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オウム、拉致、震災、いつも政府も私達国民も所詮は他人事、、、自分事に換置できない想像力の欠落、、、心に沁みる河野さんの在り様。。。
■「特別な思いない」=オウム裁判終結で河野さん—鹿児島
松本サリン事件の被害者河野義行さん(61)が21日、オウム真理教をめぐる事件の裁判が終結したことを受け、還暦などを機に昨年転居した鹿児島市内で記者団の取材に応じ、「2008年8月に妻が亡くなり、自分の中で松本サリン事件は終わった。特別な思いはない」と感想を述べた。
元教団代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)の裁判については、「真実を引き出すためには一番大事な場面だったが、控訴審も行われず終わってしまったのは大きな損失。『なぜ』が分からなければ、再発防止もできない」と話した。
一方で、一連の事件を起こした動機などに関して、「今後も有期刑の受刑者らから探っていく必要があると思う」とした。
松本サリン事件で当初、容疑者扱いされたことについては、「1年間は逮捕されないために何をするか、その1点しか頭になかった。近隣の住民からは『町から出て行け』と言われ、警察からは自白を強要された。マスコミの誤報もあった」と振り返った。「それぞれの人が職責を果たしていたかどうか考えると、抜けていた部分があったと思う」と指摘した。
[時事通信社]
■再発防止策 見いだせない 松本サリン被害 河野義行さん
「事件前に戻ることはできない。ならば死刑囚らを恨み続けるような人生の無駄はせず、残された者として平穏に生きる」。一九九四年の松本サリン事件の被害者でありながら当初、警察の家宅捜索を受けるなど二重三重の苦しみを味わった河野義行さん(61)は、十七年の思いをかみしめた。日本を恐怖に陥れたオウム真理教の一連の事件の公判は終結したが、真相はいまだ見えないままだ。
「私にとってのオウム事件は、妻が亡くなった二〇〇八年八月に終わっています」。河野さんの妻澄子さんは、サリンの後遺症で寝たきりになり、六十歳で亡くなった。河野さんにとって、事件が起きた最初の一年は、犯人視する警察の捜査とマスコミの報道被害との戦いだった。「冤罪(えんざい)」が晴れてからは、三人の子どもへの親としての責任を果たし、妻の回復を願い続けて生きてきた。
ただ、首謀者とされる麻原彰晃死刑囚(56)=本名・松本智津夫=の二審で実質審理がなかったことには「なぜ国家転覆を狙ったテロが起きたのか、本当に首謀者だったのかなど真相が分からず消化不良。再発防止策が見いだせない」と残念そうな表情を見せた。
一方で、「裁判が終わったことで口を開く人が出てくるかもしれない。テーマを持ったジャーナリストに真相究明を期待したい」と望んでいる。
今後は麻原死刑囚ら死刑確定者の執行に世間の関心が移る。死刑制度については「現行法では合法で正義だが、個人的には、どの命もかけがえがなく、冤罪防止のためにも廃止すべきだと考えている」と話す。
松本サリン事件で使われたサリン噴霧車の製造にかかわり懲役十年の刑を受け、出所後に自宅を訪れた元信者とは友人になった。刑務所で覚えた技術を生かし、自宅の庭木の手入れを任せ、今でも温泉や釣りを共にする。「社会的に罪もつぐない、反省もしている。友人になりたいと思った相手だから」
一昨年と昨年には東京拘置所で、二十一日に上告棄却となった遠藤誠一被告(51)=一、二審死刑=ら教団元幹部四人とも面会。死生観や入信の動機などを聞く中で、「ごく普通の人。むしろ他の人より真面目」という印象を持ったという。
自身が受けた報道被害については「事件報道で、マスコミが警察からの非公式情報を基に危うい橋を渡るシステムは、いまも当時と変わっていないようにみえる」と話す。
澄子さんの三回忌と還暦を迎えた昨年、人生をリセットしようと鹿児島に移住した。講演活動も減らす予定でスローな生活を送る。「今後は隠居生活。いかに心地よく死ぬかがテーマです」。穏やかに語った。 (山内悠記子)
[東京新聞]
Posted by nob : 2011年11月22日 09:09