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あるべき医療の姿、、、何より患者自身がつくるもの。。。

■香山リカ:東日本大震災被災地に見る「心のケア」。終末治療に見る「心のケア」。そして「父の死」。

東日本大震災「現場」で見聞した「精神的現実」

 先週、被災地を訪れた際、仙台で長く医療に携わる精神科医の友人に会う機会があった。

 津波の被害を受けた地域には、がれきが1か所に積み上げられた「更地」のような状態のまま、その後の再建が滞っているところも多い。

 家族や職を失い、仮設住宅などで不自由な暮らしを強いられながら、以前とは似ても似つかぬ姿のふるさとを眺め続ける。——そんな被災者に対し、「さあ、もう震災から1年経つのですから、前を向いて歩き出しましょう!」とは、とても言えない。第一、そんな人たちに対して「効果抜群」の心のケアなど、あるわけもない。

 私自身、荒涼とした風景を見つめながら、専門家としての限界や無力さを感じるばかりだった。

 気心の知れた友人との仙台での食事の席で、ついこぼしてしまった。

 「先生、精神科医のできることって何だろう、と考えちゃうんだよね。なんと言うかな、”心のケア”なんて余計なことを考えず、せめて自然な回復力が発揮される邪魔をしないようにする。それが私たちのできることじゃないかな。」

 被災地の人たちと日々直に接している彼は、「もちろんそうなんじゃないの?」と表情も変えずに言った。私は自分の思いに確信を得て、さらに言葉を続けた。

 「これは言い過ぎかもしれないけど、精神科に限らず、医療ってそういうものじゃないかな。人は放っておけば、ちゃんと生きて、ちゃんと死んでいく。最近の医療って、それを邪魔しているだけかもしれないね。

 ほら私、1年ちょっと前に父親を失ったでしょう。そのときどう考えてもすでに終末期なのに、高カロリーの点滴を受けたり薬で血圧を上げ下げするのを見て、思わず『もうけっこうです』って言っちゃたんだよね。“退院させます”と申し出て、機械や管をすべて外してもらって、意識のない父を家に連れて帰ってきちゃった。

 父はその後、半日ほどで命を終えたんだけど、その表情は病院のベッドとはまったく違ってどこか満足げだったし、私たち家族も“これで良かったんだよね”といまだに言い続けてる。

 なんというかこの頃、医療のできること、すべきことって『生きる邪魔をしない、死ぬ邪魔をしない』ということなんじゃないかな、って気もするな」

 食事中に仲間とする個人的雑談だから多少言い過ぎの感もあるが、私としては大発見のようなつもりで口にした。しかし友人の反応は違っていた。

ターミナルケアを見る視線 ——2冊の書籍から

 友人は、「今ごろ気づいたの?」と驚いたような顔をしたのだ。

 「ずいぶん遅いね。私は、かなり前からそう思っているけれどね」と。

 最近、爆発的なベストセラーになっている本に、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(幻冬舎新書)がある。

 著者の中川仁一氏は、老人ホームの付属診療所で働く70代の医師だ。中川氏は多くの高齢者を看取る中で、「もっとも理想的な死に方は、点滴、酸素吸入などの医療行為をいっさい受けない“自然死”だ」と結論づけている。

 中でも発病してからある程度時間がある「がん死」が、「おすすめ」なのだという。

 ただ発症するまでは元気に暮らしたいので、運動などで自ら「体を守る」ことが大切。

 ——こういった著者の主張が、自らの医師としての人生も振り返りながら、とてもユーモラスに綴られている。

 同じような主旨の本には、外科医を経て特別養護老人ホームの専属医となった石飛幸三氏の「平穏死のすすめ」(講談社)がある。

 石飛氏は言う。体が衰弱し口から食物を摂れなくなってきた高齢者に過剰な高カロリー点滴を施して延命を図るのは、百害あって一利なしと。点滴するにしてもほんのわずかな水分だけにして、あとは文字通り「枯れるように最期を迎えさせる」というのが、本人にとっての苦痛が最も少ないと。

「心のケア」は、どこまで必要か?

 このように高齢者への医療については、いたずらな延命措置に対する批判や医療を離れての「自然死」「平穏死」を望む声などが、ポツポツと出始めている。

 一方「心のケア」に関しては、圧倒的に「まだまだ足りない」「日本は遅れている」という声のほうが強い。

 私もいまだに「アメリカでは精神科にかかるのがステイタスなんでしょう? 日本はまだ抵抗が強くて、困ったものですね」と言われることがある。

 しかし実はこの「ステイタスになる精神科通院」とは、高額な料金を支払って精神分析を受けること。それさえ最近のアメリカでは下火になりつつある。つまり過剰な心のケアのブームは、アメリカでも去りつつあるのである。

 脳の機能障害に由来する精神病などの治療が精神科で必要なのは、当然だ。しかしそうではなくメンタル面の「心のケア」は、そもそも「行えばよい」というわけではない。

 特に東日本大震災のような大災害を受けての「心の傷」、つまりトラウマに対しては、「ケアしすぎ」は効果がないどころか、むしろ悪影響のほうが強い。そのことが、さまざまな事例や研究で明らかにされつつある。

 当事者が「それを望んでいない」場合も、実は多い。

 多くの人の心には、トラウマを乗り越えて行く力が、きちんと備わっているのだ。そこに精神医療やカウンセリングが介入することで、むしろその力が阻害されることもある。

 「心のケア」押し売りが、正常な回復を遅らせる場合がある。あるいは「心のケア」が新たな問題、病を生み出すこともある。

 精神科医としては自己否定になってしまうので言いづらいのだが、私たちはそのことを知っておくべきだ。

[復興ニッポン/香山リカ 「アフター311」——震災後の社会マインド——]

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Posted by nob : 2012年02月23日 07:31