« 各人の個々の考えに拠けばいいだけのこと、、、私は、選択可能な限りは心と身体に良くないものは摂りません。。。 | メイン | (既得権層に)不都合な真実が自ずと伝えられることはない。。。Vol.2 »

(既得権層に)不都合な真実が自ずと伝えられることはない。。。

■東京が壊滅する日 ― フクシマと日本の運命

広瀬隆 [ノンフィクション作家]

「変人」小泉純一郎もたまげた!
ほんとうの“ラストバンカー”の志
――吉原毅×広瀬隆対談【パート1】

壮大な史実とデータで暴かれる戦後70年の不都合な真実を描いた『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』が増刷を重ね、第6刷となった。
本連載シリーズ記事も、累計266万ページビュー(サイトの閲覧数)を突破し、大きな話題となっている。
このたび、新著で「タイムリミットはあと1年しかない」とおそるべき予言をした著者と、城南信用金庫前理事長で「反原発」をかかげ、小泉純一郎元首相からも信頼の厚い吉原毅(よしわら・つよし)氏が初対談!
吉原氏の著書『原発ゼロで日本経済は再生する』のオビには、ベストセラー『デフレの正体』『里山資本主義』の著者・藻谷浩介氏が、「経済人ならわかる、原発は採算割れだと。だがそう語れる真の経営者は吉原さんだけだ」とある。
吉原氏は、慶應義塾大学出身のエリート金融マンだと思っていたら、それだけではなかった! 従来の金融マン像とは似ても似つかない、歯に衣着せぬ物言いで政府や東京電力へ迫る。
フクシマ原発事故後、城南信用金庫は東京電力と縁を切り、信金内の電力をガス会社主体の「エネット」というPPSへ切り換え、1000万円以上の節減に成功。大きな話題を呼んだ。
これこそ、ほんとうの“ラストバンカー”ではないか。
そんな折、8月11日の川内原発1号機に端を発し、10月15日の川内原発2号機が再稼働。そして、愛媛県の中村時広知事も伊方原発の再稼働にGOサインを出した。
再稼働後、豪雨による鬼怒川決壊、東京で震度5弱、阿蘇山噴火、南米チリ沖マグニチュード8.3地震、アフガニスタン北部のマグニチュード7.5地震など、今なお自然災害が続出している。
本誌でもこれまで、31回に分けて安倍晋三政権や各県知事、および各電力会社社長の固有名詞をあげて徹底追及してきた。
地元の7割が伊方原発再稼働反対という民意を受け、「愛媛新聞」も再稼働反対の社説を展開。だが、大手マスコミはこの事実を報道せず、着々と再稼働が進められていく。
いったい民意はどこにあるのか? 気鋭の論客同士の対談1回目をお届けする。
(構成:橋本淳司)

東日本大震災前まで
「原発肯定派」だった吉原毅

広瀬 吉原さんは、『原発ゼロで日本経済は再生する』(角川oneテーマ21)という本をお書きになっていますが、中身が濃いので私は何度も何度も読み返しました。

 人生哲学を基本として、含蓄のある言葉が次々と出てくるので、今でも、読み返しています。
 今日は、聞き役に徹しますので、ダイヤモンド書籍オンラインを読む人に、存分に、改めてお考えを語ってください。

 そもそも吉原さんは、フクシマ原発事故が起きてから、原発の危険性に気づかれたのですね?

吉原 東日本大震災が発生するまでは原発肯定派でした。

 今から思うと自分でも腹立たしいのですが、政府、電力会社、マスコミ、学者によってつくり上げられた原発の「安全神話」を盲信していたのです。

 慶應義塾大学経済学部の加藤寛先生(1926~2013)のゼミで経済学を学んだのがオイルショックの1973(昭和48)年頃でした。
 同じ経済学部F組の10年上で、加藤先生と大変親しかった大先輩があの小泉純一郎元首相です。
 学生当時は、石油が枯渇する時代に対応するには原子力しかない、夢のエネルギーを活用することが日本経済発展の道である、と思い込んでいました。

広瀬 多くの人がそう思わされたのです。大変なトリックなのですが……。
けれども、その考えに疑問を持たれたスタート点は、どこにありましたか?

吉原 何よりも、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、福島第一原発が爆発しました。高濃度の放射能汚染により、福島県内には長期的に帰還できない地域ができ、東京はじめ全国的にも空気や土壌が、そして食品などが汚染されました。

 そのとき、福島県南相馬市に本店を置くあぶくま信用金庫から相談の電話をいただきました。

「4月に入社予定の新入社員10名の内定を取り消さなければならないので、城南信用金庫で彼らを採用してくれないか」

 と言うのです。話を聞くと、原発事故によって、あぶくま信用金庫の営業地域のおよそ半分が放射能汚染のため立入禁止区域になり、6店舗が閉鎖を余儀なくされたということでした。
 これには、大きな衝撃を受けました。原因が、津波でなく、放射能ですからね。

広瀬 事故によって人が住めなくなり、自分の住む地域そのものが失われた。
 それは文化の喪失という重大事です。絶対にあってはならないことです。

吉原 はい。信用金庫は地域を守り、地域の人たちを幸せにするのが大きな使命です。その大切な場所が一瞬の事故で失われてしまいました。

 しかし、「安全神話」が崩壊したにもかかわらず、どの報道を見ていても、政治家、官僚、電力会社は、誰一人謝らない。責任をとろうともしない。そこに学者とマスコミも加わって「原発事故は想定外」というデタラメの大合唱です。マスコミから批判の声が上がることもありませんでした。

広瀬 想定外どころか、大津波は想定されていたんですよ。

吉原 そうです。本当にひどい話です。こうした現象を見て、ゾッとしました。

 どうして、このような無責任とデタラメが流布するような異常な事態になるのかを調べてみると、政治家も学者もマスコミも、「原子力ムラ」という巨大な利権組織に組み込まれ、電力会社、つまり電気事業連合会(電事連)からの巨額のお金がコマーシャルに注がれ、それによって情報が操られていることがわかりました。

「OurPlanet-TV」で
10万PVの大ブレイク

広瀬 原子力シンジケートは、一種のマフィアで、日本の政財界、マスコミ、学会を全部支配し、さらには地域社会も支配しています。シカゴのギャング、アル・カポネと同じです。金を握らせてね。

吉原 そうです。そこで、原発事故が起こったとき、私たちの城南信用金庫では、どのように行動すべきか考えました。
 信用金庫とは、ただの金融機関ではなく、協同組合組織であり、社会貢献企業です。

 信用金庫の生みの親で幕府の重鎮だった上総一宮藩主、加納久宜(かのう・ひさよし)と、城南信用金庫の3代目理事長・小原鐵五郎(おばら・てつごろう)は「世の為、人の為」を唱え、正しいことを実現するために、いつも命がけで戦ってきました。

 こうした伝統を受けて、私たちは日頃から「地域のみなさんを守り、地域を幸せにするために存在する」と言っていましたから、こんなときに私たちが何もしなかったら、なさけないじゃないですか。

 2011年4月1日、城南信用金庫のホームページに、「原発に頼らない安心できる社会へ」というメッセージを掲げ、原発を止めるための節電キャンペーンを開始しました。

広瀬 私が吉原さんに惚れたのは、そうした具体的な行動力です。反応はどうでしたか。

吉原 新聞記者やテレビ局に声をかけ、節電キャンペーンの取材を受けました。なじみの記者は、みんな興味を持って取材に駆けつけて熱心に原稿を書いてくれました。

 ところがですよ、どの新聞にもまったく記事が掲載されず、各テレビ局も録画撮りまでしたのに結局ボツになりました。
 いったい、この世はどうなっているのかと驚き、ゾッとしました。

広瀬 マスコミの営業部は、原子力産業の圧力の前に、何も言えなくなっているのです。それで、デスクも引いてしまうのですね。

吉原 そうしたなかで、非営利のインターネット放送局「OurPlanet-TV(アワープラネット・ティービー)」の代表を務める白石草(しらいし・はじめ)さんが取材にきてくれました。
 私は白石さんの質問に答えながら、脱原発と節電の呼びかけを行いました。この動画がネットにアップされると、10万ページビュー(PV:サイトの閲覧数)を超すアクセスとなり、大きな反響を呼んだのです。そこからキャンペーンがブレイクしました。

「脱原発」を堂々と表明する
“変わった”金融機関トップ

広瀬 その後、静岡県にある浜岡原発の廃炉訴訟にも参加されたそうですが、あれはどういうキッカケだったのですか?

吉原 浜岡原発廃炉訴訟の弁護団長を務める河合弘之弁護士から、
「厳正な裁判を行うために、ぜひ原告として参加してもらいたい」
 と依頼を受けました。

 金融機関のトップとして、そこまでやるべきかと迷いましたが、浜岡原発は福島原発より関東圏の近くにあります。事故があれば、うちの営業エリアである東京と神奈川がやられます。直下には東海大地震の震源断層もありますし、出力も大きく危険性も高い。
「困っている人がいるなら助けるべきだ。何も逃げることはない」と考えて、原告団に参加することを決めました。

広瀬 運動に参加してくださることは、私たちの仲間にとって大いなる励ましでした。

吉岡 その後、2011年6月ごろになると、一部のマスコミからも取材の要請がくるようになりました。
 現場の記者は原発反対の記事を書きたいけれど、会社の方針でそれは難しい。でも、原発反対を表明している「変わった金融機関のトップ」のインタビューであれば、これを批判する形で取り上げることができるという苦肉の策でした。
 私は「変わりもの」役を引き受けて、新聞、雑誌、テレビで原発反対を訴えました。

広瀬 吉原さんが声をあげてくれたおかげで、勇気を与えられた仲間がたくさんいました。初めてこの問題に関心を持って、新たに活動を始めた人もいます。

吉岡 同じ金融業界内でも、「本当にいいことをやっていると思う」と多くの方に声をかけてもらいました。
 あの人たちも、やむにやまれぬ事情から積極的に声をあげないだけで、心のなかでは賛成している人たちがたくさんいたのですね。
 住友銀行や三井住友銀行で頭取を務めた“ラストバンカー”の西川善文氏はご自身のブログで、

「金融機関がここまでは働きかけるのは異例である。城南信用金庫のこの英断は、原発依存から脱却するため再生可能な代替エネルギーへシフトする意識の大転換に貢献すると評価される。国として脱原発に取り組むのであれば、こうした動きが大銀行をはじめ全金融機関に波及することを期待する」

 と高く評価していただきました。

広瀬 西川さんはハートがあったからそう発言しましたが、その後、彼は銀行の内部で、大変だったのではないでしょうか?

吉原 その後で、現役の経営陣から寄ってたかって叩かれたと聞きました。
後輩たちから「余計なことを言わないでください。困るじゃないですか」と。
 事故を起こした東京電力が救済された経過を見てもわかるように、三井住友銀行が原発に多額の金を貸していますからね。ハートがある人がいても、社内で足を引っ張る人がいっぱいいる。

 なぜかというと、目先の金儲けを最優先するからです。
 なぜそうするかというと、会社は「自分の目先の利益」を最優先させるべきだと思っているからです。そうすると、金儲けに少しでも差し障りがあるようなことは言わないし、やらない。事なかれ主義が正しいと思っているのですでも、私はそう思いません。
 会社は世の中に貢献するためにあると思っています。

広瀬 私は吉原さんを知るまでは、信用金庫と銀行の違いを知りませんでした。それで、世の中のために活動する城南信用金庫に貯金を移そうと、みんなに呼びかけました。
 吉原さんの素晴らしいところは、金儲けのためじゃないと言いながら、きちんと城南信用金庫の経営を成り立たせてきたところです。そこが最大のポイントです。

 次回は、今でも多くの人が誤解している、原発が止まると電力不足になるという迷信と、「脱原発」に向け、城南信用金庫内での徹底節電キャンペーンの具体的な行動について、お話しいただければと思います。

(つづく)

[DIAMOND online]

ここから続き

Posted by nob : 2015年11月11日 16:39