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自立支援を目的とした一時避難としての支給を考えることがあるべき政策。。。

■社説:生活困窮と生存権 「孤の時代」の自立とは

 「自助」を中心にした家族による支え合いを求めるのが安倍晋三政権の社会保障政策の柱である。生活保護基準の切り下げはその象徴と言える。来年4月までに3段階で引き下げられるが、平均6.5%、1世帯当たり最大10%という過去にない大幅減だ。

 受給者からの批判は強い。だが、戦後の社会福祉の土台であり続けた憲法25条の生存権の概念を変更しようという流れが背景にあることにも目を向けるべきだ。少子高齢化が進み、家族が小さくなって独居が増えていく時代に求められる国家の社会保障政策について考えたい。

 ◇飽食時代の餓死

 生活保護の受給者は過去最多の210万人を超え、予算も3兆円以上だ。とかく不正受給が批判されるが、生活保護の総予算に占める不正受給額は1%にも満たない。むしろ、諸外国と比べて受給者数(人口比)が少ないのが日本の特徴で、困窮者の7〜8割が受給できていないとも言われる。最近相次ぐ「孤立死」は飽食時代にありながら未受給者がたどる悲劇を見せつけている。

 2012年1月、札幌市白石区のマンションで42歳の姉と知的障害のある40歳の妹の遺体が見つかった。姉は脳内血腫で亡くなり、電気やガスが止められた部屋で妹は凍死したらしい。昨年11月には大阪市東淀川区の団地で31歳の女性が餓死状態で見つかった。電気やガスは止められ、冷蔵庫に食べるものはなかった。

 社会全体が貧しかったころは仕事を失っても、まだ家族や近隣の助け合いがあったものだ。失業や貧困が死に直結しかねないのが「孤の時代」の恐ろしさである。役所に生活保護の相談に行っても「仕事を探したらどうか」「家族に養ってもらえないのか」という言葉が返ってくる。札幌の事件では姉は3度も相談に訪れたが、非常食用のパンの缶詰を渡されただけだったという。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法25条の生存権は今こそ注目されるべきだろう。

 近年、生存権をめぐっては社会保障法や憲法などの学会で盛んな議論が起きている。経済も人口も拡大し1億総中流へと向かっていた時代には、社会から置き去りにされた形の生活困窮者や障害者から起こされた「朝日訴訟」や「堀木訴訟」を中心に、国家から個人への給付に着目した議論が展開されてきた。一方、個人の自立(自律)に視点を置いた「『自律』指向的理論」を主張する早稲田大学の菊池馨実(よしみ)教授は、従来の生存権論が国家から金銭を受ける対象(受給の客体)としか個人を見ようとせず、生活保護以外への政策展開の視点がないことを批判し、「人格的に『自律』し主体的に自らの生き方を追求できるためのサポート」が必要だと訴える。

 研究者の間では「『自律』の強調は過度な自己責任を求められる」「『自律』が困難な人を切り捨てることになる」などの批判も起きている。病院や施設に長期間隔離され、根拠の薄い治療や訓練を強いられた歴史がある障害者らには、国家から自立を求められることに対する根強い抵抗感もあるだろう。

 ただ、少子高齢化で人口が減り、経済の拡大も難しくなって中間層が崩壊している現在、増え続ける生活困窮者を「受給の客体」とばかり位置づけることができるだろうか。

 ◇地域の自発的活動を

 むしろ重度の障害者や認知症の人にも自立の可能性を見ようとする「『自律』指向的理論」の人間観には重要な示唆が含まれているようにも思う。問題なのは、自立して主体的に生きるためのサポートを誰ができるのかということだ。

 生活困窮者自立支援事業が来年4月から実施される。約900の自治体に支援センターを設置し、相談や就労支援を通して困窮者の自立を図る。生活保護の引き下げで浮く約670億円に匹敵する財源を投入する事業で、「受給の客体」から自立への転換を目指すものとも言える。

 ただ、周囲から孤立し、失業や疾病、障害、介護疲れなど複合的な困難を抱える人の自立を実現するのは容易ではない。現在、モデル事業が各地で行われているが、必要なスキルを持った職員が圧倒的に足りないことをすでに露呈している。

 その中で、地域を巻き込んで取り組む千葉県佐倉市の例は注目に値する。障害のある女性が失業し、自宅は「ゴミ屋敷」のような状態だった。担当職員を中心に地域住民がネットで連絡を取り合い、女性の再就職先を見つけた。だが、面接試験に着ていく服がなく、買うお金もない。住民らはリクルートスーツの提供をネットで呼びかける。名乗りを上げる人が現れたが、サイズが合わない。再びネットで縫製ができる人を呼びかけ、なんとか女性を就職させることができたという。

 このような地域の支援があったら札幌や大阪の「孤立死」はどうだっただろうか。自立に必要なのはお金だけではない。孤立した困窮者を救えるのは地域住民の力だ。国家からの押し付けではない、自発的な取り組みを活発化させられる政策と人材が必要なのである。

[毎日新聞]

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Posted by nob : 2014年05月05日 17:36