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カネやモノに不必要に囚われない、、、自らの立ち位置や尺度がはっきりした、、、昨今の若者達の今後に期待しています。。。

■なぜ若者はクルマから離れていったのか

 ジャーナリストの津田大介さんと社会学者の鈴木謙介さんによる対談連載もとうとう最終回。今回は「クルマと若者」「社会貢献と若者」などをテーマに、2人が語り合った。

●クルマが普及していくためには

津田:「若者はクルマに乗らなくなった」とよく言われてますよね。でも、そもそも今の若者はお金を持っていない。またネットを使えば「クルマの所有代とレンタカー代とではどのくらいの金額の差があるか」といったことが簡単に分かります。だから、クルマを持つことが税金なども含め、いかにお金がかかるものかよく知っています。

 そのうえ、将来に対する不安があったり、ムダを省こうという気持ちも強い。レジャーのためのクルマというより、実用性の高いクルマを求めています。今後、クルマがさらに普及していくためには、アップルのiPadなどのように新しいライフスタイルを提案できることが必要だと思います。

 例えば震災で明らかになったことは、電気自動車やハイブリッドカーは環境にやさしいというだけでなく、非常事態の時に緊急用電源として役に立つことが分かりました。家庭用の蓄電池などはかなりの高額になるので、それを買うならクルマで代用するということも考えられます。

鈴木:同感です。僕も新著『SQ “かかわり”の知能指数』で同じことを書きましたが、次世代のクルマ選びでは、エネルギーをシェアするという観点にも着目して、検討することも重要になってくると思います。つまり、自分のライフスタイルによって「私はプラグインハイブリッドカー、私は電気自動車……」だったりと、人それぞれの行動範囲に合わせて動力源でクルマを選ぶ時代ということですね。

 もともとクルマが提案していたライフスタイルは、とりわけモノとしての価値に結びついていたんです。それが特に1970年代以降、商品イメージ提示型のCMが増えてきました。「○○ができるから便利」ではなく、「クルマはかっこいいもの、すばらしいもの」という抽象的な語られ方が目立ってきましたよね。

 これはいわば、「モノの情報による付加価値化」という日本製品が採用してきた基本戦略の典型的な例。しかし社会学的には、こうした戦略は「メッセージの社会的な意味が共有される」という前提のもとでしか成り立たない。社会前提が変わればメッセージの意味も変化するのに、「同じようなイメージを共有できない若者のほうがおかしい」という議論をするなんてのは論外。「いまはどういう社会的文脈がメッセージの意味を左右しているのか」ということに対する感度が鈍ってしまっていることに、クルマが売れない根本の原因がある気がします。

 言い換えれば、クルマの文脈なんて「分かる奴なら分かる」という点で、「カフェごはんが好きな人」というのと同じくらい特定の文脈に依存している。そして、それをどういう形で打ち出すと生活者にとって意味のあるものになるのか、きちんと調査し、実験することが必要なんだと思います。

●クルマはモテるアイテム?

津田:クルマはモテるアイテムでなくなったというのは、本当にそうなんでしょうか? クルマは送り迎えなどでも女性にとって便利だし、経済力のある人たちにとっては、今でもステータスになると思います。

鈴木:経済力のある人はそうかもしれませんが、今の若者はちょっと違う。ネットスラングでいう「ただしイケメンに限る」じゃないですけど、「クルマに乗っているからモテる」ではなく、「モテる奴がクルマに乗っているだけ」という面も大きいですよね。

 実際、「最近の男ってクルマの免許も持ってないんでしょ?」って同世代男子を非難してた男の人が、女性たちからフルボッコにされているのを見たことがあります。彼の背後にある、ある種の男性優位主義が「クルマ」への価値観から透けて見えてしまったんですね。

 一方で「痛車」に見られるように、クルマをどのように自己表現の手段にするか、というカスタマイズの方向も多様化している。その自己表現は、別に「彼女を助手席に乗せる」というものだけに限られるわけではない。漫画などでは1980年前後から、マシンを媒介にして、男と女の関係を描き始めたと言われています。しかし、現実はもっと先を走っているのではないでしょうか。

●出会い方が変化している

津田:「岩手県の陸前高田市でTwitterがブームになっている」という話を聞いて、取材に行きました。陸前高田市は津波の影響で壊滅的な被害を受け、その土地を離れる人が増えました。

 人口が減ってきているので「陸前高田市、もうダメかも」とある人がツイートしたところ「いや、こうすればいいじゃないか」という返事がきた。その返事を出したのは、同じ街に住む人。陸前高田市というのは決して大きな街ではありませんが、ソーシャルメディアを通じて、2人は出会った。そして「一緒にこんなことをやろうぜ」となり、輪が広がっていったのです。

鈴木:ソーシャルメディアでも口コミでもいいのですが、出会い方が変化しているなあと感じています。

津田:ソーシャルメディアを使うと、人に声をかけやすいのかもしれない。例えばTwitterであれば、140字以内で書かなければいけないので、もし無視されても「仕方がないか」とあきらめもつく。だから人と人とがつながっているのではないでしょうか。

鈴木:都会みたいにいろんな人が集まってくることもあれば、地方にいても人をつなげてくれるような場所がある。そこで面白いことが起きているのではないでしょうか。

 それがソーシャルメディアを使ってなのか、それともリアルに人と人が出会ってなのか。いずれにせよ、どんどん違う血が入っていけばいいのになあと感じています。

津田:出会うきっかけはソーシャルメディアであっても、リアルで集まれる場所があればいいですよね。

鈴木:いま津田さんが指摘されたこと、今の20代に一番期待しなければいけないことかもしれませんね。

津田:情報社会が発達するにつれ、自分の置かれている立場を認識する人が増えてきているなあと感じています。例えば「自分は偏差値の高い大学に通っていない。しかも地方。いい企業に就職できないなあ」と考える人も多いはず。僕の知り合いにもそうした人がいましたが、彼はとにかく動き回った。

 そして僕のTwitterを見て、ある日講演会に来た。そしてその講演会で、メディアの人と知り合いになり、つながりができた。今後もしかしたらそこで仕事とかを回してもらって学歴が低くてもメディア業界への糸口がつかめるかもしれない。こういうことの繰り返しで、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)を獲得していくわけです。

 自分の置かれている状況を認識する人は多いのですが、彼のように動ける人間が圧倒的に少ない。これが残念ですが、逆に言えば少ない分、動ける人はそれ自体が大きな強味になる。

●もどかしさを感じる人に共通すること

鈴木:僕は1995年に大学に入学しました。受験勉強をしながら、阪神・淡路大震災の報道を見ていました。僕にとって、このトラウマはものすごく大きい。

 なので東日本大震災が発生して「ボランティアに行かなければ」「Twitterでデマを流す人は不謹慎だ」と言う人の気持ちがよく分かる。要するに、もどかしいんですよ。

 もどかしさを感じる人に共通することは「今、動かなければ手遅れになるかも」という瞬間を逃したくない気持ちがある。僕も大学受験があって、動けなかった経験をしているので「いざというときには動こう」と思ってしまう。

 積極的に行動する人を見て「うざいなあ」と感じる人も多い。しかし「そういう人だけをモデルにしなくてもいいのでは」と思っています。

 「動くのは苦手」という人もいます。でもそういう人たちに「ちょっと、手伝ってもらえませんか」と声をかけることは、ものすごく大事。

津田:別の言葉いうと、お膳立てですよね。

鈴木:ですね。

津田:お膳立てしてでも、その人に何かをしてほしい――そんな人間になることも大切ですよね。

鈴木:その通りです。特に動かなくてもいいので、人から呼ばれる人間でもいいですよね

津田:自分が動けないのであれば、お膳立てをすればいい。そういう関わり方もあるはず。

●「津田大介さんに憧れています」という人

鈴木:いわゆる“スーパースター”に憧れている人が、僕の周りにたくさんいます。例えば「津田大介さんに憧れています」という人が(笑)。でも、その人はどう考えても津田さんになることは難しい。

 何かのきっかけで、化けることはあるかもしれません。でもそうした人は津田さんの真似をしようとする。また内発的な動機付けがないので、どうしても空回りしてしまうんですよ。形だけ、津田さんを真似しているんですよねえ。

津田:「社会起業家になりたい」という人が増えてきました。しかし何をやりたいの? と聞くと、答えられない。そんな感じですね。

鈴木:ですね。でも動けなくてもどかしい思いをした自分からすれば、何かを成し遂げたことは、積極的に評価したい。だからこういう言い方をしてるんです。「君が何かをやろうとしていることがすばらしいのではない。とりあえず動いて、ひとつの仕事をしたことがすばらしい」と。

津田:まず動くことが重要になってきたのかもしれないですね。動かないと学べないことは、たくさんありますから。

鈴木:ですね。失敗も含めて、学生または20代前半の人には挑戦してもらいたいですね。自分がそのお膳立てをしたり、個人的に援助をしたりする歳になったからこそ思うことですけれども。

津田:何か新しいことを始めようと思ったときには「こういうことをすればこうなる」と自分なりに分析する。例えば成功するのは20%くらい……と考える。自分の分析では5回に1回は成功するはずなのに、6回、7回と失敗が続くとあきらめる人が多い感じがしていますね。

鈴木:壁にぶつかったり、挫折したりすることは、その人にとって考え方を変えるいいチャンスだと思う。例えば確率が20%なのに、10回やっても全くダメだったら、やり方を変えたほうがいいですからね。

津田:状況というのは刻々と変わる。その状況を見ながら、何度もトライすることが大切かなあと思っています。

 ダメだったらダメでもいい。そのダメな経験を糧にすればいいのですから。

鈴木:人は社会貢献をすれば、それを他人に認めてほしいという気持ちが強くなります。そのときに成功しようと失敗しようと、その人を評価することが大切なのかなと思っています。

 これを仕事に置き換えると、こうなるかもしれません。「あなたは仕事ができるようになって、新たなスキルを手にした。そして失敗もしなくなった。成長することによって、あなたは周囲の人たちから期待されるようになるんですよ。」と。

  30代になれば、やがて出世して、部下も増えていくことでしょう。そこで子飼いの部下を抱えて、「オレが評価しなければいけない」といった考え方ではダメ。「君だったら、もっと人気者になれるよ」「こうすれば、周囲の人が受け入れてくれるんじゃないか」といった形で評価すればいいのではないでしょうか。

 (終わり)

●プロフィール

津田大介(つだ・だいすけ)

ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース非常勤講師。一般社団法人インターネットユーザー協会代表理事。J-WAVE『JAM THE WORLD』火曜日ナビゲーター。IT・ネットサービスやネットカルチャー、ネットジャーナリズム、著作権問題、コンテンツビジネス論などを専門分野に執筆活動を行う。ネットニュースメディア「ナタリー」の設立・運営にも携わる。主な著書に『Twitter社会論』(洋泉社)、『未来型サバイバル音楽論』(中央公論新社)など。

鈴木謙介(すずき・けんすけ)

1976年福岡県生まれ。関西学院大学 社会学部 准教授。専攻は理論社会学。情報化社会の最新の事例研究と、政治哲学を中心とした理論研究を架橋させながら独自の社会理論を展開。著者『カーニヴァル化する社会』(講談社)以降は、若者たちの実存や感覚をベースにした議論を提起しており、若年層の圧倒的な支持を集めている。著者は『サブカル・ニッポンの新自由主義』(筑摩書房)ほか多数。現在、TV・ラジオ・雑誌などを中心に幅広いメディアで活躍中。最新刊に『SQ “かかわり”の知能指数』がある。

[ニコニコニュース]


■なぜ若手社員は2次会に参加しないのか

「飲み会に参加するのはいいけど、2次会まで付き合うのは嫌です」

 最近、そう言い切る若手社員が増えています。もちろん会社の団体行動を乱さないために、1次会は参加するという最低限のルールは守ります。でも、限度があるでしょ…。これがそう主張する理由です。

 一方、飲み会は最後まで付き合うものと教えられて育った先輩社員にしてみれば、1次会で帰ってしまうなんて身勝手な態度にしか見えません。ですから、きっと小言の1つも言いたくなっているはず。

 では、2次会をめぐってすれ違いが生まれている職場の人間関係を円滑にするため、飲み会はどこまで付き合うのが正しいのでしょうか。忘年会や新年会、そしてこれから迎える歓送迎会で戸惑わないためにも、価値観の違いで対立する2次会参加の必然性について考えてみたいと思います。

若手にとって飲み会は仕事?
イベント連発の12月は“苦行”そのもの

 12月は忘年会、クリスマス会、そして最後は年越し会と様々な名称で飲み会が開催され、まさにイベントが連発する時期。飲食店にとっては最大の稼ぎ時でもあります。ぐるなびやホットペッパーなど飲食店の情報サイトでは、お得な宴会パックが数多く登場。最近は5000円以下で飲み放題がついて当たり前と低予算化がすすんでいる様子。1回あたりの金額を落としても、回数は減らない傾向のようです。

 そんな12月は、「飲めるから楽しい」なのか「飲むことは大変」と考えるべきなのか?ビジネスパーソンは、大きく分けてその2つの考え方に分かれると思いますが、一般的には飲むのは楽しいけど、頻繁過ぎると辛い…というのが本音ではないでしょうか?

「12月は飲み会続きで仕事になりませんよ」

 こんな微妙な回答をしてくれたのは、広告代理店に勤務するSさん(32歳)。クライアントとの忘年会に加えて、職場の同僚や外部パートを交えたクリスマス会では、幹事として1ヵ月前から準備に追われるなど、多忙な毎日を送っていました。Sさんのように、飲み会へ参加するだけでなく仕切ることになると、もはや飲み会は仕事のようなもの。昼間から会場手配やゲームの企画などを堂々としている姿が多くの職場でみられます。

 こうした飲み会の幹事や仕切りは、先輩から後輩に引き継がれて、職場の風土の1つにもなっていることもあります。「我が社の飲み会では、新入社員の一発芸がいかに笑えるか、で来年の業績が変わる」と、冗談のようなことを真面目に語る営業部長もいました。それほど、飲み会は仕事に直結する大事な行事と言えるのかもしれません。

「先輩になれば飲み会も楽しいでしょうが、若手社員は苦行のような場面に遭遇することもあるので基本的にはつらいですよ」

 こう答えてくれたのは、金融機関に勤務しているPさん(25歳)。いまだに職場には後輩がいないので、毎回、飲み会の幹事を担当しています。ところが、予約した店の対応が悪かったり、料理がまずかったりすると、「仕切りが甘い。もっと、しっかりしろ」と叱られる始末。早く引き継ぎたいと、後輩の配属を願う毎日です。

景気悪化のせい?先輩が優しいから?
飲み会に参加する若手社員増加のナゾ

 このようなことからも職場の飲み会は、なるべく避けたいイベントと考えている若手社員が少なくありません。さらに飲み会で「先輩から飲みを強要される」など、つらい場面に遭遇する可能性もあり、一時は仮病で欠席する若手社員が問題になった職場もありました。

 ただ、最近は景気が悪く、転職も難しい時代になったからでしょうか?職場での人間関係構築に意欲的なビジネスパーソンが少なくなく、「会社の飲み会に喜んで参加します!」と答える若手社員が以前よりも確実に増えています。昔に比べて、後輩に厳しくあたる先輩が減ったこともその理由だと思いますが、それ以上に「飲み会くらいは付き合っておくか」と、若手社員にその覚悟が生まれたようです。

 いずれにしても若手社員が職場の飲み会に参加する意欲・率とも大幅に高まっていることは間違いありません。

 食品商社に勤務するDさん(24歳)は、「普段職場では話すことの少ない先輩と仲良くできるいい機会」と捉えて、前向きに参加。飲み会では、場を盛り上げるための芸も準備して甲斐甲斐しい部下を演じているので、職場での評価もアップした様子。飲み会を有効に活かしているとは、大したものです。

 ただし、1次会では芸まで披露しているDさんも、実は2次会には参加していません。

「明日の仕事に支障をきたすかもしれませんし、1次会で十分でしょ」

 先輩が「次はカラオケに行くぞ!」と叫んでいても、冷静に断り、電車で帰宅します。その一方で、先輩達は深夜までカラオケ、それからラーメン食べてタクシーで帰宅。翌日会社には、二日酔いで登場しました。この姿をDさんはどのように感じているのでしょうか?

「2次会は不参加」がなんと48.1%
1次会で帰宅する若手社員が主流に

 さて、今年の忘年会は、3.11の震災や不況の影響で、控え目になるのではという見方もありましたが、実際には例年並みに開催されたようです。

 アサヒグループホールディングスお客様生活文化研究所が12月上旬頃に行った調査によると、全体の8割が今年の忘年会の参加を検討中との結果が。さらに、「参加する」と答えた人のうち、約7割が2回以上の参加を予定していることがわかりました。この数値は、昨年と大差がないようです。確かに週末の繁華街は例年と大差ない賑わいをみせていました。ある意味で想定より健闘した年末の景況感とも言えるかもしれません。

 ただ、この調査を詳細にみていくと、今年は飲み会に対する考え方に変化が現れているようでした。その典型が2次会に対する参加意欲です。

 先ほどの調査で2次会の参加についても質問をしたところ、「絶対参加しない(11.9%)」「多分参加しない(36.2%)」と、合計48.1%が参加しない意向を示しています。つまり、先ほどのDさんのように1次会で帰宅する若手社員が主流になりつつあるのです。

 この若手社員と先輩社員の間にある2次会に対する考え方の違いは、Dさんの職場では何の問題も起こしませんでした。ところが、別の職場では大きな対立まで引き起こしてしまった様子。一体、何が原因だったのでしょうか。

幹事が2次会に参加&手配するのは
本当に当たり前なのか

 PR会社に勤務するBさん(25歳)は、営業担当として仕事に追われる忙しい毎日を過ごしています。そんな忙しさがさらに増すのが12月。社内外の飲み会の仕切りを任されて、夜に仕事ができないからです。

 ときには「予約してくれたちゃんこ鍋は、味噌より塩にして欲しかった」といった細かい不満を言われ、「だったら自分で仕切れよ」と、怒りを堪え切れなくなりそうなこともありますが、「あと2年の我慢」とその役割を全うする覚悟です。

 そんなBさんが職場のある飲み会で幹事を任された際、先輩社員に対して「ふざけるなよ!」と食って掛かる事件が発生しました。事件は、クリスマス会を職場で開催して、2次会に移動するタイミングで起きました。

 Bさんが仕切った今回の会は、料理もサービスも上司からの評価は◎。「今日はよかったよ」とお褒めの言葉さえいただきました。ここまではよかったのですが、問題は2次会の会場について。

「じゃ、次行こう!おいB、どうする?」と声がかかりました。Bさんは22時から友人と会う予定にしており、2次会は参加しないつもりでした。ところが1人の先輩が「幹事なら2次会も仕切るのが当たり前だろ。頼むよ、次の店も宜しく」と言い出したのです。この一言にBさんは怒りをこらえ切れませんでした。

「先輩、私は飲み会担当だけやっているのではありません。ましてや2次会の手配など誰からも聞いていませんよ。22時に友人との約束があるので、これで失礼します」

 そう言い残して飲み会場から去っていきました。すると多少酔っている先輩は、「ふざけるな、会場予約はお前の仕事だ」と叫び続けました。そんな声を無視してBさんは去っていき、2次会は「まあまあ、会場はみんなで探そうよ」と諌めた別の先輩社員の発言で一旦は収束。近くのカラオケに入店して2次会は盛り会ったようです。

 ところが、Bさんは2次会を仕切らなかったことで、キツイ洗礼を受けることになりました。

2次会は有志だけの場、無礼講の席へ
もはや強制参加させられるものではない

 クリスマス会の翌日、Bさんはいつもの時間に出社して仕事をしていると、昨日Bさんへ文句を言った先輩が傍にやってきました。そして、

「昨日はご苦労様。ただ、2次会の件だけど、あの発言はないよな。団体行動なのだから後輩が先に帰るのはいかがなものかね」

 と、小言を言い出しました。

 Bさんは「うざいな」と思いながらも聞き流していると、先輩は「これはお前のためを思って話しているのだぞ」と、恩着せがましい発言までしてきました。そして、Bさんはついに我慢ならずに言いかえしました。

「いい加減にしてください。飲み会の幹事は会社の仕事じゃなんですよ。1次会はお互いの人間関係を深める機会として大事なのはわかりますが、2次会の参加は個人の意向に委ねられてしかるべきじゃないでしょうか?」

 この発言に先輩も返す言葉を失ったようで、「わかった、俺が言い過ぎた」と謝り、大きな喧嘩にまでは至りませんでした。ちなみにBさんは以後も2次会に参加することはありませんが、その後、先輩から注意を受けることはなくなりました。

 さて、職場の飲み会は、Bさんが捉えているように、本来は仕事ではないので、必ず参加する必要はありません。ただ、お互いの人間関係を構築する機会と捉えて、できるだけ参加するべきでしょう。

 ちなみに団体競技のプロスポーツなどでもチーム力を高めるために親睦の飲み会が頻繁に行われるようになりました。ある意味で以前より、目的意識を高く持って飲み会が行われる時代になったのかもしれません。

 一方で2次会に関して、以前なら「次、行きましょう!」と1次会から2次会への参加は半ば強制的でした。その点、最近では「飲みたい人はお好きにどうぞ」と、有志だけで行動するように変化してきました。さらに、2次会では仕事の上下関係は開放して「無礼講で飲もう」とする傾向になりつつあります。

 時代に乗り遅れて職場の同僚から総スカンをくらわないように注意したいものです。

[DIAMOND online/29日追加]

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Posted by nob : 2011年12月26日 21:39