
検察官「木村被告は『小室もあなたと会いたいと言っています。一度、東京で小室と会う時間をつくってくれませんか』と言ってきました。これを聞いて私は『小室は本気だ』と思いました。先ほども申しましたが、私は金貸しではなく投資家。小室被告の800曲を買い取るというのは確かに魅力的な話でした。10億円で買い取ったとしても、印税収入などで20%もの利回りがあり、十分ペイできると思いました」
「また小室サウンドは世間に広く認知され、ネームバリューや相応の価値があるのは事実です。また著作権というものについても、貸与権や譲渡権など、さまざまな種類があることも知りました。例えば、中国語に翻訳して巨大な中国のマーケットに売り出したり、90年代に青春時代を送った人たち向けにベスト盤も選定できる。800曲を所有する音楽出版社を立ち上げることも考えられる。大手広告代理店が17億〜18億円の査定をしているのだから、10億円でも十分だと思いました」
検察官「平成18年7月ごろ、普段私が相談している投資顧問会社の方に意見を聞いたところ、『利回りだけでもかなり面白い。前妻の差し押さえをただちに外すのが肝心だ』とのことでした。僕が出せる金額はせいぜい10億円ぐらい。『小室さんの意思を確認したい』と話すと、木村被告は『小室に一筆書かせてお送りします』と言ってきました。その後、ファクスが来て、木村被告は『小室本人が書いたものに間違いありません』と。そして平成18年7月30日、東京・芝公園のホテルで小室さんと会いました」
《被害者の供述調書の1通目の朗読が終了。続いて2通目の朗読が始められた。小室被告はこの間、終始まっすぐ前を見据えて検察官の言葉を聞いていた》
検察官「ホテルの1111号室で、小室さんとトライバルキックスの社長、木村被告と会いました。この部屋はスイートルームで、ベッドなどは撤去されて1部屋は会議室、もう1部屋には応接セットが置かれていました。小室さんは『音楽プロデューサーの小室です。今日はDVD撮影を抜け出してきたので30分しか時間がとれませんが、よろしくお願いします』とあいさつしました。テレビで見ていた著名人に他ならなかった。腰が低くて偉ぶる様子もなく、服装もカジュアルだったが、ピュアな魂の中から大スターのオーラが出ていて、『こういう人には本音の話をしなければ』と思いました」
検察官「小室さんは『あなたのことは社長や木村から聞いています』と話しました。私は、このホテルも、確か小室さんが披露宴を挙げたホテルもプリンスホテルの系列だったことから、『小室さんは西武グループと関係が?』と聞きました。小室さんは『ええ、僕は(西武鉄道グループの総帥だった)堤義明さんやそのご長男と懇意にしていて、大規模なプロジェクトを進めておりまして。この部屋も、堤さんが無料で提供してくれたんですよ』と言いました。ほかにも、(世界的なメディア王の)ルパード・マードックとも交流があると話していました」
《被害者の供述調書は、小室被告と“差し”で著作権の譲渡の交渉が進められた場面に移った。この間、同席していたトライバルキックスの社長と木村被告は、主に聞き役に回っていたという》
検察官「小室さんが『資金繰りが苦しく、作曲に集中できない。まとまった融資をしていただけないかと思いました』と話したので、『私は金貸しではないので、融資には応じられません。
ただ、著作権の売買には興味があります』と伝えました。すると小室さんは『806曲の著作権はすべて僕にありますから、10億円で買っていただきたい』と要望してきました。私が『小室さんにとって魂じゃないですか』と言ったら、小室さんは『確かに魂です。先輩からも反対されています』と話す一方で、『(前妻による著作権の)差し押さえを早く解除し、前妻とのごたごたした関係を一刻も早くなくしたい』『僕もクリエーター。過去の作品に未練はありません』と言いました」
《検察官を見据えたまま、じっと聞き入る小室被告。硬い表情を崩さず、時折まばたきをするのがかろうじて確認できる。この後、被害者と小室被告との会話は前妻との関係に移る》
検察官「私は妊娠中に浮気された小室被告の前妻の思いを察し、『私なら、うんとは言いません。1日でも長く差し押さえして、嫌がらせしてやろうと思います』と話しました。すると小室被告は『前妻とは5億円をキャッシュで払い、差し押さえを解除してもらうことで話はついています』と答えました。
さらに『806曲の著作権は僕にあります。僕は音楽出版社からインディペンデントしていて、僕の手元に残してあります』『806曲フルセットであることに価値があるんですよ』と続けたのです。著作権を譲り受けられるよう前妻の差し押さえを外すということだったので、私は『分かりました。私のほうですべて買い取りましょう』と応じました」
《著作権の譲渡をめぐる交渉はこれで終了。その後は交渉に要した4倍ほどの時間の間、雑談が交わされたという。被害者がそのときの心境を語っている》
検察官「小室被告は『30分しか時間が取れない』と言っていたのに、雑談に何倍もの時間をつくってくれたことに感謝しました。
最後に確認しておきたいことを聞かれたので、『(差し押さえのない)きれいな形で著作権を譲渡していただけるのですね』と念を押しました。すると、『僕も世間で名の売れた男。逃げも隠れもしません』という答えでした」
《続いて検察官は、平成18年8月7日の被害者と小室被告との2回目の面会の経緯について記された、被害者の供述調書の読み上げに移った。静まりかえった法廷で、朗読は淡々と続けられていく》
検察官「小室被告と初めて会った後の7月末か8月上旬だったと思いますが、木村被告から電話をもらいました。『10億円のうち先に1億5000万円を払ってくれませんか。前妻による著作権の差し押さえを外すための頭金ということで、確実に前妻に支払いますから』という内容でした」
《小室被告は、みけんにしわを寄せた険しい表情のまま》
検察官「その電話の話を私は信じ、『一部を振り込むようにします』とお返事しました。私はこの件について最後まで木村被告に仲介役を務めてほしいと思いましたので『木村被告の会社の口座にお金を振り込みたい』と言いました。木村被告からは『うちの会社の口座に1億5000万円もの振り込みがあれば税務署から疑われるので、チラシの発注があったことにして、その売買代金ということにしてもらえませんか』と提案があり、その方法で振り込むことになりました。チラシの発注というのはもちろん経理上の口実で、実際は著作権譲渡の売買代金の一部です」
《1億5000万円という大金の振り込みを、電話1本で依頼してきた木村被告。具体的な振り込み方法についての被害者の言葉を、検察官は淡々と読み進めていく》
検察官「その後、8月2日に木村被告からメールが届き、そこに振込先の口座番号が書かれていました。私は翌日の8月3日午前、妻名義の口座から8000万円、私の会社名義の口座から6000万円を会社の別の口座に振り替え、もともとその口座にあった残額と合わせた1億5000万円を、木村被告から指定のあった口座に振り込み送金する手続きをしました。手続きは午後3時直前だったので、銀行の説明では『送金は明日になります』ということでした」
「しかし、翌日、私は送金される前に送金手続きを停止しました。というのは、私はこれまで、お金を支払う前には必ず書面上で仮契約などを交わすことにしていましたが、この1億5000万円については書面上の合意を交わしていなかったからです。その後、木村被告に電話して『1億5000万円はいったん送金手続きをしたが、停止しました。やはり小室さんとの間で話を書面にした上でお金を振り込むことにしたい』と伝えました」
《1億5000万円の振り込みが不調に終わり、小室被告と被害者は8月7日に再び会うことになる。場所は、7月30日の最初の面会の際と同じホテルの部屋だった》
検察官「再会したとき、小室さんからケース入りのCDを渡されました。小室さんは『前回お会いして、あなたが誠実な方だと分かりました。信頼できるあなたのために曲を作ってきました。世界で1曲です。この中に入っています』『(小室被告が作曲し、浜田雅功さんが歌った)“WOW・WAR・TONIGHT” のさびの部分が好きだとおっしゃってたので、その部分を入れています。曲名は“ディペンデント”で依存というような意味ですが、今回、僕の806曲を買い取っていただくことになりましたので、こうした名前にしました』と言いました」
《小室被告が言葉巧みに被害者を信用させていく場面を読み上げる検察官。小室被告は沈痛な表情で検察官をじっと見つめるだけだった》
検察官「私が小室さんからCDを受け取るのを横で見ていた木村被告は『世界の小室があなたのために作ってくれたんですよ。すごいじゃないですか』と言いました。小室被告も『僕はあなたみたいな大切な方に曲をお作りしたんですよ』と言ってくれて、私は正直、非常に感動しました」
《被害者の供述調書の朗読はさらに続く。“世界のコムロ”から曲をプレゼントされ、感動した被害者は著作権譲渡の話を進めることを決意する。小室被告は座り続けて肩が凝ったのか、たまに首を左右にひねるほかは、じっと前を見つめたまま。小室被告の右隣に座る弁護人は書証をめくりながら検察官の朗読を確認し、左隣の弁護人は机に置いた紙にメモをとる。弁護人席に並んだ3人の様子は三者三様だ》
検察官「私はその後、著作権が譲渡できることに間違いないかどうかなどを再度、確認しました。すると小室被告は『問題ありません。806曲すべて譲渡できます。ただ、前妻の差し押さえを外すために5億円が必要なんです。もう前妻とは話が付いているんです』と言いました」
《金策に必死な様子がうかがえる小室被告。被害者は、音楽家が著作権を手放すことの重大性を指摘し、懸念を示す。すると小室被告は…》
検察官「私が『本当に806曲を売っていいんですか?』と尋ねると、小室被告は『10億円で買ってもらえるのがうれしいんです。今の10億円は僕にとって100億円の価値があるんです』と答えました」
《続けて小室被告は、自らの楽曲がいかに価値あるものかを被害者に力説する》
検察官「小室被告は『今後は曲のネット配信が主流になります。そうなると印税も2〜3倍になります。僕はすでに新曲もたくさんあるし、今の806曲と合わせるとすぐに1000曲になります。ソニーは、僕の曲には30億円の価値があると言ってるんですから』と言いました」
《小室被告から買った著作権をもとに、音楽ビジネスを展開しようと考えた被害者に対し、小室被告は『知り合いがたくさんいますから』と後押しすることも約束。小室被告は『ありがとう』と礼を述べると、別れ際には固い握手を交わしたという》
検察官「続いて甲4号証は…」
《引き続き4通目の被害者の供述調書が読み上げられる》
《検察官が読み上げを始めた4通目の被害者の供述調書では、被害者が小室被告のために資金を移動させて木村被告の口座に振り込んだ経緯や、その後、木村被告から合意書面の案がメール送信されてきたことなどが証言されていた》
検察官「平成18年8月7日、木村被告から私にメールが送られてきました。平成18年8月6日までにジャスラックの管理となった806曲の音楽著作権を譲渡することや、この著作権の活用の際には小室被告が最大限の助言を行うことなどが記されていた。
806曲の著作権そのものが売買の対象となっており、印税を受け取る権利に限定されるものではないということが改めて分かりました。そして8月下旬ごろ、小室被告の印鑑が押された合意書の原本が送られてきました。木村被告からのメールとまったく変わりのない内容だったので、私も署名なつ印しました」
《小室被告は正面を向いたまま。まばたきする以外は一切動かない》
検察官「その後、8月下旬ごろ、木村被告から私あてに契約書案のメールが届きました。この中の『本件著作権における契約上の地位』という、これまでに出てきていない表現が引っ掛かりました。
著作権が、私に二重に譲渡されるものではないかと思ったからです。そこで私は8月下旬、木村被告に対し電話で『“本件著作権における契約上の地位”という言葉の意味が分からないのですが』と尋ねました」
《契約内容に疑念を示した被害者。しかし、その疑念は木村被告の巧みな言葉に、あっさりとごまかされる》
検察官「木村被告は『ああ、単なる契約上のひな型か何かの表現でしょう。取り交わした合意書の通りですから。私が保証します』と答えました。私は小室被告ともこうした話を交わしていたので納得し、その後、8月29日ごろ、木村被告の会社の口座に3億5000万円を送金しました。
『振り込みました』と木村被告に電話すると、木村被告は『小室にそっくりそのまま渡します。そして小室は(著作権の差し押さえを解除するために)前妻へ渡します。何か問題があったら言ってください』と答えました」
《検察官の朗読にじっと耳を傾けていた小室被告の視線が、一瞬だけ宙を泳ぐ。合わせて5億円もの大金を振り込むことになった被害者の調書には、次の言葉が続けられていた》
検察官「3億5000万円を振り込む前、私は、大ヒットやミリオンセラーを飛ばした小室被告から、ドル箱ともいえる著作権を譲り受けることができると信じていました」
《著作権の譲渡を受けられるものと信じて、5億円を振り込んだ被害者。供述調書の内容は、その期待がもろくも裏切られた経過に移った》
検察官「私は5億円を支払えば、小室被告と前妻との間で著作権の差し押さえが解除されると信じていました。関連会社の借金返済に充てられると知っていたら支払いませんでした。私は5億円を支払った後、カナダ旅行に出かけ、帰国したときには差し押さえが解除されていると思っていました。しかし、帰国しても事態は進展しておらず、小室被告は『もうすぐ終わりますから、もう少し待ってくれ』と繰り返すだけでした。そして平成18年9月、木村被告から『全額すでに小室の資金繰りにあててしまいました』と聞かされ、がく然としました」
《真相を聞かされた被害者は当然ながら、5億円の返還を求める。ここで小室被告が返還に応じていれば、逮捕に至ることはなかったのだが…》
検察官「私は再三にわたって返還を求めましたが、小室被告は『前妻と連絡が取れない』などと時間を引き延ばすような発言で、代理人の弁護士を次々と変えて交渉窓口を変えてきました。トライバルキックスの社長は『木村が悪い、木村が使い込んだ』、木村被告は『小室から取り返してくれ』と言います。私はだまされたことが分かったので、これではらちがあかないと思い、小室被告に『詐欺罪で告訴する』と伝え、小室被告の関連会社や妻のKEIKOさんの実家にも電話しました」
《結局、このトラブルは法廷にもちこまれることになる》
検察官「小室被告は私に対して債務不存在の確認と慰謝料1億円を求めた民事裁判を起こし、私も直ちに反訴しました。訴訟は20年7月に小室被告が5億円と慰謝料1億円の計6億円を支払うことで和解が成立しましたが、その後、3回にわたって計900万円が支払われただけでした」
《4通にわたった被害者の供述調書の読み上げは、これで終了した》
《被害者の供述調書に続き、平成14年3月に離婚した小室被告の前妻の供述調書が読み上げられた》
検察官「小室被告と結婚し、長女を出産した平成13年5月ごろから、小室被告は急に外泊することが多くなりました。そのことを私が追及すると『浮気している。相手とは別れることができない関係にある』と言われました。私はそのショックで鬱状態となり、長女とともに実家に戻って離婚を決意しました。その後、弁護士を通じた離婚協議に入り、長女の親権と養育費について協議することになりました」
《前妻との離婚の経緯が読み上げられても、ほとんど表情を変えない小室被告。だが、長女の話が出ると、わが子への自責の念からか、伏し目がちになった》
検察官「離婚に際し、小室被告は平成14年3月から15年3月までの間に3回にわけて合計3億7780万円の慰謝料を支払うとともに、長女が成人になるまで、毎月200万〜390万円の養育費を支払うことになりました。協議離婚が成立したのは平成14年3月です。しかし、その後15年からは慰謝料と毎月の養育費の支払いが滞るようになりました。どう対処していいのか分からずに弁護士に相談し、平成17年に著作権使用料分配金請求債権の差し押さえを求める訴訟を東京地裁に起こしました。このため、ジャスラックを介して使用料分配金から養育費をもらうことになりました」
《前妻の供述調書からも、小室被告が徐々に経済的に追いつめられていく状況が明らかになっていく》
検察官「平成18年春ごろに、養育費を一括で払いたいと小室被告が申し出ているとの連絡が弁護士から入りました。しかし、その後一切連絡は入らず、養育費を一括で支払うという話は進みませんでした。こうした小室被告に、慰謝料の残金も滞っているのに、著作権の差し押さえの解除に同意することはありえません。しかし平成20年4月以降には、小室被告が税金を滞納したために、音楽著作権使用料分配金が差し押さえされたことを弁護士から告げられました」
《小室被告に対する前妻の怒りと不信感は頂点に達する。調書につづられたその言葉に、容赦はなかった》
検察官「平成20年4月以降、慰謝料は支払われていません。平成13年12月以降、小室被告には会っていないどころか、電話もメールもありません。長女にも、一切連絡はありません。だから、差し押さえを解除することについても話す機会はありませんでした。差し押さえを解除するという、小室被告を助ける信頼関係があるはずもありません」
《前妻の供述調書の読み上げは正午ごろに終了。裁判長は午後1時10分まで休廷すると告げた》
《公判は午後1時10分に再開。3人の裁判官に続いて、小室被告も入廷した》
裁判長「それでは、公判を再開します」
弁護人「(午前中の)罪状認否の際に被告人から一言申し上げたいことがありまして、(改めて)この場で申し上げたいと思います」
《小室被告が足早に証言台へ進み出る》
小室被告「今日の件につきましては、私、小室哲哉の稚拙な言動による大きな過ち、また被害者の方に多大なるご迷惑をおかけしましたこと、またたくさんの時間と経費を使わせてしまったことを、心からおわびします。誠意を持って弁済に努めていきたいと思います。同様に多くの関係者の方にご迷惑をかけたこと、心よりおわび申し上げます」
《小さな声でやや早口に謝罪の弁を述べる小室被告。最後に深々と頭を下げ、席に戻った》
裁判長「では甲9号証から」
検察官「では、甲9号証を読み上げます。エイベックスホールディングスの取締役の供述調書です」
《調書ではまず、小室被告とエイベックスとの著作権契約の概要が説明されていた》
検察官「当社は持ち株会社で、アーティストのプロモーションを行ったりしており、原盤を製作することもあります。アーティストというのは、自分だけでは世間に著作物を知ってもらったりすることはできません。そのために著作権契約があります。ジャスラックが音楽利用者から徴収した一部を還元する仕組みで、著作者と音楽出版社が譲渡契約を締結します。小室さんとの場合は200曲について契約しています」
検察官「小室被告については契約書に書かれている通り、すべて著作権は譲渡されています。著作権を小室被告に戻してほしいといわれたことはなく、今も(著作権を)保有していると考えています」
《続いて調書は、エイベックスと小室被告との関係について説明していく》
検察官「平成5年ごろ、小室被告から『実験的なグループをつくりたい』と言われました。これがTRFで、大ヒットしました。その後、安室奈美恵さんやglobeなど数多くのヒットを出し、一時は小室プロデュース作品が(エイベックスの)売り上げの半分以上を占めていたこともありました」
検察官「平成8年になると、より幅広くプロデュース業をしてもらおうと、プロデュース業務委託の基本契約を結んで、契約金9億6000万円を先払いしました。契約は平成11年3月31日まで。その後、小室さんの楽曲製作のペースが鈍り、原盤譲渡契約を平成12年12月に結んで10億円を前払いしました」
《小室被告は青白い顔をやや下に傾け、視線を宙に浮かせている。調書の読み上げを聞いているのかは表情からは読み取れない》
検察官「平成17年になって当社はトライバルキックス社の代表と交渉し、債権を返済してもらう形を取ることにしましたが、小室さんからは楽曲が提供されず、トライバル社が返済することもありませんでした」
《6億数千万円の債権が宙に浮いていることなど、遅々として進まない返済状況が明らかにされる。ただ取締役は、最後に今後の小室被告への期待も述べていた》
検察官「当社としては小室被告とあえて解約することを考えていません。極めて豊かな才能をお持ちで、また楽曲を提供していただけると考えています」
《続いて読み上げられたのは、小室被告との間で融資と返済の交渉にあたった銀行員の供述調書。小室被告は平成13年からこの銀行と取引していた》
検察官「平成17年6月には貸付残高が3億円余りになり、7月に審査チームで回収方針を協議しました。その結果、著作権の担保差し入れを求めることになりました。できるだけ避けたかったのですが、延滞が続き、やむを得ないと判断しました。小室被告は『返済を最優先にするから、著作権の担保差し入れだけは待ってほしい。何とか回避してほしい』と頼んできました。ここでごり押しをし、法的手段を取っても十分に回収できないと思い、このときは求めませんでした」
《その後、小室被告は返済を続けるが、18年1月ごろには再び返済を滞らせる。検察官の口から、多額の債権に苦しむ小室被告の事情が赤裸々に語られる》
検察官「小室被告は『3月までに何とかします。延滞は起こりません』と約束してくれました。3月は実際にその通りになりましたが、4月には再び延滞が発生してしまいました。同年6月には、金融機関2社について多額の債務の連帯保証人になっていることも分かりました。これまでに聞いたことはなく、寝耳に水のできごとでした」
《銀行の調査で当時、小室被告が抱えていた負債は10億円以上に上っていることも判明した。銀行は7月、回収が困難と判断する》
検察官「小室被告の見るべき資産は著作権のみで、2億5000万円と推定されましたが、前妻からの差し押さえを判断すると、評価額はさらに低いとみられました」
《引き続き、銀行員の供述調書の読み上げが行われる》
検察官「8月1日、次長とともに小室被告と面談しました。そこで『いろいろ迷惑をかけて申し訳ないです。状況は知っています』と言ってもらい、さらに『8月3日に1000万円、11日までに2000万円、月末までに1000万円も通常通り返済します』と具体的な内容の話もありました。私どもとしては小室被告の言い分を信用し、8月3日と11日の返済がなければ法的措置も検討しますと伝えました」
《ちょうどこの時期、小室被告は木村被告とともに被害者との間で著作権譲渡の話を進めていたことになる。調書の読み上げは、小室被告の会社で9年間働き、資金繰りが悪化していく状況を間近で見てきたという元社員の供述調書に移った》
検察官「平成8年か9年ごろは、小室被告は2年連続で高額納税者になり、年間10億円以上を納税していました。ただ、著作権収入20億円の半分以上が税金になっていましたので、あまり手元には残っていないのではないかと思っていました。しかし、お金の使い方は派手で、アメリカの不動産や高級外車を購入したり、ハワイにスタジオをつくったり、ヨットの購入、数十億円のプライベートジェットの購入も計画していました。そのころは『買えないものは何もない』という感覚だったのだろうと思います」
《一般人には想像もつかない小室被告の金銭感覚。裁判長も時折首をかしげるしぐさをしながら、検察官の朗読に聞き入る》
検察官「資金繰りが悪化するターニングポイントは平成13年ごろだったと思います。プロデュース契約を解除することになったソニー側に、前払いしてもらっていた十数億円を返済しなければならなくなり、支払いました。そのとき、一時的にキャッシュが不足し、銀行から10億円を借り入れました。その後、借り入れの返済が負担になり、前妻への支払いも重くのしかかってくるようになりました」
《表情を曇らせたままの小室被告。肥大化した金銭感覚がしだいに暴走していくさまを、検察官は抑揚のない声で読み上げ続けていく》
検察官「しかし、小室被告の派手な金遣いはやみませんでした。奥さんへ高額のプレゼントをしたり、家賃280万円のマンションにも住み続け、ハイヤー代は月に百数十万円かかっていました。私は『出費を半分にしてください』と助言し、ソニーの幹部にも同様のアドバイスをしてもらいましたが、聞いてもらえませんでした。だんだん私のアドバイスも疎ましく思われるようになり、私は平成16年7月に退社しました」
《続いて検察官は、小室被告の共犯として逮捕され、その後起訴猶予になったトライバルキックス社長の供述調書の朗読を始めた》
検察官「平成16年5月ごろ、小室被告の友人に誘われてスタジオを訪ね、そこで彼を紹介してもらいました。有名プロデューサーの名をほしいままにしていた小室被告も、香港進出の失敗で70億円ともいわれる損失を抱えるようになったと噂されていました。その半面、負債を返済して環境さえ整えば、また大ヒット曲を飛ばせるのではないかとも思っていました」
《小室被告はいすに深く腰掛けてほとんど身動きせず、法廷には検察官の声だけが響く。社長は小室被告から、経理担当者と仲違いして困っているという状況を聞かされ、経理担当者になるよう頼まれたという》
検察官「小室被告は私に『恥ずかしいんだけど、借金がぐちゃぐちゃなんだ。でも、曲は僕の頭の中にある。後は、それを整理するんだよね』と話し、『社長しか頼れる人がいないんだ』と頼まれました」
《こうしてトライバルキックスの代表取締役に就任し、小室被告のマネジメントを担当することになった。その後も小室被告は強気な発言を繰り返していたという》
検察官「小室被告は『もっと仕事を増やす。世界に通用する曲を作って、売れたら全部チャラになる。僕は日本で一番、曲を売ったんだ。これ以上説得力のある言葉はないだろ』と言っていました」
《しかし、小室被告の経済状況は想像以上に深刻だった。社長は、債務が20億円を超えていたことに加え、アメリカの税務当局に約2億円の税金の未払いがあったと詳述。さらに、これに追い打ちをかけたのは、小室被告の派手な生活だったと明かす》
検察官「小室被告は、奥さんを溺愛(できあい)していました。奥さんはエイベックスから2000万円の収入があったのに、これを自由に使わせていました。また、奥さんのご機嫌取りで、『仕事が入った』と言っては100万円を渡したり、高級料理を食べさせたりして、見栄を張っていました。なので、借金や生活費で毎月1700万円から2300万円が必要でした」
《小室被告はかつて、サッカーのプロチーム・大分トリニータのスポンサーになっていたことがある。社長はこれについても小室被告の見栄が理由だったとする》
検察官「大分トリニータのスポンサー契約は毎月1200万円でしたが、これは、奥さんの実家が大分にあるので、実家に見栄を張ろうとしたためです。小室被告は奥さんの母親に『すごいでしょ。ロシアの大富豪でサッカーのプロチームを買収したアブラモビッチみたいでしょ。気分いいでしょ』と言ったりしていました」
《悠長な小室被告の発言とは裏腹に、財務状況は危機的状況が続いていた》
検察官「当時、トライバルキックスの収入は小室被告の印税しかなく、自転車操業でした。なので、平成17年8月には養育費や都民税などが支払えなくなっていきました」
《続いて読み上げられた甲15号証も、トライバルキックス社長の供述調書。小室被告の散財の一方で、資金の手当てに奔走する姿が明らかにされていく》
検察官「私が代表取締役に就任したころの懸案は、返済資金の調達でした。平成16年9月1日、木村隆被告から9900万円を振り込んでもらい、大変助かりました。このときは小室被告自身がお礼を述べました。こうした状況で『多くの出資者から金を募るという方法を考えている。トライバルキックスが小室さんの曲の著作権を持つ会社になれば信用が上がる』と伝えると、小室被告は了承してくれ、著名な3曲を譲渡してもらいました」
《だが、社長のもくろみは外れる。『トライバルキックスは小室のマネジメント会社。今後、音楽配信などで配当も見込まれる』と宣伝したにもかかわらず、資金繰りは一向に好転しなかったのだ》
検察官「平成16年11月、globeのコンサートツアーを行いましたが、収入は約3000万円にしかならず、焼け石に水のような状態でした。17年1月には大分トリニータへのスポンサー料の支払いも滞り、前妻から差し押さえも受けました。小室被告は『マスコミにばれて評判を落とさないか』と心配してました。小室被告の収入は印税などが2億円でしたが、差し押さえでその半分近くを失う状況になったのです。滞納していた慰謝料や養育費など7億8000万円を前妻に支払わないと、差し押さえを解除してもらえない状況になったのです」
《小室被告はハンカチを取り出し、さかんに顔を抑えるようなしぐさを見せる。ぬぐっているのは汗か、それとも涙なのか》
検察官「差し押さえの直後、ジャスラックからの著作権料は入金されませんでした。金融機関では借り入れができなかったので、17年1月、高利の金融業者から4000万円を借り入れ、小室被告の借り入れの返済やトライバルキックスの資金繰りにあてました。こんな状況だったので、エイベックスへの6億9000万円の前払い返済はとうてい無理で、吉本興業とエイベックスと話し合いを持ち、3月までにトライバルキックスが返済する契約を締結しました。このとき、エイベックスからは『これからはあなたがちゃんとやってくれるんでしょうね。ちゃんとしてください』とこれまでとは違い、きちんと返済を求めると言われました」
《だが、状況は悪化する一方だった。ついには借り入れを代物弁済するため、小室被告が著作権をもつ806曲のうち、290曲を譲渡することになる。その結果、小室被告の収入は印税5000万円しか見込めなくなり、破産への不安が社長の脳裏に浮かぶようになったという》
《資金繰りに苦しむトライバルキックスの社長。続いて読み上げられた甲17号証では、追いつめられた末、ついに“禁断の果実”に手を出さざるを得なくなった状況を証言していた》
検察官「トライバルキックスは平成17年12月中旬、1億7000万円を借り入れました。借入先は山口組系暴力団と深い関係がうわさされているところでしたが、5000万円の返済が迫っており、紹介してもらうことになりました。『お金を借りられるが、暴力団とつながりがあるところだ。ただ、他からはもう借りられない』と説明すると、小室被告は『本当は借りたくはないけど、しようがない。進めてみて』と承知しました」
《小さく首をかしげる小室被告。検察官はそのまま読み上げを続けていく》
検察官「借りた1億7000万円のうち1億2000万円は返済などですぐに使ってしまい、平成18年2月末の期限には返済できませんでした。小室被告と相談したうえで追加融資をお願いし、18年5月までに返済することで3億円を借り入れ、1億7000万円の返済に充てることに決めました。でもその3億円も、支払いが遅れていた借り入れなどですぐに消えてしまいました。本当に資金繰りがたいへんで、18年2月ごろからは私も従業員も給料をもらえずでしたが、資金調達のめどもない状況でした」
《借金を借金で返済する自転車操業。続く甲18号証では、行き詰まった末に、今回の事件の被害者に融資を持ちかけるに至った状況が明らかにされた》
検察官「苦しい状況が続いていた平成18年6月上旬、木村隆被告から『芦屋の資産家の彼なら、何とかしてくれるかもしれない』と持ちかけられ、今回の被害者に会うことにしました。『お恥ずかしい話ですが、小室は今、すごくお金に困っているんです』と、平身低頭して融資をお願いしました。(被害者が)芦屋に御殿のような豪邸を構えているのをみて、わらにもすがる思いでした。800曲が譲渡ずみなのは分かっていました。(著作権を)融資の担保に差し入れることはできないとも分かっていました」
検察官「被害者の方は音楽業界のことをあまりご存じない様子で、著作権についていろいろ聞いてこられました。その際、小室被告の著作権を『預ける』『管理してもらう』というぼかした言い方をしました。800曲の著作権で年間2億円の収入があり、(前妻が差し押さえている分以外は)手つかずで担保価値があるというのも、事実に反した言い方でした。結局、融資を断られて困り果ててしまいました」
検察官「平成18年7月上旬から中旬に、借入先の担当者から『ウチもいつまでも待っていられませんよ。もし払えないのなら担保に入れている小室さんの著作権を徴収することになります』と告げられました。またその際、『小室さんに直接尋ねたら、8月末までにお返しいただくという話でしたよ。小室さんが言っていましたけど、(西武鉄道グループの)堤オーナーから10億円の融資の話があるんですか?』とも言われました。全く聞いていなかったので驚きましたが、適当に『そうなんですよ』と答えました。その後、小室被告に尋ねると、『安心してもらわないといけないし、(返済すると)約束しちゃったんだよ。あとはあなたの方でよろしく頼むよ』と言われました」
《トライバルキックス社長の供述調書は、平成18年7月中旬ごろ、社長と小室被告、木村被告が話し合った場面に移った》
検察官「小室被告に『芦屋にすごい人がいる。融資は断られてしまったが、10億円できれいな形で買えて、年10億円の使用料収入が得られる』と伝えると、『そんな話があるなら、ぜひ進めてください』と言ってくれました。そこで『まずは小室さんがお願いの姿勢をみせて、相手によい気持ちになってもらうことが先です』と言うと、小室被告は『分かりました』と応じていました」
《だが、社長は著作権の譲渡が不可能であることを認識していた》
検察官「そうはいってもだんだんと不安が募ってきました。二重譲渡したりして、800曲余りの著作権を有しているわけではありませんでした。そもそも、10億円で購入することなどできるわけがありません」
《だが結局、小室被告らは今回の詐欺事件を実行に移す。その“号砲”になったのが、小室被告が被害者にあてて書いた手紙だ。検察官が読み上げると、傍聴席はかたずをのんだ》
検察官「小室被告の手紙には『2006年は抜本的なスタートをしなければならない大事な年。個人の知的財産を処分し、未来に向けてフレッシュな気分でいきたい。夏から新しいメンバーでやっていきたい』と書かれてありました」
《検察官は引き続き、社長と小室被告、木村被告との間で詐欺の共謀が成立した場面を読み上げた》
検察官「平成18年7月下旬、木村被告から『相手は小室から直接話を聞きたいと言ってきている。調整してほしい』と言われました。7月30日に直接会談することが決まり、その直前ごろ、私と木村被告と小室被告の3人で会い、被害者にどのような話をするかを相談しました。木村被告は小室被告に『とても慎重な人です。すでに著作権は譲渡されていると話せば、絶対にお金を出しません。今の苦しい状態を乗り切ることが先決で、譲渡の件は絶対に内証にしておきましょう』と言いました。実際、著作権はない状況でしたが、それを話すとお金を出してもらえなくなるので、その話は一切しないでおこうということになりました」
《裁判長も、検察官の朗読に熱心に耳を傾ける。右手で頬づえをつき、鋭い視線を向けながらじっと聞き入り続けた》
検察官「小室被告は『今はとりあえず目先のことが大事です。その辺のこと(著作権譲渡)は言わなくていいでしょう』と言いました。それを聞いて、小室被告はとにかく資金繰りをよくすることだけを考えているんだなと思いました。実際、とにかくなんとか資金を調達しなければ、小室被告はいつ破綻するかわからない状態でした。当然ながら小室被告の破綻は、連帯保証している私の破綻も意味しました」
《瀬戸際に立たされた人間の心理が、供述からはかいま見える。しかし、小室被告はしきりとまばたきを繰り返すだけで、表情からは心の動きはうかがえなかった》
検察官「結局、被害者への説明について、小室被告は『とりあえず、前妻の差し押さえ解除のために必要だから、ぐらいにしておこうよ』と言いました」
《目先の返済を乗り切るため、被害者をだますことで合意した小室被告と木村被告、そしてトライバルキックスの社長。社長の供述調書は、被害者との面談へ向けての打ち合わせをした場面に移った》
検察官「小室被告は『その日は、僕はDVDの撮影か何かで忙しいということで、忙しいところを時間を割いて来た、ということにしようよ。その方が雰囲気出るでしょ』と言っていました。このように3人で相談して、楽曲の著作権が小室被告にあると装い、借金返済目的であることも隠して、被害者をだますことになったのです」
《続いて読み上げられた甲20号証も社長の供述調書。被害者との会談を終えて以降の小室被告の発言などが詳述されているが、ここでも小室被告自らの“軽い”発言が、事態を悪化させる様子が語られている》
検察官「8月上旬ごろ、小室被告から電話があり『銀行の人が来て、早くお金を返せ、って言うから、返すって約束しちゃった。なんとかならないかなぁ。それに、(妻の)KEIKOにも1500万円渡すって言っているんだけど、これもなんとかならないかなぁ』と言っていました。なので私は、急いでお金を用意しないといけないと思いました。木村被告に相談すると、『小室被告が銀行と約束したんだったら払った方がいい』と言い、立て替えてくれることになりました」
《こうした供述について、裁判長は口元に手を当てて思案したり、メモを取るなどしている。じっくりと耳を傾け、供述内容を吟味しているようだ。続いて、社長の供述は被害者との合意書作成に関する場面に移る》
検察官「合意書などの作成に関して説明すると、小室被告は『それなら僕のすべての曲を売るということで、書類を作ってもらっちゃおうよ』と話していました。それは、明らかなウソでした。そんなことをすれば事件ざたになる。私は『そんな書類を作れば、大変なことになります』と言いましたが、小室被告は『そんなことより目先のお金の方が大事でしょ。後で返してもいいんだし。CDをあげれば喜んでくれるよ。そんなにいやならあなたは来なくていい』と答えました。被害者と面会した後の小室被告は『CDをあげたら、すごく喜んでくれた』と話していました」
《ここで、裁判長が午後3時20分まで15分間の休廷を告げた》
《15分間の休廷をはさみ、裁判長らが席に着いた後、小室被告も入廷。裁判長に一礼して着席した。身じろぎもせず、表情もこれまでと変わらないまま。検察官がトライバルキックスの社長の供述調書の読み上げを再開した》
検察官「平成18年8月9日、木村被告から『被害者から1億5000万円が振り込まれた』と連絡がありました。そこで2100万円を小室被告の銀行口座に、5800万円をトライバルキックスの口座に振り込んで、うち4485万円を高利の金融業者からの借入金の返済にあてました。8月10日、木村被告から『被害者に契約書のようなものを作ってほしいといわれている。簡単なものを作ってほしい』と言われ、合意書を作りました。8月20日には今度は契約書を作成してほしいと言うので、これも作成しました。その後被害者からは3億5000万円が入金され、あわせて5億円すべてを借金の返済にあてました。小室被告も、もちろん了解していました」
《検察官はその後、ジャスラックへの著作権の登録状況について述べた甲22号証を朗読し、これで社長の供述調書はすべて終了。続いて、共犯者として起訴された木村被告の供述調書である甲23号証の読み上げに移った》
検察官「詐欺の共謀については社長の供述調書に出ている部分があるので、木村被告の心情的な部分を述べることにします」
裁判長「(社長と木村被告の供述の)内容は一緒ですか」
検察官「ほぼ一緒です」
裁判長「はい」
《読み上げは、木村被告が小室被告らに被害者を紹介した場面から始まった》
検察官「そのようにして、被害者に著作権を10億円で譲り渡すという確認ができました。実をいうと、私は小室被告が著作権をあちこちに譲渡していることは分かっていました。二重、三重に譲渡していることを被害者が知れば金を払ってくれないことも分かっていました。しかし、とりあえず小室被告の資金繰りを回すことが先決で、後は小室被告が何とかすると思っていました。いずれ被害者には知られてしまいますが、小室被告がビジネススキームを被害者に提示すれば納得するだろうし、それが無理なら小室被告がよく話をしている人脈を使って被害者に返す金を用意すると思っていました。これが詐欺に他ならないということは否定しませんが、小室被告と被害者をつなげて契約まで持っていきたいと考えていました」
検察官「きちんと話せば被害者にお金を出してもらえないと思い、小室被告たちに『被害者は慎重で、だめなものはだめという人。細かい話をするといやがるから、著作権をすでに譲渡されていることは触れない方がいい』というと、小室被告は『そうですね。お金を出してもらうことが大事ですから、詳しい話は言わない方がいいですね』と答えました。小室被告と社長は、8月末までに5億円を用意しないと破綻してしまうと話していました。小室被告は『前妻の差し押さえを外すのにまずお金がいると言って、お金を出してもらおうよ』と言っていました。私も自分が融資していた4300万円を回収できたらありがたいので、前妻の差し押さえを外す名目でも構わないと思っていました」
《続いて甲24号証。木村被告の供述調書の読み上げが続けられる》
検察官「平成18年8月か9月ごろ、被害者から『1億5000万円を振り込んだ』と連絡を受けました。トライバルキックスの社長に送金メモを見せながら説明しましたが、入ったお金は小室被告自身の借金返済に充てるということでした。その際、社長は『1500万円は奥さんに送金してほしい』と言っていたので、『それはちょっとまずいんじゃないですか』と言いました。結局、1500万円については私の会社が小室さんに貸し付ける形をとりました。またその際、社長に『当面の活動資金として、300万円貸してほしい』と頼まれました。本来、社長に給料を支払う立場の小室被告が借金に追われていて、社長の資金繰りが苦しいのは分かっていたので、300万円を貸しました」
検察官「その後、被害者との間で著作権譲渡に関する合意書をつくりました。著作権は二重、三重に譲渡されていたのに、合意書にはそのことには触れられていませんでした。被害者は、全く文句を言わず了承しました。その後、被害者と連絡を取り合っている中で、『正式な契約書を作りたい』と言われたので、社長が契約書の原案を送ってきました」
検察官「しかし契約書には、(合意書にはなかった)音楽出版社への譲渡の件が書かれていたため、被害者から後日、『譲渡したものを譲渡するとか、よく分からないので説明してくれませんか』と言ってきました。『単に他の契約書を写しただけ。すべての著作権は小室さんが持っています』と説明し、今後細かい話は詰めることで納得してもらって、8月末までに残りの3億5000万円を振り込んでもらうことを了承してもらいました。1回目の1億5000万円、2回目の3億5000万円の計5億円をトライバルキックスから小室さんの口座にいったん移して借金の返済に充てることにしました」
検察官「その後、被害者から3億5000万円を振り込んだと電話で連絡がありました。『私が仲介者として絶対に保証します。大丈夫です。うまくいくといいですね』と話しました。私の取り分の1億5000万円のうち、1億円はあちこちの返済に充てました。現在も小室被告に1900万円貸しています。もちろん、被害者を犠牲にして、小室被告から債権回収を図ろうとしていたことは承知しています」
《甲24号証の読み上げは終了。この間、小室被告はチタンフレームの眼鏡をかけ、手元の書面をめくりながら目を通していたが、すぐに閉じて眼鏡を外した。表情の硬さは変わらない》
裁判長「じゃ、乙号証ですね」
《供述調書の朗読は、小室被告の供述内容を記した乙号証に移る。再び眼鏡をかけたかと思うと、すぐに外す小室被告。傍聴席を2〜3秒間、左から右へと見渡した後、視線を検察官のほうに移した》
検察官「乙1号証は、ほぼ冒頭陳述と同じ内容なので省略します。2号証は著作権についてですが、朗読はどうしましょうか」
裁判長「われわれは著作権法にうといので、お願いします」
検察官「分かりました」
《乙2号証の朗読が始まる。小室被告が著作権や印税の仕組みについて説明した内容が、淡々と読み進められた》
《続いて検察官は、小室被告の供述調書のうち、自らの収入などについて語った部分の読み上げを始めた》
検察官「私は昭和50年ごろからプロのミュージシャンになり、61年から63年にはTMネットワークで活動しながら、渡辺美里さんなど著名な歌手の歌の作曲などをしました。その後、平成6年から11年ごろまでの間、globe、TRF、安室奈美恵さんらの曲をプロデュースし、数々のミリオンセラーを送り出しました。その間、日本の音楽界で最高の権威がある日本レコード大賞を平成7年から2年連続で受賞し、平成8年にはオリコンのシングルランキング上位5位を独占しました。自分自身、出した曲は珠玉の出来と自負していました」
《読み上げられた内容はまさに小室被告の絶頂期の経歴。今は被告人として法廷に座る小室被告が、まさに「世界のコムロ」だったことを改めて思い起こさせる》
検察官「しかし、そうしたヒットは大手芸能事務所やテレビ局が作り出したブームでもありました。カラオケボックスやCDなどハード面が大きく拡大した時期とも重なり、大きく売れたのだと思います。私は確かに自分が打ち立てた大記録にうれしいという思いもありましたが、あまり実感はありませんでした。ありもしない衣装を身につけた私を、周囲は褒めちぎりました。裸の王様でした」
《絶頂を極めた時期から約10年。自ら語った「裸の王様」という言葉を検察官が読み上げても、小室被告は表情を変えない》
検察官「ブームに乗り、年間で数億円から十数億円の収入がありました。平成8年から10年にかけては長者番付に名を連ねました。しかし、私はもともとキーボードプレーヤーであり、金銭を管理する能力はありませんでした」
《検察官は続けて小室被告の“散財”の状況について述べていく》
検察官「ベンツに経費込みで2億円、世界で限定25台しかない別のベンツには3億円かけたこともありました。カリフォルニアに6億3000万円の住宅、ハワイのオアフ島に1億2000万円の住宅、バリ島には総額2億円の住宅と土地を買いました。飛行機のファーストクラスを2000万円で借り切ったり、クリスマスにTRFのメンバー5人に全員1000万円をプレゼントしましたし、globeのメンバーにも名前にちなんで962万円をプレゼントしたりしました。私は魚介類が苦手で偏食気味でしたが、高額なお店で飲食する際にもすべて私がおごっていました。母校の早稲田実業には数億円規模の寄付をし、平成13年には小室哲哉記念ホールを開設してくれました。私自身、どれくらいの金を使っているのか分からなくなっていました」
《小室被告はみけんにわずかにしわを寄せたまま、読み上げにじっと聞き入っている。供述は、やがて小室被告に訪れた“落日”へと移る。法廷の小室被告は相変わらず、静かに正面を見つめたままだ》
検察官「あまりにも飽和した小室サウンドでした。その後、ドル箱だった安室奈美恵さんが結婚して産休に入る一方、宇多田ヒカルさんなど私とは無関係の才能あるアーティストが台頭してきました。平成11年ごろからはヒット曲にも恵まれず、私の曲がCMやドラマで使われることも激減しました」
《こうして本業の音楽関係が下火になる中、小室被告は専属マネジメント契約をしていたソニー・ミュージックエンタテインメントから契約精算を告げられる。このため、前もって同社から受け取っていた約18億円を返済する必要が生じた。同時期、小室被告は香港への進出を決意する》
検察官「(メディア王と呼ばれた)ルパート・マードック氏とともに香港に合弁会社を設立し、平成10年に音楽制作会社ロジャム・エンターテインメントを設立しました。その後、平成13年に上場し、プロデュース印税の受取窓口をこの会社にしました」
《上場直後こそ同社の株価は急騰したが、小室被告は保有株をすぐには売れない決まりとなっており、そのうちに株価が暴落。小室被告は70億円の含み益を失ったという》
検察官「上場と同時期の平成13年に前妻と再婚しました。しかし、私は前妻とは合わず、結婚後ほどなくして会話がない状態でした。その後、私は自分名義で10億円を借り入れてスタジオ改装などをする一方、平成14年3月に協議離婚しました。私は一刻も早く前妻と別れて(現在の妻の)KEIKOと結婚したかったので、懐は厳しかったのですが、多額の慰謝料に同意しました」
《続いて乙4号証の読み上げ。自ら「甘い生活だった」と振り返るKEIKOさんとの暮らしぶりからは、破滅的ともいえる小室被告の心情がうかがえる》
検察官「平成14年11月にKEIKOと再婚し、2人暮らしを始めました。すでに音楽の本業でプロデュース印税を手放していて、私自身じわじわと坂道を転げ落ちている実感はありました。しかし私は、KEIKOやKEIKOの実家への体面がありました。破綻直前まで、KEIKOを楽しませてやりたい、ぜいたくをさせてやりたいと思っていました」
《言葉の通り、小室被告は散財を重ねていく。しかし『まだブレークするはずだ』と考えていたといい、『考えが甘かった』という》
検察官「結婚後1年間くらいは、人生で最もぜいたくをしたと思えるほど、湯水のようにお金を使いました。KEIKOにブランドものの服やバッグ、時計を買ったり、総額は数億円にはなっていたと思います。スタッフの中には苦言を呈する者もいましたが、2人で過ごす今が何よりも安らぎを得られ、大切と感じていました。KEIKOと2人で豪奢(ごうしゃ)な暮らしをしていても、少なくとも1曲はヒットして、私の3度目のブレークがあるだろうと考えていました。しかし、私自身、KEIKOとの甘い生活で以前より創作意欲が減っていたのも確かでした」
《こんな生活はやはり長続きしなかった。平成15年3月には前妻への慰謝料の支払いが滞り、平成16年8月には長女への養育費すら支払えなくなってしまう》
《小室被告の供述調書の読み上げが続く。いったん始まった転落は、とどまることがなかった》
検察官「私にはプロデュース印税の収入がありましたが、他の収入とあわせても借金の利息を支払うのが精いっぱいの状態。前妻による著作権の差し押さえの後は金融機関に融資を依頼しても、かなわなくなりました。さらに前妻が私の窮状をマスコミに告白し、風評を立てられて資金繰りは一層やりにくくなりました。前妻には慰謝料の減額を申し入れたものの、この調停も流れてしまいました」
《自身が供述した前妻への“恨み節”を、前を向いたまま聞き入る小室被告。時折、小刻みにうなずくようなしぐさも見せた》
検察官「そうした中、トライバルキックスの社長らが被害者に融資を依頼しました。融資は断られたとのことでしたが、『著作権を10億円で』という話が入ってきました。平成18年8月末までに5億円の資金をつくらなければ完全に破綻(はたん)するという状況に追い込まれていた私は、被害者にうまく話を持ちかけることで、何とかしのがなければなりませんでした。そこで18年7月にホテルで被害者と会う前に社長や木村被告と相談して、第三者がすでに著作権を持っていることを知れば被害者がお金を出さない懸念があったので、事実を黙っていることにしました」
《ついに詐欺に手を染める覚悟を固めた小室被告。調書はさらに続く》
検察官「ホテルで被害者と会った際には、私を信頼のおける人物と思ってもらうために財界人ら幅広い人との交流関係があることを話し、早急に前妻に差し押さえを解除してもらうことも話しました。被害者は『分かりました。10億円で買わせてもらいます』と言ってくれました。8月には銀行などへの返済期限が迫っていたので、1億5000万円を取り急ぎ支払ってほしいと頼みました。8月7日には再度ホテルで被害者と会う機会を設定し、よりいっそう私を信頼してもらい、被害者以外に頼る人はいないのだという意味を込めて、私がピアノで作った『ディペンデント』というタイトルの曲をCDにして渡しました。その後、被害者から1億5000万円の送金を受けて、借金の返済に充てました。806曲の著作権を譲るという書面を取り交わし、8月末には3億5000万円の振り込みも受けました」
《まんまと5億円を受け取ることに成功した小室被告だったが、ほどなく事実が露見する。そこから“塀の中”へと落ち込むのは、すぐのことだった》
検察官「被害者は806曲を譲り受けることができると信じ切っていたからこそ、5億円もの大金を振り込んだのです。しかし次第に事態が進展しないことにいらだち、被害者は私の知人やKEIKOの実家にまで電話し、善処するよう要請してきました。本当にKEIKOは私の懐具合を知りませんでした。KEIKOには『大丈夫だ』と答えていましたが、被害者は私を詐欺罪で告訴すると言ってきました。告訴されてマスコミに知られたら、芸能人として身の破滅だと怖くなりました。弁護士に相談したところ、『裁判を起こして被害者の動きを止めた方がいい』と言われました。KEIKOやKEIKOの実家には知られたくなかったのです。私は裁判を起こし、当然被害者も反訴されました。何度か円満解決を図ろうとしていた被害者の逆鱗に触れてしまったのです。借りた5億円と慰謝料1億円を加えた6億円を支払うことで和解が決まり、900万円を払いましたが、それ以上は支払えませんでした。それで刑事告訴され、11月4日に逮捕されることになりました。思い返すと、それから17日たちました。現在の心境をまとめましたので、提出します」
《小室被告自らが記した書面を朗読する検察官。自分の暴走を列車にたとえてこの10年間を振り返り、再起を誓う内容だった》
検察官「私、小室哲哉はまもなく50歳になります。40歳になるころ、100万人コンサートにキーボードプレーヤーとして参加しました。10年後に皆様に迷惑をかけ、大きな罪を犯すことになるとは思ってもみませんでしたが、そのころから、1人の音楽家というレールから、車輪が狂ったようにもう1本のレールをたどっていました。それは計画性のない、不まじめなレールでした。リフレインされている、暴走しかすべのない列車。客席は空席だらけになり、皆様にブレーキをかけていただいて、虚構の列車はやっと止まりました」
検察官「もう1本のレールはあまりにも遠くに行ってしまい、今、私は拘置所で生活しています。社会への甘えや思い上がりがありました。被害者の方の希望、夢をお返ししなければならないと思います。私は自分の楽曲の中で『チャンス』というフレーズを何度も使ってきましたが、その重みを理解しました。チャンスを与えてもらえないでしょうか。音楽を作らせてもらえないでしょうか。必ず新しい音楽をお見せすることを誓います。11月20日 小室哲哉」
《表情を変えず、じっと聞き入る小室被告。再び調書が読み上げられる》
検察官「自分がやってきたことを思い返し、後悔するとともに日々反省することばかりです。裁判の結果を真摯(しんし)に受け止め、1人の音楽家として、多くの人に喜んでいただける音楽作品を作り出していきたいです。2度とこのような犯罪に手を染めないことは当然です。被害者や関係者に深くおわび申し上げます」
検察官「乙5号証は以上です。6号証、7号証の内容は、すべて冒頭陳述に記載してある通りです」
《検察官による証拠の要旨の告知は終了した》
裁判長「長時間、ご苦労さまでした。それでは検察側の立証は終了し、弁護側の立証計画をうかがいたいと思います」
弁護人「3月12日の次回公判では情状証人2人ないし3人を予定しています。その次の期日は被告人質問で、事実関係に争いはないので、被告の更生の可能性や、被害弁償ができていればそのことを述べたいと思います」
裁判長「では次回3月12日は午前10時から12時まで予定しておきます。被告人、3月12日午前10時にこの法廷に出廷してください。傍聴席はそのままで、被告人、退廷してください」
《弁護人2人の間に座っていた小室被告は立ち上がり、傍聴席に軽く頭を下げて出入り口へ。ドアを開けて出る際に再び頭を下げて退廷した》
=完
[産経新聞]
Posted by nob : 2009年01月21日 22:50