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意外に感じるも、、、至極当然の決定かと。。。

■北朝鮮の金総書記、三男・正雲氏を後継者に決定か

 [ソウル 2日 ロイター] 北朝鮮の金正日総書記が同国幹部らに対し、三男である金正雲氏に忠誠を誓うよう求めたことが分かった。韓国の複数のメディアや国会議員が2日明らかにした。金総書記の後継者に正雲氏が選ばれたことを示唆している。

 現在67歳の金総書記は、昨年8月に脳卒中で倒れたとされており、後継者問題に世界的な注目が集まっている。アナリストの間では、核実験など最近の北朝鮮の軍事活動は、後継者指名に向けた金総書記の権力固めを狙ったものとの見方も浮上している。

 韓国の報道機関が複数の情報筋の話として伝えたところでは、金正日総書記は国内幹部や在外公館に対し、金正雲氏に忠誠を誓うよう求めた。

 また、韓国の国会情報委員会に所属する民主党の朴智元議員は、声明で「こうした動きや(正雲氏への)忠誠を求めたことについて、韓国政府から連絡を受けた」としている。

 朴議員は情報源を特定することは差し控えたが、聯合ニュースによると、韓国の情報機関である国家情報院が1日夜、同議員を含む複数の国会議員に対し、北朝鮮の後継者問題を伝えていたという。

 正雲氏は1983年か1984年初めに生まれたとされ、スイスで教育を受けた。情報機関筋によると、3人の息子のうち最も有能とみられている。正雲氏についての情報は極めて少ないが、年功序列が重んじられる北朝鮮では、若さが問題になる可能性を指摘する声もある。

 聯合ニュースはある情報筋の話として、金総書記が正雲氏への忠誠を求めたのは、5月25日の核実験直後だったとしている。

 また、東亜日報によると、別の情報筋は「北朝鮮指導部が主要治安当局の政府高官に対し、3代にわたる世襲の正当化に重点を置いた教育を行っている」と語ったという。

[ロイター]


■金正日後継者説 三男・正雲氏の性格は父親似で豪快 体形も似る

 【ソウル=黒田勝弘】北朝鮮の金正日(キムジヨンイル)総書記(67)の後継者に三男の正雲(ジョンウン)(26)が内定したとの話が流れている。韓国の情報機関・国家情報院が入手した情報として、北朝鮮当局が最近、在外公館に内定の事実を通報し、国内でも金正雲をたたえる歌が歌われているというのだ。

 まだ20代にすぎない末っ子を後継者にという“内定説”には疑問の声も残っているが、息子の中で金正雲が注目されるのはその性格が父親似で、金総書記も三男が「一番お気に入り」とする見方が広く流布されてきたからだ。

 しかし、こうした情報を含め、これまで外部世界にもたらされている金正雲に関する情報のほとんどは、1980年代から2000年代初めまで金総書記の料理人だった日本人、藤本健二(ペンネーム)氏の著書から出ているものだ。

 藤本氏は『金正日の料理人−間近で見た権力者の素顔』(2003年、扶桑社刊)など3冊の著書があり、金総書記の“ファミリー情報”を詳しく紹介している。

 藤本氏は異母兄の長男、正男(ジョンナム)(38)は正式なファミリーには入っていなかったとし、次男の正哲(ジョンチョル)(27)と三男の正雲を比較し次のように書いている。

 「2人の兄弟の性格は正反対といえるかもしれない。兄の正哲は父親の金正日将軍が『母親に似て女っぽくて駄目だなあ』と言うほど気の優しい男だった。一番のお気に入りは弟の方だ。弟の正雲は性格も父親に似て豪快で物おじしない。体形まで似ていた。彼は少々やんちゃなところがあり10代でたばこも覚えていた。やんちゃではあるけれども決して傲慢(ごうまん)ではなかった…」

 藤本氏は金正雲がスイス留学の経験があることも明らかにしているほか、現在、外部世界で知られている金正雲の唯一の姿である子供時代の顔写真も、藤本氏がもたらしたものだ。

 藤本氏は2001年4月、北朝鮮を離れているため、金正哲、正雲兄弟をはじめそれ以後の金正日ファミリーに関する情報は、母親・高英姫の死亡(04年)以外、とくにない。

 2代目世襲後継者だった金総書記の場合、1974年、32歳の時に後継者として党内決定してから6年後の80年の党大会で公式発表されている。その間、金総書記の存在は“党中央”と称された。今後、3代目後継者がどのような呼称で登場するのか、関心を集めている。

[産経新聞]


■「金正雲氏、昨年10月10日に後継者確定していた」

金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長が三男の金正雲(キム・ジョンウン、26)氏を後継者に確定したのは、北朝鮮の朝鮮労働党創建記念日の昨年10月10日ごろだという証言が出てきた。

続いて金委員長は昨年末、北朝鮮を訪問した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者に金正雲氏を紹介したという。日本の消息筋は3日「昨年12月28日に金委員長が国立交響楽団の公演を観覧する際、金正雲氏が同行した」とし「公演の直後、朝鮮総連の人々と会って金正雲氏を紹介した」と伝えた。

同筋は「当時、金正雲氏はこれらと握手を交わし、金委員長は一部の人物に“どうぞよろしく”と頼み、彼を後継者に決めたことを暗示した」と付け加えた。昨年12月末は、金委員長が脳卒中の後遺症から回復し、公開活動を本格化した時点だ。朝日新聞はこの日「後継者を指名した、という事実を朝鮮労働党の幹部が中国共産党の幹部に伝えた」と報じている。また同紙によると、金正雲氏は今年に入って初めて党と軍の人事権を握る党組織指導部長に就任した。

これにより中国と朝鮮総連の幹部らはすでに昨年末、金正雲氏を後継者に認知したはずだという見方が出ている。ほかの北朝鮮消息筋は「“権力は分け合えないもの”という点をよく知っている金委員長は、後継をめぐる協議を先送りするという立場だったが、脳卒中以降、考え方が変わった」とした後「党創建記念日の昨年10月10日を前後に、国防委員会の会議で後継者を決めた」と話した。

同筋は「金委員長は、党政治局会議で内定された後、全員会議・党大会を経て外部に公表されたが、金正雲氏の場合、実質的な統治機関の国防委員会で決まった」と付け加えた。専門家は昨年末から行われた大規模な人事に注目する。金委員長は昨年末、キム・キョンオク組織指導部副部長を第1副部長に昇進させた。また解任された崔益奎(チェ・イッキュ)宣伝扇動部第1副部長を部長に昇進、復帰させ、軍指導部も交代させた。ここに妹の夫、張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長を含め、以前4人だった国防委員を8人に拡大した。

国民(ククミン)大学のチョン・チャンヒョン兼任教授は「金委員長の“実家体制”を強化すると同時に、後継体系を本格化する狙い」という見方を表した。金委員長は今年に入って、64回にわたる公開活動に臨んだ。昨年37回、07年25回に比べ、大幅に増えた規模だ。

仁済(インジェ)大学のチン・ヒグァン教授(統一学)は「金委員長は脳卒中以降、通常と異なる形の統治方式を見せた」とした上で「毎度異例のことだと考えたが、情報機関が後継の内定を確認した後、再整備されたもの」という見解を示した。同教授は「金正雲氏が金委員長に同行し多様な経験を積んでいるものとみられる」とし「金正雲氏は後継授業と政治的な功績づくりを同時に行う可能性が高い」と話した。

[中央日報]

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Posted by nob : 2009年06月04日 23:32