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数奇な運命を許容して生きる人々、、、頭が下がります。。。

■「冤罪なくすため」、裁判員制度と向き合う河野仁志さん

 松本サリン事件から15年となる27日、松本市内で開く裁判員制度を検証するシンポジウムで、同事件の第一通報者で当初容疑者扱いされた河野義行さん(59)の長男仁志さん(30)が事務局を務め、準備を進めている。市民が務める裁判員に分かりやすく、早く審理を進める仕組みの中で、疑われる側にとって大切な事実が見落とされることもあるのではないか−。冤罪(えんざい)を強く意識する立場から、制度に問題提起するつもりだ。

 「わたしも『やった』『やってない』という押し問答を警察官とやりました」

 6月上旬、松本市の県松本勤労者福祉センターの一室。シンポジウムを前に開いた勉強会で、仁志さんは出席者を前にこう訴えた。その手には、「足利事件」で無期懲役確定後、無罪の可能性が強まり、17年半ぶりに釈放された菅家利和さんを取り上げた新聞記事のコピーを持っていた。

 1994年夏。県警は、被疑者不詳のまま殺人容疑で河野さん宅を家宅捜索。農薬など薬品類を押収した。多くのメディアが義行さんの関与を疑う報道をし、市民の見方にも反映された。

 当時15歳だった仁志さんも、自宅で刑事2人から任意の事情聴取を受けた。「薬品や容器はどこに捨てたの。どこに隠したの」と問う刑事に、仁志さんは「知らない」。だが、刑事は「きちんとした目撃情報もある」と続けたという。それでも否定し続けると、父親が薬品を捨てたとする趣旨の内容を発言している −とも言われたという。

 そんな体験をした仁志さんはこの春、サリン中毒で意識不明となり、14年余の闘病の末に昨夏死去した母澄子さん=当時(60)=を供養するため、都内の会社を辞め、松本市の自宅に戻った。父の弁護士を務めた永田恒治さん(72)をあいさつで訪ねた際、裁判員制度に問題意識を持つ立場から「体験を基に世に問うことはないか」と聞かれた。

 仁志さんが裁判員制度を学び始めると、冤罪を生みかねない−との疑問が浮かんできた。まずは「公判前整理手続き」だ。裁判に入る前、検察側と弁護側が持っている証拠を出し合い、証拠を整理、争点を絞り込む仕組みで、争点を明確にし、審理を迅速に進めるのに必要とされる。だが、非公開で行われるため「被告の無実を証明するかもしれない小さな証拠が切り捨てられてしまう危険性があるのではないか」と感じる。

 捜査方法の見直しも十分には見えない。警察は裁判員制度に備え、容疑者の取り調べをビデオ撮影するなどの「可視化」を始めたが、「現状は部分的な導入」と仁志さん。自白の強要など捜査の行き過ぎを防ぐためには、「全面可視化でなければ意味がない」と指摘する。

 松本サリン事件直後、仁志さんは自宅で1日100件を超える脅迫、無言電話に苦しみ、「あの人が犯人」と思い込んだときの群集心理の怖さを身をもって経験した。裁判員となる市民がすべてを知って裁判に臨むわけではない以上、「科学的、合理的な判断をしてくれるのだろうか」との心配もぬぐえない。

 新たな職を探しながら、シンポを準備する仁志さん。「冤罪をなくすため、小さくても声を上げ続けていく」ことが、15年間、自分たち家族を支えてくれた人たちに感謝の気持ちを示すことにつながると考えている。

[信濃毎日新聞]

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Posted by nob : 2009年06月27日 17:57