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everything is meaningful and concerning...

すべての存在には何かしらの意味があり、、、

また何処かしらで繋がり合っている。。。

Posted by nob : 2011年06月30日 09:45

君が僕より良ければ、、、

僕はとても嬉しい。。。

Posted by nob : 2011年06月29日 13:39

自立とは、、、

自らの思い込みと

第三者からの洗脳による

絡み合った知恵の輪を一つ一つはずしていきながら

自分自身を解放していくこと。。。

Posted by nob : 2011年06月29日 13:24

苦笑。。。

■貯蓄上手のカップルと、お金が貯まらないカップルの差はどこにあるのか?

貯蓄上手のカップルとお金が貯まらないカップルは、お金に対する根本的な態度が違う。お金がたまっていくカップルの共通点と、お金を貯めていくためのルールについて、ベストセラー『20代のいま、やっておくべきお金のこと』の著者が語ります。

健全な家計とは、
貯金している家計のこと 

 これまで、いろいろなカップルの相談にのり、千組以上のカップルの家計や貯蓄をみてきた。

 最近の20代30代には節約上手なカップルが多い。

 料理上手な夫が毎朝夫婦2人分の弁当をつくっている、外で飲む代わりに友人同士で自宅に招きあって家飲みを楽しむなど、お金を使わずに楽しむ方法をいろいろ実行していて、精神的にも豊かだ。感心させられる。

 一方で、クレジットカードのリボ払いやカードローンの支払に追われているカップルからの深刻な相談もある。

 貯蓄上手のカップルとお金が貯まらないカップルは、お金に対する根本的な態度が違う。

 貯まらないカップルに共通するのは、「月末にお金が残ったら貯金しよう」「給料が上がって余裕ができたら貯金しよう」「子どもが生まれてから貯金しよう」と考えていること。

 これは大きな間違いだ(ここにさらに、安易なカードの使い方が加わると問題になる)。

 貯金は、給料が多くても少なくても、余裕があってもなくても、子どもが生まれても生まれなくても、20代でも30代でも40代でもするべきこと。

 これが貯金の第1ルールだ。

 そしてそれを、退職までずっと続けていく。

 健全な家計とは、毎年貯金ができていて、それが年々増えていく家計のことだ。

 貯めるには、目の前の楽しみをぐっと我慢しなければならない。

 我慢できるのは、自分と家族を愛しているからにほかならない。

 貯金は将来の自分と家族へのプレゼントだから、苦しい義務じゃなくて喜びになる。

 自分と家族の3年後、5年後、10年後に想像力を働かせよう。

 やがて生まれてくるわが子のため、ママになる妻/パパになる夫のため、家族で楽しく暮らすために、結婚10年目を祝うために、成長していく子どもたちのために。

 もちろん今の生活も楽しみたい。

 将来の備えるために今の楽しみをすべて犠牲にするのは不健全だ。

 だから大切なのは、今使うお金と、将来の自分と家族にプレゼントするお金とにバランスよく配分することだ。

 現在と将来のバランス。これこそが結婚マネー成功のキーワードだ。

個計は弱い!
家計はひとつでとらえよう

 パートナーの携帯電話の着信履歴やメールをチェックしたことがある、という女性は少なくないらしい。

 これってどうだろう。

 疑いをかけられる言動をしている側にも問題があるのだろうけど、ここは越えてはいけない一線ではないだろうか。

 結婚しても互いのプライバシーは尊重し合う。これがルールだ。

 しかし、お金のこととなると話は別。

 特に共働きだと、結婚しても相手の収入や貯蓄額を知らず、お金の使い道にも干渉しないというカップルが珍しくない(ある調査によると約5割)。

 家賃と車関係費は夫、食費と被服費は妻、というようなぐあいに支出を分担していて、それぞれの金額は知らせない。

 それ以外の出費、貯金についても話さないし、たずねない。それで特に問題ないと思っている。

 ずっとライフスタイルが変わらず、子どもも生まれず、家も買わず、退職までにそれぞれたっぷりと貯金できれば、この方法(=個計)でもかまわない。

 しかし、個計は変化と危機に弱い。

 そして人生に変化と危機はつきものだ。

 家族としての収入や支出、貯蓄の全体像が分からないと、転職や退職でどちらかの収入が減った、子どもが生まれて出費が増えたなどの変化に、すぐに対応できない。

 どの支出を減らせるか、どの貯蓄から出せばいいかが分からないのだ。

「自分は貯めてないけど相手が貯金しているだろう」と双方があてにしていて、貯蓄や保険が不十分というケースも少なくない。

 夫だけが働いている家庭では、夫の収入が全面的に妻にゆだねられ、妻の判断と責任で使ったり貯めたりするケースが多い。

 このように妻が家計の全体像を握っていると、収入が減った、大きな出費があるなど課題があるときは、それをもとに夫婦で話し合うことが出来る。

 ところが片働き家庭で、現金でやりくりする生活費だけを夫が妻に渡し、妻は夫の収入も貯蓄もローンも何も知らない場合がある。

 万一夫が病気になったり事故に遭ったら、妻は全く対応できない。

 そもそもこんな形は、夫婦が人生のパートナーであるとはいえない。

 互いをパートナーとしてプロジェクトに取り組み、共同で責任を負うために、ふたりともが家計の全体像を知っておこう。

 もしまだなら、互いの収入や貯蓄(もしあればローン)の金額を打ち明けよう。

 これをディスクローズ(情報公開)という。

ディスクローズの重要性は、
ますます高くなっている。

 ふたりのうちどちらかが事故に遭ったり、災害で銀行通帳や保険証券が紛失した、というときも、普段から情報を共有していればあわてなくてすむ。

 ところが、相手がどんな保険に入っているか、どの金融機関にいくら預けているかを知らないと、万一のとき保険を請求したり、預金を引き出すことも出来なくなる。

 手続きをしないと何も受け取れない。

 ただ、自分のこづかいの使い道まで相手に報告する必要はない。

 ここは守っていいプライバシー。結婚前の秘密の貯金をこっそりキープしておくのもOKだ(ただしローンはダメよ)。

 ディスクローズすべき情報を二人で共有する一方で、プライバシーもきちんと保つためには、銀行口座を目的に応じて使い分ければいい。

[DIAMOND Online]

Posted by nob : 2011年06月29日 01:44

nothing to say...

■「北の刑務所で850人の遺体処理した」
脱北者イ・スボクさんの証言

 「遺体から流れた血や体液でぐちゃぐちゃになった床を歩いたことがあるだろうか。私は毎日がそうだった。遺体を食べて丸々と太ったネズミを見たことがあるだろうか。私はそれを毎日見掛けていた」

 脱北者のイ・スボクさん(55)=写真=は、北朝鮮北東部の咸鏡北道会寧市にある全巨里教化所に収監されていた当時、遺体の処理を担当していた。教化所は刑務所に相当する施設で、政治犯や経済犯が収容されているとされる。イさんは「教化所では遺体を50-60体ずつ積み上げていた。これほどの地獄はほかにない」と当時の残酷な光景を思い起こした。

 イさんは1990年半ばに先に脱北した異母兄弟から生活資金の支援を受けていたことが保衛部に発覚し、スパイとして拷問を受け、教化所に連れていかれた。イさんは「密輸犯」として、1999年6月から2001年1月まで服役した。その後、北朝鮮で外貨稼ぎをしていたところ「反動」扱いされ、昨年8 月に脱北し、韓国に渡った。

 イさんは1年6カ月の服役期間に教化所で850人の遺体を処理したと証言した。当時、全巨里教化所には最大約1200人が収容されていた。イさんが担当していた遺体保管所は3メートル四方で、床はセメントだった。収容者は栄養状態が極度に悪く、病気になっても治療を受けられないまま、重労働をさせられていた。

 「年齢や性別を問わず、ほぼ毎日、麻袋やビニール袋に入った遺体1-2体が運ばれてきた」

 遺体は保管所に積み上げておいて、1カ月に1回ほど、火葬場にトラックで運んで処理されていた。イさんは「遺体をすぐに火葬せずに積み上げるのは、遺体を運ぶトラックの燃料が足りないためだ」と説明した。

 イさんは21日、こうした北朝鮮の人権侵害状況を国家人権委員会北韓人権侵害センターに届け出た。22日で設置から100日目を迎えた同センターには、23件(申し立て人数計718人)の届け出が寄せられた。

 イさんは「遺体を食べるネズミの姿が今でも忘れられない。体が30センチにも達するネズミもいて、丸々太っていた。積み上げられた遺体は、ネズミやうじ虫に食べられて軽くなるほどだ」と語った。

 教化所内部でも遺体保管室は秘密施設だったという。教化所の病院に隣り合う遺体保管室の横では、常に武装した軍人が警備に当たっており、一般の収容者は中をのぞき見ることができなかった。

 教化所では死は日常の出来事だったという。イさんは「腹が減ったまま働いて倒れたり、山で毒草を食べて死んだりするケースも多かった。拷問を受けたり、殴り殺されたりする例も頻繁にあった」と語った。

 収容者が死んでいくことは全く問題視されなかったという。イさんは「教化所の収容者はどうせ反動分子だと思われていたたため、収容者が死ぬことを気に掛ける人はいなかった」と話した。

李錫雨(イ・ソクウ)記者

[朝鮮日報日本語版]

Posted by nob : 2011年06月26日 02:30

私の周りにも。。。

■震災後ストレス対策、これからが正念場

 東日本大震災の発生から3カ月が経過し、被災地も少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。だが、大正大学准教授で海上保安庁惨事ストレス対策アドバイザーを務める廣川進氏は、「被災者や救援活動に当たった人たちの自殺が、これから増える可能性が高い」と危惧する。被災地に出向き、海保職員のストレスチェックやカウンセリングに携わった廣川氏に、今後のメンタルヘルス対策について聞いた。
大正大学准教授、海上保安庁惨事ストレス対策アドバイザー・廣川進氏。

——そろそろ、被災者の気持ちも落ち着くのではないですか。

廣川:地震・津波のような災害や事故現場で、悲惨な光景を目撃したり自分の職責を果たせなかったと思うことから生じるストレスを、「惨事ストレス」と言います。これを受けると、不眠や悪夢、頭痛や血圧の上昇といった身体の反応、そして恐怖感・不安感などが表れます。1カ月程度で元の状態に戻れば、一過性の正常な反応として、あまり気にする必要はありません。

——1カ月以上続く場合は。

廣川:PTSD(心的外傷後ストレス障害)となった可能性があり、治療が必要になります。被災者であれば自分が生き残ったことへの罪悪感から、救助活動に従事した人の場合は無力感などから、いずれも自責の念を抱き、自殺のリスクが高まります。この点で、PTSDとうつ病は近い関係にあるのです。飲酒で気を紛らわせようとしたり、仮設住宅へ移って一人暮らしになったりすればなおさらのことです。

——今のところ、被災地で自殺者が増えたという話は聞きません。

廣川:大災害の直後には自殺者は増えないものです。半年後ぐらいから増えてきますので、この冬は要注意です。東北の人はがまん強いとか不平不満を口にしないとか言われますが、これはストレスを発散できないということでもあります。その上、今回の惨事ストレスは強烈ですから、危険性はなおさらです。大都市部に比べて精神科医の敷居は高いでしょうし、方言が通じない人には自分の気持ちを話したくないと思うでしょうから、適切な治療を受けにくいという側面もあると考えられます。

復興に伴う格差が要因に

——今後、復興が順調に進めば、自殺者増加のリスクは少なくなるのでは。

廣川:そうはいえません。復興の過程において、被災者の間で格差がつくと思われるからです。就職が決まり、家を建て直す人が出る一方で、収入もなく避難所暮らしを続けざるを得ない人もいるでしょう。後者は、「置き去りにされた」「世間から忘れられた」というネガティブな感情を抱き、自殺に追い込まれかねないのです。

——救援のために働いた人のメンタルヘルスも心配ですね。

廣川:私も、被災地に派遣された自衛隊員、地元の消防団員、自治体職員らの心理状態を心配しています。特に地元の救援者は、悲惨な現場を目にしているのに加え、自宅が津波で流されたり家族が被災するなど、二重に惨事ストレスを被っているからです。PTSDの発症率は5〜10%なので、10万人以上派遣された自衛隊員から何人PTSD発症者が出るかを考えると暗然とします。これまで遺体を見た経験も多くはないでしょうし。

——こうした人たちに、どのような対策が必要ですか。

廣川:ストレスが高い状態で長時間働き続けると、脳や心臓の疾患で過労死する危険性が高まります。既に、被災地の会社員や公務員に、過労死が出始めたと報じられています。それを防ぐには、体全体のチェックが大切です。会社などが実施する健康診断をきちんと受診して、「要注意」の項目があったら、日頃は放置している人も、今回だけは精密検査を受けることをお勧めします。会社側も、3月以降の延べ労働時間を把握したり、3、4月の勤務時間がどうだったかを確認したりして、実態を踏まえた綿密な労働時間管理をし、必要に応じてまとまった休暇を取らせるべきでしょう。

「口数が少なくなった」人は要注意

——部下の心の不調を見抜くポイントは。

廣川:管理職の人は、「口数が少なくなった」「昼間ぼんやりしている」といった変化が、部下に表れていないか気に留めてほしいところです。就寝時間や起床時間を尋ねてみるのもいいでしょう。また、食事がきちんと取れているかどうかも重要なバロメーターです。量だけでなく、おいしく感じたかどうかが肝心です。さらに、自分を責めるような言葉を口にしないか、気をつけてください。

——新聞やテレビで震災を“目撃”した人たちは大丈夫ですか。

廣川:阪神大震災は、発生したのが冬の早朝で辺りがまだ暗く、その上、大半が建物の倒壊による圧死や窒息死でした。これに対し、東日本大震災は昼間に発生し、津波が繰り返し襲ってくる様子が鮮明な画像で日本全国に流れました。被災者でなくても、ナイーブな人は影響を受け、体が揺れる感じがしたり、不安な気持ちになったりしています。こうした人は、ゆっくり休息する、好きなことを思い切り楽しむなど、自分なりの気分転換をしてみましょう。また、自分の部下にこういう人がいたら、管理職はそのような症状が出ても不思議はないと話し、安心感を与えるようにしてください。それでも症状が2週間以上続くようだったら、まず、かかりつけの医師を受診するよう勧めていただきたいと思います。

——東日本大震災による惨事ストレスの影響は、いつごろまで続きそうですか。

廣川:発生から1年では収まらないと思います。通常は発生時のストレスが最も大きいのですが、今回は、その後も大きな余震が何度かあったり、福島第一原発の事故が収束していなかったりと、今なお現在進行中の惨事だからです。PTSDの症状が深刻化し、回復も遅れることが危惧されます。

取材・文/井上俊明

[WOMAN Online]

Posted by nob : 2011年06月24日 09:34

「今までずっと、自分ではない誰かのために生きてきました。そんな私が、今度はほかの誰でもなく、自分のために生きてみたいと思うようになりました。」

人はみな一人一人それぞれの自身であるべき、、、


何者でもない

何物にも属さない

何も持たない何もしない

ただあるがままの自分自身を丸ごと受け容れることから始めて。。。

Posted by nob : 2011年06月24日 07:11

悩んでいる時こそ前に踏み出すべき、、、自分自身で決めたことならどんなことでも自らの糧になる。。。

■放射能ストレスで前進する女と、立ち止まる男
1歩を踏み出せば、異なる風景が見えてくる
河合 薫

 目に見えない恐怖への“不安”が、未知なる将来への “決断”へと変わり始めた。母親たちが、「我が子」を守るために、家も、仕事も捨てて、新たな生活へと動き始めたという。

 「妻は仕事を辞めて引っ越そうと言い出した。僕の実家の近くに引っ越して、そこで新しい仕事を見つけてほしいと言うんです。今からあの田舎に帰って何をするって言うのか。我が家は家庭崩壊寸前です」

 以前、子供を持つ家庭、とりわけ母親の放射能に対する不安が大きいことはこのコラムでも取り上げた(関連記事:放射能という“目に見えない恐怖”がもたらすストレスの脅威)。この男性の妻も放射能に当初から大きな不安を抱いていたという。それは、夫の目から見れば、過剰に思えたそうだ。

 東京電力の福島第1原子力発電所の事故以来、週末だけは夫の実家のある中国地方に子供と出かけ、思う存分に外で遊ばせてきた。しかし今、「このままここ(東京郊外)に住み続けるのは危険」と思い立った妻が、生活の基盤をすべて中国地方に移そうと言い始めた。

 先述のコラムを書いて以来、「あの大手商社マンの家庭とうちとは全く同じ」というものだけなく、「西日本の支店に異動願いを出している」「妻と子供だけ、大阪に避難している」といった話をいろいろなところで耳にした。

 その中には、既に夫婦で仕事を辞め、引っ越しをした方もいた。家庭内の“出来事”なので、他人に話していない人も多い。放射能への恐怖は、終息に向かうというよりも、時間の経過とともに高まっているようにさえ思える。そもそもいつ終わるかも分からないし、今になって「ウソ!」と叫びたくなるような話が次々と出てきているのだ。

報道だけでなく口コミ情報でも不安が増幅

 メルトダウン(炉心溶融)が起こっていた、とか、「SPEEDI(スピーディ=放射性物質の拡散予測システム)」の計算結果が公開されていなかったとか、4月末に内閣参与を自ら辞任した小佐古敏荘氏(東京大学教授)が、「国の放射能の基準値は低すぎる」と指摘していたとか、まるで日替わりメニューのように報道される新事実。

 放射能楽観派の人たちだって、「マジ? 大丈夫なのかな?」と心配になるのだから、悲観派の方たちの不安感といったら、とてつもなく大きいものに違いない。加えて、文部科学省の子供の被曝線量への対応にも一貫性がない。子供を持つ母親たちの混乱は最高潮に達しているのだろう。

 おまけにいわゆるママ友たちの間には、さまざまな情報が錯綜している。

 「(プロテニスプレーヤーの)シャラポワの両親がアメリカへの移住を決断したのは、チェルノブイリ事故だったそうよ」といったテレビや雑誌の情報……。

 「○○さんのご主人の話では、報道できないくらいとんでもないことが起こっているって」  「○○さんのご主人って、あの××新聞の記者さんよね?」  「確か政治部だった」  「そう。だから奥さんだけ子供を連れて宮崎県の実家に戻るんですって」  「うちも主人と相談してみようかしら」  といった“ウワサ”などなど。

 情報が増えれば触れるほど、「取り残されないようにしなきゃ」と焦るママたちも少なくないという。

 そもそも人間は、何らかのストレスフルな環境にさらされると、そのストレスをどうにかしようと反作用を起こす動物である。自分が生き延びるために行動を取るのだ。そして、そこに“大切な人”がいた時、自分でも驚くような決断をしたり行動に出たりしてしまうことがある。

 今になって出てくるさまざまな事実や口コミ情報に、「どうにかしなきゃ」という気持ちが強まり、「だったら動くしかない」と、子供を守るために、生き方を変える決断を母親たちは始めたのだろう。

 そんな妻の決断に、少しばかりたじろいでいる夫たち(もちろんその逆もあるのだろうけど)──。たとえ「子供のため」とはいえ、自分の積み重ねてきたものを捨てるのだから、誰だって躊躇する。変わるのはそうそう簡単なことではないのだ。

 まぁ、冒頭の男性のような、ある意味、究極の選択を強いられる境遇に追い込まれている方がどれだけいるかは定かではない。しかしながら、震災や原発事故をきっかけに仕事へのかかわり方を見つめ直している人も多い。

 そこで今回は、「変える=チェンジ」ということについて、考えてみようと思う。

 「確かに心配と言えば、心配なんですけど、引っ越しをするとなると、話は簡単ではない。妻は私の顔を見れば、『早く仕事を探して』と急かすばかり。何だかなぁ~って感じですよ。だいたい地方の大変さを妻はいまひとつ分かってない。もちろん都会にはない、良いところもあります。でも、それ以上に煩わしさもありますからね」

 「地方は、確かに都会よりも地域のつながりがあります。でもね、生活をするってことは『親切ないい人』が突然、『うっとうしいややこしい人』になるってことも覚悟しなきゃダメ。どこで何を買っていたとか、そんなことまでウワサになりますから。それに、妻は『田舎の方が自然が多いから子供のためにもいい』と言いますけど、山があってのんびりした町は、退屈で不便な町ってことなんですよ」

 「それに最大の問題は、仕事です。知人に頼ればどうにか仕事を探せるとは考えています。でもね、正直、抵抗があるんです。あと10歳若ければ、人生の再スタートを切る勇気も持てたかもしれません。でも、もうすぐ40ですから、今さらって気持ちもある。ところが妻には、その気持ちが全く分からないみたいで。『あなたは結局、子育てから逃げてる』とののしられる始末です。最近、妻のことを見ていて、つくづく思うんですけど、女の人って何でああも潔ぎがいいんですかね。あれがいわゆる母性本能ってやつなんでしょうか」

 仕事を変える、ということは、ある意味、今の自分を形作っている属性のすべてを変えるということでもある。会社、肩書、収入……。そういった基本属性と呼ばれるもの、すべてだ。「変える」は、「それらを捨てる」ことでもある。そのことに男性は戸惑っていたのだろう。

子供を産んだ瞬間から女性は変わる

 と、その前に、「女の人って……」ということからお話ししようと思う。もちろん、私は子供もいなけりゃ、結婚もしていないので、100%母の気持ちになることはできない。でも、こんな私でも一応、少しばかりの母性本能なるものも持ち合わせているだろうから、何となくは想像することができる。

 つまり、何と言うか、女の人って、多かれ少なかれ、子供を産んだ瞬間から、それまで自分では考えもしなかった生き方、あるいは自分1人では「どうやったって無理」と信じていた生き方を歩き始めているんじゃないだろうか。いかなる不安も、ためらいも、産んだ瞬間に、“変える覚悟”に変わるんだと思うのだ。

 だって、自分のお腹の中に生命が宿るってことだけでもすごいことだし、10カ月もの間、一心同体の時を過ごすなんて、そりゃあ言葉にできないような、ものすごい経験に違いない。それまで見たこともない大きさにお腹が膨れ上がり、それまで感じたことのない鼓動を自分の内部から感じ、それまで味わったことのない痛みを誕生の瞬間に体験する。

 私の友人は、子供が産まれた瞬間に、「こんなしんどいことは、2度とやれない」と思ったそうだ。ところが、この苦しみが子供を育てることで喜びに変わる。そして、2人目を産む時に再び激痛を体験し、「あ~、またやってしまった。あの時にこんなの2度とゴメンと思ったのに」と自分1人で笑ってしまったそうだ。

 そんな思いまでして授かった子供であれば、どうしても大切なものの順位に変動が起こる。それまでどんなに大変な思いをして積み上げてきたキャリアであれ、どんなに愛していた夫であれ、ありとあらゆるものを押さえて子供がダントツに大切なもののトップに躍り出る。キャリアチェンジだろうと、ライフチェンジだろうと、子供のためなら怖くない。

 「子供のため」であれば、仕事を辞めることも、引っ越しをすることも、厭わない。どんなに周りから「やり過ぎだ」と批判されても関係ない。たとえ世界中の全員を敵に回すことになっても、子供を守る。どんなに他人に理解されなくとも、自分が「この子のために最善だ」と信じたことをやり遂げる。我が子への思いは、逆境になればなるほど強まるものなのだ。

 ちなみに私の友人は、40歳という年齢を迎える時、「どうしても私、変わりたいの」とシングルマザーになった。

 彼女がどう「変わりたかった」のか分からないし、どんなジレンマを抱えながら40歳を迎えたのかも分からない。いや、それ以上に「人生を変えたくて子供を産む」という選択には、おおいに異論反論があるに違いない。

 それについてとやかく言うつもりもないし、私自身が彼女の選択について、意見することも、同意することもしなかった。でも、きっと彼女がそんな無謀とも思える選択をしたのも、彼女も私同様、「子供を持つこと」で何が起こるかを、無意識に想像できたからだと思うのだ。

子供の存在は母親と父親とで異なる

 以前、子供を不慮の事故で亡くしたご両親のストレス調査をしたことがある。子供を亡くした方たちは、一様に「亡くした」ことへの喪失感と、「子供に済まないことをしてしまった」という自責の念を抱えながら、生きていらっしゃった。

 しかもその自責の念は、母親の方が強かった。「私があの子を産んだから、あの子を苦しめてしまった」と自分を責め、どんなに周りが「あなたのせいじゃない」と語りかけようとも、自分を責め続けた。そして、時間が経てば経つほど、その気持ちは弱まるどころか、強まっていたのである。

 やはり女性にとっての子供とは、男性のそれとは明らかに違うように思う。それは決して愛情が多い少ないとか、大切の度合いがどうだ、という類のものではない。言葉にするのも難しい、“何か”があって、その何かが、いわゆる母性なんじゃないだろうか。

 だから、男性にはなかなか理解できないこともあるし、「それってやりすぎじゃない?」と苦言を呈したくなる。“母”というのは、男も女も超えた、特別な生き物なのだ。

 いずれにしても、前述の男性の根本的な戸惑いは、妻に向けられたものではない。妻の「子供のために、仕事を辞めて引っ越しをしましょう」という提案に、真っ向から「ノー」とは言えない自分。「家族がバラバラになることだけは避けたい」という気持ち。

 そして、何よりも仕事を変える、ことへの不安が、彼を戸惑わせていた。

 自分のそれまでのキャリアを生かすキャリアアップを狙った転職でさえも不安になるのだから、全く異なる仕事へ、しかも他人から背中を押されて、となれば、誰だって戸惑う。未知なるものは怖いから。どうなるか分からないから。迷うのは当たり前だ。

 ただ、結論から言ってしまうと、悩んでいる時こそ前に踏み出すべきだと思う。

 だって、「あ~、あの時にやっておけばよかった」と思うくらいなら、やって失敗した方がいいし、時間は巻き戻すことはできないけど、失敗は取り返すこともできる。迷いは、次なる道のシグナルなのではないだろうか。

 「え~。でも、転職をして後悔する人って多いじゃないか」

 そう反論する人もいることだろう。

 確かに、「転職=バラ色の人生」ではない。2008年の調査ではあるが、ソフトバンク・ヒューマンキャピタルが行った『社会人の転職に関する調査』でも、32.1%の人が「後悔した」と回答し、当時「転職は慎重に!」との意見が巷を駆け巡ったこともあった。

 もちろん何でもかんでも転職をすればいいってもんじゃないし、 「今がイヤだから」と、逃避行動的に転職やキャリアチェンジをするのはいただけない。 仕事を辞めるのは、最後の切り札のようなもので、最後の最後で使えばいいとは思っている。

 だが、3人に1人が後悔しているということは、全体の半数以上の人が、「後悔してはいない」ということでもある。「良かった」とか、「最高!」とは思えなくても、自分の決断に納得している。歩き出したことを、以前とは変わったことを受け入れているのだ。

 新しい環境に適応することはストレスフルで、そこに行く前に抱いていた期待が裏切られることは多い。どんな仕事であれ、外から見るのと中に入って見える景色は全く違うから。「あ~、こんなはずじゃなかった」と天を仰ぎたくなることもあるだろう。

 でも、そこには思いがけない発見もある。新しい出会いや人間関係、新たな出来事。失うもの以上に、得るものがある。それまで見えていなかった景色が見えてくることで、新たな“自分”に出会うことだってある。

 人間って、人によって作られるというか、開拓される部分って多分にあると思うのだ。優しい人たちに囲まれれば、何となく自分も優しい人になれるし、イライラした集団に囲まれれば、自分も攻撃的になる。それにそれまで当たり前だと思っていたことを、新しく出会った人が、「それってすごくない?」と認めてくれることもあるかもしれない。

 仕事を変える、働く場を変える、人間関係を変える、ことは、想像しなかった自分を見つけるきっかけになる。

 頭であれこれ考えると、にっちもさっちも行かなくなって心は固まるばかりだ。まずは、1歩を踏み出す。ガチガチに固まった心を解きほぐすためにも、とにかく動く。自ら足を踏み出すことさえすれば、気持ちは必ずついてくる。

 それに、全く違う仕事であっても自分が一生懸命やってきたことは、不思議とつながるものでもある。私自身、「CA(客室乗務員)→お天気キャスター→そして今」と、まるで違う畑を歩いてきてはいるが、思いがけないところで、過去の経験が生かされる。

 例えば、民間の気象会社に入って日常でおなじみの気象の変化が生じている対流圏(空気の対流で風が吹いたり、雲ができたり、雨が降る)の高さが、赤道付近では中緯度よりも高いことを知ったのだが、冬場のアメリカ路線や南半球に向かうシドニー線で、まさしくそれを体感していた。

 その実体験は、天気を伝える時にも役に立った。また、今ストレスの話をする時、「ストレスは人生の雨」と例えているが、それもお天気の世界に携わった経験から考え出した言葉だ。

 それに、「仕事」ってその先にあるものにたどり着くための手段でしかないのではないか。

 例えば、米スターバックスの会長であるハワード・シュルツ氏は、「私たちはコーヒーを売っているのではなく、コーヒーを提供しながら人を喜ばすという仕事をしている」と豪語し、スターバックスは喜びを売る場であるとしている。

 恥ずかしながら私も、その先のものを追いかけていた結果、「CA(客室乗務員)→お天気キャスター→そして今」となっただけ。周りから見ると、「この人、いろいろやってる~」と思われるかもしれないけれど、本人にとっては“一本道”。たまたまいろいろやることになっただけなのだ。

いくつになっても、自分がいる意味は見いだせる

 おそらくどんな人であれ、どんな仕事に携わっている人であれ、職場や職種は、真の仕事をするための手段で、その先にその人なりの、仕事に求めていること、やりたいこと、があるんじゃないだろうか。

 それが、何か、ということさえ、自分で見つけることができれば、いくつになっても、いかなる新天地に行ったとしても、そこにいる意味を見いだすことができるはずである。

 “何か”はどんな環境に移ろうとも、捨てなくていいし、自分がしっかり持ち続ければいいだけだ。

 そして、歩き出す前には「つながるはずがない」と信じていた点と点がつながった途端、それは自分だけの強みになる。年を重ねていれば、重ねた分だけ点もたくさんあるのだから、若い時よりもその点がつながる可能性は高いことだろう。

 その点を結びつけようとする貪欲な気持ちさえ忘れなければ、変わる、ことは、進化すること。多分、子供を持った女性は、進化し続けているのかもしれない。ってことは、私はいったい……、少しばかり焦ったひとときであった。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2011年06月20日 12:41

ホントにそんなんでいいのおっ!?

...nothing to say...

Posted by nob : 2011年06月20日 00:52

法的整理、、、東電賠償の第一歩。。。

■原発事故賠償—東電は法的整理の道を

 福島第一原発事故の被災者に対する東京電力の損害賠償を支援する法案が、14日にも閣議決定される。

 株主や、貸手である金融機関の責任を問わず、東電の温存を前提とした今回の政府案は、当初から多くの問題点が指摘されてきた。

 にもかかわらず、ここにきて法案の決定を急ぐのは、事故対応に追われる東電の先行きに不透明感が強まる中、政府の関与をあらためて示しておく必要があるとの判断からだという。

 だが、国会は菅直人首相の退陣表明をめぐって紛糾が続く。賠償関連法案についても自民党は別途、議員立法を提案するなど対抗する姿勢を見せており、政府案が成立する見通しは立っていない。

 そもそも政権内に、本気でこの賠償策を進めようという意志が見えない。「東電が株主総会を乗り切るための時間稼ぎ」との声すらある。早晩行き詰まるのは目に見えている。

 ここは、やはり法的整理へと踏み出すべきだ。

 賠償金総額は東電の支払い能力を超えることが確実で、東電は事実上の破綻(はたん)状態にある。不足分はいずれ電力料金か税金により国民が負担することが避けられない。

 そうであれば、破綻の手続きを踏み、透明な手続きの中で株主や貸手にも責任を分担させ、少しでも国民負担を小さくするべきだ。

 当初、影響が懸念されていた金融市場は、東電株の下落などを通じて破綻を織り込みつつある。むしろ、地域独占の電力会社が、巨額の負債を抱えながら何年も国の管理下におかれる弊害のほうが心配だ。

 設備投資が抑制され、人材が流出していけば、肝心の電力供給に懸念が生じ、日本経済にさらなる打撃を与えかねない。

 東電以外の発電業者に事業拡大や新規参入を促し、電力の安定につなげる。同時に再生可能エネルギーへの投資・普及などを通じて経済を活気づける。こうした改革を進めるためにも、東電という組織の維持にこだわるのではなく、東電が培ってきた技術や資産、人材の有効利用を考える方がずっと生産的だ。

 ただ破綻処理をすると、法律的には賠償債権もほかの債権と同様、一律に削られることになる。そこは新たな立法などで、被災者が正当な金額を受け取れるよう、不足分を国が保障する措置をとる必要がある。

 賠償対象の決定や東電の資産査定と並行して、枠組みの抜本的な見直しを求めたい。

[朝日新聞]

Posted by nob : 2011年06月17日 12:34

頑張れ、、、応援します。。。

■「脱原発」一斉提訴へ

 原発の運転停止を求める訴訟にかかわる弁護士らが十六日、東京・霞が関で記者会見し、秋以降に全国の原発がある地域で、新たな差し止め訴訟を起こすと発表した。

 七月に脱原発全国弁護団を結成する予定で、浜岡原発訴訟の河合弘之・原告側弁護団長らが五十人余の弁護士に参加を呼び掛けている。イタリアなど世界的に反原発の動きが強まる中、脱原発運動の全国規模への拡大を狙う。

 今後の訴訟では、原発の全電源の長時間喪失について「考慮する必要はない」としてきた国の安全評価審査指針の誤りを指摘し、「地震や津波が多い日本で原子力発電はいけない」と訴える。福島県出身で呼び掛け人の一人、小野寺利孝弁護士は「司法を動かし、脱原発の流れを促進したい」と話した。

[東京新聞]

Posted by nob : 2011年06月17日 12:23

信頼と安心の欠落が、、、預金と資金太りを加速する。。。

■企業の手元資金が過去最高に=大震災受け初の200兆円超え−3月末

 日銀が17日発表した2011年1〜3月期の資金循環統計によると、メーカーなどの民間非金融法人が3月末に保有する現預金は前年度比7.1%増の211兆1236億円に増加し、初めて200兆円の大台を超えた。

 東日本大震災の発生後、企業が手元資金を積み上げる動きを急いだためで、日銀では「不測の事態に備え、特に流動性の高い現預金を集める動きが出た」(調査統計局)と分析している。

[時事通信]

Posted by nob : 2011年06月17日 12:17

線量の計測すらもままならないのに、、、そもそも管理などできようはずもない。。。

■福島第1原発:作業員内部被ばく100ミリシーベルト限度

 東京電力福島第1原発の緊急作業で、被ばく線量が限度の250ミリシーベルトを超えた東電社員が新たに6人判明し、計8人となった問題で、細川律夫厚生労働相は14日、内部被ばくで100ミリシーベルトを超える作業員を作業から外すよう東電に指示した。同省は13日に内部被ばくと外部被ばくを合わせて200ミリシーベルト超の東電社員ら計12人を外すよう指示しており、東電は厚労相の指示を受けてさらに20人前後を作業から外す見通し。【井上英介、岡田英】

 ◇厚労相、東電に指示

 細川厚労相は14日の閣議後会見で「250ミリシーベルトを超えるような方がさらに増えたのは大変遺憾に思っている」と不快感を表明した。同省は今後も、内部被ばく100ミリシーベルト超で緊急作業から外すよう東電を指導していく。

 緊急作業での被ばく問題で同省は、東電の40代と30代の男性社員2人の被ばく線量計が精密検査で600ミリシーベルト台だったとして10日に是正を勧告。さらに13日、震災発生時から緊急作業に従事していた東電社員や協力会社員2367人の簡易検査結果の報告を東電から受け、この中で内部被ばくと外部被ばくの合計で250ミリシーベルト超が新たに6人判明した。

 報告ではこのほか200ミリシーベルト超~250ミリシーベルトが6人▽150ミリシーベルト超~200ミリシーベルトが21人▽100ミリシーベルト超~150ミリシーベルトが67人。合計200ミリシーベルト以内でも内部被ばくだけで100ミリシーベルト超の該当者は20人前後に上った。厚労相は内部被ばくが深刻に影響しかねない点を考慮し厳しく指導する姿勢を示したとみられる。

 同省によると、原発事故を収束させる緊急作業には、震災以降これまでに計約7800人が従事。東電は、このうち線量が高いとみられる震災直後から従事していた3726人について暫定的な被ばく線量の確定を急いでいる。しかし、震災発生から3カ月が経過した13日の時点でも報告は2367人どまりだ。

 今後の作業への影響について松本純一原子力・立地本部長代理は会見で「全面マスクなど放射線管理はしており、現在の作業状況からみると、作業員が足りなくなる事態にはない」との見方を示した。

 ◇解説…防護策の徹底求め

 厚生労働省が作業員の「内部被ばく」の線量が100ミリシーベルトを超えた場合、緊急作業から外すよう東電に徹底させたのは、緊急時の特例として引き上げられた線量限度250ミリシーベルトを超えた作業員8人のうち、内部被ばく量だけで上限を超えていたのが6人に上るなど、東京電力の管理の甘さにある。

 内部被ばくは、放射性物質を吸い込むなどして体内で継続的に被ばくする。時間と共に排せつされ、排せつも含めた「半減期」は成人ではヨウ素131で約7日、セシウム137で約90日だが、白血球の一時的な減少や、がんの発生確率がわずかに上がる恐れがあり、健康への影響が心配される。

 内部被ばくは「ホールボディーカウンター」という機器で測定する。しかし、福島第1原発にある4台は空気中の放射線量が高すぎて正確に測定できず、主に福島県いわき市の東電施設2台でしか検査できない。結果が判明するまで約1週間もかかるなど実態把握が遅れている。

 今回の厚労省の指示は、東電の管理体制が不十分なためのものだが、検査や対策に手間取れば今後の作業への影響が懸念される。東電には長期にわたっての健康管理はもちろんのこと、再発防止のため防護策の徹底が求められる。【奥山智己】

[毎日新聞]

Posted by nob : 2011年06月14日 13:34

拍手!!!

■伊、原発再開を断念…国民投票「反対」9割超

 【ウィーン=末続哲也】原発再開の是非を問うイタリアの国民投票は13日、2日目の投票が締め切られ、伊ANSA通信が伝える投票率は約57%で、国民投票は成立した。

 出口調査によると反対票は9割を超すと見られ、再開反対派の圧勝が確実な見通しとなった。ベルルスコーニ首相は13日、投票終了を待たずに「イタリアはおそらく原発計画と決別し、再生可能なエネルギー分野の開発に取り組む必要があるだろう」と原発再開断念の意向を表明し、事実上の敗北宣言を行った。

 福島第一原発の事故後、原発をめぐる国民投票が行われたのは初めて。欧州ではスイスとドイツ両政府が将来原発を廃止する方針を決めており、イタリアの原発拒否の立場が固まったことで欧州各国で反原発世論が勢いづく可能性もある。

[読売新聞]


■イタリア国民投票 反原発が圧勝見通し 首相「さよなら言わねば…」

 【パリ=山口昌子】イタリアで12日から2日間にわたり実施された、原子力発電再開の是非を問う国民投票は13日午後、即日開票された。投票率50%以上で成立するが、ANSA通信によると、内務省は暫定投票率が約57%に上ると発表。原発再開を目指していたベルルスコーニ首相は同日、記者会見し、「イタリアは原発にさよならを言わなければならないだろう」と述べ、敗北を事実上認めた。

 3月の福島第1原発事故以降、原発をめぐる国民投票は世界で初めて。ANSA通信によると、同国の民間世論調査会社は、反原発票が92%を上回るとの見通しを示した。

 今回の国民投票に当たり、「原発再開」反対の世論を覆すのは難しいと判断したベルルスコーニ首相は、反原発の勢いが収まった後で改めて再開を狙う方針に転換、投票を棄権するよう支持者に呼びかけていた。

 イタリアは旧ソ連のチェルノブイリ原発事故後の1987年に国民投票で原発廃止を決め、90年までに全4基の原発を閉鎖した。ベルルスコーニ政権は2008年、一部電力を隣国フランスなどからの輸入に頼っている現状を憂慮し原発再開を表明。しかし反対する野党側が署名を集めて国民投票に持ち込んだ。

 欧州では福島原発事故後、ドイツとスイスが将来の原発停止を決めている。イタリアの場合、すでに原発を廃止していたとはいえ、関係各国は、事故後初めてとなる同国の国民投票の行方を注視していた。

 計約140基の原発を抱える欧州において、“脱原発”はまだ少数派だが、反原発が圧勝見通しの今回の投票結果が各国世論に影響を与える可能性はある。

 電力需要の8割近くを原発に頼る仏でも最近、脱原発を求める世論が77%に急伸しているとの仏紙の世論調査結果もある。

 ただし、独やイタリアは脱原発に伴う電力の不足分を、仏などの原発大国からの輸入に頼ることになる。産業用の電気料金の高騰も不可避で、欧州経済への影響も懸念されている。

[産経新聞]

Posted by nob : 2011年06月14日 01:43

想定外は問題外。。。

生じうることを予測することすらできないのが三流

生じうることを回避できないのが二流

想定外のことが何も起きないのが一流

Posted by nob : 2011年06月13日 22:05

今更、、、当たり前のこと。。。

■高濃度のストロンチウム検出 福島第一の地下水や海水

 東京電力は12日、福島第一原発の地下水や周辺の海5カ所から、放射性ストロンチウムを検出したと発表した。海では基準の濃度限度の240倍の地点もあった。ストロンチウム90は半減期が約29年と長いうえ、体内に入ると骨にたまる傾向がある。

 これまで原発敷地内の土壌からは検出されていたが、地下水から見つかるのは初めて。5月18日に採取した1号機付近の地下水からは、ストロンチウム89が1立方センチあたり0.078ベクレル、90が0.022ベクレル検出された。2号機付近の地下水は89が19ベクレル、90が6.3ベクレルだった。原発事故で放出され、雨水などとともに空気中や地表から流れ込んだとみられるという。

 5月16日に採取した1~4号機の取水口近くの海水でも、ストロンチウム89が基準の濃度限度の26倍、90が53倍を検出。2号機取水口付近ではそれぞれ67、117倍、3号機取水口付近では80倍、240倍を検出した。

[朝日新聞]

Posted by nob : 2011年06月13日 00:57

まだ見えていないものを、、、

見つけ出さんとあがき続けることが

前向きに生きていくということ。。。

Posted by nob : 2011年06月11日 01:34

見えているものは、、、

みな過去のものである。。。

Posted by nob : 2011年06月10日 23:21

そのとおり!!!Vol.13

■「私も、被ばくした」——蓮池透が語る、原発労働の実態

 北朝鮮による拉致問題が注目されたとき、被害者家族として“時の人”となった蓮池透さん。しかし彼が東京電力で、しかも福島第1原発で働いていたことを知っている人は少ないだろう。

 蓮池さんは原発でどのような仕事をしてきたのだろうか。また今回の大惨事を、どのように見ているのだろうか。

※本記事は6月4日に開かれたシンポジウム「そこで働いているのは誰か——原発における被曝労働の実態」の講演内容をまとめたものです。

多くの人が原発で働き、被ばくしている

 私は1977年から2009年まで、東京電力で働いていた。その間、原子力発電所や核燃料リサイクル業務を担当。最初の赴任先は福島第1原発で、そこで3年半ほど計測制御装置の保守管理などを行っていた。例えば原子炉の水位や圧力、中性子などを計測していた。

 その後、本店に配属され、再び福島第1原発に戻った。2年半ほどいたが、そのときには発電所全体の安全統括を担当。定期検査の結果を旧通産省に報告したりしていた。

 もちろん原発の中で、いろんな労働者がいたことは知っている。下請けとして1次、2次、3次、4次……一体何次まであるのか分からないくらい、たくさんの人が原発で働き、彼らが被ばくしている事実を知っている。原発は定期的に検査を行うが、そのとき東芝や日立などと作業契約を結ぶ。しかし東芝や日立の人が契約書にサインするわけではなく、そこからいろんな会社に作業が流れていくのだ。

 東電の人間が原子炉内で作業することはなく、あくまで「管理員」という立場。どういう作業が行われているのかを、最終的にチェックしている。簡単に言えば自分たちがお願いした作業が、ちゃんとできているのかをチェックするのが主な仕事だ。

 作業員名簿にはいろんな人たちの名前が掲載されている。しかしそれはリストがあるだけで、その人がどういう人なのか——ハッキリ言って分からない。街中で電柱の作業をしている人を見かけることがあるが、そこでも東電の人間が直接手をくだすことはない。電柱工事についても「管理員」という立場で、作業がちゃんとできているのかをチェックしているだけだ。

私も、被ばくした

 私は福島第1原発に、計7年ほどいた。そして、被ばくもした。通算で90〜100ミリシーベルトほど、あびている。もう私の命もあまり長くはないかもしれない。

 現場では放射線量をたくさんあびた人間は「女の子しか生まれない」という噂がある。私も子どもが3人いるが、全員女の子。もちろん噂話のレベルだが、このほかこんな実話がある。作業員は放射線の異常を知らせるアラームメーターが鳴ると仕事ができなくなる。なのでアラームメーターを外に置いて作業していた。昔は頻繁に、こうしたことが行われていた。

 新入社員で原発に配属されると、先輩から「鍛えてやる」と言われた。そしてアラームメーターなどを持って、放射線量の高い場所に連れていかれるのだ。私は福島第1原発1号機にある廃棄物処理建屋というところに連れていかれた。配管をまたいだとたんに、アラームメーターから「ビーッ」という音が鳴った。このように新入社員は“みそぎ”のようなものを受けさされるわけだが、今振り返ってみると「随分無駄な被ばくをしたなあ」と感じている。

 私が入社したころはトラブルがあって、原発はほとんど動いていなかった。原子炉に直結している配管にヒビが入っていて、その配管を交換しなければいけなかったのだ。その作業を誰かがしなければいけないのだが、そのとき米国のGEは、たくさんの黒人を連れてきた。当時、黒人には放射線量をどのくらいまであびることができるのかといった制限がなかったので、彼らを連れて来たのだろう。

「事故は起きない」という“神話”は崩壊した

 福島第1原発で事故が起きたわけだが、いまでも周辺の放射線量は高い。私は主に3号機を担当していたが、今では見るも無残な姿。個人的には残念で、かつ心配な気持ちが強い。

 福島第1原発から海を見ると、波は穏やかなことが多いので、まさか、あれほど巨大な津波が襲ってくるなんて想像もできなかった。1つの原子炉で炉心損傷が起きる確率は年間で10のマイナス6〜7乗、つまり100万年、1000万年に1回程度と説明されていた。

 今振り返ってみると「なんだ、この数字は?」と思うのだが、当時は「炉心損傷なんで起こり得ない」と思っていた。しかし今回の事故で、その“神話”は崩壊した。工学的に炉心損傷は起こりえないわけだが、さらに安全性を高めるために、東電はアクシデントマネジメントという方策をとった。10年ほど前のことだったと思う。

 このアクシデントマネジメントというのは原子炉を冷却する電気系統が使えなくなったときに、消防用の消火水を原子炉の中に注入したり、原子炉格納容器から蒸気を抜く「ベント」をしたりするもの。この対策をとることによって、原子炉での炉心損傷が起きる確率が10のマイナス6〜7乗から、さらに 20〜30%安全性が高くなると言われていた。

 原子炉の安全設計というのは「多重防護」といって、何重もの対策をとっているのが特徴だ。徐々に事態が悪化していくというシナリオがあって、第1 の壁が破られれば、第2の壁が守る。それが破られれば第3の壁があり、それが破られれば第4の壁があるといった感じ。原子炉は多重に防護していて、もちろん運転マニュアルもあった。何かトラブルが生じればこういう操作をする、悪化すればこういう操作をする、さらに悪化すればこういう操作をする——。このような段階的なマニュアルがあったわけだが、今回の事故は何段階もあるバリアが全く機能しなかった。通常運転から最悪の状態に一気にジャンプアップしてしまったことが、大きな問題だ。

 炉心損傷は起こりえないはずだったが、より安心・安全のために行っていたアクシデントマネジメント。今回、事故が起きたとき、消防用の消火水を注入し、ベントをした。ところが、水がなくなった。マニュアルには「原子炉に海水を注入する」などと書かれておらず、海水を注入するということは、東電の財産を捨てることを意味する。「海水注入が55分間中断した、しない」という“すったもんだ”の話があったが、そもそも海水を注入するというマニュアルはなかったのだ。

 ベントをすれば、格納容器の圧力は下がり、爆発する可能性は低かった。ところが1、3、4号機では原子炉建屋が水素爆発した。原子炉建屋が水素爆発することを、東電は全く想定していなかったのではないだろうか。格納容器内の水素濃度が高くなったときには、それを下げる術はある。ところが原子炉建屋が水素爆発するというシナリオは誰も考えていなかったはずだ。

 東電は「なぜ建屋が水素爆発したのか?」という問いに答えていない。私は、このことがとても気になっている。また「格納容器をベントしなければいけなくなったときに、なぜ格納容器の中の圧力が上がったのか」——このことも全く説明していない。今後、このことは明らかになっていくだろうが、どうも情報の出し方がスムーズでなく、かつ一元化されていないことが問題だ。

 民主党の細野首相補佐官をメインにして、東電、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、文部科学省が一緒になって会見している。最長5時間の会見もあった。私は「情報の一元化をすべきだ」と訴えてきたが、あの会見は場所を一元化しただけで、情報は全く一元化されていない。

原子力政策は見直すべし

 東京電力福島第1原発で事故が起き、2カ月が経過して、ようやく「メルトダウン」という言葉が出てきた。もし事故が起きた3月11日に「メルトダウンした」と発表していたら、日本は大変なことになっていたはずだ。だから東電は「メルトダウン」という言葉を使わなかったのだろう。

 毎日のように原発事故のニュースを見ていて、「もういいや」「もう飽きた」という人もいるのではないだろうか。多くの人が原発事故のニュースに“鈍感”になってきたタイミングで、東電は「メルトダウンしていた」と説明したのだ。

 工学的にメルトダウンが起きる確率は10のマイナス6〜7乗と言われてきたが、それが1度に3機も起きてしまった。これほど大規模な事故が起きてしまった以上、今後の原子力政策はきちんと見直さなければいけない。

 私が最も心配しているのは、菅首相がいつも思いつきでこの問題を語っているのではないか、ということ。例えば菅首相は浜岡原発の運転停止を命令したわけだが、それを聞いて「なんなんだ!?」と思った。「今後30年以内に巨大地震が発生する確率は87%。だから浜岡原発は危ない」という気持ちは分かるが、なぜ浜岡原発を停めて他の原発は停めないのだろうか。菅首相は「国民が騒いでいるから、浜岡原発を停めておけ」といった思いつきで、語っている気がしてならないのだ。

 今後、原発を増設することは難しいだろう。ただ一度に原発を停止してしまうと、日本のエネルギーの需給関係はめちゃくちゃになってしまう。また日本経済はどうしようもなくなってしまうだろう。ドイツのように、日本の原発もフェイドアウトするしかない。何年後かに原発依存度を低くしていかざるを得ないわけだが、フェイドアウトしていく分を他のエネルギーで賄わなければいけない。代わりのエネルギーは水力なのか、火力なのか。水力は開発しつくしているし、火力はCO2などの問題がある。

 菅首相は「1000万戸の屋根にソーラーパネルを設置する」と、また思いついたことを言っている。原発をフェイドアウトしていくのであれば、新エネルギーに対してもっと予算をつけなければいけない。もっと効率の良い太陽光パネルや風力発電所を作りながら、同時に原発を減らしていかなければいけない。

原発に、将来はない

 私は福島第1原発事故が起きる前から「今後、日本の原発はどうなるんだろう?」と思っていた。今、青森県の六ヶ所村で再処理工場※(1)を動かそうとしている。その工場から出てくる「ガラス固化体」※(2)というゴミをどこに捨てるのか。このことは、まだ決まっていない。

※再処理工場:日本全国の原子力発電所で燃やされた使用済み核燃料を集め、その中から核燃料のウランとプルトニウムを取り出す工場。

※ガラス固化体:液体状の高レベル放射性廃棄物をガラス原料とともに高温で溶かして、ステンレス製の容器(キャニスタ)に入れて冷やし固めたもの。

 青森県六ヶ所村に原発のゴミを貯蔵することはできるが、あくまで一時的なもの。政府は「最終処分場を建設できる自治体は手を挙げてほしい」と公募していて、これに市町村が手を挙げれば、それだけで1億円くらいが入ってくる。ただ今回の事故が起きる前に、手を挙げたところはなかった。事故が起きた今、「ウチの町に最終処分場を作ってください」という市町村は出てこないだろう。原発のゴミを捨てる場所がなければ、下流からどんどんふんづまりになっていって、使った燃料を出せない状況になってしまう。

 使った燃料を出せなくなれば、新しい燃料を入れることができなくなる。ということは“発電ができない”事態になってしまう。私の自論は「原発を増やしていくのはいいが、そのためには最終処分場をきちんと作ってからやってくれ」だ。しかしこれはもう無理だ。

 地元の人に“原子力文化”のようなものを根付かせるには、少なくとも10年はかかる。「邪魔なモノだけど仕方がない。地元住民の雇用にもなる」「いろんな交付金も出る」といった理由を挙げ、地元の人に理解してもらうのには10年ほどかかる。なぜなら何もないところに、いきなり原発のゴミを持って来ることは不可能だからだ。この最終処理の問題を解決しない限り、原発に将来はない。

原発内での作業員が心配だ

 原発内で作業員が被ばくしているが、とても心配だ。今回の事故で、被ばく線量限度の250ミリシーベルトを超えた作業員も出ている。内部被ばくというのは、ものすごく恐ろしいもの。原発作業員は「タイベック」という白色のつなぎを着ていればアルファ線やベータ線を防ぐことはできるが、内部被ばくをしてしまうとアルファ線、ベータ線、ガンマ線すべてをあびることになってしまう。

 福島第1原発では現在、内部被ばくのチェックをしていないだろう。なぜなら内部被ばくを計測できるホールボディカウンターがある建物が、津波でやられていると思うから。もし津波でやられていなくても、ホールボディカウンターという機械はとても敏感で、周囲の放射線量の数値が高ければうまく動かない。今、原発周辺の放射線量はとても高いので、ホールボディカウンターは使えない状態になっているはずだ。

 東電は、ホールボディカウンターで計測した数値を公表しようとしていない。原発で働いている作業員は、できるだけ早くホールボディカウンターで内部被ばくをチェックすべきだ。東電に「内部被ばくの数値を公表せよ」と言っても「これは個人情報にひっかかるので……」といった話になるかもしれない。しかし、この数値は公表すべきだ。

政府はけしからん

 政府は、年間許容被ばく量を20ミリシーベルトに設定したが、これには「けしからん」と思った。何を根拠にかというと、文部科学省は国際放射線防護委員会(ICRP)※の声明をもとにしたという。最近になって「目標を1ミリシーベルトにする」と発表したが、大人、女性、子ども……みんなが20ミリシーベルトというのは、やはりおかしい。

※文科省はICRPの「非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルとして、1年間で1〜20ミリシーベルトの範囲で考えることも可能」とした声明をもとに、暫定的な目安を発表した。

 国や自治体による放射線量の発表は、信頼できない。自分で線量計を購入し、子どもたちが遊んでいる公園などを計測する人が増えてきているようだ。福島市や飯舘村などに行った人に聞いたところ「国が発表している数値よりも、放射線量は3倍ほど高い」と言っていた。赤ちゃん、子どもが心配だ。政府はできるだけ早く、避難を含めて検討すべきだろう。

[Business Media 誠]

Posted by nob : 2011年06月10日 23:00

そのとおり!!!Vol.12

■原発事故が100%起こらないなら、今日から私も推進派
安全な会社は「人は悪気がなくても事故を起こす」と考える
武田 斉紀

ある日、空から石が降ってきた

 都会からそれほど離れていないある村で起こった話だ。台風が去った後、小さなお社(やしろ)があった場所に、真っ暗な穴が開いているのを住民たちが見つけた。

 村人が穴に向かって「おーい、でてこーい」と叫んでみても反響がない。小さな石ころを投げても結果は同じ。そんなある日、一人の男が「この穴を私にくれたら、穴を埋めるだけでなく、別の場所にもっと立派なお社を建ててあげますよ」と言ってきた。彼は穴を村から譲り受けると会社を作り、都会で「原子炉のカスなどを捨てるのに、絶好ですよ」と宣伝して、電力会社と次々と契約した。

 住民はちょっと心配したが、「数千年は絶対に地上に害は出ない」と説明されたこと、また利益の配分をもらうことで納得した。都会をつなぐ立派な道路が作られ、次々とトラックがやって来ては原子炉のカスを捨てていった。穴はいつまでたっても一杯にならないので、いらないものや都合の悪いものがどんどん捨てられた。都会では当時生産ばかりに熱心で、後始末に困っていたものが山ほどあったので、都会の住民たちは安心した。

 それからずいぶんたったある日のことだ。建設中のビルの上で作業員がひと休みをしていたら、頭上から「おーい、でてこーい」という声がして、小さな石ころが降ってきた──。

 ここまで読めば、「あれか」と思い当たる方も多いかもしれない。これは、ショートショートという短編で知られる作家、星新一さんの作品『おーい、でてこーい』の粗筋だ。

 この作品が短編集として発表されたのはホームページによれば1961(昭和36)年。日本で最初の原子力発電が 1963年に成功し、営業運転が開始されたのが1966年のことだから、まさに原子力黎明期のころだ。日本は高度成長期の真っ只中にあり、まだ公害問題さえも公になっておらず、エコ(エコロジー)や環境問題という言葉さえなかった。星さん(1997年に他界)の先見性には驚かされる。そして読み返すほどに、そら恐ろしさが増していくのだ。

 半世紀50年がたった。今や原子力発電は、日本の発電量の約30%を占める一大産業となった。電源開発(東京都中央区)のリンク集を見るだけでも、多くの企業・団体がかかわっていることが分かる。日本は原子力発電設備では米国、フランスに次いで世界第3位、主要国の総発電量に占める原発の割合でも、フランス、韓国に次いで第3位に付ける原発大国になった。

 私は先日、星さんの『おーい、でてこーい』が中学校の英語教材になっているのを見つけた。その瞬間、今回の原発事故を想起した。そして先人の思いを無駄にしないよう、私なりの視点から書いてみたいと思った。

 ただし今回のテーマは「現時点での原子力発電の是非」についてだ。私の結論はタイトルの通り。「原発事故が今後100%起こらないと証明できるなら、今日から原発推進派になる」だ。でも万に1つでも起こる可能性があるなら推進派にはなれない。原発推進派である同盟国・米国や原発大国のフランスなどには、この問題において背を向けることになるが、自分と家族と国民の命には代えられない。

 原発事故が万が一起こるならと書いたが、事故はこの日本で現在進行中だ。故郷を追われ、友人とも離れ離れになって、慣れない土地での生活を余儀なくされ、安住の地さえ見つかっていない人々がいる。原発の近くでは日々放射能におびえている人々がたくさんいる。子供たちは、長袖に帽子やマスク着用で学校に通い、教室では窓を閉め切っての学習を強いられている。外遊びも制限されているようだ。

 そんな状態で、まだ推進しようとしている人がいる。彼ら自身とその家族がフクシマにいても、同じように推進しようと言えるのだろうか。答えがイエスならば、今すぐに地元の人たちと代わってあげてほしい。原発推進の話はいったん停止するべきだ。今後の話は、せめて事故が解決して、もう事故は100%起こらないと証明できてからではないのか。

原発事故はほかの事故とは全く“規模”が違う

 東京電力が今回の地震や津波を想定できたかどうか、対策が十分であったかどうかが検証されている。補償を東電がするのか国がするのかという点では、全国民にとっても大きな関心事だ。しかし原発事故そのものにとっては、想定できたかどうかは問題ではない。今後も事故は起きるのか、それとも起きないのかだ。

 テレビに登場する原子力の識者と言われる皆さん(ほとんどは推進派)は、津波は想定外だったとしたうえで、「○時間以内に電源が確保できていれば事故は防げた」「当初にこうした対応をしていたら事故にならなかったかもしれない」と主張する。今回来日して事故調査に当たったIAEA(国際原子力機関)は、津波に対する想定の甘さを指摘し、原子力安全・保安院の独立性を含めて安全対策が十分でなかったと指摘した。

 私は報告書の内容に異議を唱えようというのではない。ただIAEAは核保有国と原発保有国および今後原発を検討している国から構成されていると聞く。つまり推進派だ。報告書の趣旨は、「日本で起こった原発事故を教訓としながら、原発を推進していこう」ということだ。

 私はテレビに登場する識者にもIAEAにも質問したくてしょうがなかった。「ところでそうした手を打てば、原発事故は今後100%なくなるのでしょうか。99.9%ではなく100%ですよ」。

 100%にこだわっているのには理由がある。原発事故が及ぼす危険性は、ほかのどんな事故とも全くレベルが違うからだ。自動車、鉄道、船、そして飛行機。それぞれの事故で亡くなられた方、ケガをされた方には大変失礼な言い回しになることをお許しいただきたいが、原発事故はそれらとは被害の規模が違う。原発のメリットを置いて言えば、生物兵器に近い。

 生物兵器は人類を大量破壊するが、一気に広がらなければ対処法も考えられる。だが放射能はそうはいかない。福島第1原発事故で分かるように、いったん発生したらすぐには止められないし、発生した放射能は容易になくならない。元素によっては何十年、何百年と被害は続く。しかも大気によって運ばれて国土の広範囲に降り注ぎ、さらには近隣諸国だけでなく世界を巡る。最悪の場合は、地球上からすべての生き物が消えてしまう可能性だってある。

 そんなレベルの事故が、人類史上においてかつてあっただろうか。一度でも起きてしまうと、被害の大きさでいえば明らかに“規模”が違う。

 いやそれでも、原発にも希望はある。事故を100%防げればいいのだ。リスクを除けば、原発が国民や世界の人々にとってメリットがあることはよく分かっているのだから。

 電気料金の国際比較にはさまざまなデータが流れている。某テレビ番組では日本のそれは世界一高いと言っていたが、イタリアに次いで高いというデータもあれば、政府の資源エネルギー庁は『エネルギー白書2010』の中で(ページ内一番下)、日本の電気料金は国際的に見て高くないと主張する。誰が本当のことを言って、誰が国民を欺こうとしているのか。少なくとも一国民には、世界的に見ても安心安全な水が安く手に入るほどに電気料金が安いという実感はない。

 原発はCO2(二酸化炭素)をあまり出さないから環境にも優しいというが、それは発電中だけの話らしい。核燃料を作る、使用後の燃料を処理する、また原発を廃炉にするには少なからぬCO2が発生するようだ。そう考えれば太陽エネルギーなどの新エネルギーの出番だが、原発推進派の人は「だって新エネルギーでは原発の代替ができないじゃないか。だから原発が必要なのだ」と訴える。

 確かに“現時点では”そうなのかもしれない。でもだからといって、自分と家族を命の危機にはさらせない。

人間は100%ミスをする、だから原発事故はなくならない

 これまで事故のなかったものが、世の中に存在するだろうか。

 先ほど挙げた自動車、鉄道、船、飛行機。いずれを取っても事故はゼロではない。どんな対策を練っても、永久にゼロにすることは不可能だ。それらの事故は一定の割合で確実に発生している。

 事故はそれだけではない。ユッケ肉事件などに象徴されるように、食の分野でもなくならない。季節になれば毎年、フグ中毒やキノコ中毒で死者が出たとニュースが流れる。電気製品や機械の使用を誤っての事故など、意図しなくてもミスによる事故は身の回りにあふれている。

 比較的最近に登場したコンピューターではどうだろう。ホームページの更新をしたことがある人なら分かるはずだ。専用のHTML言語を正しくいじったはずなのに表示されない。あらゆる可能性を試したが、やはり表示されない。「こいつ(コンピューター)、絶対におかしいよ!」と毒づいてみるが、結局は人間の負けだ。コンピューターはバカ正直で人間様の言われた通り、素直に動いている。どこかに人間による入力ミスがあるから表示されないのだ。

 震災後に日本を代表するメガバンク、みずほフィナンシャルグループがシステムトラブルを起こし、トップが交代するに及んだ。会社側は義援金の申し込みが想定を超えていたと説明したが、少なくともほかのメガバンクでは起こっていない。想定するのも人間、あらかじめ準備をしておくのも人間だ。そこでミスが起こっていて、トラブルにつながっている。さらには事後の対応ミスがトラブルを拡大した。すべて人間のせいだ。

 私は以前に勤めていた会社で、コンピューターシステムとマーケティングを融合した新ビジネスを立ち上げた経験がある。その際にもミスが頻発した。立ち上げ期で慣れていなかったのもあるが、ミスが起こるたびにクライアントに頭を下げ続けながら私は1つの確信を得た。それは「ミスや事故はゼロにはできない前提で対処する」ということだった。原因は明らかだった。「人間がかかわっているから」だ。

 「あの人は完璧だなあ」と思える人に巡り合ったことはあるが、「100%ミスをしたことがない人に出会ったことがあるか」と聞かれたら、答えはノーだ。人間はミスをする生き物だ。そして、世の中の事故は、自然“災害”を除けばすべて人間が引き起こしているのだ。

 私が何度も取り上げている、JR西日本が引き起こした福知山線の脱線事故(2005年)の例が分かりやすい。事故後に同社は反省してATS(自動列車停止装置)というシステムを導入したが、ミスはなくならなかった。システムのスイッチを切ってしまう人や無視する人がいたからだ。

 完璧なサイボーグを作ればいい。それを一体誰が作るの? 人間? どんなに100%完璧なシステムを用意できたとしても、人間がボタンを押す限りミスと事故はなくならない。かといって人間がボタンを押さない限りはコンピューターも動かない。結局世の中からミスと事故はなくならないのだ。

 だとすれば企業はどう対処すればいいのだろう。

 震災直後の東京ディズニーリゾート(TDR)を取り上げたコラム『3.11もブレなかった東京ディズニーランドの優先順位』では、同社の危機管理の高さをご紹介した。TDRはこれまで直接死亡につながるような事故を起こしていないかもしれないが、海外のディズニーリゾートでは起こっているし、「今後もゼロです」とは言い切れない。

 そのことがよく分かっているからこそ、TDRは安全第一を単に看板として掲げるのではなく、9割を占めるアルバイトも含めた全員でその重要性を共有している。そのうえで歯を食いしばって、全員で努力し続けているからこそ起きていないだけだ。ケガや食品など、それ以外の安全にかかわる事故は起きている。そのたびにTDRは安全のためのさまざまな施策、システム、社員教育を重ねているが、それでもミスや事故はゼロにはならない。いわんや他の企業をや、だ。

 同社に限らず、安全対策や危機管理がしっかりとできている企業には2つの共通点がある。

そもそも誰のために原発でしたっけ?

 1つは既にお話したが、「人間はミスをするものだ」という前提に立って、あらゆる対策を徹底的に講じていることだ。安全対策や危機管理がしっかりとできている企業は、「ミスや事故は100%なくしたいが、ゼロにはならない」ということをよく分かっている。だからこそ千に1つ、万に1つでも発生しないようにと、日々努力を積み重ねているのだ。

 安全対策や危機管理がしっかりとできている企業に共通するもう1つは、従業員を性悪説で見ていないことだ。東京ディズニーリゾートの取り組みはこの点でもお手本となる。彼らは「人間はたとえ悪気などなくとも、事故を起こす存在である」と考える。だからこそ、それを前提として、安全のためのさまざまな施策、システム、社員教育を二重、三重に用意している。安全を守ろうとする人の力を最大限に生かしながら、それでもミスや事故を起こしてしまう人間をカバーしている。

 にもかかわらずミスや事故はゼロにはならない。

 安全面以外で、もう1つ分かっていることがある。経済的に見て、“現時点で”原発は明らかに採算に合っていない。発電の原価が安いからと始めたのかもしれないが、今回発生している被害と賠償額を考えた時、採算は果たしてプラスだろうか。日本経済研究センター(東京都千代田区)の試算によれば、福島第1原発の事故による廃炉や避難者への所得補償費用は約6兆〜20兆円に上るという。

 間接的な被害まで含めるといくらになるのだろう。東電が普通の企業ならとっくにつぶれている。つぶれないのは、「公共性の高い独占企業」で、最後は政府が面倒を見てくれる関係でありながら収益力が高い。つまりこれまでにもずいぶんと儲けているからだ。

 東電をはじめとする電力各社は、全国や地域の企業の収益ベスト5か10くらいに名を連ねる“優良企業”の常連だ。そんなに国民から電気料金をむしり取って、幹部の待遇と社員の給与と福利厚生、そしてCM代や政治活動などにお金に回す必要があるのだろうか。

 独占企業を許すなら、必要以上の利益を上げないように最初から政府の管理下に置いて、国民が監視すればいい。今より電気料金も下がるだろう。あるいは一定のルールの下に自由化するかのどちらかだ。競争のない社会に発展はない。みんな分かっているのに、どうして電力会社の現状を維持しよう、原発を維持しようという人が絶えないのか。どんなメリットがあるのか? 国民のため? 私には理解できない。

 人間は必ずミスや事故を起こす。それでも自動車、飛行機などを手放すことはできない。フグもキノコも食べることをやめない。事故の確率を思えば、デメリットよりもメリットの方を強く感じているからだ。それらは原発とは違って、故郷に人を住めなくしたり、地球や人類を滅亡させるほどの力はないからだ。

 「原発はなくせないでしょ」が議論の前提になっている人に言いたい。発想を変えて、「原発をゼロにして人類が生きていくにはどうすればいいかを考えようよ」と。原発にそれなりに頼っている国は、最初は苦しいだろう。しかし原発率30%の日本は、この夏に向けて電力25%削減を達成しようとしているではないか。日本人は1つにまとまれるし、我慢もできる。知恵と努力もある。

 「今年はいいかもしれないが、今後の需要を考えれば原発は必須だ。なかったら経済発展できないぞ」と脅されるかもしれないな。そうなると世界に冠たる日本の技術力の出番だ。日本人にはオリジナリティーが足りないと言われるが、世界を驚かせた経験はたくさんある。地場のメーカーには、技術力で世界を席巻している企業も多い。さらに小さな工夫やアイデア、改善技術、チーム力で競わせたら日本企業は世界で一級だ。

 「原発はなくせないでしょ」という固定観念を捨てて、「原発をゼロにして人類が生きていく方法を考えようよ」と提案したい。ドイツやスイスは既に歩き始めている。主要8カ国(G8)首脳会議の参加国の中でも一人じゃない。自国で停止するだけではなくならない地球規模のリスクを、ドイツと組んで働きかけていけばいい。日本が世界をリードできるチャンスだ。

 自民党の皆さんには、原発行政を推進してきた張本人としてまずは反省会を開いたうえで、力を貸してほしい。民主党の皆さんには、原発事故の可能性がゼロにならない限り、“勇気を持って”廃止すると英断してほしい。どちらの党も一番大切なものが「国民の命と安全」だと思ってくれているのであれば。また原発で潤ってきた人たちは、発電自体がなくなるわけではないのだから、「原子力とは技術が違う」などと言わずに、新エネルギー分野で活躍してほしい。

 原発が存在し、人間がかかわっている限り、ミスから重大事故が起こるリスクはゼロにはならない。原発による発電率がこれ以上高くなっていくと、後で「やっぱりやめておけばよかった」は通用しなくなるだろう。今大人たちが、大声を上げるしか道はないのだ。未来を担う子供たちの頭上に、放射線を帯びた石を降らせないために。

★<お断り>サブタイトルでも宣言しましたが、私は「原発事故が100%起こらない」と証明できたら、喜んで原発推進派に変わります。ブレているって? いえ全然ブレていませんよ。私の判断規準は「本当に日本国民と世界の人々のためになることかどうか」ですから。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2011年06月10日 11:42

前提の欠落、、、やると決めてまず始めなければ何も実現しない。。。

■ドイツ「脱原発」 競争力揺るがす政策再転換(6月7日付・読売社説)

 ドイツの産業競争力を奪いかねない重大な政策転換である。

 ドイツ政府は6日、既存の原子力発電所17基を2022年までに全廃することを決めた。1980年以前に建設された古い原発など現在運転停止中の8基をそのまま停止し、残りは稼働期間32年をメドに順次停止するという。

 中道左派連立政権が2002年に法制化した「脱原発」政策への回帰である。

 メルケル首相率いる現在の中道右派連立政権は昨秋、従来の脱原発政策を転換し、原発の稼働期間を平均12年延長する方針をいったん決めた。風力など自然エネルギーでは必要な電力を賄えない、との判断からだった。

 それをわずか半年余りで再度転換したのは、東京電力福島第一原発の事故がドイツ国民に与えた衝撃の大きさを物語るものだろう。事故後のドイツ地方選で、原発早期廃止を訴える環境政党が大躍進し、連立与党は敗北を重ねた。

 原子力は、ドイツの発電量の2割強を供給する重要なエネルギー源である。脱原発で生まれる不足分は、当面は火力発電所の増設などで、将来的には自然エネルギーの拡充で埋めるという。

 だが、その道程には不確定要素が多い。

 増強をもくろむ風力発電はバルト海沿岸など北部に集中し、南部への送電網の建設に多額の投資が必要だ。自然エネルギーの高コスト体質に拍車をかけかねない。

 自然エネルギー特有の供給の不安定さもつきまとう。

 ドイツ産業界が競争力の喪失を懸念する所以(ゆえん)である。ドイツは欧州経済の牽引(けんいん)車だけに、欧州全体の景気も左右されよう。

 ドイツが脱原発へと舵(かじ)を切れるのは、陸続きの周辺諸国から電力を輸入できるからだ。現に今、電力の8割を原発に依存するフランスや旧ソ連型の原発が稼働するチェコから輸入している。

 原発廃棄は決めても、原子力に由来する電力に頼る構図は変わらない。自国の原発技術の売り込みも続けるという。ご都合主義の側面も否めない。

 世界の趨勢(すうせい)を見れば、中国やインドなど多くの国が、増大する自国のエネルギー需要の供給源を原発に求めている。

 島国の日本も、ドイツとは事情が異なる。電力を隣国から買うことはできない。産業競争力を維持するうえで、安全性を高めて原発を活用していくことが、当面の現実的な選択である。

[読売新聞]

Posted by nob : 2011年06月07日 02:14

自らの納得の上にしか幸せはない、、、第三者や組織や社会といった客体的価値評価基準からは納得は生まれない。。。

■上司に理解されない! 40代の切なすぎる“最後の決断”
「出世したがる社員」だけを認める会社のアンフェア
河合 薫

 「会社を背負っていこうっていう気概を持った社員というのがいない。震災以降、一層そういった傾向が強まっている気がしてならないんです」

 先日、ある中小企業のトップの方とお話しした時に聞いた言葉である。

 「会社を背負う」……。何とも重たい言葉だ。

・出世したがらない。
・言われたことしかやらない。
・「会社のために」というロイヤルティーが感じられない。

 こういった話は、震災前からトップや中間管理職が部下たちの言動を嘆く際に、たびたび耳にしてきた。その時のターゲットといえば、20代の若手社員が圧倒的に多かった。

 ところが、「震災以降……」とこぼすこのトップによれば、「年齢に関係なく、と言いますか、40代の社員も含めて、会社(会社の仕事)を収入の手段としか考えない社員が増えている」というのである。

 仕事が収入のための手段であっても、何らおかしなことではない。だが、社員にはレイバー(労働力)として目の前の仕事をこなすのではなく、ビジネスをしてほしい。そう願ってやまないのがトップたちだ。

 「労働」ではなく、創意工夫を凝らしてより付加価値をもたらすビジネスをしてほしい。給料はそのために払っているんだ、と。

 当然、40代の社員たちはそんなことくらい理解していると思っていた。その40代までが「労働に徹しよう」と言うのか? そんな一抹の不安を震災以降に感じることが増えたそうだ。

震災で以前とは異なる風景が見え始めた

 東日本大震災は、それまで見えなかった景色と向き合う大きなきっかけとなった。仕事、家族、会社、自分の働き方、会社との付き合い方、会社における自分の居場所……。

 自分が会社をクビにならなくとも、会社そのものが跡形もなくなってしまうことがある。どんなに働きたくても、どんなに雇い続けたくても、それができない状況に突然陥ることがある。そばにいて当たり前だった家族が、一瞬にしていなくなることがある。

 以前は考えたこともなかったこんな現実を目の当たりにしたのだ。

 会社のためよりも地域のため。仕事だけでなくボランティア。仕事よりも家族。それまでの価値観が変わったことを自覚した人もいれば、何だかモヤモヤした思いを抱き続けている人もいる。それくらい「3・11」はショッキングな出来事だったのである。

 そんな社員たちの微妙な価値観の変化に気づいたトップの嗅覚は、優れている、と捉えることもできるだろう。いやいや、ひょっとするとこの方自身が、将来に対する漠然とした不安に駆られ、社員たちの言動に過敏になっているだけなのかもしれない。

 いずれにしても、私には正直、冒頭のトップの方の言っていることがよく理解できない。そもそも「会社を背負う」とはどういうことなのか?

・「収入以上の仕事をしろ!」ということなのか?
・「もっと経営者目線で働け!」ということか?
・「会社のために誠心誠意を尽くせ!」と、今さら滅私奉公を求めているのだろうか?

 会社の将来を危惧するトップの方の気持ちも、分からないわけではない。でも、「会社を背負う」とか、「会社のために」とかって、その言葉自体が思考停止ワード(関連記事:部下も、上司も、み~んな“思考停止症候群”?!のような気がして、根本的な問題がよく分からないのだ。

 そこで、今回は、「会社との関係」について、考えてみようと思う。

 「何でもっとがむしゃらになれないのか。草食化ってやつなんでしょうか? 管理職試験を受けたがらない傾向は数年前からありまして。このままじゃ、やばいぞと、管理職手当も増やしましたし、試験の回数も増やしました」

 「で、受験者は増えたんですか?」

 「少しはね。上司が引っ張り上げるような努力もしたんで、以前に比べれば意欲の高い若手も出てきました。でもね、やはりそういうタイプは圧倒的に少ない。しかも問題は40代のミドルクラスです。震災以降、明らかにモチベーションが低下している」

 「何か具体的な出来事があったんですか? 仕事をやらなくなったとか、休みがちになったとか?」

 「いやいや、さすがにそういうのはありません。でも、明らかに会社との距離を広げだした。この間も『数年後には転職しようかと思っている』と面と向かって上司に切り出した社員がいまして。放射能のことも心配だし、故郷に住む母親の近くに帰りたいとも言ったとか。ずっと働く気がないと豪語するほど、ヤル気がないのかと。何ともむなしい気持ちになりましてね」

 「御社は、終身雇用を守っているんですか?」

 「何もなければ、普通は定年まで居られますけど……」

 以上が、冒頭の経営トップの方との会話の続きである。

 繰り返すが、トップの方の不安が分からないわけではない。でも、何か話をしていて違和感を覚えてしまったのだ。

 「管理職試験を受けないことは、会社のために働いていないということなのか?」

 「数年後には転職します、と断言することは、ヤル気のない証拠なのか?」

 どうにも納得できなかったのである。

 だって、管理職になりたがらないのには、別に明白な理由がある。簡単だ。下は上を見て、物事を判断している。ただ、それだけのこと。自ら勝手にヤル気をなくしているわけではない。

 「管理職になっても何もいいことがなさそうだなぁ」と見えれば、管理職試験を受けようとは思わない。駆けずり回って、時間外だろうと何だろうとひたすら働く。そんないかにも大変そうな上司の姿を見れば、どんなに手当が増えようとも、それがその大変さに見合ったものでなければ、試験を受ける人が増えることはない。

 「管理職のくせに、何やってんだ? たいして仕事もしていないくせに、会社にしがみついて、カッコ悪いなぁ」と思うような上司がいれば、「ああいうふうにはなりたくない」と思うだろう。部下たちからは、「あんな奴いらない」と陰口をたたかれる上司たちを見ていたら、誰がヒエラルキーの階段を上りたいと思うだろうか。

出世している=仕事ができる、ではない

 それに出世している上司が、必ずしも仕事ができる人、とは限らないということに、部下たちは早くから気づいている。かなり敏感に、会社員の不条理を早い段階で見抜いているのだ。

 私も全日本空輸にCA(客室乗務員)として入社して2年目に、そのことに気がついた。「お客さんにとって良いCAが会社から評価されているわけではない」ということが、下から上を見上げると、実によく分かったからだ。

 評価されて昇進していった人たちは、上司たちとの付き合いを大切にし、飲み会に付き合い、ゴルフに付き合い、上司たちの“仲間”のようにふるまっている人たちだった。組合の仕事をし、休日出勤をし、フライトの後も会社にいつまでも残って、地上勤務の男性上司たちとウダウダと話をしている人たちだった。

 中には、ソムリエの資格を取ったり、チーズの学校に通ったりして、勉強熱心な人もいたけれど、その人たちのお客さんへのサービスが「すごい!」とか、お客さんに対して「優しい」とか、温かみのあるサービスをしていたかというと、疑問である。

 強いて言えば、ファーストクラスのお客さまには、かなり入念なサービスをしているように見えた。そう。ファーストクラスのお客さま“だけ”には、完璧だったように、ペーペーの私には見えた。

 逆に、会社からはあまり評価されず出世とは無縁と見られていた先輩の方が、どのクラスのお客様たちにも、温かいサービスをしていたし、学ぶことが多かった。

 エコノミークラスは座席が狭いので、長いフライトではお客さんも足を伸ばしたくなる。そこで、機内をお客さんがウォーキングできるようにと、ギャレイのカーテンを開けて、ドアサイドに、セルフで飲み物が取れる簡易バーを作る。そういったちょっとした心遣いを教えてもらったこともあった。

 そうなのだ。下から上を見ると、『平等』か否か、『フェア』かどうか、が実によく見える。そして、長く働けば働くほど、平等かどうか、フェアかどうかが自分の問題になってくる。だから、40歳を過ぎれば自分が会社のどの辺りで終わるかは、だいたい分かるのである。

下から見上げると、会社の“真実”が分かる

 どんなにトップがけしかけようとも、下から見上げれば、それが「嘘」であることくらい分かる。会社は必ずしも公平じゃない。正論を言うことはあっても、誠実とは限らない。上が使いやすい人が上がる。自分は、ここで終わる。それは、早く見切りをつけた人ほど分かるのだ。

・最後の最後で役員になれずに、関連会社に放出された人――。
 この男性は年老いた母親に、「あれ? あんたこんなローマ字の多い会社だったっけ? 財閥系に入れたって、父さんが喜んでいたと思ったんだけど」と言われたことがきっかけで、自信喪失しメンタル不全に陥った。

・入社した時から、ひたすら会社が大好きで「会社のため」と働き、それなりの業績も上げてきたのに、48歳の時の上司に「使いづらい」と嫌われ、子会社に転籍になった人――。
 彼女は周りには、「子会社の方が小回りが利いて楽しいよ」と言っているらしいが、それまで1回も欠かすことなく参加していた同期会に、転籍以降は一度も出席していない。

 こんな景色が見えれば、「自分がどうなるか?」くらいは相当に図々しいか、おめでたい人じゃない限り分かるだろう。分かるからこそ、「転職を考えています」などと言うのではないか。「お荷物になる前に、退散します。ご迷惑はお掛け致しません」と。自分の覚悟を告げた。ただ、それだけのことなんじゃないだろうか。

 そりゃあ、「管理職試験を受けない」という選択も、「出世に興味がない」という価値観も、「数年後には退職します」と宣言するのも、トップからすれば面白い発言ではないかもしれない。

 でも、だからと言って、「やる気がない」とか、「会社を背負う気がない」とかと、同義ではない。

 管理職になりたがらなくても、仕事が好きで、会社が好きで、働いている人はたくさんいる。現場が好きで、お客さんが好きで、自分たちの扱っている商品が好きで、自分のためじゃなく、「また、あなたの会社を選びますね」とお客さんから言ってもらえるような働き方をしている人ってたくさんいる。

 「誠実に仕事をこなそう」「ミスがないようにしよう」と一生懸命どんな小さなことにも手を抜かないで、「会社のために」働いている人だって、たくさんいることだろう。 

 そう、彼らは会社を背負っている。会社のために働いている。自分のためだけに働いているわけじゃない。

 何も、「はい! 私は管理職になりたいです!」と豪語する人だけが、頑張っているわけじゃないのだ。

 40代の社員だって同じだ。確かに「数年後には辞めます」なんてことは、わざわざ言わなくたっていいことではある。

 でも、転職を見据えながらも、「そこまで自分のできることを必死にやろう」と思ったからこそ、あえて断言したと捉えることもできるのではないか。 好意的に受け取りすぎだろうか? いいや、40を過ぎれば転職すると公言することが、どれだけリスクがあることか。それくらい分かるはずだ。

 だいたい転職をしてしまう人よりも、会社に残り続ける人の方が、会社のために働いているとは限らない。何もしないでしがみついているくらいだったら、「自分にはこれ以上会社に貢献できる能力はない。だったら、若手に席を譲ろう」と決意した人の方が、はるかに会社のことを考えているのではないか。

パフォーマンスの高い人ほど、自分のために働いている

 しかも、よ~く考えてみてほしいのだ。会社だって、「出世したがる人」だけを求めているわけではないはずだ。出世することも昇給することもなくても、毎日毎日、ほかの人があまりやりたがらない地味な仕事を続ける社員も必要としているはずである。

 会社は、一部のパフォーマンスの高い社員だけが支えているわけじゃない。出世したり昇給したりすることがなくとも、地味な仕事でも、ほかの人がやりたがらないような仕事でも、腹の底から真面目にやり続ける社員こそが、組織の土台を作っている。彼らこそが、「会社のため」に、「会社を背負って」働いているのではないだろうか。

 言い過ぎかもしれないけれど、むしろ、パフォーマンスの高い人の方が自分のために働いているんじゃないかと思ったりもする。「会社のため」ではなく、「自分のキャリア」のために。会社を背負うのではなく、自分のキャリアを積み重ねるために。

 自分たちはどういった人たちを評価してきたのか? 公平に扱ってきたのか? 誠実に評価したのか?

 企業のトップたちはこうしたことを自問して、反省すべきではないか。会社にとって必要なのは、出世したがる社員だけではないということを。パフォーマンスが高い社員だけを求めているわけじゃないということも。

 そして、もし、「このままじゃ会社が……」と危機感を抱くのであれば、パフォーマンスを高める社員と同時に、土台を作っている社員たちの価値を認めるべきだ。「あなた方が必要なんです」と。

 東京電力という大企業を支えていたのは、どんな働き方をしていた人たちか。東京の大企業が使う電気の供給を支えていたのは、どこの人たちか。日本株式会社の土台を作っていたのは、誰なのか? これらの問いを考えれば、答えは明らかなはずである。

 このことに早く気づかないと、彼らは本当に、ヤル気を失い、手を抜くようになるだろう。

 「会社は出世したがる社員しか、人間扱いしないんだ」――。そう感じた途端、誰だって腐る。自分の仕事、自分の存在、すべてに意味を見いだせなくなることだろう。

 意味のないことに精を出す人はいない。自分の存在意味を見いだせない人が、会社を背負おうとは当然思わない。出世したがらないから、意味を失うのではない。出世したがらない人たちを認めない上司が、彼らの意味を失わせているのだ。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2011年06月05日 08:42

解は盾、、、

知は剣。。。

Posted by nob : 2011年06月04日 02:35

nothing can be independent without any change...

変わらぬものはない。。。

Posted by nob : 2011年06月04日 02:34

そのとおり!!!Vol.11

■「福島」について語った山本太郎と室井佑月のその後

 作家の室井佑月が、NHK朝の情報番組『あさイチ』の5月26日生放送にて「子供たちに福島の野菜を給食で食べさせるなんてかわいそう」と爆弾発言し、賛否両論の物議を醸している。言うまでもなく、東日本大震災に伴う福島第一原発不安による風評被害の話題を指しているが、福島県内の放射能について「政府、東京電力の発表よりも危険な状態のはず」と信じる視聴者は室井の発言に賛同し、風評被害に苦しむ県内の農家を案じる人々は、室井発言に真っ向から反発した。

 発言内容の是非はともかくとして、朝の生放送でびっくりさせる発言をカマしてしまった室井の、今後のTV仕事への影響が気になるところである。何しろ、福島問題について積極的に発言していた著名人の仕事にすでに、何らかの影響が出始めているからだ。

 震災後、twitterやYouTubeで常に反原発を表明し、23日には文部科学省前に集い、子供たちへの被曝量制限基準値引き上げ撤回を要求するデモまで行った俳優の山本太郎は、7月から撮影を予定されていたドラマの出演を外されていたことを、26日に自身のtwitterで明らかにした。

 ほぼ同時に発生した室井発言と山本降板事件の余波を受けたのか、現在2ちゃんねるやtwitterを中心に、元プロ野球選手の長嶋一茂が5月22日の『モーニングバード』(テレビ朝日系)出演時に、番組の企画でスタジオに並んだ福島の野菜を前に「俺は食べない。安全かどうかはっきりわからないものをカメラの前で食べて視聴者に安全だというメッセージを送りたくない。これを食べて本当に農家のためになりますか?」と発言したという情報がかなりの勢いで拡散されているが、平日に放送されるはずの『モーニングバード』が日曜日であった「22日」に放送されたという矛盾から、現在ではデマ説が有力となっている。ネットユーザーには冷静な情報の取捨選択が望まれるところだ。

[リアルライブ]


■室井佑月「福島の給食に地元の食材を使うのはかわいそう」 インターネットでは多数賛同する声

作家の室井佑月さんが26日に出演したNHK朝の情報番組『あさイチ』で、「福島県の給食に地元の食材を使うのはかわいそう」と発言し様々なところで物議を呼んでいる。

この発言は福島県が地元食材を給食に使用するという報道に対し言ったもので、室井さんの発言を要約すると以下のようになる。

・福島市の線量は高く、外部被曝だけでなく内部被曝の事も考えなければいけない。
・なるべく被曝量を減らさなければならないのに給食で暫定基準値以下の物を食べさせるのは子供がかわいそう。
・福島の状況を考えると、このような状況で平時よりもはるかに高い放射性物質の残留基準値を設定するのはおかしい。
・放射線の測定高度についてもおかしい。地上18メートルで測定しているが、18メートルも身長がある子供はいない。政府は発表が遅すぎる。
・大人は良いが福島の学校は基準値ギリギリのものでなく、相当基準値より下回っているものを子供たちへは与えるべき。

他のコメンテーターの男性は「安全が確認できた物のみ使用しているので問題無い」と言っていたが、福島県会津地方で基準値を超えたほうれん草が確認され、千葉でも暫定基準値を超えたほうれん草が出荷されたことや、放射線の測定高度が高すぎること、水道水から放射性物質が検出された事実の発表が遅れたことを考えると、室井さんのように不安を覚えている母親は多いはずだ。

また、福島市の環境放射能測定値は現在平常時の毎時0.04マイクロシーベルトよりはるかに高い、1.40マイクロシーベルトが測定されている。このような状況では暫定基準値以下の食品ではなく、子供には放射性物質が全く付いていない食品を食べさせてあげたいと思うのが一般的ではないだろうか。

テレビに届いた食品関係業者からのFAXは「風評被害を生むのでそういった発言は控えてほしい」と書かれていたが、そうであれば食品関係の仕事に携わる企業や国は一刻も早く正確な放射性物質の残留量を細かく定期的に発表し、福島県民を安心させるべきだろう。

「なんで安全なの?」という問いに対し「しっかり検査をしてるから安全です」との答えしか返ってこない現状では、信じるのも無理がある。なお、ネット上では室井さんの発言を支持する声が多く、以下のような声があがっている。
 
「当たり前のこと言っただけだろ。チェルノブイリより強い汚染の可能性のある地域で取れた作物を子どもに喰わすとか、1億総発狂かよ。」
「政府が信用できないからこうなるのも必然だよね」
「子供の命より金が優先される福島」
「汚染野菜の販売を、風評被害に負けない農家として宣伝する狂った世の中。」
「そりゃそうだ。セシウム付いてるのは風評じゃなくて実際そうなんだから。」
「基準内であってもわざわざそれを食べるリスクを冒す必要はない 子どもは成人より放射能の影響も人生も長い」
「風評被害の言葉の意味が「真偽問わずとりあえず自分たちにとって不利な噂による被害」になってる件」
「いやいや正論だわ」
「今のガキに将来日本立て直してもらわなきゃならないんだから大切にしろよ 癌患者だらけとか笑えないだろ」
 
他には福島県産の野菜全てが汚染されているわけではないといった意見もあったが、セシウムなどが入った食品とそうでない食品が分からない現状は無駄な内部被曝を増やさないために、子供たちだけでもなるべく原発から遠い地域の食材を食べさせるべきではないだろうか。特に空間線量の高い福島市であればなおさらだ。

本当に安全なのであれば根拠となる数値を見せて親たちの不安を取り除き、「風評被害」を産まないためにも政府は一刻も早く対策を打たなければ、室井さんのような考えを持つ人たちは決していなくなることはない。

[ロケットニュース24]

Posted by nob : 2011年06月01日 22:24

そのとおり!!!Vol.10

■基準20ミリシーベルトを批判 仏の汚染調査団体

 福島第1原発事故を受け、5月下旬に福島県などで放射線量を測定したフランスの放射性物質の汚染調査団体CRIIRADのシャレイロン研究所長は1日、都内の日本記者クラブで記者会見し、日本政府が計画的避難区域の基準とする年間20ミリシーベルトの積算被ばく線量について「高すぎる」と批判した。

 シャレイロン氏は、事故直後に周辺住民は大量に被ばくしているとみられ、数値をより低く設定する必要があると指摘。「20ミリシーベルトという基準は外部被ばくだけで、呼吸や汚染された食品の摂取による内部被ばくは含まれていない」と批判した。(共同)

[47NEWS]

Posted by nob : 2011年06月01日 22:07