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ほんの僅かの
愛すべき友人達とだけ
深く永く付き合っていきたい
Posted by nob : 2011年10月31日 11:12
クリエイティブな仕事は、、、
限りなく遊びに近い。。。
Posted by nob : 2011年10月31日 11:10
愚かしさの極み。。。
■日本政府、インドとベトナムへの原発輸出に向け再始動
【東京】福島第1原発事故からほぼ8カ月、日本政府は、インドとベトナムに対する商業用原発輸出に向けての動きを再開した。
玄葉光一郎外相は29日、インドのクリシュナ外相と会談し、原発技術輸出の前提条件となる日印原子力協定交渉を進展させることで合意した。一方、野田佳彦首相は31日、訪日しているベトナムのグエン・タン・ズン首相と会談、ベトナムの原発プロジェクトへの協力などについて話し合う。日本はベトナムとの間で原子力協定を締結済みだが、国会での批准審議は棚上げされている。
民主党政権は、経済成長戦略の柱として原発技術の輸出促進を打ち出していたが、3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島原発事故を受けて、インドとの原子力協定交渉を中断していた。
福島の原発事故の収束も待たず、日印外相が協定交渉の推進で合意したことは批判を呼ぶ可能性がある。その上、インドは、核兵器の拡散阻止をうたう核不拡散条約(NPT)に加盟していない。
日本では原発の安全性をめぐる不安から、多くの原子炉が稼働を停止している。玄葉外相は29日、クリシュナ外相との会談後の記者会見で、「福島原発事故の原因など調査結果に関する情報とともに、原発の安全性確保に関する我が国の取り組みに関する情報もインド側に提供していく」と述べた。
[THE WALL STREET JOURNAL]
Posted by nob : 2011年10月31日 08:42
現実を受け止めて真の対策を。。。
■福島の研究者・首長ら、チェルノブイリへ調査団
1986年に発生したチェルノブイリ原発事故後の除染や現状を調べ、東京電力福島第1原発事故からの復興に役立てようと、福島県内の研究者や首長、自治体関係者らを中心とする調査団が31日午後、ウクライナや隣国ベラルーシに向け出発する。
現地で約1週間にわたって旧原発施設のほか、事故対策を担当する行政機関や放射線に関する研究機関、中学校、病院などを視察する。
調査団は、地方財政論が専門の清水修二福島大副学長が呼び掛けて結成。川内村の遠藤雄幸村長のほか南相馬市の除染担当者、浪江町の町議、県職員、農協や森林組合の関係者ら30人が参加した。
現地では、事故当時の対応や除染の進め方のほか、避難した住民の帰還や農業の再生などについて意見交換する予定。
清水氏は「チェルノブイリ事故の後、どのような活動が展開され放射能汚染に対処したかを学び、今後の行動の指針にしたい」と話している。〔共同〕
[日本経済新聞]
■チェルノブイリ25年後 住民去った町を歩く
写真:「ザリッシャ村、ザピッリャ村……」。チェルノブイリ市の中心にある広場には、原発事故で消えた村の名前が書かれた立て札が並ぶ。事故から25年となった2011年に作られた=日吉健吾撮影拡大「ザリッシャ村、ザピッリャ村……」。チェルノブイリ市の中心にある広場には、原発事故で消えた村の名前が書かれた立て札が並ぶ。事故から25年となった2011年に作られた=日吉健吾撮影
1986年4月に大事故を起こしたウクライナ・チェルノブイリ原発の南東十数キロ。放射線モニタリングなどにあたる3千人ほどが働いている町、チェルノブイリ市を訪ねた。
ウクライナ政府によると、事故の影響で168の村が消えた。市の中央広場には、その名が記された立て札がアルファベット順に並ぶ。事故から25年の今春完成した。
市内には、放射線測定や生態系調査などを担う行政機関の拠点がある。市は、「ゾーン」と呼ばれる立ち入り規制区域の中にあるが、集中的に除染され、職員らは例外的に滞在が認められて月の約半分を市内の寮で暮らす。朝夕には、通勤バスが広場周辺を行き交い、少しだけにぎわう。商店や教会もある。
市の中心を離れると、ゾーンの現実がわかる。市内の目抜き通りの両脇には木造の廃屋が並び、プリピャチ川沿いにはさびた廃船が係留されたままだ。
市内を出て原発に向かう。原発の約2キロ手前の「コパチ村」跡。荒野に三つ葉の形の放射能標識と看板が立つ。「住民1114人が1986年5月3日に避難した」とある。
家々は降り注いだ放射性物質で汚染され、壊されて埋められた。そばの道路で地上1メートルの空間線量を簡易装置で測ると、毎時0.7マイクロシーベルトほどだった。
[朝日新聞]
Posted by nob : 2011年10月31日 08:32
幸せとは、、、
完全な満足を目指していく過程で
不完全な自らにその時々で納得できること。。。
Posted by nob : 2011年10月31日 00:25
なお今も、、、そしてこれからも。。。
■セシウム放出量「政府推計の3倍」 欧米の研究者ら
東京電力福島第一原発の事故で大気中に放出された放射性セシウムは、内閣府の原子力安全委員会が公表した推定値の3倍になるとの試算を、ノルウェーなど欧米の研究チームが発表した。チェルノブイリ原発事故の放出量の4割にあたるという。大気物理化学の専門誌に掲載された。
研究チームは国内の測定データのほか、核実験探知のために設置された北米や欧州などの測定器のデータを使い、事故が起きた3月11日から4月20日までのセシウムやキセノンの放出量を分析した。
セシウムの放出量は約3万5800テラベクレル(テラは1兆)で、原子力安全委の試算値1万1千テラベクレルの約3倍。降下物は大部分が海に落ちたが、19%は日本列島に、2%は日本以外の土地に落ちた。
[朝日新聞]
Posted by nob : 2011年10月30日 14:15
原始的な対策ながら効果は大。。。
■【原発】1号機カバー完成 放射性物質100分の1に
福島第一原発1号機に水素爆発で破壊された原子炉建屋をすっぽり覆って放射性物質が外部に漏れるのを防ぐカバーが完成しました。
縦、横、高さが40メートルから50メートルに及ぶ巨大な建屋カバーは、延べ4万人が作業して約半年かけて完成しました。工事は周辺の放射線量が高いため、すべて遠隔操作で進められました。壁や天井パネルは50キロ離れた小名浜港で仮組みして船で運び、大型クレーンで組み上げていきました。つり上げた材料が強い風に流されないようファンで制御しながらの慎重な作業が繰り返されました。カバーには排気フィルターが装備され、屋外に出る放射性物質を100分の1程度に減らすことができるということです。3号機と4号機については、がれきの撤去を優先し、来年夏をめどにカバーを設置する計画です。
[テレビ朝日]
Posted by nob : 2011年10月30日 10:38
発想と判断の基準は己の利害ばかり。。。
■六ケ所村の核燃再処理工場:原燃社長「廃止措置に1.4兆円」 /青森
◇政策見直しに異議
日本原燃の川井吉彦社長は28日の定例会見で、六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場を現時点で閉鎖した場合、解体などの廃止措置に約1・4兆円かかるとする試算を示した。使用済み核燃料を再処理するより埋めた方が安上がりだとする内閣府原子力委員会の専門部会の試算に対し「環境影響や政策変更のコストも比較検討してほしい」と述べ、核燃料サイクル政策見直しへの動きに異議を唱えた。【山本佳孝】
25日に開かれた専門部会では、核燃料サイクルについてコストの試算結果を公表。使用済み核燃料を全量再処理し、プルトニウムやウランを取り出して再利用する現在の計画では、地中に埋める直接処分に比べ発電量1キロワット時当たりの費用が約1円高く、「コストが2倍になる」とした。
これに対し、川井社長は、直接処分はまだ技術的知見が不足しているとし、「プルトニウムを含む高レベル放射性廃棄物を捨てることになり、放射能の影響が低下する時間がかかるなど課題は多い」と指摘。「サイクル事業は環境保全の面からも必要で、コストだけの問題ではない」と訴えた。
専門部会では建設から操業、解体までに要する再処理の総事業費を12・2兆円としているが、川井社長は、今事業を止めてもこれまでの建設費約2・2兆円に加え、解体や処分の廃止措置にさらに約1・4兆円かかると説明。専門部会ではこうした政策変更コストを直接埋設では算入していないと指摘した。
一方、再処理工場の完工予定まで1年を切ったが、県の安全対策検証委員会の議論が継続中など、08年にトラブルで中断した工場の試験再開の見通しは立っていない。川井社長は「来年10月の完工を目標に頑張る」と述べ、日程変更の考えはないことを強調した。
[毎日新聞]
■福島原発の汚染土、中間貯蔵は30年 政府が工程表
政府は29日、東京電力福島第1原子力発電所の事故に伴う除染作業で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設の整備に向けた工程表を公表した。2012年度中に立地場所を福島県内で選定し、14年度をメドに搬入を始める。それまでは市町村ごとに仮置き場で管理するよう求めた。中間貯蔵の期間は最長30年を見込み、この間に福島県外で最終処分を終えるとした。
ただ工程表では放射性物質の最終処分の見通しは示せず、処理技術の研究に努めるとするにとどめた。建設に時間がかかるとはいえ3年間の仮置き期間は長いとの見方がある一方、保管期限を示せば地元の理解が得やすいとの考えもある。
細野豪志環境・原発事故担当相が同日、福島県庁で佐藤雄平知事と会談し、工程表を提示。福島県の市町村長にも説明した。
中間貯蔵施設の建設地について原発相は「大変申し訳ないが、福島県内にお願いせざるを得ない」と改めて説明。保管する汚染土などは県内で発生したものに限り、建設地は「遅くとも12年度中に国が責任を持って決める」と語った。佐藤知事は工程表を「きちんと精査したい」と述べ、施設の規模や立地条件などを国が明らかにするよう求めた。
環境省が10日にまとめた基本方針では、高濃度の汚染廃棄物が相当量発生した都道府県ごとに中間貯蔵施設を造るとしていた。工程表では福島県内だけに中間貯蔵施設を建設する方針を提示。福島県外では汚染の程度が比較的低く、量も限られると理由を説明している。
環境省の試算では、除染に伴う廃棄物は最大約2800万立方メートル。東京ドーム23杯分に相当する。保管に必要な敷地面積は3~5平方キロメートルに上る。
このほか中間貯蔵施設には、最新技術による廃棄物の減容化設備も併設する方針だ。
[日本経済新聞]
Posted by nob : 2011年10月29日 23:30
愚かしいまだそんな次元の発想、、、人と地球を破壊する被害はコスト換算不能。。。
■原発事故コスト:「上乗せ1.2円」…他燃料より「割安」
内閣府原子力委員会の専門部会は25日、東京電力福島第1原発事故の被害額を基に、原発事故のコストを1キロワット時当たり0.0046~1.2円とする試算を固めた。原発の発電コストへの影響は限定的との見方を示したことになるが、試算の前提となる東京電力福島第1原発事故の被害額は、除染費用や賠償額など未確定の部分が多く、さらに膨らむ可能性もある。試算は、政府の「エネルギー・環境会議」に設置した「コスト等検証委員会」などに報告され、電源別の発電コストの見直し作業に反映される。
原子力委は、政府の「経営・財務調査委員会」が試算した廃炉費用と損害賠償額を合わせた今回の事故の被害額(5兆5045億円)を参考に、出力120万キロワットの新設炉が過酷事故を起こした場合の被害額を3兆8878億円と仮定。過酷事故の発生頻度を掛け合わせて事故コストを算出した。
福島原発事故を含めた国内実績に基づき、事故の発生頻度を500年に1回とすると、稼働率60%の場合、事故コストは1キロワット時当たり1.2円となった。今回の事故は3基から放射性物質が大量放出された。これを1回分と数えると、事故コストは3分の1になる。
一方、新設炉は過酷事故の発生頻度を10万年に1回以下とする国際原子力機関(IAEA)の安全目標を満たしていると仮定した場合、事故コストは、稼働率80%で0.0046円となり、発電コストにはほとんど影響しない。
試算に基づくと、原発の発電コストは1キロワット時当たりおおむね5~7円(従来は5~6円)となる。政府はこれまでに石炭火力を同5~7円、液化天然ガス(LNG)火力を同6~7円、大規模水力を同8~13円、太陽光を同37~46円と試算しており、依然として原子力が割安となった。
使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムやウランを取り出して再利用する「核燃料サイクル」のコストも試算。(1)すべて再処理の場合は1キロワット時当たり1.98~2.14円(2)再処理せずにすべて地中に埋める直接処分なら同1.00~1.35円(3)現状のように一部を再処理し、一部を中間貯蔵では同1.26~2.21円--となった。【比嘉洋、関東晋慈】
◇解説 除染など考慮せず
内閣府原子力委員会による原発の事故リスクと核燃料サイクルのそれぞれのコストの試算は、計3回(約7時間)の会議で結論を出すという時間的な制約があった。事故コストは、条件を変えるだけで数倍にも膨らむ可能性があるが、前提となる被害額の議論を深めることはできなかった。
被害額は東京電力福島第1原発事故を想定し、1~4号機の廃炉費用を9643億円、損害賠償額を13年3月末までで4兆5402億円と見積もっている。ただ、廃炉は溶け落ちた核燃料の回収など技術的に解決されていない問題がある。賠償や除染費用、放射性廃棄物の中間貯蔵施設の建設費も十分考慮されておらず、どこまで膨らむかは不明だ。
今回の事故だけを想定して試算をすることにも疑問がある。会議では「ソースターム(核生成物の種類や放出量)の議論が足りない」との意見も挙がった。同じ非常用電源が失われる事態でも、炉心の形状や気象条件によって放射性物質の放出量が増え、汚染範囲が広がる可能性がある。
NPO原子力資料情報室や環境保護団体でつくるグループは「原発を費用だけで検討すること自体、検証される必要がある」と指摘する。原発事故は地域社会や経済を一瞬で変える。試算はエネルギー政策の今後を慎重に議論するために不可欠だが、判断材料の一つに過ぎない。【比嘉洋】
[毎日新聞]
Posted by nob : 2011年10月25日 13:20
自分自身をただ受け入れること、、、
それは孤独と不安に向き合うこと。。。
克服せんとするのではなく、、、
ただ認めること。。。
人は
はじめから
そしてどこまでいっても独り、、、
この世界に
確かなことなど
何ひとつない。。。
できることといえば
心身を日々健やかに保たんとすることと
逝くその日まで稼ぎ続けることができる仕事を創らんとすること。。。
Posted by nob : 2011年10月22日 09:49
自分自身、、、
探すものではなく
はじめからそしていつもここにいる
何もあてはめない…しない…もたない…
あるがままの裸の自分自身を
ただ受け入れるもの。。。
Posted by nob : 2011年10月22日 09:47
もはや新しいことなど、、、
何処で何をせんとしても、、、
そこには大勢の先人達がいる。。。
Posted by nob : 2011年10月22日 09:29
つくるものでなく、、、できるもの。。。
計算され完成されたものなんてつまらない。。。
名作はいつでもどこまでもひとりあるきをして、、、
作者すらも導いていく。。。
Posted by nob : 2011年10月22日 09:24
こんなことまで横並び、、、何かあれば共倒れ。。。
■タイ大洪水 工業団地 浸水7カ所に
【バンコク=寺岡秀樹】タイの大洪水で二十一日までに首都バンコク北隣パトゥムタニ県にあるバンカディー工業団地が浸水し、被災した工業団地は計七カ所となった。操業停止などに追い込まれた日系企業は四百社以上に上っている。
バンカディー工業団地には、東芝やソニー、日本電産など日系企業約三十社が入る。地元メディアなどによると、二十日夜、団地を守っていた防水堤が三カ所で決壊。二十一日にはほぼ全域で浸水。高さ約二メートルまで浸水した場所もあるという。同工業団地に近いドンムアン空港には多くの被災者が避難し、テント生活を送る。
タイ政府は、バンコク中心部への浸水を防ぐため、バンコク北部からバンコク東部の川や運河に水を迂回(うかい)誘導している。バンコク東部にはトヨタ自動車やいすゞ自動車、ヤンマーなどの日系企業が入る工業団地や工場があり、各企業は浸水に備えて警戒を続けている。
一方、インラック首相は同日、バンコク東部に誘導された水が下水や運河を伝って中心部へ広がることを警戒し、自然災害法を発令。首相に権限を集中させ、病院や空港などを浸水から守るよう軍などに指示した。
タイ政府の発表によると、これまでの洪水による死者は三百四十二人に上った。
[東京新聞]
Posted by nob : 2011年10月22日 09:00
空爆…虐殺…横暴かつ残虐な手法にどうして世界の批判は集まらないのか、、、絶望的な気持ちに、、、殺人に正義はない。。。
■カダフィ氏、最後の8カ月間
(CNN) 42年間にわたってリビアを支配した独裁者カダフィ大佐が20日、死亡した。カダフィ派の最後の拠点の1つだったシルトが陥落した際、拘束され、カダフィ派と反カダフィ派の間で起きた銃撃戦に巻き込まれて死亡した。カダフィ大佐の最後の8カ月間を振り返る。
2月14日
エジプトのムバラク政権が崩壊してから3日後。交流サイト「フェイスブック」で、カダフィ政権にたいする平和的なデモを実施する呼びかけが登場。
2月16日
約200人が東部の港湾都市ベンガジで人権活動家の逮捕に抗議してデモを実施。警察と衝突するなか、デモ参加者のうち数人が逮捕された。リビア政権高官はCNNの取材に対し、「深刻なものではない。若者たちがけんかしただけだ」と語った。
2月18日
リビアの国営放送は、人々がカダフィ政権を支持するスローガンを叫び、旗を振り、カダフィ大佐が乗ったリムジンの周囲を歌いながら歩く様子を放送。
2月19日
抗議活動が暴力へと拡大したものの、死傷者の数は不明。ベンガジでは、兵士が催涙弾や銃弾によって流血ざたとなったとの目撃情報がよせられた。
2月20日
ベンガジで武力衝突が発生。反カダフィ派がベンガジを掌握。カダフィ大佐の次男セイフイスラム氏が国営テレビに登場し、反政府運動参加者に対し、デモをやめなければリビアが内戦に陥ると警告した。
2月22日
カダフィ大佐がテレビ出演し、国外へ逃亡したとのうわさを一蹴。カダフィ大佐は、リビアを去ることはないと言明し、「殉教者として死ぬだろう」と語った。国連安保理は、市民に対する暴力を非難する声明を発表した。
2月26日
国連安保理は、リビアに対する制裁決議を採択。安保理はまた、国際刑事裁判所(ICC)に対し、リビアでの人権侵害について調査することを求めた。
3月7日
北大西洋条約機構(NATO)がリビア上空の飛行監視を24時間態勢で開始。
3月17日
国連安保理はリビアの飛行禁止区域を設定。また、市民を守るためにあらゆる措置を執ることを決定。
3月19日
フランス、英国、米国の各軍は軍事行動を開始。110発以上のトマホークミサイルが発射された。
3月20日
カダフィ大佐は国営テレビで、リビアが「紛争地帯」で自国を防衛する権利は国連憲章によって保障されていると指摘。カダフィ大佐は「イスラム諸国、アフリカ、中南米、アジアのすべての人々よ。この武力侵攻に対抗するためリビアの人々とともに立て」と語った。
4月6日
カダフィ大佐はオバマ米大統領に対し、NATOによる空爆を阻止するよう呼びかけ。
4月29日
カダフィ大佐は演説で、NATOに対し、空爆停止の交渉を要請。また、リビアの石油生産施設を獲得するために、市民を殺害し、インフラを破壊していると非難した。
4月30日
NATOはトリポリの住宅にミサイル攻撃。この攻撃により、カダフィ大佐の息子と孫が死亡。
5月22日
EUは反体制派が掌握するベンガジに事務局を開設。
6月8~13日
スペインやドイツなど数カ国が、リビアの反体制派「国民評議会」を正統な政府として承認。
6月27日
国際刑事裁判所は、カダフィ大佐と次男のセイフイスラム氏らに対して逮捕状を発行。
7月15~27日
米国や英国も国民評議会を承認。
8月15日
カダフィ大佐はリビア国民に対し、反体制派と戦うよう呼びかけ。
8月16日
NATO高官は記者団に対し、反体制派が首都トリポリへの進路を確保しつつあると語った。
8月20日
反カダフィ派がトリポリ市内に進入。一方、カダフィ派は、トリポリは政府側が掌握していると主張。
8月21日
トリポリを防衛するために集結するよう呼びかけるカダフィ大佐の音声が国営テレビを通じて流される。反カダフィ派は息子2人を拘束したと発表した。
8月22日
反カダフィ派はトリポリを掌握したと発表。しかし、市内の一部では激しい戦闘が続く。反カダフィ派は息子3人を拘束したことを明らかにしたが、カダフィ大佐の行方はつかめず。
8月23日
拘束されていたはずの次男セイフイスラム氏が市内のホテルに登場。セイフイスラム氏はCNNの取材に対し、カダフィ大佐や家族は市内の安全な場所にいると語った。
9月1日
セイフイスラム氏は、シリアのテレビ局を通じ反カダフィ勢力に対する反撃を呼び掛けた。
9月3日
反カダフィ派は、カダフィ派に投降を呼びかけ、期日を1週間後に設定。
9月9~10日
期限を迎えても、カダフィ派は投降せず。カダフィ派の最後の拠点に対して攻撃が始まる。
9月20日
カダフィ派の最後の拠点の1つ、サブハ陥落。
10月6日
シリアの衛星テレビ局がカダフィ大佐のものとされる音声での声明を放送。リビアで新政権作りを目指す国民評議会に従わないよう市民に呼びかけた。
10月17日
拠点の1つ、バニワリド陥落。シルトが最後の拠点となる。
10月20日
シルト陥落。カダフィ大佐は拘束時に起きた銃撃戦で死亡した。
[CNN]
■カダフィ大佐を極秘埋葬へ=支持者の「聖地化」回避—リビア
【カイロ時事】42年間の独裁の末に20日死亡したリビアの元最高指導者カダフィ大佐の遺体は21日にも、極秘に埋葬される見通しだ。反カダフィ大佐派の連合体「国民評議会」は、大佐の墓所がカダフィ派の「聖地」となるのを懸念、場所を公表しないという。
土葬するイスラム教の慣習では、死後24時間以内に遺体を埋葬しなければならない。独裁者といえども、カダフィ大佐を支持してきた部族や親族ら遺族感情を考慮し、速やかな葬儀を執り行うとみられる。
[時事通信社/朝日新聞]
■カダフィ大佐 死因錯綜
【チュニス(チュニジア首都)=今村実】リビアの元最高指導者カダフィ大佐(69)について、反カダフィ派「国民評議会」の首相格ジブリル氏は二十日、トリポリでの記者会見で、「拘束後に銃撃戦に巻き込まれ、死亡した」と語った。一方で、反カダフィ派の兵士に殺害されたとの指摘もあり、死亡時の経緯が論議を呼びそうだ。
カダフィ派最後の拠点シルト陥落を受け、「国民評議会」は同日「全土解放」を二十二日に宣言すると発表、暫定政府の発足を急ぐ方針だ。
カダフィ氏は、北中部のシルト近郊で拘束された際は生存していたことが現場の映像で確認された。反カダフィ派の兵士に取り囲まれ、上半身が血まみれの状態でぼうぜんと歩く様子が映っていた。途中「生かしておけ」との声も録音されていたが、死亡の状況ははっきりしていない。
AFP通信などが伝えたジブリル氏の説明によると、カダフィ氏は、現場の下水溝から小型トラックに連行された際、右腕を撃たれたという。
さらに「車が動き始めた際、カダフィ派と反カダフィ派の間で起きた銃撃戦に巻き込まれ、頭を撃たれた。病院に到着する直前まで生存していた」と語った。
一方、ロイター通信によると、国民評議会の別の当局者は「カダフィは連行の際に暴行され、反カダフィ派の兵士に殺害された」と指摘。現場にいた反カダフィ派の兵士は「カダフィは自分の護衛に撃たれた」と語るなど、情報は錯綜(さくそう)している。
カダフィ氏はシルトを車列で脱出しようとして北大西洋条約機構(NATO)軍機の空爆に妨げられ、近くの下水溝に身を潜めた後、反カダフィ派に拘束されたとみられている。
遺体が運ばれた西部ミスラタの医師によると、頭と腹部を撃たれていた。身元確認のDNA鑑定などを経て、近くミスラタ周辺で極秘に埋葬される。
[東京新聞]
■リビア:カダフィ大佐死亡 移送途中に銃殺 評議会幹部証言「一部兵士、暴行」
【エルサレム花岡洋二】リビアの最高指導者だったカダフィ大佐(69)が20日殺害された状況について、現場で撮影された動画や反カダフィ派「国民評議会」関係者の証言などから、大佐が生きたまま拘束され、移送途中に一部兵士により銃殺された可能性が高まっている。評議会は22日にも「全土解放」を宣言する見通しだが、無抵抗の状態での殺害が明確となれば、大佐支持派らの反発は必至で、国内の混乱をさらに招きかねない。国際人権団体は、国際法における違法な「処刑」の可能性を指摘、評議会に殺害の経緯の徹底調査を求めている。
◇生きていた大佐
反カダフィ派の兵士らが携帯電話などで撮影した動画はテレビやインターネットを通じ、世界中に報じられた。映像によると、生きているカダフィ大佐らしき男が複数の兵士に囲まれ、小型トラックの荷台に載せられた後、地面へ引きずり下ろされた。「生かしておけ」といった叫び声が続き、直後に銃声が響く。動画はその瞬間の男の様子をとらえていないが、間もなく男の遺体が映る。この際、大佐が「撃つな、撃つな」と懇願したとの情報もある。
国民評議会の幹部はロイター通信の取材に「(カダフィ大佐を)生きたままつかまえ移送していたが、一部の人間が暴行を加え、殺した」と話した。
一方、国民評議会はこれまでの公式発表で一貫して「大佐は銃撃戦で被弾し、死亡した」と説明している。
国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」(本部ロンドン)は「新政権は(カダフィ時代のような)虐待の文化と決別しなければならない」と指摘。評議会に対し、殺害の詳しい経緯を情報公開し、民主政治の始まりにふさわしい適切な対応を取るよう求めている。
◇空爆契機に拘束
大佐が拘束されたのは北中部シルトから西約3キロ付近。現場に入ったロイター通信の記者によると、6車線ある幹線道路から約20メートル外れた場所に、荷台に機関銃を備え付けた小型トラック15台が焼け焦げた状態で放置されていた。北大西洋条約機構(NATO)による正確な空爆を受けた可能性が高いという。
また、現場にいた国民評議会の兵士によると、大佐は空爆を受けた後、近くの排水溝トンネルに逃げ込んだ。引きずり出すと「何が問題なのか。何が起きているんだ」と語った。足と背中を負傷しており、別の兵士が大佐から、黄金の銃を奪い取ったという。
[毎日新聞]
Posted by nob : 2011年10月21日 20:38
怖っ、、、しかし欺瞞と策略渦巻くこの社会、、、戦うも屈するも本人の選択。。。
■鉢呂前経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言は虚報だった!
仮に、テレビや新聞の報じていたニュースがまったくの虚報だったらどうすべきか。おそらく、一般の人々はそのデマを元に報じられたニュースの善悪性を判断し、人物評価を下してしまうだろう。そして、それによって当事者の人生は、大きく変わってしまうことが多い。
海外のジャーナリズムでは忌み嫌われる横並びの報道を「是」とする日本の記者クラブ制度のもとでは、実はこうした被害がたびたび発生している。ジャーナリストの浅野健一氏や山口正紀氏などが長年追ってきた「報道被害」の実例は、枚挙に暇が無い。
しかし、今回、明らかになった事例は、虚報の度合いといい、被害の大きさという点では過去にもそう例のないものだ。
鉢呂前経産相
「放射能と言った記憶がない」
火曜日、筆者が司会を務める『ニュースの深層』(朝日ニュースター)に鉢呂吉雄前経済産業大臣が生出演した。冒頭、筆者は鉢呂氏が発したという「放射能つけちゃうぞ」発言の真意について聞いた。
「放射能と言った記憶がないのです。確かに相槌を打ったような気もしますが、それもはっきりせず、自分で言ったような記憶はない。私も長年政治家をやってきていますから、自分で言った言葉については大抵覚えております。でも、放射能という言葉自体、あまり使ったことがありませんし、放射性物質などということはありましたが、なにしろ記憶にないのです。でも、優秀な記者さんたちがみんなそう報じるので、どうしてなのかなと思っておりました」
結論からいえば、鉢呂氏は「放射能」も「つけちゃうぞ」も発言していない。発言のあったとされる当日、東京電力福島第一原発所の視察から戻った鉢呂大臣(当時)が、赤坂宿舎に集まった4、5人の記者たちと懇談したのは事実だ。だが、防護服を着用したままの鉢呂氏に「放射能」という言葉を使って、水を向けたのは記者たちのほうであり、それに対して、鉢呂氏は何気なく相槌を打っただけというのが真相なのだ。
つまり、マスコミが勝手に自ら言葉を発して、何も語っていない政治家の話した言葉として勝手に報じて、勝手に責任を追及し、デマによって世論を煽り、ついには大臣を辞めさせてしまったというだけの話なのだ。
なんとばかげたことだろう。とても民主主義国家のメディアの仕業とは思えない。根拠のないデマによる集団リンチであり、ジャーナリズムの自殺行為だ。
しかも、そうした事実が明らかになった現在もなお、どの社も鉢呂氏に対して、訂正も謝罪もしていないという。ぶら下がった記者の中には密かにICレコーダーで録音し、完全にすべてを理解しているにもかかわらずである。
卑怯、ここに極まれり、といった感である。
ジャーナリズム以前、
人間としての良心すらないのか
もはや日本の記者たちはジャーナリストとしてではなく、人間としての良心も失ってしまったのだろうか。
朝日新聞デジタル版が、言い訳がましく検証しているので、まずはそれを引用してみよう。
〈9日午前、新聞やテレビ・通信社は鉢呂氏の「放射能」発言を報じなかった。
だが、その日午前の記者会見で、鉢呂氏は原発周辺自治体を「死のまち」と表現。野田佳彦首相は9日昼すぎ、「不穏当な発言だ。謝罪して訂正してほしい」と語り、鉢呂氏は同日夕に発言を撤回し、謝罪した。
「放射能」発言を最初に報じたのはフジテレビとみられる。9日午後6時50分過ぎ、鉢呂氏の失言関連ニュースの最後に「防災服の袖を取材記者の服になすりつけて、『放射能を分けてやるよ』などと話している姿が目撃されている」と伝聞調で伝えた。
午後8時半には自社のウェブサイトにも掲載。この後、他のメディアも報じ始め、共同通信は午後9時過ぎ、「放射能」発言を加盟社向けに速報し、約30分後に記事を配信。TBSは午後11時半からのニュースで報じ、NHKも午後11時59分に「経産相『放射性物質うつった』発言」というニュースをネット配信。朝日新聞など新聞各社も10日付の朝刊で発言を大きく扱った。
一方、発言内容や自社の記者が現場にいたのかどうかの表現は、社によってばらついた。毎日新聞は「毎日新聞記者に近寄り、防災服をすりつけるしぐさをしながら『放射能をつけたぞ』という趣旨の発言をした」と報道。9日に報じなかった理由は「経緯についてはお話ししかねる」(社長室広報担当)という。
同様に自社の記者が現場にいたことを明らかにしている共同通信は「鉢呂氏が突然、記者の一人にすり寄り、『放射能をうつしてやる』という趣旨の発言をした」と報道。同時に、経済部長名で「『死の町』発言で、原発事故対策を担う閣僚としての資質に疑義が生じたことで、前夜の囲み取材での言動についても報道するべきだと判断した」というコメントも配信した。
他のメディアでは、産経新聞、東京新聞、テレビ東京、時事通信が「囲み取材には参加していなかった」としており、東京新聞は紙面で共同通信の配信であることを明らかにした。日本テレビ、TBS、テレビ朝日などは取材に対し、取材の過程については答えられない旨を回答。フジテレビは「取材の結果、報道する必要があると判断した」とし、記者が現場にいたかは明らかにしていない。
朝日新聞の渡辺勉・政治エディターは「8日夜の議員宿舎での発言の後、鉢呂氏は9日午前の記者会見で『死のまち』とも発言。閣僚の資質に関わる重大な問題と判断して10日付朝刊(最終版)で掲載した」と話す。辞任会見で鉢呂氏が、議員宿舎での取材を「非公式の懇談」と語ったことについては「議員宿舎の玄関付近での取材は自由であり、扱いについて特段のルールはない」としている。〉
こんな程度の取材でニュースを作れるとは日本の記者たちはずいぶんとお気楽な職業に就いているものである。
虚報による政治家の社会的抹殺
マスコミの罪はテロ行為にも等しい
そもそも「死の街」発言についても、福島県民からの苦情が殺到しているように報じられていたが、鉢呂事務所にはそうした声は届いていなかったという(鉢呂氏)。むしろ、「がんばれ」という激励の声が多数寄せられていたそうだ。
それもそうだろう。鉢呂氏は、大臣就任前から一国会議員として福島県に通い、放射線量の測定や、小学校や保育園の除染の徹底、そして暫定基準値の20ミリシーベルトから1ミリシーベルトへの引き下げを訴え、菅首相(当時)に直訴していた数少ない政治家の一人だったからだ。
大臣辞任直前には、「鉢呂氏を辞めさせないで」という署名運動が福島県内で始まっており、まさに「死の街」という事実をきちんと告知してくれたことへの感謝の言葉すらあったのだ。
それが、なぜか、マスコミのフィルターにかかると、福島県内で非難の声が多数あがったということになる。だが、そのほとんどが匿名だ。一方、鉢呂氏の発言はその通りだとするのはたとえば、南相馬市のエム牧場の吉村農場長や、同じく南相馬の桜井市長など実名での発言となっている。
マスコミのデマによって職を追われた鉢呂氏は、ずっと「放射能つけちゃうぞ」などという言葉は発していないといい続けてきた。だが、その反論をまともに取り上げるメディアはなく、事実上黙殺された。
発言していないデマによって、ひとりの政治家を葬るのはまさしくテロ行為に等しい。メディアは恥を知るべきだ。いまからでも遅くない、もう一度、自らの稚拙な取材を検証しなおしてみるべきだ。
そして、当事者の鉢呂氏も「もう、大臣を辞めてしまったからいい」と自らのことばかりを考えるのではなく、今後の民主主義と若い政治家たちのために、きちんとした対応をすべきなのである。
放送に関してはBPOに訴えるのもよし、あるいは名誉毀損で裁判を起こすのもよし、いずれにせよ、こうした卑怯な振る舞いに対しては断固とした措置を講じるべきなのである。仮に、こんな卑劣なデマ報道が許されるとしたら、それはジャーナリズムのみならず、民主主義の死を意味する。
嘘によって、選良である代議士を葬ることは、代議制民主主義、ひいては国民への裏切りに他ならない。
[週刊・上杉隆/DIAMOND online]
■「放射能つけちゃうぞ」発言捏造をめぐる記者クラブの“やり方”――そしてさらなる新事実
案の定、先週の本コラムに対する大手メディアからの反論、異論、抗議の類は一切ない。
鉢呂前経済産業大臣が発したとされる「放射能、つけちゃうぞ」という趣旨の発言は、やはり「捏造」だったということだろうか。
当事者である鉢呂氏はこう語り、本コラムで筆者は次のように報じた。
〈「放射能と言った記憶がないのです。確かに相槌を打ったような気もしますが、それもはっきりせず、自分で言ったような記憶はない。私も長年政治家をやってきていますから、自分で言った言葉については大抵覚えております。でも、放射能という言葉自体、あまり使ったことがありませんし、放射性物質などということはありましたが、なにしろ記憶にないのです。でも、優秀な記者さんたちがみんなそう報じるので、どうしてなのかなと思っておりました」
結論からいえば、鉢呂氏は「放射能」も「つけちゃうぞ」も発言していない。発言のあったとされる当日、東京電力福島第一原発所の視察から戻った鉢呂大臣(当時)が、赤坂宿舎に集まった4、5人の記者たちと懇談したのは事実だ。だが、防護服を着用したままの鉢呂氏に「放射能」という言葉を使って、水を向けたのは記者たちのほうであり、それに対して、鉢呂氏は何気なく相槌を打っただけというのが真相なのだ〉
その後、さらなる事実が判明した。そこで、今週は、先週、書ききれなかった部分と、取材で得た新事実を付け加えてみようと思う。
「死の街」発言が問題なら
なぜその場ですぐに追及しないのか
まず、鉢呂氏が発言した「死の街」発言についてだが、それは公的な大臣会見の席上で発せられた言葉で、その後の質疑応答でこの点について質した記者はいないということを明確にしておかなければならない。
仮に問題発言ならば、すぐにでも、その言葉について反応してもよいものだが、日本の記者の習性である「内弁慶ぶり」がここでも発揮されてしまったようだ。
では、鉢呂氏の会見内容を経済産業省のホームページから抜粋してみよう。
〈昨日、野田総理と一緒に原子力発電所の福島第一の事故の現場にも、大変まだ高濃度で汚染されている現場、また指揮されている事務管理棟、そしてまた作業をやっている二千数百名、ちょうど昼休みだったものですからお話をし、そして除染のモデル実証の伊達市、集落の所と学校と、また佐藤知事、そして除染地域に指定されております14の市町村長と朝6時、夜11時過ぎまで、ということで行ってまいりました。
大変厳しい状況が続いておると。私が言っておりますように、福島のあの汚染がそもそもの経産省の一つの原点と捉えて、そこから出発をすべきだというものを、また3回目でありましたけれども、感じてきました。
同時にまた事故現場の作業員、そしてまた管理している方々、予想以上に前向きで、明るく、活力を持って取り組んでおると。3月、4月に入った方もおられたのですが、雲泥の差というふうに聞かされたところでございます。
残念ながら、周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でございました。私からももちろんでありますけれども、野田総理から、福島の再生なくして日本の元気な再生はないと、これを第一の柱に野田内閣としてやっているということを、至る所でお話をしたところでございます。
その中でも、除染対策について、伊達市等、南相馬市も先進的に取り組んでいる。大変困難な中ですが、様々な形で14市町村の首長さん、こういった方法で除染をしているという前向きの形も出てきておるところでございまして、私もそういった過去の経緯からいっても、首長さんを先頭に各住民の皆さんが前向きに取り組むことによって、今の困難な事態を改善に結びつけていくことができると、こういうお話もさせていただきましたし、政府は全面的にそれをバックアップしていきたいと、こういうお話もさせていただきました〉
http://www.meti.go.jp/speeches/data_ed/ed110909aj.html
果たしてこれは失言か?
前後の文脈も含めて判断すべき
確かに鉢呂氏は「死の街」という発言をしている。だが、それは文脈の中の言葉だ。もう一度みてみよう。
〈残念ながら、周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でございました。私からももちろんでありますけれども、野田総理から、福島の再生なくして日本の元気な再生はないと、これを第一の柱に野田内閣としてやっているということを、至る所でお話をしたところでございます〉
果たしてこの発言が失言といえるだろうか。筆者には、どうしてもそうは思えない。だが、そう思う人もいるだろう。しかし、仮にそうだとしても、なぜその場で追及しないのだろうか。
裏では盛んに批判するが、本人の前では黙っている。これがいつもの記者クラブの記者たちのやり方だ。
都合のいい声だけを報じ
都合の悪い声は報じない、いつもの手
さらに驚くのはその後のことだ。「死の街」発言を、記者自らが批判するのではなく、匿名の福島県民の声を借りて、「福島県民が怒っている」とやったのだ。
「一通もなかったんですよ。当時、事務所には福島県民からの苦情や抗議が――。おかしいなと思いましたが、新聞やテレビでは抗議一色ということで、そうなんだなと思ったんです。なにしろ、記者のみなさんは聞き手のプロなんですから」
それはそうだろう。なにしろ、まさに記者クラブに福島県民からの抗議が殺到しているはずのその瞬間に、福島県内の被災者の間では「鉢呂大臣を辞めさせるな」という署名活動が始まっていたのである。
つまり、都合のよい一方の意見のみを大々的に報じ、自らに不都合な声はネグるいつものアンフェアな報道をまたしてもしでかしたのだ。
「辞めてからそういう声を聞きました」
鉢呂氏はこう語った。だが、それも後のまつりだ。虚報で大臣の地位から追いやられる。民主主義国家とは思えない事態が発生しても、メディアは検証すらしない。
そして、前夜の懇談での捏造「放射能、つけちゃうぞ」発言をあたかもその後に発言したかのように報じる。しかも、フジテレビが報じた「誤報」を、鉢呂氏本人に当てて確認することもせず、全社、横並びで報じたのだ。
当事者取材の欠如というジャーナリストとは言いがたい報道は日本中を駆け巡り、結果、鉢呂氏を辞めさせることに成功したのだ。
この捏造報道に関しては、現場にいた記者のひとり毎日新聞のN記者は、記事のでることを了解しなかったという。
だが、日本のメディアでは自社の記者の現場からの声よりも、他社との横並び報道が優先される。
もはや、報道とはいえない。メディアは早く、自らの放射能報道の検証をするべきではないか。
[週刊・上杉隆/DIAMOND online]
Posted by nob : 2011年10月21日 16:05
うるさく煩わしい存在、、、
それも幸せのかたちのひとつ。。。
Posted by nob : 2011年10月15日 13:23
日々心身を健康に保ち続けること、、、
これぞまさに天才的奇跡的な技の成せる業。。。
Posted by nob : 2011年10月15日 13:21
何気ない日々の暮らしのかけがえのない価値に、、、
今回はたくさんの人達が気付きました。。。
Posted by nob : 2011年10月15日 13:18
根拠のない風評被害、、、
風評であるという根拠もない。。。
Posted by nob : 2011年10月15日 13:13
食の安全などそもそも存在しない、、、ほぼ不可能な完全自給自足たりとて社会生活上外食もする。。。
■外食怖い
「もう外食は怖いよ」。いつもは泰然としている、ある文化人と一緒に夕食を取る約束に出向いたら、彼は現れるなりこう言った。彼や彼の周囲の友人とはよく中国の暗い部分の話をするが、こんなに暗い顔をしている彼は初めてだった。
きっかけは9月中旬に明らかになった、有名四川料理チェーン「俏江南」の南京店で再生油が使われていたというニュースだ。中国語で「地溝油」と呼ばれる再生油の再利用問題は、昨年初めに中国の政府系メディアが大々的に報道して撲滅キャンペーンを張ったことが日本でも「下水油事件」として報道されたので、ご記憶の方も多いはずだろう。
もちろん、彼も昨年のニュースは知っているし、顔をしかめていた。しかし、今回名指しされたのが全国で支店展開する大型店舗で、また経営者が超有名芸術家の作品をオークションで競り落として有名になったり、他にも社会エリートに人気のクラブを運営する社会的地位のある人物なので、周囲に食通として知られる彼も「この店は信用できる」と判断してたびたび通っており、「もう何も信じられない」と絶望的な気分なのだと言う。
今回の報道によると、この店では四川料理の名物「水煮魚」で使った油を「職員の賄い料理に使っていた」(店側の釈明)そうだ。「水煮魚」とは薄く切った、生の白身魚に、唐辛子がどっさり入ったぐらぐら煮えたぎる油をかけ、テーブルに運ばれる頃には火が通った魚を食べるという料理だ。
実はわたしも四川出身の友人に勧められて以来、皆が箸をつける前に引き上げられる唐辛子をよく持ち帰って野菜炒めに使っているが、テーブルの客たちは直接箸で油の中に沈んだ魚をさらう。そして食べ終わった洗面器のような皿にはたっぷりと油だけが残るのだが、その油を料理に使っている店も多いという噂は以前からわたしも耳にしていた。その噂を口にする人もいつも自分だってその油に「当たるも八卦、当たらぬも...」的な言い方をしていたのに、それにしてもあんな高級有名店までが......だからこそ、今回の暴露は多くの「自衛していたつもり」の人たちに波紋を広げている。
「俏江南」の本店は件の支店が「フランチャイズ加盟店であり、再生油の再利用は加盟店側が勝手にやったことで本店が指定する全国統一の手法ではない」と繰り返し強調している。しかし、同店はどの支店でも同じメニューを出すし、そんな「台所事情」だけを「支店が勝手にやったこと」と主張しても信じる消費者はいない。特に中国ではなにか事件が起こるたびに「臨時職員が」「特別な事態が」などとトカゲのしっぽ切りが常態化していて、当事者が講釈を垂れれば垂れるほど、人々は「再生油が使われていたのは本当に職員向けの賄いだけだろうか」と疑問を抱く習慣が出来上がっている。
でも実際に、食べる側にどれだけの「防衛策」があるだろう? 乳児向けミルクに有機化学物質メラミンが混入され、それを飲んだ乳児数万人が全国各地で原因不明の腎不全を患っていたのにメディア報道まで誰も大きな声をあげなかった。そして、事件発覚後、政府の監督責任と謝罪と補償を求め続けている被害者は逮捕されたり、拘束されている。
今年2月には雑誌「新世紀」が「市場で販売されているコメの約10%にカドミウム汚染が見られる」という学者によるサンプル調査結果を発表して注目されたが、その後続報道は見られない。明らかに政府が規制をかけている。豚には「痩肉精」(赤身剤)と呼ばれる赤身肉を増やすとされる薬品が与えられているという話も、もう何年も前から報道されているが、今年再び報道されて大騒ぎになった。そこで摘発された加工肉製品ブランドは1カ月ほど生産停止処分を受けたが、出荷開始直後にスーパーに並んだ同ブランド製品の生産日が「生産停止期間」になっていたことを、わたし自身が自分の目で確認している。
おかげで日本の粉ミルクが大人気だ。コメも上海などでは日本米が売れているという話も聞くし、有機野菜への注目も高まっている。ただ、メラミン騒ぎの直後に大々的に売り出した日本ブランドが中国国内の牧場で作っているという牛乳は高級スーパーはともかく、一般の庶民が集まるスーパーには並ばない。その価格が庶民が日常口にする牛乳の3倍以上するからだ。多くの人たちが出荷停止処分を受けたり、謝罪広告を一度出しただけの企業の「誠意」を信じて、日常生活を続けている。自衛できるのはお金を使えることのできる人たちだ。
政府はなぜ長年、「安全食品提供」に本腰を入れないのか。そこには政府トップのためにつくられた御用農場の存在があると指摘する学者もいる。高いフェンスで守られ、守衛までついている御用農場の生産物で自衛を図るトップには、庶民の気持など分からない。そして、中央政府がそうならばと、地方政府もそれぞれ自分のための地方御用農場を作って自衛する現象も指摘されている。
しかし、そのほかにも中国では各方面に見られる「成果主義」が大きく影響していると、わたしは思う。国全体が「終わりよければすべてよし」という意識で、農村や生産者、そして中間に携わる加工業者や代理業者も、収穫や収入が多ければ良いという「結果ありき」の価値観で動いている間は、消費者の顔の見えない市場経済は「無責任経済」の温床になる。「質より量を問う」の中国的な伝統観念の根深さがここにある。
食品添加物について伝えるネット記事の後ろにこんなコメントが書きこまれていた。
「朝はメラミン入りの蒙牛ブランド牛乳に、下水油で揚げたパンと段ボール箱三つ分が詰まったバオズ、昼は残留農薬たっぷりのホウレンソウにベンゼン基準を越えたコーラ、イオウで漂白したマントウ、夜は避妊薬を使って急速成長させたタウナギにスーダンレッド入りのフライドチキン、アフラトキシン(カビ毒)B1が含有基準を超えたご飯にホルマリン入りのビール。中国人民の幸せな一日だ」
そんなところに、昨年、地溝油事件を熱心に報道した河南省のテレビ局記者が刺殺されたというニュースが飛び込んできた。亡くなる前に発した、最後のマイクロブログの書き込みもある地方で行われているという地溝油生産に関わる情報で、「当局に問い合わせたが、まだ返事はない」とあり、彼の死は地溝油報道と関係があるというもっぱらの噂だ。
冒頭の文化人は最近、これまでほとんどやらなかった自炊を始めたそうだ。それでもスーパーに並ぶ油が疑わしい。その日、わたしと彼は豚骨ラーメン屋で夕食を取った。彼は今や日本食レストランしか信じられないと言う。でも、地溝油を避けて豚骨スープばかりすする、そんな生活も健康的とはいえないのだが。
[NEWSWEEK]
Posted by nob : 2011年10月15日 07:09
もう一つの側面/私自身も、QUADRAからはじまって、ジョブズ関連のブツには、かなりの投資をしている、、、プラスマイナスゼロどころか私の場合はかなりマイナス。。。
■毀誉褒貶(きよほうへん:ほめることとけなすこと、さまざまな評判の意)の中を生きたジョブズ
小田嶋 隆
スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。
先月だったか、彼が米アップルの経営から退く意思を表明した際に流れてきた画像を見て、ある程度の心構えはできていた。「ああ、この痩せ方はただごとではないぞ」
と、その時に、遠くない時期に訃報が届くであろうことを、私は半ば予期した。
が、実際に訃報に接してみると、感慨はまた別だ。直接に面識の無い、いわゆる有名人の死にこれほど深い喪失感を感じるのは、もしかしたらジョン・レノンが死んだ時以来かもしれない。
ジョブズは、私とほぼ同世代(満年齢で1年3カ月、日本流の学年で言うと2学年ジョブズが上ということになる)なのだが、個人的にはあんまりそういうふうに感じたことは無い。ずっと見上げてきた存在だったからかもしれない。
彼の名前をはじめて聞いたのは、1980年代のはじめ頃だ。
当時出入りしていたコンピュータゲーム雑誌(「遊撃手」)の編集部には、「AppleII」が何台か置いてあり、専用のゲームソフトが300種類ほど揃っていた。ゲーム以外にも、初歩的なアニメーションソフトや、脳波を画像出力するツールなど、先進的でワクワクさせるアイテムが次から次へと出てきていた時期だ。
その、編集部にソフトウェアを持ち込んでいたアップルフリークの連中が、「ジョブズ」という名前を連呼していたのである。
彼らにとって、ジョブズとウォズ(スティーブ・ウォズニアック。ジョブズとともにアップルを創立した技術者)は、まぎれもないヒーローだった。
ヒーローといっても、尊敬や信仰の対象ではない。アイドルに近いかもしれない。
ちょうど、学生だった頃の私がジョン・レノンやボブ・ディランにカブれていた感じに近い。彼らは時に馴れ馴れしく、時に親しみをこめて「ジョブズ」と呼んでいた。
私自身は、まるっきりのアップル・フリークというわけではなかったので、真正面からジョブズにカブれることはなかった。というよりも、私にはそうするだけのカネがなかったのだ。
当時、ジョブズにカブれるためには、それなりの資金(金額もさることながら、一身を捧げるという意味での「寄進」)が必要だった。私自身は、アップルに憧れてもいたし彼らの作るカルチャーが大好きでもあったが、自分にはアップルファンを名乗る資格が無いと思っていた。理由は、自分にはまだ献身が足りないと考えていたからだ。当時、ファンであるためには、「身をやつす」必要があった。現在、AKBのサポーターをやっている皆さんと似た状況かもしれない。肝心なのはどれだけ犠牲を払っているかで、私はその意味で、ジョブズをファーストネームで呼ぶに値しない人間だったのである。
私より若かった彼ら(電通大の学生が主たるメンバーだった)が、どこからどうカネを工面してアップル関連のマシンやらソフトウエアやらを入手していたのかは謎だ。とにかく彼らは、アップル以外の一切の出費を削って、ブツを手に入れていた。私には真似のできない生き方だった。
とにかく、そんなわけで、以来、私の中のジョブズは、分類上、ロックスターと実業家の中間ぐらいなところにいる。ミック・ジャガーよりはロック寄り(ミックは広告屋だからね)。ルー・リードよりは起業家寄り。ドラッグフリーなジェリー・ガルシア。並びとしては、ゲバラ、ジョン(レノン)、ジョブズぐらい。つまり、アイコンということだ。これから生まれてくる子供たちが、何かの旗印に使うかもしれない——そういう存在だ。
ついでに言っておくが、私の記憶では、80年代までは「スティーブ・ジョブズ」ではなくて、「スティーブン・ジョブズ」と呼ぶ人間が多数派だった。
結局、当時から、「スティーブ問題」は混迷のさなかにあったわけだ。
よくある話だ。
外国人の名前について、表記が統一されるようになったのは、この10年ほどのことだ。
それまでは、媒体によって、あるいは人によって、それぞれが勝手に、呼びたい呼び方で呼んでいた。
キース・リチャーズが「リチャーズ」なのか「リチャード」なのかは、長い間議論の的だったし、「ピーター・ガブリエル」が、ある時期から「ピーター・ゲイブリエル」になった件については、いまだに納得していないファンがけっこういる。
「朝日新聞の学芸部の女性記者が来日インタビューの時、聞いたまんまの音で《ゲイブリエル》って書いちゃたのが二重表記のはじまりらしいぜ」
「帰国子女なんだろうな、どうせ」
「確かに、オト的には《ゲイブリエル》の方が原語に近いんだろうだけど、伝統ってものがあるわけでさ」
「オレの《ピーガブ》はどうなるんだって話だよ」
「っていうか、《ガブリ寄り》が《ゲイブリ寄り》で相撲の品格が保てるのかっていう話でもあるわな」
スティーブについても、「スティーブ」「スティーブン」「ステファン」と、同じスペルの同じ名前について常に複数の表記と発音がついてまわっていて(スティーヴ、スティーヴンという書き方もあった)、結局、使う人間の好みで処理されていた。
で、オタクの皆さんは、スティーブンを採用していたわけだ。その発音がなんだか一番重みがあってカッコ良く思えたからだ。
ちなみに、私が1992年に書いた『笑っておぼえるコンピュータ辞典』の中では、「スティーブン」の表記が採用されている。二人のスティーブン。ジョブズとウォズ。当時はそういう認識が一般的だった。
以下、「笑っておぼえるコンピュータ辞典」の中から「ジョブズ」の項目をまるまる引用する。あまり信用のおける記事ではないが、いまとなっては不遇時代のジョブズについて書かれた貴重な資料となってしまっている感じもするので。
***********引用開始***********
『ジョブズ』 Steve Jobs
フルネームはスティーブン・ジョブズ。
1970年代に、僚友のスティーブン・ウォズニアック(Steve Wozniac)とともに世界初のパソコンメーカーApple社を創業した立志伝中の人物である。
出生ははっきりしていない。
養父母に育てられたということになっている。
本当だろうか。
ともかく、ジョブズは、ワイヤヘッドだった。
ワイヤヘッド——彼が少年時代を過ごした1960年代のシリコンバレーでは、「髪の毛が針金みたいにガチガチに固まってしまうまで洗髪をしないような超マニアックな機械/電気好きの少年」をそう呼んだのである——いつも一日中、親父のガレージにある工具をがちゃがちゃといじくりまわしている友達もロクにいない、親とさえロクに口をきかない、ごくおとなしい子供。そういう子供でジョブズはあった。
しかし、勉強はできた。大学にも飛び級で入った。
が、変わり者という点では、やはり変わり者ではあったらしく、チベット仏教に入れあげたり、導師を求めて2年もインドを放浪したり、妙な健康法に凝って果物以外の食べ物を一切食べなくなったり、なんだかわかんないけど一年中裸足で過ごしてみたり、極度に入浴を嫌ったかと思えば、食事代を絶対に払わず、会議に出れば出たで、発言しているうちに必ず興奮して泣き出してしまうし、しかもそういうことをしている裏で、ウォズを追い出すために工作をはじめていたり……といったような伝説の類が山ほど伝えられている。
それらの伝説のどこまでが本当で、どの部分が駄ボラであるのかは、たぶん、もう誰にも(たぶん本人にも)分からない。が、いずれにしてもこのジョブズという人が相当な変わり者であることは確かだ。
ジョブズは、1980年代に入って、創業者の片割れであり、少年時代からの恩人でもあったウォズニアックをアップルから追い出してしまう。そして創業当時の仲間のほとんど全員を追い出したあげくに、最後には、結局、自らがアップルを追われてしまうのである。
あきれた人だ。
ちなみに、現在は、NeXTという会社の社長をやっている。
以下にこれまでジョブズに対して使われた形容詞を列挙するので参考にしてほしい。
奇人、野心家、大法螺吹き、裏切り者、ダニ野郎、ケチ、冷血、私生児、神童、傑物、秀才、救世主、山師、やらずぶったくり、キツネつき、若大将、二枚目、出世頭、パソコンの父、百万長者、ヒッピー上がり、偏執狂、変節漢、エゴイスト、片棒かつぎ、マザーファッカー、腐れ外道、ハイエナ、ユダ、ジャンキー、自我狂、大風呂敷、博覧強記、八面六臂、ワーカホリック、情緒不安定、四面楚歌、落ちこぼれ、礼儀知らず、できそこない、腰抜け、情性欠如、肛門期人格、甘ったれ、恩知らず、けだもの、鬼才、聖者、福音伝道者、職人、独りよがり、卑怯者、独裁者、包茎、キ印、卑劣漢、引っ込み思案、取り込みサギ、賞金泥棒、我利我利亡者、守銭奴、金壷マナコ、とっちゃん坊や、人真似野郎、殉教者、不適応、根性曲がり、独善、創造者、極道者、入れ墨者、パイオニア、革命家、成り上がり、ファシスト、ごろつき、あほんだら、思索の人、モラリスト、熱血漢、ぼんくら、はなったれ、しみったれ、ごうつくばり、薄毛、泣き虫毛虫破産で捨てろ……
まったく、なーんの参考になるんだか(笑)。
***********以上引用終わり***********
今読んでみると、特に後半部分は、書いていた私自身が手に負えない酔っぱらいであった事情を反映した、かなり手酷い記事だ。よくもまあこんなものを出版したものだと、あきれるばかりだ。担当の編集者はよほど度胸が良かったのか、真面目に仕事をする気持を持っていなかったのか。現在なら(いや、当時でも)到底印刷できない表現がごっそりスルーされている。
でもまあ、そういう時代だったということなのである。
ジョブズ自身も、こういう言い方をされても仕方の無い状況にあった。
世界中のメディアが、ジョブズの境遇を笑っていた。“Jobs has no job”(←ジョブズ氏失業中:宙ぶらりんの)と、たしか、どこかの新聞がそういう見出しを打っていたはずだ。若大将の零落。身から出たサービスミス。
が、ジョブズの真骨頂は、こうした毀誉褒貶のうちにある。
彼自身、何かのスピーチの中で言っているが、アップルを追われたことは、彼にとって、結果として彼の人生にポジティブな変化をもたらしている。
というのも、後に復帰後のアップルをリードする中核的な技術のひとつとなったNeXTコンピュータの開発と、ピクサーでの仕事は、アップルの外に出てはじめて手をつけることのできた業績だからだ。
ジョブズは、アップルを追われたことについて、「成功者であることのプレッシャーから解き放たれて、もういちど初心者の立場に戻ることができた」というふうに言ってもいる。
ジョブズの面白さは、こういうところにある。
大学を中退したことや、里子として育ったことについても、同じように、ジョブズはポジティブにとらえる発言をしている。
単なる負け惜しみではない。彼は、そういうめぐりあわせの人間だったのだ。
スタンフォード大学の卒業式に招かれた時のスピーチの中で、ジョブズは、自分が大学をドロップアウトしたことについて触れて、こんなことを言っている。人生の中のある段階で傾注した努力が、後の人生のどの場面で役に立つのかは、進行中の時間の中では決してわからない。が、過ぎ去った時点から振り返ってみると、どの勉強がどの仕事に役立ったのかについて、点と点を結ぶことができる、と。
なんだか説教くさい話に聞こえる。そこいらへんの課長が朝礼で同じ話をしたら、若手に煙たがられるかもしれない。
が、ジョブズの人生を振り返った上でこの話を聞いてみると、実に味わい深い。ジョブズというのは、そういう存在だった。つまり、紆余曲折のある人生を生きた、毀誉褒貶の多い人物だったのである。
そういう意味で、ジョブズは、通常の起業家ではない。
もっと別のカテゴリーで考えなければならない。
『笑っておぼえるコンピュータ辞典』の中で私が列挙した形容のすべが真実であるわけではない(っていうか、あれは酔っぱらったオダジマの発作だと思う)ものの、ジョブズが、私生児であり、ドロップアウトであり、ヒッピーであり、追放者であったことは事実だ。そして、一方において、彼が真に革命的なソフトウエア設計者であり、前代未聞の経営者であり、情熱的なライフスタイル創造者でり、ある意味現代の聖者であったことも事実だ。
要するに、ジョブズは、東洋的な思想と西洋的な理想を併せ持ち、古代的でもあれば未来的でもあり、マッチョでもあれば女性的でもあったという意味で、非常に多義的な人間だったということだ。
一人の人間が世界を変えるわけではない。
が、一人の人間のインスピレーションが、後の世代の若者のアタマの中味をごっそり入れ替えてしまうことは、必ずしも珍しい出来事ではない。ジョブズは間違いなくそれを成し遂げた男の一人だ。
21世紀に決定的な影響を与えた人間の名前を一人だけ挙げろと言われたら、私が挙げる名前はジョブズになる。
リオネル・メッシだとか、ウサマ・ビン・ラディンだとか、ジュリアン・アサンジだとか、見出しになる回数の多かった名前はもっと別なところにあるかもしれないし、大統領や起業家や文学者を含めて巨大な影響力を持った人物はほかにもたくさんいる。でも、あえて一人だけということになると、挙げるべき名前は、やはりジョブズだ。ほかには思いつかない。
私自身は、初代のマッキントッシュからはじまって、ジョブズ関連のブツには、かなりの投資をしている。
一方で、アップルにまつわる翻訳書を二冊出しているし、マッキントッシュの記事やアップル関連書籍への寄稿で、おおよそ似たような金額の報酬を得ている。
差し引きで考えると、プラスマイナスでちょうどゼロぐらいになる。
でも、それは経済上の問題だ。
私のアタマの中味を作ったものを、円グラフの中に書きこむのだとすると、おそらく、4分の1ぐらいを、コンピュータ関連のあれこれが占めることになる。で、そのうちの半分はアップルでできている。
ということは、私のアイディアの12.5%はジョブズ由来だということになる。
リンゴで言えば、ちょうど齧られてなくなっている部分ぐらいに相当する。
感謝せねばならない。
リンゴが落ちることを発見した男によって切り開かれた時代が近代であるとするなら、現代は、リンゴに歯形を付けた人間のインスピレーションに沿って動いている時代だ。未来がどうなるのかはもう誰にもわからなくなった。さようならジョブズ。
[日経ビジネス]
Posted by nob : 2011年10月12日 10:07
こんなふうに生きていけたら、、、
その時々で好きなこと
情熱が持てることに邁進した結果
さまざまな点が生まれ
その点をつないで
ほかの人たちには思いもよらないモノを生みだしていく。。。
Posted by nob : 2011年10月11日 08:44
歳はとるものではなく、、、
歳は重ねるもの。。。
Posted by nob : 2011年10月11日 08:27
流石。。。the one of the most creative persons in the world...we everyone can be so...
■ジョブズ氏が今後4年の設計図を遺す
賢者はやはり、自分の死後のことも考えていた。米アップルの故スティーブ・ジョブズ氏は、今後4年間分のアップル製品のコンセプトと計画を託していたことが10日、英デイリーメールの報道でわかった。
報道によると、ジョブズはここ1年間はすべて、今後のアップルの将来のためを考えて働くことに専念していたという。それは、自身の死期が近いことを察していたということか。
具体的には、iPhone、iPadなどの製品の設計図やプランが社内に残っているのだという。最新作のiPhone4Sもその一つだろうが、「遺作」は今後も続々と登場することになるのか。
もちろん自社製品のことだけではない。外部には難題が転がっていた。
現在、特許問題で各国で係争中のサムスンに対しては、昨年に韓国の本社を訪れて和解して解決の道筋をつけようとしたことや、本社移転に関して議会の了承を得ることなど、外部との交渉もしっかりと行っていた。
カリスマ亡き後、すぐにアップルの価値は急落しないだろう。
[ゆかしメディア]
■スティーブ・ジョブズ名言集
米アップルの創業者で前最高経営責任者(CEO)のスティーブ・ジョブズ氏の死去の報を受けて、同氏が今年8月24日にアップルのCEOを退いた際に掲載した同氏名言集を更新した。
ジョブズ氏は5日、56歳で死去。同氏はパソコンの生みの親の一人として、その数々の技術革新で後世まで名を残すことは間違いないが、実にうまい表現で、複雑なアイデアを理解しやすいように言い換える才覚でも知られていた。以下、同氏の数々の名言のなかから、一部を挙げる。
技術について
「技術によって世界はずっと近づいたし、今後も近づき続けると考えている。物事には全て負の側面が存在し、意図しなかった結果が存在する。私が見る限り技術の最も腐食した産物はテレビと呼ばれるものだ。--しかしそれでも、テレビでさえ最高の状態では素晴らしい」(ローリングストーン誌、2003年12月3日)
デザインについて
「マックは膨大な数が売れると思うが、われわれはマックを誰かのために製造したのではない。自分たち自身のために作った。われわれ自身で、素晴らしいかどうか評価することになる。出かけて行って市場調査をしたわけではなく、作れる最善のものを作りたかった」
「もしあなたが大工で美しいチェストを作っているとしたら、壁に面して誰も見ることがないからといって背面にベニヤ板を使ったりしないはずだ。自分には分かるんで、背面にも美しい板を使用するだろう。自分が安心して眠れるように、最後まで美学や質を追求する必要がある」(プレイボーイ誌、1985年2月1日)
***
「デザインというのは奇妙な言葉で、どう見えるかということだと考える人がいる。しかし、もっと深く考えると、実際にはどう機能するかだ。マックのデザインはどう見えるかではなかった。それも一部ではあったが、そもそも、どう動くかだった。何かを本当にうまくデザインするには、理解する必要がある。すべてに共感する必要がある。何かを徹底的に理解し、素早く飲み込むのではなく噛み砕く情熱に満ちた取り組みが必要だ。ほとんどの人はそれほどの時間をかけない」
「想像力というのは物事をつなぐだけにすぎない。想像力に富む人々に何かに関して、どうやってやったのかと聞くと、こうした人々はちょっと罪悪感を覚えるものだ。というのも実際にはやったというよりも、何かが見えただけだ。しばらくすると、彼らには物事が明白に見えてくる。それは彼らが経験をつなぎ合わせ、新しいことを作り出すことができたからだ。そして、彼らにできた理由は、彼らが他の人々よりも、それについて多くの経験があったか、経験についてもっと考えたからだ」
「残念ながら、これは極めてまれな利点だ。われわれの業界の多くの人々はそれほど多様な経験をしていない。したがって、結びつける十分な点を持っていないために、ある問題について広範な視点ではなく非常に線的な解決策を採用することになる。人間としての経験の理解が広ければ広いほど、良いデザインができる」(Wired誌、1996年2月)
***
「顧客はこれ――全ての詳細に注意を払う――のためにわれわれにお金を払う。そうすれば、彼らが当社のコンピューターを使用するのが簡単で楽しくなるからだ。われわれはこの点で非常に優れていることを期待されている。顧客に耳を傾けないという意味ではないが、彼らには少しでも近いようなものさえ見たことがないうちに何が欲しいというのは非常に難しいからだ。たとえばデスクトップでのビデオ編集を例にとると、自分のコンピューターで映画を編集したいというリクエストを誰からも1つも聞いたことがなかった。しかし、今は人々はそれを見て、「これはすごい!」と言っている」(フォーチュン誌、2000年1月24日)
***
「消費財の多くのデザインを見てみると、見た目、非常に複雑だ。われわれはもっと全体的かつ単純なものを作ろうとしているのだ。何か問題を解こうとやり始めると、最初の解決策は非常に複雑で、ほとんどの人々はそこでやめてしまう。しかし、あきらめずに続けて、問題について考えながら、玉ねぎの皮をもっと剥いでいくと、多くの場合、非常に明確で単純な解決策が思い浮かぶ。ほとんどの人はそこまで時間とエネルギーをかけないだけだ。ユーザーは賢く、考え抜かれたものを望んでいると確信している」(MSNBCとニューズウィークでのインタビュー、2006年10月14日)
自身の製品について
「これほど何かに懸命に打ち込んだことはなかったと思うが、マッキントッシュの開発は人生で最も素晴らしい経験だった。開発にかかわったほぼ全員がそう言えるだろう。最終的にはわれわれは誰も公表したくなかった。いったんわれわれの手を離れてしまうと、もはや我々のものでなくなることが分かっていたかのようだった。ついに、株主総会で発表した時には、参加者全員から5分間、喝采がやまなかった。私にとって信じられなかったのは、前の数列にマック(の開発)チームがいたことが見えたことだ。成し遂げられるとは誰も信じられなかったかのようだった。皆が泣き始めた」(プレイボーイ誌、1985年2月1日)
***
「スクリーン上であまりにも素晴らしく見えるボタンを作ったので、クリックしたくなるだろう」(マックOS Xについてフォーチュン誌、2000年1月24日)
***
「歴史のなかで、音楽業界の転換点とみなされるだろう。画期的なものだ。どんなに評価してもしきれないほどだ」(iTunes<アイチューンズ>ミュージック・ストアについて、フォーチュン誌、2003年5月12日)
***
ビジネスについて
「お金についての私の主な反応はというと、これに全ての注目が集まっているのは滑稽だ。というのも私が経験した最も洞察力があるとか、貴重なこととはまったくかけ離れているからだ」(プレイボーイ誌、1985年2月1日)
***
「墓場で最も裕福な人物になることは私には関係ない。夜寝るときに、素晴らしいことをやったと言えることが、私には重要だ」(ウォール・ストリート・ジャーナル、1993年5月25日)
***
「アップルにとっての解決策はコスト削減ではなく、現在の苦境から抜け出す道を革新することだ」(『Apple Confidential: The Real Story of Apple Computer Inc.』1999年5月)
競合他社について
「マイクロソフトの唯一の問題は特徴がないことだ。まったく味がない。これは些細なことではなく、彼らには独自のアイデアがあるとは思えず、製品にほどんとカルチャーが吹き込まれていないというほど大きな意味だ」
「悲しいことだ。マイクロソフトの成功のことではない――彼らの成功はまったく気にならない。成功にほぼ値するだろう。ただ、三流品を作っているという事実が気にかかるのだ」(ドキュメンタリー『Triumph of the Nerds』1996年)
将来の予測
「大半の人々が家にコンピューターを購入する最も切実な理由は、国中のコミュニケーションネットワークにリンクするためだろう。ほとんどの人々にとって、電話と同じくらい真に素晴らしい躍進となるものの初期の段階に達したばかりだ」(プレイボーイ誌、1985年2月1日)
人生について
「海軍に入るよりも海賊になるほうがずっと楽しい」(『Odyssey: Pepsi to Apple』(1987年)のクオート、1982年)
***
「何かをやってそれが非常に良い場合には、それについて長々と話すのではなく、もっとすごいものに取り組むべきだと思う。次は何かを考え出すことだ」(NBCナイトリーニュース、2006年5月)
さらにもう一つ
「誰だって死にたくないものだ。天国に行きたいと思っている人でさえ、そのために死ぬのはいやだと思っている。しかしそれでも、死は誰にも共通した行き先だ。死を逃れたものは誰もいない。「死」は「生」が生んだ唯一無比の最良の発明と言える。古いものを一掃して、新しいものに道を譲る。今は新しいほうがあなただろうが、そう遠くない将来にあなたは徐々に古いほうになり、やがては消え去る。こんな言い方で申し訳ないが、全くの事実だ」
「時間は限られている。誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄遣いしないで欲しい。定説――多くの人々の思考の結果に基づいて生きること――にとらわれないように。他人の意見というノイズに自分の内なる声がかき消されないように。そして最も重要なことだが、自分自身の興味と直感に従う勇気を持って欲しい。それらにはあなたが本当になりたいものが既に分かっている。それ以外はすべてそれほど重要ではない」(スタンフォード大の卒業式の講演で、2005年6月)
[THE WALL STREET JOURNAL]
■スティーブ・ジョブズをカリスマ扱いしてはいけない
彼の生き方をヒントに、少しだけでも明日を変えよう
中川ヒロミ
アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズが10月5日に亡くなった。「普通の人にコンピュータを届ける」というビジョンを掲げてアップルを創業し、「電話を再発明する」とiPhoneを世に出した偉大なイノベーターがこの世を去った。
ジョブズはアップルの製品やサービスを通してさまざまな業界の常識を打ち砕き、人々の暮らしを変え、世界に衝撃を与えてきた。
その功績の大きさは、訃報後の各界の反応を見るとよく分かる。オバマ大統領、アーノルド・シュワルツェネッガー、ビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグ、孫正義などの著名人が、死を悼むコメントを出した。
各国のメディアが、ジョブズの功績を振り返る記事を一斉に掲載した。アップルは10月5日、ウェブサイトのトップページから製品情報をすべて外して、ジョブズの顔写真と「Steve Jobs 1955-2011」の文字だけを表示している。
ジョブズの新製品はもう見られないのか、わくわくさせてくれる茶目っ気あるプレゼンを見られないのかと思うと、本当に寂しく、悲しくなる。しかし、ただ寂しがっていても仕方がない。スティーブ・ジョブズの本を担当してきた編集者として、記事を書くことにした。
ジョブズ流を考える人の中で生き続ける
「スティーブ・ジョブズがいなくなった後、彼の過去の偉業を振り返って、神格化するだけではいけない。将来につなげなくては」
「アップルの競合メーカーを含めて、今後も日本の人たちにジョブズの生き方やビジネス的な考え方は参考になるはずだ」
スティーブ・ジョブズをよく知る元アップル社の外村仁さんとITジャーナリストの林信行さんと先日話した時に聞いた、はっとさせられた言葉だ。
スティーブ・ジョブズは1976年にアップル・コンピュータを設立し、9年後の85年にアップルから追放された。その後、アップルが倒産寸前だった97年に暫定CEOとしてアップルに復帰して以降、iMac、iPod、iTunes、iPhone、iPadなどの製品を次々と出して世界を驚かせ、2011年には一時エクソン・モービルを抜いて時価総額で世界1位の企業にした。
これほどの経歴と鮮やかなリーダーシップ、プレゼン力、イノベーションを生み出す力を見たら、ついつい自分とは人間のできが違う、手が届かない人だと思ってしまいがちだ。しかし、「ジョブズは特別だから」と考えてしまったら、何も得られない。
スティーブ・ジョブズはもういないけれど、私たちに多くの言葉を残してくれた。ジョブズの生き方からヒントを得て、少しだけでも明日を変えようと思うことこそが、ジョブズへの追悼になるのではないかと思う。変にカリスマ扱いせずに、「こんな時、ジョブズならどうするか」と考えて、ジョブズ流を自分の中に取り入れていく方がよいのではないだろうか。また、そう思う人たちの中で、ジョブズはこれからも生き続けるだろう。
「自分の心とひらめきに従う勇気を持つ」
そこで最後に、私が編集を担当した書籍『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション』から、いくつかジョブズの言葉を引用して紹介させていただきたい。
我々は「後追い」製品などつくらず、ビジョンに賭ける。次なる夢を追いかけるのだ。
何をしてきたかと同じくらい、何をしてこなかったかを誇りたい。
このマシンをいったい何人の人が買うかわかっているのか? 何百万人だぞ? 起動時間を5秒短くできたらどうなる? 毎日、5秒かける百万もの違いになる。50人分の人生に相当する時間だ。5秒の短縮で50人分の命が救えるようなものなんだ。
――(Triumph of the Nerds, PBS documentary)
次にブレークするのは何だと思う?って社外の人に尋ねたりしない。ヘンリーフォードも同じことを言ったらしいよ。「何が欲しいかと顧客に尋ねていたら、『足が速い馬』と言われたはずだ」ってね。
――フォーチュン誌(2008年3月27日)
一番大事なのは、自分の心とひらめきに従う勇気を持つことです。自分は本当にどうなりたいと思っているのか、それを教えてくれるのが自分の心とひらめきなのです…ハングリーであれ。分別くさくなるな。
――スタンフォード大学卒業式の祝辞
時間は限られています。他人の人生を歩んで時間を無駄にしないでください。世間の常識にとらわれないでください。それは、他の人々の考えに従って生きることに等しいのですから。周りの意見に惑わされ、自分の内なる声を見失わないでください。
――スタンフォード大学卒業式の祝辞
[日経ビジネス]
Posted by nob : 2011年10月11日 08:10
自由、、、
それは他者比較からの脱却。。。
人は皆子供の頃から、学校集団などでの他者との関わりの中で、自分への肯定感情(=自己愛や自尊感情)を高めていく術を学ぶ。
他者という(相対的)基準が存在しないと、自分自身を計ることができない。
[心理学/植木理恵より]
このような社会的比較理論から脱却して
何者にもならない
何物にも属さない
何も有しない
何も残さない
そんな丸裸の自らを
自身の内なる心の声という極私的絶対理論により
あるがままに良しとして受け容れること
それが人生の究極の目的であり
また同時にスタート地点でもある
一つ一つ積み上げてきたものをすべて棄て去ることができた時
人は一つの目的を達成しまたふりだしに戻る
あらゆる目的の達成というすべての結果は
またその次の目的達成という新たな結果への一過程にすぎない
Posted by nob : 2011年10月10日 18:52
最大のストレス、、、
それは段取れないこと。。。
Posted by nob : 2011年10月10日 18:49
お粗末な発想、、、税金の無駄使い。。。
■外国人1万人、航空券無料で日本に招待
観光庁は、東日本大震災後に激減している外国人観光客の回復を狙い、2012年度に全世界から、旅費無料で1万人の一般観光客を日本に招待する方針を固めた。
募集は主にインターネットを通じて行い、応募者の旅行計画などが審査に合格すれば、日本への往復航空券を提供する。
こうして来日する旅行者には、日本滞在中にインターネットで世界へ情報発信してもらう方針だ。日本国内の滞在が安全・安心であることを口コミで世界的に広げる効果を見込んでいる。旅行者にはこのほか、震災後の日本旅行についてアンケート調査をしたり、新たな日本旅行のモデルとなるような旅行プランを提案してもらったりする。事業費として、観光庁は12年度予算の概算要求に11億円を盛り込んだ。
[読売新聞]
Posted by nob : 2011年10月10日 18:46
共感
解ってほしい人に
解ってほしいように解ってもらえたら
…幸せ
Posted by nob : 2011年10月10日 04:03
言葉の限界
所詮は言葉、、、されど言葉。。。
いくら言葉を重ねてみても、、、
心の奥底は決して伝えきれるものではない。。。
Posted by nob : 2011年10月06日 15:34
すべては、、、
日々の暮らしの中にあり、、、
日々の暮らしの外には何もない。。。
Posted by nob : 2011年10月06日 15:31
Everything is a once-in-a-lifetime chance... The river current never stops flowing, and its water keeps changing... The blowing wind will never be able to come back to the present same place...
一期一会。。。
行く河の流れは絶えずして、、、
しかももとの水にあらず。。。
今ここに吹く風は、、、
もう二度とこの同じ場所には戻れない。。。
CLIPS
Day-to-day pics and words by nob...
Posted by nob : 2011年10月05日 21:19
結局は誰も助けてはくれない、、、自分を救えるのは自身だけ。。。Vol.2
■香山リカ:被災者同士が妬み合い「格差絶望」を超えるには ——311被災者は「ハネムーン期」から「幻滅期」に
被災地で始まった「格差絶望」
震災から早くも半年以上が経過し、気づいてみたら2011年も残り3か月あまり。
書店に並び始めたカレンダーを見ながら、「次こそはよい年にしたい」と、早くも心が来年に向かっている人も多いだろう。
しかし、被災地の人たちの多くは、「来年の計画」どころか震災以来、時が止まったままであったり、目の前の現実への取り組みで手いっぱい、という状況なはず。
また最近になり「被災地とそれ以外」だけでなく、「被災地内部」でのいろいろな格差が目立ち、それが人間関係の軋轢やトラブルにつながっているという話を、ときどき耳にする。
沿岸部と内陸部。津波で家屋が流された人となんとか残った人。家族を失った人と全員、無事だった人。仕事をなくしたままの人と新しい仕事を見つけた人。
——そこには、とても同じ被災者とひとくくりでは呼べないほどの、心理的、経済的、物理的格差が存在しても不思議でない。
大災害直後の「ハネムーン期」とは?
頭では誰もが「それぞれで置かれた状況は異なる」とわかってはいても、感情的につい誰かと自分を比べてしまい、妬みや孤独感、焦燥感といった複雑な感情にとらわれる。同じコミュニティーにいる同士ですら、「前のようには話せなくなった」「自然に離ればなれになってしまった」とぎくしゃくすることも割とあるという。
最近の災害心理学では、災害発生後の数日後から6か月あたりまでを「ハネムーン期」と呼んでいる。
「ハネムーン」とは、災害とはかけ離れたロマンティックな言葉で違和感を感じる方も多いだろう。
この時期には、劇的な災害体験を共有し生き延びたことで、被災者同士が強い連帯感で結ばれている。被災地は全体として温かいムードに包まれる場合が多いことから、この名が付けられている。
「ハネムーン期」には、多くの被災者が支援や再建に希望や夢を託す。「負けずにこれまでよりもっと幸せになろう」と高揚感を感じることが多い。
このため、この時期に被災地を訪れた人は、「被災地の人たちはみんな前向きで明るかったですよ。私のほうが逆に元気をもらいました」などと言ったりするわけだ。
「ハネムーン期」から「幻滅期」に
しかし、この「ハネムーン期」は、いつまでも続かない。
だいたい半年くらい経過すると、次第に高揚感や連帯感が薄れてゆく。当初の「希望や夢」も、到底実現不可能だとわかってくる。
そこで初めて目の前の現実に直面し、格差が明らかになって、大きく気持ちが落ち込む「幻滅期」がやって来る。
この先どうなるか。
人によって違ってくるのだが、「幻滅期」から本当の意味で地に足を着けて「心の再スタート」を切る「再建期」までは、相当に長い月日を要する場合があると言われる。
つまり、今まさに被災地の人々は「幻滅期」に突入しているわけだ。
これまで、多少の格差があっても「辛いのはみんないっしょ」という連帯感が上回り、目立つことはなかった。しかし「幻滅期」でそのムードが退潮したため、さまざまな格差が一気に目に付くようになってきたのだろう。
この時期はさらに「みんなで力を合わせなければ」といった意思の力も弱まってくるため、「自分と違う立場の人にはわかってもらえない」と一気に人と人とのつながりが切れ、それぞれがバラバラになる危険性がある。
「幻滅期」を乗り越える「力」
しかし、この「幻滅期」を乗り越えなければ、次の「再建期」もやって来ない。
ここで再び「すばらしい未来が待っている」と気休めを言って「ハネムーン期」に戻そうとしても、それは無理。辛くとも「幻滅期」に向き合い、そこで最悪の心理状態に陥らないよう、それぞれが注意するしかないのかもしれない。
さらに書けば、「幻滅期」に入っているのは、被災地の人ばかりとは限らない。
「なんとか復興を」と張り切っていた人たちの中にも、蓄積した疲労と、いっこうに変わらない現実への失望から、「もうなにをやっても無駄」などと「幻滅期」を感じさせる発言が聞こえてくる。
——ではどうやって被災地や日本全体で「幻滅期」を乗り越えていけばいいのか。
それについては次回、考えてみたい。
[復興ニッホン]
Posted by nob : 2011年10月05日 14:22
結局は誰も助けてはくれない、、、自分を救えるのは自身だけ。。。
■香山リカ:「日本は心をひとつにして頑張った」を美化し過ぎるのは「危険」
震災以来、日本人の集合的マインドのなにかが決定的に変わった
未曾有。
つい数か月前までは、この単語を目にした人のほとんどが、「ああ、いつだったか、これを読めなかった人がいたっけ」と笑ったであろう。時の総理がスピーチで「この熟語を読み間違えたのでは」とニュースになったのは、2008年11月。今から2年半ほど前のことだ。
ところが、今現在「未曾有」という単語を見て、そんなエピソードを連想する人は少ないはず。それよりも3月11日に起きた「未曾有の大震災」が、すぐに頭に浮かぶ。そして、心が締めつけられるように痛くなる。「ほら、あのときには総理が……」と言われても、もはや笑う気にはなれない。
——あの日以来、私たちの心は、それまでとは大きく変わってしまったのだ。
今日から始めるこの連載では、あの日以来、「アフター311」の心象風景を追う。東日本大震災以降、日本社会に大きな精神的変動が起こりつつある。「集合的無意識」を提唱したのはユングだが、実際に人々の心、そして社会全体の集合的マインドに大きな変化が起こっているのが現在の日本である。
震災後の社会マインド変化がどのように表出しているのか、表層への噴出現場を、これから徐々に読み解いていこう。
アフター311の心象風景を読み解く
もちろん、その変化は悪い方向ばかりに起きたわけではない。
今回の大震災に際しては、「まだ日本人にもこんな良いところが残っていたのか」と自分たちも驚くほどの長所、美徳などが、内外のメディアによって数多く指摘された。また、新たな協調性、公共性なども生まれつつある。
とはいえ、その変化の中には、決して手放しで歓迎はできないようなものが残念ながら見られるのも、また事実だ。
「心の変化とは、結局は“気の持ちよう”だろう? もしそれが良くない方向の変化だとしたら、気合や根性で打ち消せばいいだけだ。ことさら憂う心配はない」——そんな声も聞こえてきそうだ。
しかし心の変化を単なる“気の持ちよう”などと言って侮ることは、けっしてできない。そのことは、すでに多くの人が経験智として知っていることだ。
実際、多くの人にマイナスの方向への心の変化が生じると、積もり積もってそれが経済、政治、教育など、さまざまな分野での実体的変化につながることも多い。
だから、ここで大震災後のマインド、心の変化について検証しておくことは、決して「姿かたちのない亡霊を捕まえよう」とすることではない。大げさに危機意識を煽り立てようとする行為でもない。それは、非常に現実的な次元の問題なのである。
大震災後に、社会は人々は、そのマインドはどう変わったのか。私たちはどこに向かおうとしているのか。
アフター311。ここからひとつずつ、考えていきたい。
311で発生した、心の「過覚醒状態」
大震災が発生してから、数日の記憶がない。——被災地以外でも、こんな人がいるのではないか。
完全に記憶がなくはないにしても、「食べたり寝たりした記憶がない」「とにかく24時間テレビの前にいた」「ずっとツイッターにくぎ付けだった」という人も多いはずだ。
あるいは「知人や親族に電話やメールをひっきりなしにした」「家の防災グッズをすべて詰め直した」「とにかく被災地に行かなければと車を走らせた」といった“行動派”もいるだろう。
この不眠不休・活動しっぱなしというのは、精神医学的には「過覚醒(hyper arouzal)」と呼ばれる状態と考えられる。
「過覚醒」と書くとなんとなく、精神が目覚めたような肯定的な印象があるが、残念ながらそうではない。これは、大きなショックにさらされたときの、人間の心の一過性の反応であり、長く続くと病的な状態にも陥りかねない“危険なサイン”なのである。
過覚醒に陥る理由は「心を守るため」
ではなぜショックに直面したときに、心は過覚醒に陥るのか。
これは、心の防衛装置が働くため。
つまり、ショックをそのまま受け止めると、私たちの精神は崩壊の危機にさらされる。だから「私は怖くなんかないんだ」と、むしろテンションを上げることで、強い恐怖、おびえ、悲しみなどから、なんとか一定期間、自分を遠ざけることで心を保とうとするのである。
わかりやすく言えば「空元気」に近い状態としていい。
ときどき、家族の突然の死去を経験した人が、葬儀の式場でやけに元気に采配を振るったりしていて、「気丈なのか、なにも悲しみを感じていないのか」と、参列者から顰蹙を買うことがある。
実はこれも一種の過覚醒状態で、精神医学の世界では「葬式躁病」という名称まで与えてられている状態だ。
繰り返すようだが、この過覚醒は心の防衛装置が自動的に働いたものであるから、それ自体を無理やり防ぐ必要はない。それどころか、そうならないようし過ぎると、今度は強い恐怖、苦痛がストレートに心に押し寄せ、茫然自失状態となったり起き上がれなくなったりすることもあり得る。
日本全国での過覚醒状態が「みんな心をひとつに」の背景に
過覚醒状態は、危機から心を守るための「必然的」な反応である。
だからあの大震災の後、日本中、特に「被災地以外の人たち」が一種の集団過覚醒状態に陥って、ツイッターでおびただしい情報が飛び交ったり誰もがテレビの前に座りっぱなしになったりしたのは、実は日本国民の精神を正常に保つために必要なことであったのだ。
ただし、あの一種異様な高揚・興奮状態を「日本人は心をひとつにしてみんな頑張った」と肯定することに対しては、私たちは慎重にならなければならない。
過覚醒状態はあくまで「一過性の心の反応」であり、最悪の精神崩壊を避けるための防衛装置が発動した状態と考えるべき。私たちが積極的に選び取ったものだとはカン違いしないほうがいい。
では、過覚醒状態を正当化し過ぎたり、これが長引き過ぎたりするのは、なぜいけないのだろうか。
それにははっきりした理由がある。これについては次回、より具体的な例を挙げながら解説してみたい。
[復興ニッポン]
Posted by nob : 2011年10月05日 14:11
、、、それは昨今健全な若者が増加しているということ。。。
■「収入さえあればいい」や「出世したい」派は1%、今どきの就職事情
個人は何を目指し、企業は何を用意すればいいのか
武田 斉紀
不況、震災下にあっても、大手企業志向が減っている
新卒学生の就職状況は、昨年以上に厳しい。2012年3月卒の大学生では、7月時点の内定率は54.4%(昨年7月は6月は55.8%)と昨年より約1カ月遅れている(2011年8月8日、リクルート発表)。
これには東日本大震災のために、大手企業を中心に採用活動時期を遅らせたこと、被災地での採用活動が進んでいないことの影響も大きい。特にここにきて数字が伸び悩んでいるのも気になる。内定をもらって他の企業を回らないとする活動終了率は、まだ40.9%にすぎない。
例年なら10月あるいはそれ以前から、現大学3年生(2013年3月卒)に向けた企業からのアプローチが始まる。今年は申し合わせで新卒向け情報サイトのリクナビも12月開始となっている。現4年生の戦いは3年生向けの採用活動が始まっても終わりそうにない。
ところがこうした不況や震災の影響で、学生の間ではますます大手企業志向が強くなっているのかと思いきや、そうでもないようなのだ。
毎日コミュニケーションズの調査によれば、大手企業志向は前年比5.6%減って41.4%(「絶対に大手企業がよい」+「自分のやりたい仕事ができるのであれば大手企業がよい」)。一方、中堅・中小企業志向(「やりがいのある仕事であれば中堅・中小企業でもよい」+「中堅・中小企業がよい」)は、前年比5.8pt増えて、53.4%と過半数となっている。
経団連の会員企業に対して行った調査によれば、選考時期を遅らせたり震災学生に配慮するとした企業は5割程度あるものの、87.5%の企業は「東日本大震災発生後も2012年春の採用計画を変更していない」と回答した(日経新聞2011年9月28日)。
これは大手企業が採用を絞ったことで大手をあきらめる学生が増えたのでは、必ずしもないことを証明している。むしろ、中堅・中小企業に目を向ける学生が増えてきているのだ。リクルートによる調査でも、中小企業を希望する学生は増加傾向にあるという。
そもそも大手企業に勤めることのメリットとは何だろう。私は4つの「S」と捉えている。「信用・仕事・資金・サラリー」だ。「信用」は「大手に勤めているんだ、すごいね」という親や友だち、恋人、周りの評価。お金を借りる時などにも表れる部分だ。
「仕事」は「信用」にもつながるが、「(中小に比べれば)それほど苦労をして取りに行かなくても仕事がある」こと。大手企業にずっといると分からないものだが、中小企業に移った途端に肌身で感じる部分だ。
3つ目の「資金」は「仕事」にもつながるが、資金があると「大きな仕事ができる可能性が高い」、「高度な教育、育成が行われる」といったところだ。4つ目の「サラリー」は給料だけではない。休日などの勤務条件、住宅などの福利厚生なども含むが、大手の中には福利厚生などは多くを廃止したところも目立ち、以前ほどのメリットにはなっていないようだ。
大手企業のメリットばかりが気になって、子どもたちに大手を目指させているのはむしろ親の方かもしれない。しかしながら、親自身が大手企業のメリットだけでなく、デメリットにも気づいているはずなのだ。
大手企業は組織が大きい分、一人の存在価値は埋没しがちだ。異動の可能性も大きい。異動がすべて悪いわけではない。新たなキャリアや経験は仕事の幅や能力を高めてくれるだろう。
しかし大手企業の方が異動の頻度は高いだろうし、関連会社や子会社も多い分、出向や転籍となる可能性も高い。そのたびに自身のキャリアを見直す必要に迫られる。
大手企業には転勤も多い。突然の転勤や海外赴任で家族や友人、恋人と離れ離れになる。結婚して子供がいれば、単身赴任か、家族ごとの転居の選択を迫られる。転居は家族の負担を強いることになる。共働きの場合はどちらかがキャリアを失うか、遠距離夫婦を選ばなければならない。
もはや「大手か中小か」でも、「勤め人か独立起業か」でもない
また最近は、大手企業のリストラが止まらない。日本の象徴とされてきた「終身雇用」を大事にしているのはむしろ中小企業の方だと感じる。
東日本大震災と福島第1原子力発電所事故の渦中にある東京電力(東京都千代田区)は、グループ社員の約14%に当たる7400人を削減する方針を発表した(asahi.com2011年9月28日)。大手企業ならではのメリットとされてきた企業年金についても、現役・OBともに給付利率の引き下げを求めることになるという。
富士フイルム(東京都港区)は2005年以降、2度にわたる大幅なリストラで1万人以上を削減している。私はそれ以前に同社の関連会社を担当したことがある。窓口の課長は事あるごとに福利厚生の良さと、安定した雇用環境を自慢していた。隔世の感だ。
同社は写真フイルムなどに頼っていた収益源が、デジタルカメラの出現によって根底から覆された。事業を根本的に見直し、カメラ本体にも本格的に進出、さらには基礎技術を応用して化粧品分野にまで拡大するなど、常識を覆す戦略で生き残りを図ってきた。大所帯を揺るがした環境変化に、短期間で対応して生まれ変わった姿には驚かされる。そして人員削減も同じようにドラスティックだった。
かつては「雇用にだけは手をつけない」で知られたパナソニック(旧松下電器産業)の人員削減も止まらない。今年4月には2013年3月末(約1年半後)までに、全体の約1割に当たる4万人を削減すると発表した。
もちろん中小企業の場合は、会社の存続自体がままならず、100%解雇となる場合もある。だが昨今「あそこだけは大丈夫」と言われた大手企業の破綻も相次いでいる中、学生たちが「必ずしも大手にこだわらない」とする理由も理解できる。
会社勤めではなく、起業独立を選ぶケースも珍しくはなくなった。だが一時期注目されたほどには行動を起こす人は、欧米ほど増えていない。背景にはいくつかの理由があるだろう。
1つは「起業してもうまくいく確率が低いと思われていること」。人を雇い、会社組織としてやるとなると、10年継続することが簡単ではないことは確かだ。だがもうすぐ10年を迎える立場から言えば、無理な拡大やリターンを狙わず、顧客を大切にしていれば続くものでもあると思う。
また起業ではなく独立した個人としてやっていく選択肢もある。後ほど触れるが、それなりの力さえあれば元気にやっていける。
2つ目は「雇用の安定が以前ほど望めないとはいえ、まだまだ最初に就職した会社で仕事人生を終える人が多い」という現実だ。リストラされた人は身の回りに珍しくはなくなったが、雇用を確保できている人の方が多数派だ。たとえ異動、転勤、出向や転籍となろうとも、家族のために我慢しようとする。結果「うつ」を訴える人が増え、働き盛りの自殺者は一向に減らないが。
3つ目は2つ目とも関係するのだろうが、「日本人にはリスクを負ってチャレンジしようと考える人が少ない」ことだ。格差は広がりつつあるが、依然平均的に豊かな国なのだ。欧米や中国では、一発勝負をかけて起業する傾向にある。リスクがあろうとも、大金持ちになれるチャンスと考えられているからだろう。
起業や独立には「自分で決められる自由を手にできる」という、約束されたメリットもある。実際に行動した人しか実感できないのであまり知られていないが、「楽しく働きたい」も「個人の生活と仕事を両立させたい」も「人のためになる仕事がしたい」も、自分次第だ。
学生に就職観を聞いた調査では、「収入さえあればよい」「出世したい」を選んだ学生は、各々1.6%、1.1%しかいない(毎日コミュニケーションズ「2011年度就職戦線総括」 46P)。上位は「楽しく働きたい」(32.6%)、「個人の生活と仕事を両立させたい」(21.2%)、「人のためになる仕事がしたい」(17.5%)だ。
突き詰めれば、今どきの学生の就職観はもはや「大手か中小か」でも、「勤め人か独立起業か」でもないのだろう。
「やりたい仕事」「感謝される仕事」をやり続けるために必要な力
今どきの学生の就職観は会社規模や勤務形態以上に、「個性」や「多様性」がキーワードになっているようだ。
他の調査を見ても、彼らが企業選びで重視する点の第1位は、「やりたい仕事ができる」だ。ポイントが高いのは他に「仕事もプライベートも充実させられる」「一緒に働きたいと思える従業員がいる」「自分を大きく成長させられる」など。一方で低いのは「家族・友人などに自慢できる」だそうだ(リクルート「就職活動中の大学生の就職活動に関する意見について」 5P)
「やりたい仕事」は個人によって異なる。「仕事とプライベートのあり方」もしかり、「一緒に働きたいと思える従業員」も、「自分の成長を何で感じられるか」もしかり。これらの「個性」と「多様性」の背景には、一人ひとり異なる働く目的や価値観が存在する。
「就職先の企業を選ぶ基準」について、40年前の1971(昭和46) 年に1位だった「会社の将来性」(27%)は、2010(平成22)年には8.3%にまで減少している。ダントツの1位となっているのは「自分の能力、個性が生かせるか」(34.8%)だ(日本生産性本部「働くことの意識調査」)。
毎年「学生の就職人気企業ランキング」を発表して話題を作ってきたリクルートが、今年(2012年3月卒業対象)から発表をやめると宣言した。理由は「学生の価値観の多様化によって、一律で人気企業ランキングを発表する意義が薄れた」と説明する。学生による仕事選びが変化していることを裏づけている。
新入社員の就労意識=何のために働くか、も変化している。1 位は「社会や人から感謝される仕事がしたい」(96.5%)、以下2 位「仕事を通じて人間関係を広げていきたい」(95.8%)、3 位「どこでも通用する専門技能を身につけたい」(93.4%)、4 位「これからの時代は終身雇用ではないので、会社に甘える生活はできない」(85.4%)。
彼らは仕事より生活を優先しているわけではない。努力を放棄して、楽な生き方を選ぼうとしているわけでもない。むしろ「社会や人から感謝される仕事」を志向し、会社に甘えることなくどこでも通用する専門技能を身につけたいと考え、仕事を通じて人間関係を広げたいと考えているのだ。
まとめると、今どきの若者は一人ひとりの基準「個性」や「多様性」の下に、「やりたい仕事」「感謝される仕事」を求めていると言えるだろう。過半数は「面白い仕事であれば、収入が少なくても構わない」(同8位、58.1%)とまで言い切る。
働く環境は「大手か中小か」、「勤め人か独立起業か」にこだわらないとしても、「やりたい仕事」「感謝される仕事」をやり続けるためには、「個性」や「多様性」だけでは足りない。
そこで求められるのは、私の言葉で表現すれば「ビジネス力」だ。
「ビジネス力」を定義するなら、「働く環境によらず、お金に変えられる力」となるだろうか。お金の程度は人それぞれであり、ビジネス力の結果だと考えているが、生きていくためには必要なものだ。
「ビジネス力」を「付加価値力」としてもよいが、最終的にはお金に変えられないと、継続して提供することができなくなる。ビジネスとしての価値を認められたとは言えないだろう。
「ビジネス力」は会社に勤めていても十分に磨くことができる。大手企業か、中小企業かにもよらない。それぞれに力のつけ方がある。
大手の場合は大きな仕事を経験できるし仕事はある、資金力によって選べる選択肢も多い。中小の場合は仕事は小さいかもしれないが、その全体を早くに任され把握することができる。責任あるポジションにも早くつけることで、「ビジネス力」は鍛えられる。
「ビジネス力」の定義に「働く環境によらず」とつけたのには訳がある。1社で身につけた「ビジネス力」は、他でも生かせなければ異動や転職の際に「お金に変えられる力」にはならない。
個人は「ビジネス力」を鍛え、会社は働き続けたくなる魅力を用意する
起業や独立をしなくても、「働く環境によらず、お金に変えられるビジネス力」を身につけることはできる。既に身につけている人も少なくないのだ。だが気がついている人は少ない。具体的な事例で紹介しよう。
Aさんは長年、いくつかの広告代理店を渡り歩きながらコピーライターをしていた。しかしながら50代になって新たな職場を探すことになった。Aさんには、業界内での選択肢はほとんどなかった。私は彼の相談を受けて次のように話した。
「“コピーライティングなら任せてください”とか、“○○業界には詳しいです”といった狭い捉え方をしない方がいいですよ。俯瞰してみればAさんの強みは、“社外に向けたコミュニケーションの企画立案ができるだけでなく、表現までできる”ことではないでしょうか。これならどこの会社でも通用するし、ニーズは無限にあります。そのうえで“○○業界は特に得意です”と言えば、貴重な人材として迎えられますよ」
コピーライターだけにこだわるのであれば、その世界で探すしかないが、彼はそれだけでなくプランニングの力をもっと伸ばしたいと考えていた。Aさんは、ある消費財メーカーの広報宣伝の責任者として迎えられた。
Bさんの例も興味深い。彼は大手ファストフードとチェーンレストランで店長をしていたが、次第に業界と仕事を変えたくなった。そしてプライベートでも興味のあったIT業界を目指そうと考えるも、これまでのキャリアと接点がないと悩んでいた。
ところがある日のこと、店のカウンターに置かれた普段使っているPOS(販売時点情報管理)端末に目が留まった。早速POSを扱う会社にアプローチしたところ、“システムも分かり、かつ外食チェーンの現場にも詳しい”貴重な人材として採用された。
「働く環境によらず、お金に変えられるビジネス力」という前提があれば安心して働ける。あとは該当する中から自分にとってより「やりたい仕事」や「感謝される仕事」を選べばいい。
勤める側は「働く環境によらず、お金に変えられるビジネス力」を鍛えたい、そして一人ひとりの仕事に求める目的や価値観の下、「やりたい仕事」や「感謝される仕事」をしたいと考えている。では、会社側はどのようなスタンスで臨めばいいのだろう。
まずは、自社の目指す目的や価値観を明確にして打ち出すことだ。目的や価値観が異なる人は、いくらうまいことを言ってくどいても、いずれは去ってしまう。ならば最初から万人にいい顔をするのではなく、自社のブレない姿勢を見せた方がいい。より近い人材、共感する人材が集まってくることになる。
最近の学生が会社説明会で最も聞きたいことの第1位は「他社との違い」だという(ジョブウェブ調べ)。会社の考え方、社風や雰囲気、企業理念やビジョンを知りたがる。だから社長が直接語りかける説明会は人気がある。彼らは会社の目指すそれが、自分の目指す目的や価値観と合っているかどうか、また本気かどうかを見極めているのだ。
次に会社が目指す目的や価値観に共感して集まった人材に対してするべきこと。それは「働く環境によらず、お金に変えられるビジネス力」を鍛えるチャンスを用意することだ。
私の知る社長には、「社員に商売感覚、経営感覚がない」と嘆いている人は多いが、社員の「ビジネス力」を鍛えることは答えの一つになる。任せる仕事の規模は最初は小さくてもよい。仕事だけでなく、お金の入り口から出口までも含めて管理させることで、商売感覚や経営感覚は磨かれる。
ただしそのまま辞められてしまっては、会社としてはもったいない。競合になる可能性だってあるだろう。育てた社員を引きとめるためには、「この会社で働くことのメリット」を強く感じてもらうことだ。
例えば、ブレない目的や価値観の下で、「やりたい仕事」や「感謝される仕事」がずっとできること。頑張ったら評価される、大きな仕事ができる、社風や仲間がいいといった働きやすい環境が用意されることなどが挙げられる(このあたりの詳しい話は、また別の機会にお話ししてみたい)。
自分の働く目的や価値観での会社選びは、若手社員だけでなく広がっていくであろうと想像する。雇う側と雇われる側。双方が対等な立場で、目的や価値観を共有できる仲間として集い、成長を目指す。一人ひとりが「ビジネス力」を養い自立できれば、それは今後日本企業が戦っていくうえでの強みとならないだろうか。
[日経ビジネス]
Posted by nob : 2011年10月05日 13:34
そのとおり!!!Vol.17
■原発を考えるインタビュー 村上東海村長 極めて内省に欠ける国
-2度の原子力事故を目の当たりにして思うことは。その教訓とは何か。
JCO臨界事故も慢心が招いたもので、この国はいつまでも反省しないという印象だ。利益を追求するあまり、原発推進を「国策だ」と言い続け、安全神話を作るなど、極めて内省に欠ける国だということ。JCO臨界事故の時も思ったが、今回も案の定だ。何にも学んでいない。福島第1原発事故の初期対応を見ても、何という国だと思った。
-国の原子力政策、エネルギー政策をどう見るか。震災と福島第1原発事故で見えてきた日本の電力供給の問題点とは。
日本は地震多発地帯で、1900年からの100年間でM8以上の地震回数は世界一という報告がある。そんな国に54基も原発を置いていいのか。正気の沙汰とは思えない。しかし、日本は原子力推進そのものがエネルギー政策で、自然・再生可能エネルギーの発展を封じていた面がある。原発は炭酸ガスを出さないから環境にいいと言い、放射能・放射線の問題にはふたをして、原発の後処理も後世に先送りしてきた。それはまさに、哲学なきエネルギー政策だという気がする。
-「脱原発」は可能か。日本における再生可能エネルギーの可能性は。普及を進める鍵は。
福島第1原発事故を起こした以上、日本は脱原発について真剣に考える義務がある。脱原発を追求しなければならず、できるできないはその次でいい。自然エネルギーについても、ドイツやデンマークなどは既に取り組んでおり、技術開発も進んでいる。日本でも可能性はある。日本人の勤勉さやこれまで蓄積した技術からみても可能だろう。世界最高水準になれると思う。あとは政府のやる気次第だ。
-東海第2原発の再稼働をどのように判断するか。
私は、福島のように全村避難して戻れないとか、東海村が地図上から消えていく、そういう事態にはしたくない。福島の事故で、国は避難した人たちをどう救済するのか。つまり、国がわれわれの安全を保障できるのか。そこが担保されない以上、判断はできない。
津波対策や非常用電源対策の強化だけでは十分ではない。福島第1原発事故の問題も明らかにしてもらわなければならない。ストレステストは、再稼働のための政治的方便ではないか。
それと安全規制体制をどうつくるのか。原子力安全庁の話は出ているが、さっぱり見えない。これも判断の鍵となる。(東海第2原発の再稼働は)今の時点ではまったくの白紙だ。
-最後に、今後の日本のエネルギー政策への提言を。
エネルギー消費を減らして経済のスピードを落とし、思い切って自然エネルギーの導入に向けて政策誘導すればいい。自然エネルギーはこれまで、政府が後押しした電力会社が壁となり入り込めなかった。自然エネルギーに対する助成を、新しい技術開発に向けた投資だと思ってやったらいい。ドイツがやると言っているのに日本でできないわけがない。あとは政治家の決断だ。
[茨城新聞]
Posted by nob : 2011年10月04日 08:33