« 私にとっては考えたこともなかった視点からの考察。。。 | メイン | 相手の立場を知れば自ずと為すべきことが。。。 »

原則論的論旨が解り易い。。。

■エネルギーの爆食がもたらした2度目の人口増
産業革命を可能にした石炭と「エントロピー排出」の問題
石井 彰

 人類史をマクロ的に眺めてみると、2回の人口爆発期がある。最初は現在より1万年前から2000年前頃までの農業開始の時期である。言うまでもないが、それ以前はすべての人類社会は狩猟採集生活であり、居住可能地の人口密度は最大で1平方キロ当たり1人、通常は0.1人以下と推定されている。

 日本を例にとると、面積が約38万平方キロであるから、30万人以下しかいなかったことになる。事実、定住型の狩猟採集社会であった縄文時代の人口は、考古学的証拠から見て、最大で30万人程度と推定されている。現在の日本の人口の400分の1以下である。

2000年で2倍程度しか増加しなかった産業革命前

 世界の地域や時代によって人口密度に大きな差があったと考えられるが、例えば1万年前の農業革命直前では、世界の人口は多くて1000万人程度と推定されており、人口の年間増加率はほぼゼロ、ないし0.01%増、100年で0.1%増程度と推定されている。

 ユーラシア大陸で、農業革命がほぼ浸透し終わった2000年前、すなわちキリスト生存時代(実在したとすればだが)の世界人口は、南北アメリカ大陸やアフリカ・オセアニアでは、まだごく一部しか農業化されていないにも関わらず、約3億人と推定されているので、ユーラシアだけでみれば、約30倍を遥かにしのぐ程度に急増したことになる。

 一般に粗放農業でも、単位面積当たりの人口支持力は狩猟採集の100倍は下らないと考えられている。しかし、(このコラム連載の後の方で述べるが)だから農業によって人間社会が進歩したとか、人類の生活水準が向上したのではなく、マルサスの罠にはまって、民衆の生活の質は狩猟採集時代より、むしろ大幅に低下したとされている。

 人類史上、第2の人口爆発時代である産業革命の直前、18世紀初頭の世界人口は、6~7億人程度と推定されているから、約2000年の間にわずか 2倍程度にしか増加していない。この間、農耕地の拡大が世界的にそれなりにあったから、まさに産業革命前のマルサスの罠である。

産業革命後、わずか2世紀半で約10倍に爆発

 ところが産業革命後、世界人口は爆発的に増加し、既に掲載したグラフのように、約1世紀半後の1900年には16億人、さらに半世紀後の1950年には25億人、2000年には60億人超と、まさに幾何級数的に急増した。わずか2世紀半の間に約10倍もの人口爆発になった(以上の人口推計値は、米国国勢調査局による)。

 なぜ、産業革命によって人口爆発が生じたのであろうか? 出生率が急上昇したのだろうか? 理由はそうではない。死亡率が急減したのである。

 産業革命前の多産多死から産業革命後かなりの期間は、死亡率が一方的に下がり続けて多産少死となり、結果として人口が急増したのである。さらに時が経つと、西欧では19世紀末ごろから出生率が下がり始め、20世紀半ばまで低下し続けた。結果として少産少死になり、人口が次第に安定化した。

 その後も出生率は漸減を続け、20世紀末にはOECD諸国のほとんどでは、人口が漸減し始めて現在に至っている。産業革命発祥の地、英国では死亡率が世界に先駆けて18世紀後半に明確に低下し始め、20世紀半ばまで低下し続けた。出生率は死亡率に100年以上遅れて19世紀末に低下し始め、20世紀末まで続いた。

 日本の場合は、死亡率が英国より100年遅れて19世紀後半から低下し始め、20世紀末まで下がり続けている。出生率は、英国より20年程度遅れて20世紀初頭より低下し始めて1930年代末まで続くが、一旦、軍国主義時代の「産めよ、増やせよ」政策と太平洋戦争敗戦後のベビーブームで跳ね上がり、その後再び急減して、現在に至っている。

 この結果、日本の人口は、明治維新時に約3300万人であったのが、1920年代には6000万人以上に倍増しており、20世紀末には4倍の1億2000万人を超過した。

 この工業化社会への移行に伴う、多産多死から多産少死、さらに少産少死への転換というのは、「人口転換理論」として、人口学の唯一最大の理論とも言われており、ほとんどすべての工業化に成功した国・地域で経験されている。

なぜ、死亡率の低下が起きたのか?

 では、なぜ産業革命後、始めに出生率の低下ではなく死亡率が大きく低下したのかという、根源的な問いがわいてくる。通常、要因としてイメージされるのが、医療の発達ということだろうが、これは間違いではないにしても、医療に対する過大評価だろう。現在でも、医療で明らかに救える病気というのは、細菌感染症が中心であり、ガンやウイルス性疾患、自己免疫疾患など、多くの病気に対する医療の治療効果は限定的である。

 死亡率低下の一番本質的な要因は、医療というよりも工業化による民衆の「暖衣飽食」と「公衆衛生」の徹底であると考えられる。これはどういうことか。

 まず、産業革命によって、鉄製品が廉価で大量に供給されるようになると、効率的な農機具の普及と、水利施設等の農業土木工事が進み、農業自体の技術革新と相まって、食料生産が増大し、相対価格が低下する。人々はたっぷり食べられるようになり、体力が大いに増した。

 また、鉄道網や汽船の発達で、ひどい不作の年でも、遠方から不足食糧を簡単に調達できるようになり、体力も低下しないし、餓死者も出ない。遠方から食料を購入するだけの水準に民衆の所得も向上した。だから、この時代以降、工業化された国では飢饉は全く発生していない。

 さらに、工業製品であるガラス窓や暖房効果に優れる赤レンガ壁と暖炉や石炭ストーブが一般化して、住居が清潔になり、冬場の暖房水準が向上して、低温による体力・免疫機能低下が抑制され、そもそも病気になりにくくなる。体温がほんの少し上がるだけで、免疫機能は劇的に向上するし、逆に体温が少しでも下がれば、免疫機能は大きく低下する。

 赤レンガ壁や暖炉の材料である赤レンガもガラスも、産業革命による石炭使用で、19世紀に廉価に大量生産されるようになったものである。シャワーも、石炭の普及と鋳鉄管の普及で19世紀に一般化し、人々を清潔にした。

 また、都市では、産業革命で廉価になった鋳鉄管と赤レンガやコンクリートによって、上下水道が整備されて、消化器系疾患が激減した。さらに重要なのは、産業革命の申し子である廉価・大量の繊維製品によって、清潔で多様な衣服が供給され、体温維持と清潔さが向上したことだろう。

物の大量生産について「エントロピー」で考える

 このように、産業革命、換言すれば工業化の進展は、繊維製品のみならず、鋼鉄、鋳鉄を始めとする金属製品、赤レンガ・コンクリート、ガラス、および鉄道と汽船を、廉価・大量に社会に供給して、民衆の暖衣飽食と公衆衛生インフラを支え、死亡率を大きく低下させて、結果、人口爆発を生じさせた。

 これらすべての製造工程は、エネルギーを爆食する。これは、大量の石炭使用によって初めて可能になった。産業革命とは、単にクラークが述べるように、勤倹貯蓄・知的指向型の文化の社会への浸透だけで発生したのではなく、石炭という化石燃料を人類史上初めて大量使用したことと相まって、可能になった。英国に石炭が存在していなければ、18世紀の幾多の発明は、元来、産業化のしようがなかった。

 そもそも、物を生産する、特に大量生産するということは、どういうことだろうか? この問いは、物理的にも、経済的にも、なかなか深淵なものを含んでおり、すぐに的確に答えられる自然科学者や経済学者はそう多くないだろう。これは、エネルギー、特に熱力学上の概念であるエントロピーというものを、単に工学的にではなく、人類社会との絡みで理解しないと答えが見えてこない。

 エントロピーというのは若干分かりにくい熱力学上の概念だが、無秩序さの指標である。例えば、鉄鉱石を考えると、不純物がほとんどの鉱石の中に鉄成分が多少含まれているわけである。これが、エントロピーが高い、すなわち高い無秩序状態である。この鉄鉱石から高純度の鉄成分を取り出して鉄製品にする、すなわち秩序化=低エントロピー状態にするためには、高温のエネルギーを投入して溶解し、鉄成分のみを分離する必要がある。

 この高温を大量に得るには、それ自身が低エントロピーのエネルギー源が必要である。

 低エントロピーのエネルギー源というのは、高温が得られる。言い換えると熱拡散力が高い、すなわち成分が高度に秩序化され凝縮化しているために、無秩序化、拡散化状態までの落差が大きいエネルギー源のことであり、典型例が石油である。これは、高効率のエネルギー源、ないしエネルギー密度が高いエネルギー源と言える。

環境問題の本質は環境の受容能力を超えたエントロピー排出

 従って、物を生産するというのは、低エントロピー・エネルギー源を使用して、高エントロピー資源を低エントロピー化することにほかならない。その必然的な副産物として、外部に高エントロピー(無秩序)、すなわち、汚れを必然的に捨てることになる。例えば鉄鉱石から鉄製品を製造する際には残滓と廃熱を捨てることになる。

 低エントロピー・エネルギー源は、あたかも雑巾のように、高エントロピー資源からエントロピーをふき取って、低エントロピー化し、ふき取った高エントロピーを環境に捨てるのである。エネルギー保存の物理法則からすれば、必ずこうなるのだ。

 これは、物の生産に限らない。交通活動は、低エントロピーを取りこんで、環境に高エントロピーを捨てながら移動することだ。環境の受容能力を超えたエントロピー排出が、環境問題の本質だ。

 物を大量生産したり、大きく活動したりする以上、環境汚染は不可避であり、物をいくらリサイクルしても、リサイクル自体で生じる環境のエネルギー汚染、すなわちエントロピー拡大=熱汚染やCO2等は原理的に防ぎようがない(スペースの関係でエントロピー概念を詳説できないので、ネット上の種々の解説等を参照願いたい。ちなみに、エネルギー源はリサイクル不可能である)。

環境問題などの基本中の基本が理解されていない

 ある秩序だったシステムや物質は、外部から低エントロピー源を常に取り入れないと、熱力学の第2法則(エントロピー拡大の法則)によって、時間と共に無秩序化していき(高エントロピー化し)、やがてシステムであれば活動が停止し、生物であれば死に、金属のような物質であれば、錆びて使いものにならなくなる。

 このあたりの本質的な議論は、エネルギー問題に30年以上かかわってきた筆者が考え続けてきたことである。将来の人類社会と環境問題を考える際の、基本中の基本の問題であるが、政治家やジャーナリズムも含めて、一般によく理解されていると思えないし、意識されているとも到底思えない。

 次回は、エネルギー源と人口と環境の相互関係、相互矛盾が何も産業革命後や20世紀後半から始まったわけではなく、人類史の古くから存在していることを説明したい。

[日経ビジネス]

ここから続き

Posted by nob : 2009年11月11日 14:50