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新しい市場とは「探す」ものではなく、自らの手で「つくる」もの、探しているうちは、結局は誰かの後追いに、、、自らの人生を創り上げるクリエイティビティー。。。Vol.4

■東大先端研の合言葉は「もっと怒られなさい」!?
関西人の「オチ」に見る、思考パターンの変え方

世界初をつくり出し続ける生田教授を最初に待ち受けていたのは、ひどい「反対・嘲笑の嵐」。そんなときに先生を救ったのは「イトカワ」こと、糸川英夫先生のとある言葉でした。独創力を身につけるための土台のステップをご紹介する、連載第5回。

「怒られる」はこう使え!

 現在わたしは、東京大学の先端科学技術研究センター、通称「先端研」という施設で研究活動をおこなっています。これは率直に書いておきますが、九州工業大学や名古屋大学に在籍していた当時、わたしの中での東大のイメージといえば、とにかく「権威的で頭の固い大学」でした。

 しかし、この先端研に限ってはまったく違います。毎年秋になると先端研のOB会が開かれるのですが、歴代所長が口々におっしゃるのが「もっと怒られなさい!」という言葉です。「ちゃんと怒られるような研究してるのか?」「最近おとなしくなってないか?」「もっと暴れないと、普通の研究所になったらお終いだぞ」と。

 怒られるとは、どういうことか。

 東大における先端研は、ある種の「実験場」です。研究テーマにせよ、研究アプローチにせよ、あるいは社会に対するアピールにせよ、すべてが実験の場になっています。だから先端研の研究者たちは、「それはやりすぎだ!」と怒られることには慣れっこなんですね。

 やるべきことをやらないで怒られるのは、絶対にダメです。でも、なにか新しいチャレンジに挑んだ結果として怒られるのは、まったく問題ありません。

 なぜなら、「それはやりすぎだ!」の叱責は、「そのやり方、いまの制度じゃ無理だよ。制度を変えなきゃ通らないよ」というサインなんですね。怒られることによって、制度上の限界が見えてくる。いまのシステムをどこが古くなっていて、どこを変革していけばいいのかがわかってくる。

 きっとみなさんの仕事でも、新しい試みに踏み出したとき、上司や社外の方々から怒られることがあるでしょう。でも、怒られることを怖がっていては、いつまでも前例主義の慣習から抜け出せないままになります。

 前例を無視して、どんどん新しいことにチャレンジして、怒られる場面ではしっかりと怒られましょう。そしていまの制度にどんな問題があるのか見極めるのです。部署の改革、社内改革、さらに業界改革とは、こうした制度上の限界が見えた人にこそ、着手できます。

成功は8割の反対からうまれる

 とはいえ、わたしだって昔は怒られるのが嫌でした。
 できればみんなからほめてほしかったし、怒られたりバカにされたりすると、ひどく落ち込みました。ヘビ型のロボット内視鏡が学会でまったく相手にされなかったときなど、正直、とてもいやな気持ちになりました。

 そんなわたしにとって大きな救いとなったのが、日本におけるロケット開発の父であり、「ペンシルロケット」の生みの親として知られる糸川英夫先生です。最近の若い読者の方々には、ペンシルロケットというよりも、あの小惑星探査機「はやぶさ」を思い出していただくほうが早いかもしれません。「はやぶさ」が着陸し、見事サンプルを持ち帰った小惑星の名前は「イトカワ」でした。もちろんこれは、糸川英夫先生の名にちなんでつけられたものです。

 わたしは糸川先生から直接指導を受けたわけではありません。それでも糸川先生にあこがれ、学生時代に先生の著作を何度も読みふけりました。特にわたしが感銘を受け、勇気づけられたのは次のような言葉です。

「いい研究とは、10人中8人が反対する研究である」

 反対する人間が多いほど、いい研究なのだと思いなさい。みんなが賛成する研究ではなく、みんなが反対するような研究をやりなさい。わたしも反対されてきた。なにかやろうとすると、8割の人が反対の声を上げた。でも、つまらない反対の声に屈することなく研究を進めていったから、いまがあるのだと。

「あの糸川先生でもそうだったのか!」
 目からウロコが落ちる思いでした。あのロケット開発の父でさえ、10人中8人から反対されるような状況の中で研究を続けていったのか。出発点はそこだったのか。だったら自分が周囲から理解されないのも当然だし、むしろ歓迎すべきことじゃないか。

 さらに、糸川先生は「独創力」という言葉を大切にされていました。独創というと、とてつもなく画期的なアイデアのように思われるでしょう。しかし先生は、独創についてこんなにシンプルな話をされています。

「独創とは『みんながやらないこと』をやることだ」

 まったくそのとおりですよね。みんなと違うことをやれば、それが独創になる。誰ひとりやっていないことにチャレンジするからこそ、独創が生まれる。むずかしいことは考えず、ただ自分だけの道を歩んでいけば、それはすなわち独創なのです。

 思えば、わたしが野球を頑なに拒否していたのも、つまりは「独創力」の萌芽だったのかもしれません。

なぜ関西人は話に「オチ」を求めるのか?

 独創力とは、「みんながやらないこと」をやり抜く力である。
 このシンプルなテーゼをもとに、いったいどうすれば独創力が身についていくかを考えてみましょう。

 たとえばわたしは、大阪生まれの大阪育ち、生粋の関西人です。おかげで、日常会話から講演会まで、とにかく人前で話をするときには「オチ」を用意しないといけないと考えます。うちの学生にとってはウザい親父ギャグかもしれないけれど、オチのないまま話を締めくくっても、どこか落ち着かないんですね。お尻のあたりがむずむずしちゃう。

 別にこれは、親や先生から「話をするときには、ちゃんとオチをつけるんやで」と教えられたわけではありません。落語や漫才を見て、話術の研究をしたわけでもありません。ただ関西という土地に育ち、関西人に囲まれて育ったおかげで、自然とそうなっているだけの話です。

 つまり、人間の思考パターンとは、その人の「生活パターン」によって規定されるものなのです。
 関西に生まれ育ったから、会話の中にオチをつけるという発想が出てくる。オチをつけずにはいられなくなる。これは関西人ならではの思考パターンという以前に、生活パターン(生活習慣)の賜物なんですね。関西に住んでいてオチのない話をしたら「で、結局なんやねん!」「それだけかい!」となってしまいます。

 さて、本題はここからです。
 誰も思いつかないような独創力を持つためには、どうすればいいのでしょうか?

 もう答えは簡単でしょう。関西で暮らしていれば誰だって話にオチをつけたくなるように、思考パターンを変えるためには、生活パターンを変えるのです。つまり日常の行動パターンを変えていくことからスタートするのです。

 たとえば、みんながラーメンを食べていたら、自分だけはカレーを食べる。みんながエスカレーターを使っていたら、自分だけは階段を使う。みんながミステリー小説を読んでいたら、自分だけは植物図鑑を読む。みんなが海に出かけたら、自分だけは山に行く。

 まるでジョークのような話ですが、はじまりはこれくらい些細な行動でかまいません。日常の中に、ひとつでも多くの「みんなと違う行動」を増やしていくのです。

会社や組織に染まることを恐れよ

 実際、エジソンからアインシュタイン、それからスティーブ・ジョブズまで、偉人伝や立志伝中の人物には「変人」と目されても仕方ないようなエピソードがたくさんあります。彼らは独創的な人間だったから、ヘンなことをしていたわけではありません。むしろ反対で、他者とは違った行動パターンを持っていたからこそ、周囲に流されることなく、さまざまな独創をすることができたのです。

 特にわたしが危惧するのが、同質集団に属することのデメリットです。

 同じ会社や同じ大学、あるいは同じ学部や学科にいると、どうしても周囲と同じような生活パターンになり、思考パターンになってしまいます。メーカーらしい発想、大企業的な発想、法学部らしい発想というように、朱に交わって赤くなってしまうのです。

 なんらかの組織に属している人は、自分がどんな集団に所属していて、どんな行動パターンが身についているのかを意識しましょう。そして、周囲との生活・行動パターンを変えていくことにもっと自覚的になるのです。

[DIAMOND online]

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Posted by nob : 2013年08月20日 17:56