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無常なる自己を生きる/変わらぬ確かなものは何処にも存在しない。。。Vol.2

たとえば江戸時代なら百姓の子は百姓、武士の子は武士になるものと限定されていましたよね。悩まずに済んだ。

ところが、いまは自己実現の自由がある。そのせいで私も「坊さんになってもいいけど、ならなくてもいいはずだ」と、子供の頃からすごく悩んだんです。

でも、日本人の幸せっていうのは、限定されたことにどう「仕合わせ」ていくか。あるいは、もう決められていることをどう寿ことほぐかというところにあるんじゃないでしょうか。

さらに言うなら、西洋的な自己が持ち込まれたことが、自殺を増やすきっかけにもなったような気がするんです。「自己実現しなさい」と言われても、その自己が見えないと、ものすごい苦しみが生まれますから。


「生活はコンパクトに、いつでも移動できるようにしたほうがいい(鴨長明・方丈記)」と言う。

ある意味では災害の多い時代の理想の生活を提案しているんですけれども、「富める人にそれを求めるわけじゃない」という一言を書いた途端、長明はハッと気がつくんですね。

「待てよ。こういう自信ありげな発言というのは、仏様のいう執着ではなかったか。自分は執着を捨てるために出家したのではなかったか」と自省する。

「その価値観だけでずっと生きていくわけにはいかない(山田太一)」とおっしゃったことにもつながっていて、まさに仏教の勘どころだと思うんです。仏教では、原理とか絶対的なものを認めません。

ただ、その瞬間ごとに絶対的な唯一の道というのはあるんですね。しかし、それはすべて方便であって、それでずっといくわけじゃない。

世の中が無常なのは誰でもわかりますが、自分自身も無常にならなきゃいけないんです。つまり、「こうではないか」と思ったことを、常に突き崩していく必要があるわけですね。

[玄侑宗久談より/DIAMOND online]

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Posted by nob : 2013年09月16日 13:50