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電力改革決戦、春の陣/知恵と情報を結集し自らの頭で考えよう Vol.5

■このまま原発政策の核心が決まっていいのか?
福島原発事故の悲劇を招いた合成の誤謬を防ぐのは開かれた議論
山岡 淳一郎

 今日か明日にも野田政権は、四大臣会議(首相、官房長官、経産相、原発相)で大飯原発3号機、4号機の再稼働を決めそうな勢いだ。

 しかしながら、広域化した地元からの反発は強く、予断を許さない。

 野田佳彦首相は、遮眼帯をつけた競走馬のように「消費税増税」へと突き進む。東電の経営問題、発送電分離、核燃料サイクルなどはどこまで、その視野に入っているのだろう。すでに原子力規制庁の発足は遅れ、電力改革の行方は混迷の度を深めている。

 政局いかんで「電力改革の見取り図」に示した8月の天王山「革新的エネルギー・環境戦略」の発表がずれ込む可能性すら出てきた。またぞろ政局が政策を左右し、重要な電力改革が後手に回ってしまうのだろうか……。

電力改革の「本筋」は何か

 このような混戦、乱戦模様だからこそ、電力改革の「本筋」を、しっかりとおさえておきたい。混乱のなかで本筋を見失っては、「あとの祭り」となりかねない。本筋とは、いうまでもなく「原子力発電をゼロにするのか、一定程度維持していくのか。電力源の組み合わせをどうするのか」である。

 これら電力改革の根幹、新たなエネルギー政策の核心は、資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会基本問題委員会(委員長・三村明夫新日鉄会長)」で、「エネルギーベストミックスの選択肢」と題して、話し合われている。

 その基本問題委員会の論議が、先日、大きく動いた。

 3月27日の基本問題委員会で、各委員が2030年時点の総電力量に占める「原子力発電」「再生可能エネルギー(水力含む)」「火力発電」「コジェネ・自家発電」の割合を示したものを、事務局が「エネルギーベストミックスの選択肢に関する整理(案)」としてまとめたのだ。各委員の「考え方」を述べあう「定性的」な議論から、数値を介した「定量的」な議論へ一気に転換した。

 各委員が数値を示すに当たって、「原子力発電への依存度のできる限りの低減」「再生可能エネルギーの開発・利用の最大限加速化」などは「望ましいエネルギーミックス」の要件として、委員間で合意されている。

 ちなみに2010年度は、原子力26.4%、再生可能エネルギー10.5%、火力56.9%、コジェネ・自家発電6.2%となっていた。このバランスをどう変えていくのか。

原子力比率は0〜35%で意見分かれる

 では、以下、各委員が提示したA〜Fのベストミックス選択肢を並べてみよう。「コジェネ・自家発電」は一律15%とされている。( )内は提案した委員の名前だ。

A案—数値を示さない。「社会的に最適なエネルギーミックスは、社会的コストを負担させられた最終需要家が選ぶもの。その前提として、数字の議論の前にエネルギーセキュリティ等の考え方を論議して、『市場の失敗』等に対応する政策を考えるべき」(金本良嗣・政策研究大学院大学教授、八田達夫・大阪大学招聘教授)

B案—原子力 0%、再生可能エネ35%、火力50%、コジェネ・自家発15%。「原子力発電所事故の甚大な被害や地震国という現実を直視し、原子力発電比率をできるだけ早くゼロにするとともに、エネルギー安全保障、地球温暖化対策の観点等から、再生可能エネルギーを基軸とした社会を構築する」(阿南久・全国消費者団体連絡会事務局長、飯田哲也・認定NPO法人環境エネルギー政策研究所所長、枝廣淳子・ジャパン・フォー・サステナビリティ代表、高橋洋・(株)富士通総研主任研究員、辰巳菊子・公益社団法人日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会理事、伴英幸・認定NPO法人原子力資料情報室共同代表)

C案—原子力 5%、再生可能エネ25%、火力55%、コジェネ・自家発15%。「原子力発電にかかわる全てのコストを事業者(受益者)に負担させる。電源選択を市場メカニズムに委ねれば、結果的に原子力発電の比率は低下し、ゼロになる可能性も低くない」(河野龍太郎・BNPパリバ証券経済調査本部長)

D案—原子力 20%、再生可能エネ25〜30%、火力35〜40%、コジェネ・自家発15%。「原子力発電所の安全基準や規制体制の再構築を行った上で原子力発電への依存度を低減させるが、多様な電源確保によるエネルギー安全保障の向上、原子力平和利用国としての責任や人材・技術基盤の確保等の観点から、一定の原子力発電比率を維持」(橘川武郎・一橋大学大学院商学研究科教授、崎田裕子・ジャーナリスト、寺島実郎・(財)日本総合研究所理事長、柏木孝夫・東京工業大学大学院教授、山地憲治・(財)地球環境産業技術研究機構理事II)

E案—原子力 25%、再生可能エネ20〜25%、火力35〜40%、コジェネ・自家発15%。「事故の教訓を活かし、我が国の原子力発電技術の安全性を格段に高め、エネルギー安全保障や地球温暖化対策の観点から原子力発電を引き続き基幹エネルギーとして位置付け、世界のエネルギー問題の解決に貢献」(槍田松瑩・三井物産(株)取締役会長、豊田正和・(財)日本エネルギー経済研究所理事長、榊原定征・東レ(株)代表取締役会長、田中知・東京大学大学院工学系研究科教授)

F案—原子力 35%、再生可能エネ20%(⇒25%へ訂正)、火力30%、コジェネ・自家発15%(⇒10%へ訂正)。「エネルギー安全保障と経済成長を両立させつつ、最先端の低炭素社会を構築するため、国民から信頼される安全規制体制を確立し、現状程度の原子力発電の設備容量を維持」(山地憲治・(財)地球環境産業技術研究機構理事I)

定性的政策論か定量的政策論か

 事務局は、すでに「今後の進め方」で「2010年代の実質成長率を1.1%、2020年代を0.8%とする慎重シナリオ」に基づいて、選択肢ごとに「経済分析モデル」を活用して定量評価をする、と示していた。

 その際、ひとつの分析モデルでは中立性、客観性が保てないので、大阪大学、慶応大学、国立環境研究所、地球環境産業技術研究機構など複数のモデルを活用。モデルを回して分析するのに「一か月」を要する。4月末に経済分析モデルによる定量評価が出たら、さらに選択肢を(3案程度に)絞り込んで、5月半ばをめどに内閣府の「エネルギー・環境会議」に提示する選択肢案を決める、とスケジュールを立てていた。

 こうした前提で始まった27日の会議では、いくつもの論点が明らかになった。

 まず数値を出して経済モデルで分析、定量評価する手法自体がおかしいとの声があがる。飯田氏、高橋氏、伴氏、阿南氏ら8名の委員は、連名で「事務局作成のエネルギーミックスの選択肢に対する意見」を提出。

 原発0%の選択肢がひとつだけで、20%以上の選択肢が三つもあって偏っている。%の数字とは異なる、国民が選択すべき価値観や社会像、政策の方向性が分からない。原発20%以上の選択肢には、エネルギー安全保障や国際貢献などさまざまな目的が明記されているが、0%の選択肢(B案)には明記されず、安全性のみを目的とするかの表現になっている、と問題点を指摘した。

 そして「エネルギー需給から見た新たな社会像、それを実現する政策の基本方針を軸とした『定性的・戦略的なエネルギー政策』こそが選択肢」と主張する。

 これに対して、三村委員長は、定量的、定性的政策論はひとつのパッケージであり、並行的に進める、と応じる。他の委員も委員長を支持する。北岡伸一・東京大学大学院法学政治学研究科教授は、定性—哲学か、定量—技術か、という議論であれば、技術的な可能性を優先して議論するほうが理に適っていると述べた。

 河野氏は、既存の社会経済を前提とし、制度変更の影響を見すえていない70年代型の経済分析モデルでは限界がある。「恣意性」を排除できない。一度モデルを回して出た数値が思うようなものでなければ、恣意的な条件が加えられる、と指摘。事務局側は、経済分析モデルの運用について詳しく、専門家も呼んで報告すると応えた。河野氏は、このままでは選択肢が多すぎることから、自身のC案を撤回し、数値を示さないA案にくら替えする。選択肢はA、B、D、E、F の5案となった。

福島原発事故を招いた原子力界の合成の誤謬

 2030年のピンポイントで選択肢を示すことにも疑問が投げかけられる。

 高橋氏は、2030年だけではなく、その前後をそれぞれの委員がどう考えているかが重要だと言った。これを受ける形で、橘川氏は、じぶんは原発20%の D案に含まれているが、将来的にゼロにする過程での数字。より現実的に原発を減らすための数値だ、と強調する。同じD案でも、原発維持を唱える寺島氏らとは一線を画しているようだ。

 議論の方向性や、手法、数字の読み方などのテクニカルな議論がつづくなかで、誰もが、「何でだろう」と感じる素朴な疑問を、阿南氏が投げかけた。

 「A〜Dまでは原発への依存度の低減になっているけれど、E、Fは、そうではない。国民が納得するとは考えられない。なぜ、こんな選択肢が示されたのか。答えてほしい」

 F案の山地氏は、現行のエネルギー基本計画では2030年の原発発電量は「45.4%」になっており、「35%」はそれより減っている、と応じた。

 すると阿南氏は、「いま原発依存度の低減といえば、2010年、震災前の状態からどう減らすかが国民の常識だと思う。増えていいのでしょうか。国民が、そのことを、はたして理解するでしょうか」と切り返す。

 山地氏は、福島原発事故前とほぼ同規模の水準を想定しており、じぶんの頭のなかの計算では可能だ、としたうえで、次のように語った。

 「国民はそれを理解するだろうかということですが、いま、確かにアンケートをとって、民意をとれば、(賛成は)非常に少ないだろうと思っています。ただ過去の歴史をみると、じぶんの経験から考えても、民意というのは動いていきますよね。とくに今回のような大災害があって、非常に不安のあるときに聞いて、それでエネルギーのような長期間の政策を決めるのは、少なくとも直接的に民意を聞いて、そのまま反映するのは、賢明ではない」

 さらに、こう続けた。

 「われわれが、ここにいるということ。代議制の民主主義というものは、そういうことを経験したうえでの知恵だと思って、申し上げています」

 原子力専門家の、この発言を、不安を抱えている国民のひとりとして、私は、しっかりと胸に刻んでおく。「衆愚政治」に警鐘を鳴らしているつもりだろうが、とりようでは、ものすごいことを言っている。大手メディアは、この発言にまったく触れていないけれど、はたして福島で、同じことを口にできるだろうか。

 三村委員長は、「Fも案として活かしておきます。違いがわかる」と、原発「35%」案を残して、この日の議論を終えた。

 「合成の誤謬」という言葉がある。ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では逆の結果が現れることを指す。福島第一原発事故は、日本の原子力界の合成の誤謬の最たるものではないだろうか。一人ひとりの技術者や研究者は、これが正しいと信じて仕事をしていたことだろう。しかし、それが蓄積した状態では、大事故を防げなかった。

 この合成の誤謬を正すには、もはや閉じた世界の議論では不可能だ。

 「公共善」とか「共通善」という、自立した市民が社会に参加する基盤となるような価値観に沿って議論をしなくては、ベストミックスは見つからないのではないだろうか。

 電力改革に向けての論議は、まだまだひと山もふた山もある。折々に状況をみて、記事を掲載していきたい。

[日経ビジネス]

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Posted by nob : 2012年04月07日 01:30