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それまでの生き方の完結としての逝き方。。。

■畳の上で生まれ、死ぬのは今どきどれだけ希有なことか

本川 裕 [統計データ分析家]

終戦直後は9割以上が家で生まれ、家で死んでいた

「畳の上で死にたい」という言葉がある。これは、本来は、非業の死を迎えることなく、普通に家で死にたいという意味であるが、今では、持病が悪化して入院している病院、あるいは危篤で運び込まれた病院ではなく、日ごろ住み慣れた家で安らかに死にたいという意味だと勘違いしてもおかしくない状況となっている。

 戦後の大きな変化のひとつは、生まれたり死んだりする場所が家から病院に変わったことである。いつごろ変わったのか、どのようなテンポで変わったのかなどを知るため、こうした変化をデータで追ってみよう。出生届や死亡届を集計している厚生労働省の人口動態統計では出生や死亡の場所も集計しており、図1はこのデータにもとづいて描いたものである。

◆図1 生まれるのも死ぬのも今では家でなく病院
   ──家で生まれる人・家で死ぬ人の割合の推移

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 図を見れば分かる通り、終戦直後は9割以上の人が家で生まれ、家で死んでいた。

 その後、出生場所が高度成長期の1960年を挟む10年間ぐらいで一気に病院に移り、1980年以降、家はほとんどゼロとなった。そして死亡場所の方は、変化は出生場所より遅く、2000年代半ばまでだんだんと病院が多くなっていった。そして2005年ごろから約15%で横ばいとなった。

 最新データの2014年には、出生場所については、実家を含め家での出産(生母の実家での出産を含む)は0.2%とゼロに近い。また、死亡場所については、自分の子どもの家を含め家で亡くなるのは14.9%にすぎない。家以外の死亡場所としては、病院が主であるけれども、老人ホームが5.8%、介護老人保健施設が2.0%と病院以外の施設も増加傾向にある。

 こうした変化は、日本人にとって、医療が技術的、施設的、制度的に充実して身近な存在となり、極力安全な出産の確保、および死亡直前の救命の可能性の追求から、生死に関し医療の介入を不可欠とするに至ったからである。

日本では家で亡くなる人が特に少ない

 しからば、こうした傾向は先進国共通なのかが気になる。図2にはヨーロッパの参加国と死亡場所を比較したデータを掲げた。これを見ると、日本は特に病院での死亡が多く、自宅での死亡が少ないことが分かる。

◆図2 死亡場所の世界比較

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 病院で死亡する人はフランスでも6割以下、スウェーデン、オランダでは4割、3.5割とずっと少ない。海外では、自宅やナーシングホームなどで死亡する人が多いからである。

 ナーシングホームは、医療・福祉が一体化された、要介護者のための施設の呼称である。特に米国で発達したシステムで、生活の介助や機能訓練を行う。日本においては介護老人福祉施設や介護老人保健施設がその役割を果たしている。日本の場合、こうした施設で暮らしていても、最後の段階では病院に搬送する場合がほとんどなので、病院での死亡が多くなっていると考えられる。

 高齢者の多くが希望する通り、家や普段の暮らしの場で死を迎えることができない理由としては、在宅医療・介護の体制や住宅の質が十分でないことが挙げられている。これに加え、在宅の看取りについて、本人希望の優先度や延命措置の限度に関する本人・家族・医療介護関係者の社会的合意ができていないため、死に臨んではともかく病院へ移送し、病院でもいったん受け入れたからには対処するからという側面が無視できないだろう。

畳の上で死ねる都道府県は?

 次に地域別の特徴を見てみよう。出生場所はどの地域も病院が主なので省略し、死亡場所の構成比の上位都道府県を調べ、結果を表1に整理した。

◆表1 死亡場所割合の上位県(2014年)

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 以前は家で死亡することが多かったことから、最初は私も、古くからの慣習が残る地方圏の方が家で亡くなる人が多いだろうと考えながら都道府県別のデータを整理していたが、結果を見ると、家の割合が高いのは、上から、奈良、兵庫、東京、神奈川となっており、むしろ、大都市圏、特に近郊地域で、家での死亡が多い。

 これに対して、病院で亡くなる人が多いのは、北海道や四国・九州といった遠隔地の諸県である、また、病院以外の施設で亡くなる人が多いのは鳥取、大分、長野である。病院やその他の施設での死亡は、このように、地方圏の特徴なのである。

 理由を考えてみると、やはり、人口当たりの施設数として、病院やその他の施設が多いか少ないかが大きく影響していると思われる。つまり、死亡場所が家である割合が大都市圏で高いのは、畳の上で死にたいという望みがかなえられての結果というより、施設のキャパシティ上の余儀ない結果である側面が強いといえよう。また、大都市圏では独居老人の孤独死が多いことも影響している可能性があろう。現在の「死亡場所が家」である14.9%の者の中には、不本意なまま家で亡くなった人が、かなりの割合を占めていると考えられえる。

 残された子どもに迷惑をかけないように事前準備を進めたり、臨終の方式に当人の希望を反映させようとする「終活」が、人生の最期を過ごす場所の選択を含めさかんに議論されている。自宅での死については、本人の希望と家族が求める死亡直前の救命の可能性の追求とのバランスが求められるので、在宅診療や時間制約のない訪問診療が人的、制度的、コスト的に可能かが重要であろう。

 就職活動を「就活」と呼ぶのになぞらえて、結婚へ向けての活動は「婚活」、出産へ向けての活動は「産活」とも呼ばれるが、「終活」へ向けて自宅診療を容易にする円滑・柔軟な医療的支援体制が充実してくれば、出産についても、赤ちゃんが生まれてはじめて目にする風景が重要だととらえ、かつてのように自宅での出産が「初活」としてブームになるかもしれない。

[DIAMOND online]

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Posted by nob : 2016年06月24日 09:46