« 光を見つけるも闇に沈むも自分次第。。。 | メイン | 好きな他者になら途は示すも、引きも押しもしない、、、利害という色眼鏡を棄て、一切の執着や依存心から脱却できれば、そこから愛と信頼に満ちた世界を拡げていける。。。 »

私もかつて唐突にこの真実に気付き、以来自他すべてをあるがままに受容し、自らの満足を目指す過程での日々の納得を積み重ね、好きなものだけに包まれた幸せな毎日を過ごせています♬

■【安藤美冬×岸見一郎 対談】(前編)
一度知ったら引き返せない「嫌われる勇気」の魔力
自由に生きるための武器「アドラー心理学」

「自由とは他者から嫌われることである」──フロイト、ユングと並んで「心理学の三大巨頭」と称されるアドラーの思想が、哲人と青年の対話を通して学べる書籍『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)。cakesでの同名連載をまとめた本書は、刊行からわずか1ヵ月半で8万部を突破。これほど多くの人に注目される本書の秘密は何なのでしょう。それを解き明かすため、今回は同書の著者の一人である哲学者・岸見一郎さんと、起業家・コラムニストの安藤美冬さんの対談をお届けします。

本書を「2013年に読んだ本No.1」と公言する安藤さんは、「ライフスタイルの編集」をテーマに、商品企画、企業コンサルティング、大学講師にコラム執筆など多種多様な仕事をパラレルに手がけていらっしゃいます。すでに自分らしい働き方やライフスタイルの実現という「自由」を謳歌しているように思える彼女は、アドラーの思想の何に衝撃を受けたのでしょうか?(構成:宮崎智之)

トラウマを作っているのは
現在の自分?!

安藤美冬(以下、安藤) 昨年末にニューヨークに行く用事がありまして、飛行機の中で『嫌われる勇気』を読みました。ひとことで言うと「開眼」したというか。「ただごとではないことが起こっているぞ」という直感に導かれるまま、ホテルにチェックインした後に再読し、結局1日に2回も読んでしまいました。

岸見一郎(以下、岸見) なんと、ありがとうございます。

安藤 2回目の読書を終えた直後のことです。本を閉じ、余韻を感じながらゆっくりと顔を上げると、目の前にニューヨークのホテルから見える朝焼けが広がっていました。それがもう、ものすごく綺麗で。自分の心にも光が広がっていくような、シンクロする感覚がありました。それほど影響を受けた特別な一冊だったので、先生とお話しするのを楽しみにしていました。

岸見 私も『僕たちはこうして仕事を面白くする』(NHK出版)で安藤さんを知って興味を持ち、他の著書を読み進めていたところだったので、今日をとても楽しみにしていました。安藤さんの発言はすごく面白いですね。

安藤 本当ですか! ありがとうございます。

岸見 安藤さんは、『嫌われる勇気』のどこを気に入ってくださったのでしょうか。

安藤 今はまったく違う分野を行き来していますが、本当のところ、私が子どもの頃からいちばん興味のある分野は、「心の探究」なんです。物心ついた頃から「人はどうすれば苦しみから逃れ、幸せを感じられるのか」という大きなテーマを考えずにはいられませんでした。小学校時代にいじめられたり、高校時代に親友が心の病気を発症したり、26歳で「抑うつ」と診断されて休職をしたりしたことが理由だと思います。「心」というつかみどころのないもの、それを理解しようと、たくさんの心関係の本を読んだり、何十ヵ国を旅したりしてきました。

岸見 具体的に行動を起こされるところが、安藤さんらしいですね。

安藤 そうしたなかで私がぶち当たった最大の疑問は、「トラウマはどうしたら克服できるのか」ということでした。なぜかというと、心のトラウマというものは厄介な代物で、探求すればするほど収拾がつかなくなるからです。トラウマを解決しようにも、次から次へと泉のように湧き出してきてキリがない。ひとつ癒せばまた別のトラウマが姿を現し、それをまた癒し……。それに対して、『嫌われる勇気』は明確にトラウマの存在を否定しています。その言い切りっぷりに、すごくスッキリしたんです。

岸見 とんでもないことを言っているとは思いませんでしたか?

安藤 ショックではありましたが、読み進めていくうちに「あぁ、なるほどな」と深く納得しました。というのも、これまで心やトラウマの探求をしてきたのに一向に答えが出ないのは、そもそもアプローチ自体がズレていたのではないかという、モヤモヤした気持ちを抱いていたからです。

岸見 ズレているというより、まったく違っていたのです。私がカウンセリングしている患者さんにも、過去のトラウマを持ち出して、それが、現在の状況が困難であることや生きづらさの原因だと言う人が多いですね。しかし、アドラー心理学では、トラウマの存在を否定します。そんなものは「ない」と。存在しないものを探したり、どうにかしようとしても、答えは永遠に見つかりませんよ。

安藤 『嫌われる勇気』でも、引きこもりは過去のトラウマが原因なのではない、「外に出ない(出たくない)」という「今の目的」のために不安や恐怖といった感情を作り出しているのだ、という話が紹介されていましたね。

岸見 そうです。アドラー心理学では、「過去の原因」ではなく「現在の目的」を考えていきます。そこが、過去(トラウマ)や無意識といった「原因」を重視するユングやフロイトの心理学と、大きく異なるところです。

安藤 これまで考えてもみなかった発想で、びっくりしました。なるほど、だから私はずっと悩み続けていたのか、と。

岸見 過去の経験に今の自分の原因を求めるほうが楽なのです。

安藤 今の自分に対して無責任でいられますからね。

岸見 それよりも、「過去に目を向けている自分」に目を向けてほしい。本当はもっと自由に生きられるのに、いつまでも不自由な生き方をしているということに気づいてもらいたいと思います。トラウマなど存在しないのだと言われると、人によっては抵抗する気持ちも出てくるでしょう。でも、そこを乗り切らないと、前に進むことはできません。

他人のスープに
つばを吐く厳しさ

安藤 先に申し上げたように、私は26歳で心の調子を崩し、半年ほど会社を休んだことがあります。そのことをメディアなどで公表していることもあり、勤務している大学の学生やソーシャルメディアのフォロワーさんから、個人的に心の問題を打ち明けられることが多いんです。心に悩みを抱えている人が絶えないのは、なぜなのでしょうか?

岸見 仕事に就いてみたけど、その仕事に向いていなかったなんてことは誰にでも起こり得ますよね。

安藤 そうですね。

岸見 それで、違う仕事に就くと決心したときに、ただ「自分自身が決めた」とシンプルに考えればいいのに、「心の調子や体調が悪くて続けられない」ことを、仕事を続けられないことの原因にする人がいる。そのほうが周りも納得するし、自分自身も楽なんですよ。でも、そういった行為に対してアドラーは、「人生の嘘」という、非常に厳しい言い方をしています。本当は「仕事ができないから転職して逃げる」などと他人に否定されることが耐えられなかったり、「その仕事に向いていない自分」を受け入れることができないから、嘘の理由を言って、自分自身を納得させたいだけなのです。

安藤 なるほど。

岸見 たとえば、私は自分の子どもに「学校を休むときは明るく元気に休んでいいんだよ」と言っていました。というのも、子どもは学校を休みたいときに、お腹が痛くなったり、頭が痛くなったりするんです。これは仮病でもなんでもなく、本当にそういう症状が出る。でも私は「そんな理由がなくても休むと自分で決心したなら、親である自分が学校に連絡するから」と伝えていました。そうすると、休むために腹痛を起こすことがなくなります。

安藤 言われてみれば、ありそうな話ですね。

岸見 晴れて学校に行かなくていいことが決まった瞬間に腹痛が治まったりするものなんです(笑)。

安藤 アドラー心理学はそういったかたちで日常に役立ちますし、ヨーロッパでは自己啓発の源流としてメジャーな存在だということも『嫌われる勇気』のなかで紹介されていましたね。でも、日本の社会では、フロイトとユングと並び称されるほどには、根付いていないように感じます。

岸見 日本ではアドラー心理学が受け入れられにくいようです。トラウマの話にも関係しますけど、すべてのことが最終的に自分に降り掛かってくる厳しさが関係していると思います。過去の体験に生きづらさの原因を求めるほうが楽ですし、カウンセリングでも「あなたのせいではなかったんですよ」「こういう風に育てられてきたからですよ」と言ったほうがウケはいいでしょう。でもアドラー心理学はそうは言わない。

安藤 アドラー心理学の考え方はたしかに厳しいですが、前向きなものだと、私は思います。

岸見 そのとおりです。過去にあったことを現在のあり方の原因にしてしまうと、決定論になってしまい、現状を変えることはできないことになってしまいます。これは非常にうしろ向きな考え方でしょう。

安藤 どんなに考えても過去は変わらないですからね。

岸見 アドラーは、「他人のスープにつばを吐く」というあまり美しくない比喩を使っていました。

安藤 スープにつばですか……。どういう意味ですか?

岸見 相手のつばが自分の皿に飛び込んだのを見てしまったら、そのスープを飲むことができなくなってしまいますよね。それと同じで、一度聞いてしまったら元に戻れないのがアドラー心理学なんだという意味です。もう嘘や言い訳が言えなくなる。この厳しさが日本で受け入れられにくい原因なのかもしれません。

(中編に続く)


■【安藤美冬×岸見一郎 対談】(中編)
幸せは、自己肯定を「否定」することから始まる
自由に生きるための武器「アドラー心理学」

「すべてのトラウマは“人生の嘘”だ」──自己啓発の父・アドラーの刺激的な主張が展開される書籍『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)。
著者の岸見一郎さんがアドラー心理学を研究しているのは、岸見さん自身が幸せになりたいからだといいます。トラウマや自己肯定という“言い訳”を許さないアドラー心理学は、一見厳しい考え方に思えますが、自分の心持ち次第で人生はいくらでも変えられると教えてくれる、心強い味方です。岸見さんが安藤美冬さんに明かした、日常で実践しているアドラー的発想とは?(構成:宮崎智之)

「ポジティブ教」に
ハマらないために

安藤美冬(以下、安藤) そもそも、岸見先生がアドラーを学び始めたきっかけは何だったのでしょうか?

岸見一郎(以下、岸見) きっかけは子育てです。子どもは電車の中で大きい声を出すかもしれないし、スーパーのオモチャ売場の前で泣き叫びだすかもしれない。ときに親の言うことをまったく聞かなくなる手強い存在ですね。そういうときにどう対処したらいいのだろうと悩んで、アドラー心理学を学び始めました。

安藤 子育てがきっかけだったとは、ちょっと意外です。

岸見 あと、『嫌われる勇気』のあとがきにも書きましたが、はじめて聞いたアドラー心理学の講演で登壇者が「今この瞬間から幸福になれる」と語ったんです。私は反発を感じると同時に、「これまで哲学者として幸福について考察してきたけれど、自分自身は幸福なんだろうか」ということに思い至りました。それなら、アドラー心理学を研究して、まず自分が幸せになろうと。

安藤 『嫌われる勇気』の後半では、「“いま、ここ”に強烈なスポットライトを当てよ」という力強い幸福論が語られていましたね。まさに私はそれが知りたかったんだ!ということが語られていて、すごく共感しました。これまで何度かテレビや対談で「若者の幸福論」というテーマで話をしたことがあるのですが、意見するたびに徒労感を味わっていたんです。幸福についての議論って、小難しくそれらしいことをこねくり回しても仕方がない気がするんですよね。「笑う門には福来る」の精神で、「いま、ここ」の自分が幸せだと定義すれば、周りの世界が輝いて見える。幸せは“自家発電”していくものなんじゃないかなと思うんです。

岸見 そのとおりです。だから、私自身が幸せにならなければ、カウンセリングにこられた人に対して説得力がないんですね。

安藤 アドラー心理学には「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」という三つの重要なポイントがありました。そして、自己受容と「自己肯定」を明確に分けている。これは、ものすごく腑に落ちました。

岸見 自己肯定は、できもしないことでも暗示をかけて、「自分はできる」と言い聞かせることです。一方の自己受容は、「できない自分」をも受け入れること。アドラー心理学では、自己肯定を否定して、自己受容しながら前に進むことを推奨しています。

安藤 自己肯定感を持つためにあらゆる状況を前向きにとらえるとか、あるいは自分のことを好きになるために自己肯定の言葉を唱えるとか、そういった「ポジティブ教」みたいな考え方ってありますよね。かくいう私も一時期、ポジティブ教の信者でした(笑)。でも、それって奥底の感情がついてこないから、とても辛い。

岸見 強い劣等感に苦しみながらも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸っている状態ですね。

安藤 あるいは、心の奥底では迷いや不安でいっぱいなのに、その本当の感情に目をつぶってしまっている状態。燃費の悪い車に乗っている状態、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態ですね。

岸見 本当の意味で自分のことが好きになれなければ、幸せにはなれないんですよ。なぜなら、「自分」とは、どんなことがあっても死ぬまで付き合っていかなければならないからです。パソコンや携帯電話なら、いつでも買い替えられる。でも自分は、他の自分に換えることはできません。だからなんとかして、皆に自分を好きになってもらいたい。

安藤 そこで他者信頼と他者貢献が重要になってくるんですね。

岸見 人はどんなときに自分を好きになれるのかというと、自分が誰かの役に立てていると感じたときなんです。でも、他者を自分の敵だと思っていたら、貢献したいなんて思わないですよね。だから自己受容、他者信頼、他者貢献はワンセットでどれも欠くことはできない。自分のなかで完結しようと思うから自己肯定なんて言葉が出てくるわけで、実は、自分を肯定するためには他者が必要になるんです。

安藤 自己肯定と自己受容の違いは、とても重要なポイントになりそうですね。私も含めて、その差に気付かないで苦しんでいる人たちがたくさんいそうです。

他人をほめるのは悪いこと?

安藤 『嫌われる勇気』では、「怒り」などの感情についての考察も印象に残りました。感情には必ず「目的」があり、それに気がつけばコントロールできると。

岸見 怒りの感情の裏には、自分の主張を通したいなどの目的があります。それを理解すれば、目的を果たすためによりよい方法があることがわかってくる。子どもがスーパーのオモチャ売場の前で泣き叫んだらたいていの親は叱ると思うんですけど、子どもは自分の要求をどうしたら通せるかわからないから泣いているわけですよね。

安藤 そうですね。

岸見 だから私は自分の子どもに、「そんなに泣かなくてもいいから言葉でお願いしてくれませんか」と言ったんです。そうしたら彼も泣きやんで、「あのオモチャを買ってくれたら、うれしいんだけど」と言いました。そういう経験を重ねていけば、感情という不自由な手段を使わなくても自分の気持ちを伝えられるようになります。

安藤 それって大人でもいっしょですよね。私も母親から小言を言われるとついカッとなりますし、仕事をしていても思いどおりに事が運ばなかったり、スタッフが小さなミスをするとついついイライラしてしまう。でも、年末にアドラー心理学を知ったので、2014年はまだ感情的な手段を使っていません!

岸見 それはよかった(笑)。

安藤 ですが、内に溜まった感情を発散したほうがすっきりして前に進めるという考えもありますよね。私にはその是非はわからないのですが、あるセラピーでは、患者がカウンセラーと一緒に小さな個室に入り、今まで自分が経験してきたいろいろなことを思い出して、怒りや悲しみの感情を思い切り吐き出すと聞きました。

岸見 感情は溜まるものではありませんよ。蓄積されません。

安藤 えっ? そうなんですか?

岸見 たとえば、親と子どもが大げんかしていたとします。喧嘩の最中に親が電話を受けて、相手が学校の先生だったら、深々とお辞儀して対応すると思うんです。

安藤 ああ、声色まで変えて。

岸見 そう。でも、電話が終わって子どもの顔を見たら、また腹が立ってくる。つまり感情とは瞬間に沸いてくるものであって、蓄積されるものではないので、そもそも発散することもできないということです。

安藤 花粉症のように内部に蓄積して爆発するものだと思っていました。

岸見 すべてを感情のせいにしてしまえば、自分自身には責任がなくなるので楽になれるでしょうが、それも大きな嘘です。人は、そのときどきの目的に即して、手段である感情を使い分けています。責任は、すべて使い手である自分にあるのです。

安藤 目的に応じて、感情を使い分けている……。耳が痛いですが、勉強になります。

岸見 ええ、厳しい考え方ですが、向き合わなくてはなりません。

安藤 あと、すごく参考になったのは、叱ることもほめることも同義であるという考え方です。よく「ほめて伸ばせ」なんて言われるように、ほめるという行為は安易に推奨されがち。でも、立場が上の人間が下の人間を評価し、操作しようとする意味では叱ることと同じであるという言葉に、ハッとさせられました。

岸見 対等な関係同士ならば感情で操作する必要なんてないんです。ちゃんと言葉で気持ちを伝えればいいだけ。相手が自分より下だと思っているからコントロールしようとする。そのことがより顕著になるのが「ほめる」という行為です。仕事にしろ、育児にしろ、すべての対人関係を「横の関係」にして、この人は大切な友人なんだという感覚を身につければ、日々の生活が変わってくると思いますよ。

(後編に続く)


■【安藤美冬×岸見一郎 対談】(後編)
「嫌われる」ことは、自分の人生を生きることだ
自由に生きるための武器「アドラー心理学」

アドラー心理学のエッセンスを凝縮した『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)。同書の大ファンだという安藤美冬さんと著者の一人である哲学者の岸見さんによる対談の最終回です。

「トラウマは存在しない」「自己肯定するな」などと、従来の心理学のイメージを覆す考え方が満載のアドラー心理学。本書のタイトルとなった「嫌われる」という言葉も、一見ネガティブに聞こえますが、実はとてつもなく前向きなメッセージが込められていました。(構成:宮崎智之)

安藤美冬が対人関係に悩むワケ

安藤美冬(以下、安藤) 私の悩みを少し相談させてください。実は私、すごく人見知りなんです。そう見えないとよく言われるんですけど(笑)。特に知らない人がたくさんいるパーティーに出席するのがすごく苦手で。出席するたびに寿命が縮まる思いになります。

岸見一郎(以下、岸見) なぜですか?

安藤 どうも居心地が悪いというか。「ここにいていいんだよ」という承認を誰からも貰えていないような気がして。

岸見 それは、安藤さん自身が「自分は人見知り」という感情を作り出しているんじゃないですかね。つまり、自分が初対面の人とあまり話ができないということの理由づけとして作り出している感情だと言える。緊張するのは、人見知りだからではありません。「自分は気に入られないんじゃないか」「会話が盛り上がらないのではないか」という不安が的中したときの言い訳として、「自分は人見知り」という理由が必要なのです。

安藤 なるほど。対人関係で傷つくのが怖いから、納得できる理由を作っているわけなんですね。

岸見 安全弁を残しておきたいと考えないで、対人関係に踏み出す「勇気」を持つのです。そもそも、他者との関係がうまくいかないかもしれないのは自分だけではないですよね。その場にいる全員に当てはまります。だから、自分だけにことさらに他者を怖がる理由があるわけではありません。自らがまず、いわば武装放棄する必要があるんです。

安藤 じゃあ、初対面で打ち解けやすい人とそうでない人がいるのは、なぜなんでしょうか? 初回から会話が盛り上がる人もいれば、何回会っても一向に距離が縮まらない人もいるんです。

岸見 それは、「誰と出会っても打ち解けないようにしよう」と相手が決心しているんでしょうね(笑)。その人も安藤さんと同じ不安を抱えているということです。

安藤 では、自分が自己開示する決意をしたとしても、相手が心を閉ざしていたら駄目だということですか?

岸見 相手のことは考えても仕方ありません。相手には相手の課題があって、それに介入することは基本的にできないというのがアドラー心理学の考え方です。だから、相手がどうであろうと自己開示をすると安藤さんが決心するしかない。

安藤 ああ、そうか。相手の出方を見るのではなく、あくまで自分自身の決心が大切というわけですね。

岸見 アドラー心理学では、たとえ嫌いな人がいたとしても、その人に対する負の感情は会った瞬間に作り出されたものだと考えます。むしろ、その相手との関係をよくしないでおこうと決心しているために、過去のいろいろな不愉快な出来事を今この瞬間に思い出し、「ずっと嫌いだった」という感情を作り出している。

安藤 そういうややこしいことを瞬時にしているのが人間だと。

岸見 そうです。だから、これまでのことは関係なしに、「今日はこの人に対してにこやかに接しよう」と決心すれば、対人関係はすぐに変わります。そうシンプルに考える勇気を持つことです。

安藤 さきほどから「勇気」という言葉が出てきています。アドラー心理学のなかで定義している“勇気”とはどういうものなのでしょうか?

岸見 我々には生きていくにあたって避けては通れない課題がありますよね。仕事、恋愛、結婚、子育てなどいろいろありますが、そのすべては対人関係です。それらの課題を解決する力があると思えることが、「勇気」があるということです。課題に立ち向かい対人関係を進めていくんだと思えるためには、自分に価値があると思えるようにならなければいけない。そこでアドラー心理学では、人が「自分に価値がある」と思えるように、さまざまな援助を行っていきます。

星に導かれ自由に生きる

安藤 この『嫌われる勇気』というタイトルが、今ほど刺さる時代はないですよね。SNSの普及によってつながれる人の数が増え、できることなら誰ともうまくやりたいと思う一方、意図せずに嫌われてしまうなんてことも頻繁に起こります。嫌われたくないという気持ちと裏腹に、人から嫌われていることが「見える化」してしまう時代になったんですね。

岸見 仮に、誰からも嫌われていない人がいるとしたら、その人は非常に不自由な生き方をしていると考えられます。皆に気に入られるということは、他者の期待を満たすために生きているということであり、それでは自分の人生を生きているとは言えません。人から嫌われるということは、自由に生きるために支払わなければいけない代償ですし、自分が自由に生きていることの証なんです。

安藤 他者に嫌われるということは、自分が自由に生きていることの証である……そのとおりだと思います。

岸見 そう意識しなければ、自分の不幸の原因を他人や周囲の環境、過去の生い立ちに押し付けてしまうようになる。だから、「嫌われる」という言葉にはネガティブなニュアンスがあるかもしれませんが、このタイトルはとても気に入っています。

安藤 私は、自分らしい人生を生きるということについて、覚悟を持って追求しているつもりです。ですから、この『嫌われる勇気』というタイトルと先生の言葉に勇気をもらいました。

岸見 そう言っていただいて、うれしいです。

安藤 私がこの本のなかで一番好きな表現は、「より大きな共同体の声を聞け」という言葉です。これは図らずも実践してきたこととシンクロするような気がしています。私は父が教師で母が専業主婦という平凡な家庭で生まれたんですけど、「自分らしい人生を生きるために、より広い世界に出る」ということに幼い頃から強い関心を持っていました。幼少期から海外文学を読みあさり、10代で海外に出て、その後50ヵ国近くを旅し、オランダにも留学。社会人になってからも、一度入った組織を飛び出して現在があります。知らず知らずのうちに、今いる小さな世界から外に出ていくことを意識していたように思います。

岸見 私は安藤さんと違い、若いうちは、どちらかというと親の期待や普通の人生にこだわっていました。でも、大学院を出ても就職できず、常勤の精神科に勤めるようになったのは40歳のときでした。しかも、そこもすぐ辞めてしまい……。

安藤 そうだったんですか。

岸見 でも、そういう自分でもいいじゃないか。自分の人生を生きるためなら、狭い共同体にとらわれずそこから出て行ってもいいじゃないか、と決心をしたんですね。他者に貢献し、今この瞬間に幸せになるためには、場所や状況は関係ないのだと。

安藤 一歩を踏み出す勇気があれば、人はすぐにでも幸せになれる、と。

岸見 もちろん、今いる共同体から逃げればいいというものではありません。ただ、自分がやろうとしていることが広い意味での他者貢献だという意識があれば、どこにいたって自分の居場所を持つことはできます。より他者に貢献する機会がある場を求めて新しい場に移って行くのは逃げではない。

安藤 フリーランスだから、会社員だからというのも関係ないということですね。

岸見 そうです。その決心が「導きの星」となり、それさえ見つめていれば、どこにいても迷うことはない。導きの星を基準にして生きるのが自由な人生なんだということです。病気になって働けなくなった人の人生は不幸でしょうか? 私は違うと思います。それでも自分で人生を選び取っていく勇気があれば、その瞬間に幸せになれると思うんです。ですからフリーランスだとか、会社員だとか立場や状況で自分の人生の価値を決めるのはおかしい。どんな状況でも自由に生きることができるはずです。

安藤 先生に励まされているようで、涙が出てきそうになりました。『嫌われる勇気』はアドラー心理学の一部を凝縮したものだと思うので、ぜひ、続編を読みたいです。

岸見 シンプルなのに深いのがアドラー心理学の魅力です。たとえばテニスでは、ウィンブルドンに出場できる人はごくわずかです。しかし、ラケットで打ち返すという基本動作は少し練習すれば誰にでもできるようになりますし、ウィンブルドンに出場しているのはそれを続けてきた人ばかりなのです。だから、何事でも、まずはできることから実践して続けてほしいと思っています。続編ですか……(笑)。「青年」が成長して恋愛し、子育てをするという話も面白いかもしれないですね。

安藤 読みたいです。ぜひお願いします!

岸見 わかりました(笑) 考えてみましょう。

(おわり)


安藤美冬(あんどうみふゆ)

起業家/コラムニスト/Japan in Depth副編集長/多摩大学経営情報学部非常勤講師 株式会社スプリー代表。1980年生まれ、東京育ち。慶応義塾大学卒業後、集英社を経て現職。ソーシャルメディアでの発信を駆使し、肩書や専門領域にとらわれずに多種多様な仕事を手がける独自のノマドワーク&ライフスタイル実践者。『自分をつくる学校』学長、講談社『ミスiD(アイドル)2014』選考委員、雑誌『DRESS』の「女の内閣」働き方担当相などを務めるほか、商品企画、コラム執筆、イベント出演など幅広く活動中。多摩大学経営情報学部「SNS社会論」非常勤講師。Japan in Depth副編集長。TBS系列『情熱大陸』、NHK Eテレ『ニッポンのジレンマ』などメディア出演多数。著書に7万部突破の『冒険に出よう』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。
公式ホームページ:http://andomifuyu.com


岸見一郎(きしみ・いちろう)

哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。高校生の頃から哲学を志し、大学進学後は先生の自宅にたびたび押しかけては議論をふっかける。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの「青年」のカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』『人はなぜ神経症になるのか』、著書に『アドラー心理学入門』など多数。『嫌われる勇気』では原案を担当。


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Posted by nob : 2014年02月17日 15:56