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また旅立つ君へVol.36/己のなかにすべてがあり、、、すべてのなかに己がある。。。Vol.3/諸行は無常だからこそまたみな至上。。。

■日本一分かりやすい般若心経 「不生不滅」編

関谷 寛明

般若心経の教えに「不生不滅」というものがあります。生まれることも滅することもないという教えなのですが、これは私達の執着を戒めるための教えです。

私達は自分の物だと思ったときに執着が生まれ、それを失えば悲しみや苦しみに苛まれます。私達は自分の物と他人の物を区別して生活しています。自他の区別をすることは社会生活にとっては必要なことです。

小さな子供がスーパーに行けば、自他の区別がつかないために、欲しい物があれば買っていなくとも袋を開けようとします。自分の物、他人の物、社会の物と区別することで、我々の生活は成り立っているのです。

ところが、自他の区別をすることで、自分の物に執着してしまうのです。自分の物は大切にするのに、他人の物はぞんざいに扱うことがあります。欲しい欲しいと熱望しても、いざ自分物になるとあきてしまうこともあります。

自分が持っていてまわりが持っていなければ傲慢になり、まわりが持っていて自分が持っていなければ妬んでしまいます。こういった執着はすべて前回書いた色の見方なのです。人間は自他の区別によって苦しんでいるのです。

仏様は空の見方をしますから、すべてはありがたいいただき物だと考えます。この命も自分のものではなく、仏様から預かっている預かり物なのです。預かっているならば、いずれは返さなければなりません。それが道理なのです。

なるべく穢さないよう大切にして返さなければなりません。立場や役職もそうですし、家族も仕事も日々の生活はすべてご縁によって一時的に預かっているだけなのです。

このように考えるならば、ことさらに執着することなく楽になるのではないかと思います。自分の物だと執着するから、得た(生)とか失った(滅)と一喜一憂するのです。すべては仏様からの預かりのだと思い、いずれは返さなければならないと思うことで、ご縁のあったものを大切にできるのです。

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Posted by nob : 2014年05月05日 17:57