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傑作は時代を超える。。。

■【イーグルス「ホテル・カリフォルニア」】
メンバー間の軋轢が生む化学反応が残した傑作

 どんな仕事でも、いずれかの局面では必ず上司・同僚・部下との共同作業がありますよね。目標を共有して互いの力量を尊重し合って前進する時に感じるチームの連帯感には、何物にも代え難い喜びがあります。

 しかし、率直に言えば、心に去来する感情には、複雑なものが少なからずありますよね。それは、仕事が上手く行っているか否かにかかわらずに、です。

 例えば、目標を共有して前進しようとする時に、関係者の間に主導権争いが生じることだってあります。嫉妬や怨嗟や羨望や劣等感や優越感といったネガティブな感情が、誰かの心の奥底に全く生じないとは言い切れないでしょう。

 共同作業を行うチーム内には、さまざまな人間関係があって、さまざまな感情があります。そしてメンバーの間に化学反応が起こって、さまざまな葛藤を経て、新しい作品なりプロジェクトが完成していきます。素晴らしい成果が生まれたからといって、純粋で綺麗な感情だけではなく、ドロドロどす黒い思いも混じったりする訳です。ここらあたりが人間の人間たる所以かもしれませんね。

 と、いう訳で、今週の音盤はイーグルス「ホテル・カリフォルニア」です。

メンバー全員が歌えるバンド

「ホテル・カリフォルニア」と言えば、イーグルスの最高傑作というだけでなく、1970年代いやアメリカン・ロックを代表する名曲中の名曲です。

 同時に、この名曲の誕生の背景には、メンバー間の深刻な葛藤がありました。音楽の路線をめぐる対立。絶えざる主導権争いや諍(いさか)い。オリジナルメンバーの脱退と新メンバーの参加などです。

 メンバー間のさまざまな化学反応が、素晴らしき創造の瞬間を生んだのです。

 イーグルスは1971年に米西海岸ロサンジェルスで結成されました。オリジナル・メンバーは、グレン・フライ(g)、ドン・ヘンリー(d)、ランディー・マイズナー(b)、バーニー・レドン(g)です。元々は、リンダ・ロンシュタットのバックバンドでしたが、独立してデビューしました。

 この段階では、カントリー色のあるフォークロックっぽいサウンドでした。メンバー全員が歌えるバンドというのが基本コンセプトだったので、高音域での3声4声のコーラスには、目を見張るものがありました。爽やかなウエストコースト・サウンドが受けてデビュー盤(写真)からカットされた「テイク・イット・イージー」がスマッシュヒットします。

 そもそもロックバンドのメンバーは個性的ですし、全員が“俺様が一番だ”と確信しているので、バンド運営は容易ならざるものがあります。売れずに低迷してバンドが分裂する例は枚挙に暇がありませんが、ヒットしたらヒットしたでバンド内に確執が生まれます。

 ヒットすると次への期待と圧力が強くなるので、路線を巡る意見の対立が生じます。リーダーがはっきりしているワンマンバンドであっても、こうした問題は不可避ですが、イーグルスのように民主的と言うか、全員が実力者故に合議でバンドサウンドが決まる場合には、路線をめぐる対立がより一層激しく先鋭化しがちです。

メンバー間の対立が決定的に

 まあ内紛を抱えつつもイーグルスは、順調にヒットを飛ばし大物バンドへの道を歩みます。同時に、サウンドの色合いが変化し始めます。コーラスを重視したフォークロックという基本は維持しつつも、カントリー・フォーク色が薄まり、ハードなロック志向へと動きます。

 特に、実力派ギタリストのドン・フェルダーの参加で、サウンドの変化が決定的となります。1975年発表の「呪われた夜」(写真、原題は One Of These Nights です。この邦題、やっぱり奇妙ですよね)は、それまでのイーグルスとは明らかに一線を画します。バンドは一皮剥け大きく成長しました。より鋭角的なリズムが導入され、ロックやファンクの要素が目立ちます。フェルダーの奏でるレスポールの粘りとうねりのあるエレキギターの存在感が圧倒的です。初めて全米アルバムチャート1位を獲得します。

 しかし「呪われた夜」の成功で、新しいロック路線か、バンドの原点であるフォーク・カントリー路線か、でメンバー間の対立は決定的となります。多彩な才能のマルチプレイヤーで、カントリー・フォーク調の初期イーグルスサウンドの要だったバーニー・レドンが脱退します。嗚呼!

 そこで、メンバー補充が行われます。白羽の矢が立ったのがジョー・ウォルシュです。ウォルシュは、米国流ハードロック楽団ジェームス・ギャングの中心メンバーで鳴らしていました。ギタリストとしてはデュアン・オールマン風のブルース色が強く、スライド奏法も上手く、バッキングもリードも確実。個性的な声で歌も大丈夫。作詞作曲もOKです。

 すでにソロアルバム3枚も発表。33歳で米国大統領選に立候補しようとしたりと、奇妙な言動で知られていて、エキセントリックではありましたが、レドンの抜けた穴を埋めるには十分。彼の加入によって、ロック路線が決定的になります。

危ないバランスの中で誕生

 そして、ウォルシュが加入した新イーグルスは新作に取り組みます。

 イーグルスは、彼らにとって最大の成功を収めた「呪われた夜」を超える新作への強い期待とプレッシャーに晒されます。その上、オリジナルメンバーの脱退、それに代わる超個性的で実力十分のギタリストが入ってきたのですから、イーグルス内では、激しい化学反応が起きます。

 特に、バンド内で一番ギターの上手いフェルダーからすれば、強力なライバル登場です。しかもソロ時代のキャリアは明らかにウォルシュが上です。嫉妬と羨望が入り混じって気合が入らないはずがありません。もちろん、バンドの主導権を握るヘンリーやフライも気合十分でした。が、ベースのマイズナーは疎外感を味わいはじめていました。

 そんな、危ないバランスの中で生まれたのが「ホテル・カリフォルニア」です。

 名作誕生の瞬間には謎がつきものですが、「ホテル・カリフォルニア」の完成に至るプロセスはおおよそ次のようなものです。

 まず、グレン・フライが、架空のホテルでの出来事という歌詞の基本的なコンセプトを思い付いきます。そのコンセプトの下で、ストーリー性のある歌詞を書いたのはドン・ヘンリーです。

 当時の米国には、一方で建国200年を盛大に祝いながらも、ウォーターゲート事件やベトナム戦争に疲れ果て、未来への確信を持てない微妙な空気がありました。1960年代の疾風怒濤の時代を謳歌した世代も、1976年という年を自嘲気味に見ていました。そんな雰囲気が反映した歌詞には、米国の多くの世代が共感しました。

 そんな歌詞を載せる旋律はドン・フェルダーの作曲です。この曲の骨格を担うギターの編曲もフェルダーが中心となりましたが、ウォルシュも種々アイデアを出しています。そして、この曲の独特の雰囲気はリズムにありますが、その基本は8ビートとレゲエが融合したものです。これもウォルシュの影響が強いと言われています。ベースラインもレゲエ的です。

最大の聴き所はエンディング

 そして「ホテル・カリフォルニア」の最大の聴き所は、4分20秒から始まるエンディングです。ギター独奏は、フェルダーのレスポールとウォルシュのテレキャスターの白熱の掛け合いで、2分10秒を超える極上の時間です。

“我こそは”というギタリスト魂が強すぎると、自己満足的な即興バトルになってしまいがちで、一般の聴衆はついていけなくなります。が、ここには、強烈なライバル意識が赤裸々に顕れながらも、ギリギリのところでエゴを抑制して踏みとどまり、戦略的に楽曲の全体像の中に収まっています。バロック時代のバッハ的なコード進行に沿って繰り広げられる即興演奏は、ロック史に残る屈指のエンディングです(携帯電話の着メロにしている人もいるほどです)。

「ホテル・カリフォルニア」は、シングル盤でもアルバムでも全米1位を獲得します。商業的な成功というだけではばく、音楽的にも非常に優れていてロック史に燦然と輝く作品です。が、バンド内の確執はいよいよ激しさを増します。作曲者ドン・フェルダーよりもボーカルのドン・ヘンリーや新規加入のジョー・ウォルシュの方に光が当たります。成功に次ぐ成功で初期イーグルスとは大きく変容したことで、オリジナルメンバーだったランディ・マイズナーもまた脱退します。

 遂に、次作「ロング・ラン」をもってイーグルスは解散に至ります。

 メンバー間の軋轢が生む化学反応が残した傑作「ホテル・カリフォルニア」。

 実況録音盤では、ベースがティモシー・シュミットに代わっています。スタジオ盤よりも一層ドライブ感が出て、溢れる素晴らしい演奏です。

 再結成された時のライブ盤「ヘル・フリージズ オーヴァー」(写真下)では、齢を重ねたバンドらしく生ギター中心。曲の良さは、どんな編曲でも輝いています。

 力強く美しい曲がバンド内の葛藤から誕生することもあるのだから、苦い化学反応から素晴らしい成果が生まれることもあります。だから、仕事の人間関係も仕事のスパイスなのかもしれません。

(音楽愛好家・小栗勘太郎)

[DIAMOND online]

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Posted by nob : 2012年05月25日 12:16