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そのとおり!!!Vol.29、、、日本人として恥じ入るばかり。。。

■経済優先がすぎないか 日印原子力協定

 安倍晋三首相は来日中のインドのシン首相と原子力協定をめぐり交渉の再開で合意した。原発技術の輸出は福島第一原発事故の教訓より経済を優先している。しかも核不拡散の原則に反している。

 「暑い時期は気温が四〇度を超えるがエアコンが使えない。寒い時期は二〜三度まで下がるが暖房が使えない。多くのインド人はとにかく電力がほしい。それが原子力かどうかなんて気にしない」

 ニューデリーに住むインド人男性は、電力不足への市民の不満をこう話す。停電は日常茶飯事だ。

 インド政府は電力供給の“切り札”に原発の増設を進める。現在、稼働中の原発は二十基あり、今後十年間で二十五基を新設する。発電量に占める原子力の割合を今の約2%から二〇三〇年までに十三倍に増やす目標だ。

 そのため日本の原発技術はのどから手が出るほどほしいだろう。既に欧米からは技術協力を得ているが、原発政策を担う政府機関・インド原子力公社の幹部は以前、「日本との協力が最優先だ」と語った。日本にとっても大きな市場になることは間違いない。

 だが、インドは必ずしも福島の教訓まで求めていないように見える。膨大な除染や賠償費用について、この幹部は「それは津波のコストであって原発技術が起こしたわけではない」と語った。

 原発事故は多くの人の命や生活を脅かす。その教訓が共有されていないのではないか。

 安倍首相は「事故の経験と教訓を世界と共有することによって、世界の原子力安全の向上に貢献していく」と言うが、原発政策はあまりに経済優先ではないか。国内では新増設に慎重なのに海外へは積極的に輸出するのでは、国際社会の信頼を得られない。

 核の拡散も懸念される。インドは核保有国だが、核拡散防止条約(NPT)に加盟せず、包括的核実験禁止条約(CTBT)にも署名しておらず国際社会の監視が届きにくい。

 米国がインドの経済成長に目を付け既に原子力協定を結んだ。日本も参加する原子力供給国グループもインドを例外にして核技術輸出を解禁した。これではNPT体制が揺らぎかねない。

 日本が語るべきはNPT加盟を促し核兵器削減と開発中止を訴えることである。協定交渉では核実験すれば原発の技術協力を停止するとの条件を求めるべきだ。それが唯一の被爆国の責務である。

[中日新聞]

Posted by nob : 2013年05月30日 08:44

いつもそこにある、、、目に見えない真実。。。Vol.2

往くべき場所と還るべき場所を見つけるための

対極的なたった二つの方法とは、、、


一つは、

来るものは拒まず去るものは追わず

ただ自然の流れに身を委ねて

その時々の環境の中で常に最善を尽くし続けること。。。


もう一つは、

第三者や組織や社会からの制約の一切を拒絶し

すべてを自らの内なる心の声に照らして言動し続けること。。。

Posted by nob : 2013年05月30日 07:57

核燃料サイクルを懲りずに尚も推進するのなら、、、現存施設をすべて廃炉に、再設計から核廃棄物処理処分までのすべてを東京の中心で行う覚悟で。。。

■規制委、もんじゅに運転再開の準備停止命令

 原子力規制委員会は29日、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の点検漏れ問題で、日本原子力研究開発機構に対し、運転再開の準備停止を命令することを正式に決めた。同機構を所管する文部科学省も近く改革本部を設け、抜本的な体制見直しを始める。ただ組織に根深く張った安全軽視の体質を改善できるか不透明感が強い。

 規制委は30日に原子力機構の幹部を呼び、命令文書を渡す。管理体制が改善されるまで試運転の再開準備を認めない。もんじゅ計画の大幅な遅れは必至だ。

■漏洩事故が批判増幅

 茨城県東海村の加速器実験施設「J―PARC」でも23日、管理区域外に放射性物質が漏洩し、規制委への報告が1日以上遅れた。高エネルギー加速器研究機構との共同運営とはいえ、「原子力発電について国民が不信感を持っている中で、緊張感と危機感に欠ける」(下村博文文部科学相)と批判が絶えない。

 原子力機構は2005年、核燃料サイクル開発機構と日本原子力研究所が統合して発足した。もんじゅは核燃機構の前身の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が建設した。動燃は1995年、もんじゅでナトリウムの漏洩事故を起こし、事故情報隠しで批判を浴びた。97年には、東海村再処理施設で爆発事故が発生。98年に核燃機構へ改組された。もんじゅは10年に試運転を再開したが、まもなく燃料交換用の炉内中継装置が落下し、停止した。17年以上にわたって発電が止まっている。

■蓄積されぬ技術

 文科省幹部は「原子力機構は研究者の集まり。もんじゅについても研究開発という意識が強く、電力会社とは緊張感が違う」と嘆く。

 近く発足する文科省の改革本部は、7月末をめどに組織体制と業務の改革案をまとめる方針だ。点検漏れ問題で17日に辞任した鈴木篤之前理事長の後任は近く決まる。新しい理事長の下で、まず職員の意識改革が進まなければ、同じ過ちを繰り返しかねない。

[日本経済新聞]


■「高速増殖炉」って何ですか?

原子炉の一つのタイプで、炉心に入れた核燃料よりも多くの核燃料を生み出します。このため、資源の乏しい日本にとっては「夢の原子炉」として大きな期待を持たれていました。

 ウランやプルトニウムなどの核物質が核分裂を起こすと、中性子が高速で飛び出します。

 この「高速中性子」を次の核分裂に使い、連鎖反応を維持する炉が「高速炉」と言われます。なかでも、原子炉内に入れた核燃料の量を上回る量の新しい核燃料を、運転しながら生み出す炉を「高速増殖炉」と呼びます。

冷却材の液体ナトリウム漏れで火災

 日本にある原発の軽水炉は冷却材の水が中性子のスピードを落として、核燃料の連鎖反応を維持しています。一方、高速増殖炉は、中性子のスピードを減速させる必要がないので、当然のことながら水のような減速材は使われません。軽水炉では炉心から熱を取り出す冷却材として水を使っています。一方、高速増殖炉は冷却材として液体金属——なかでも液体ナトリウムが多く使われます。軽水炉よりも高温で運転される高速増殖炉では、高圧をかけることなく500度を超える高熱にできるナトリウムが水などよりも扱いやすいからです。

 ナトリウムは、水や酸素に触れると激しく反応する性質があり、ナトリウムが循環する施設の設計には高度な慎重さが必要です。しかし、日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)で、1995年12月、配管からナトリウムが漏れ、空気中の酸素と反応し、火災が起きました。この火災で「もんじゅ」は停止しました。

炉内中継装置の落下トラブル、1万件近い点検漏れで停止命令

 事故後の「もんじゅ」は地元の理解を得るために10年以上もの歳月を要し、2010年5月に運転再開にこぎ着けました。ところが、同年8月に、今度は燃料交換に使うための炉内中継装置(3.3トン)を炉内に落下させるトラブルを起こし、再び運転がストップしました。

 同機構は、今年度中の運転再開を目指し、準備を進めていました。しかし、1万件近い点検漏れが見つかったため、この再開準備は原子力規制委員会から停止命令が出されることになり、運転再開のメドが立たなくなりました。

 高速増殖炉開発は、基礎実験を行う実験炉、技術的に実用性を検証するための原型炉、実用化に向けた経済性や安全性などを検証する実証炉、実用炉である商業炉という順に開発が進んでいきます。「もんじゅ」は原型炉の位置づけでした。しかし、度重なるトラブルで運転が停止したままになり、実証炉計画は白紙とされ、もちろん商業炉開発のメドも全く立っていません。

「もんじゅ」を熟知した技術者が減っていく

 「もんじゅ」はあまりにも長い期間運転されずにいます。「もんじゅ」の開発当初から関わり、「もんじゅ」に思い入れのある技術者はどんどん減っています。「もんじゅ」を熟知して、責任感のある技術者がいなくなっているのです。「もんじゅ」の安全性をどう保っていくのか心配になります。

 (調査研究本部主任研究員 三島勇)

[読売新聞]

Posted by nob : 2013年05月30日 07:25

言わずもがな、、、ネットの世界でプライバシーは護れない。。。

■SkypeのメッセージをMicrosoftが盗み見て検閲していることがほぼ確定

ドイツのニュースサイトハイス・セキュリティによって明かされたMicrosoftがSkypeのIMを閲覧していたという一件に失望した1人のネットユーザーアダムさんが、ハイス・セキュリティが使用した方法とは違い、より確実に判別できるやり方で、SkypeのIMがMicrosoftによって検閲されていることを確認しました。

アダムさんが行ったテストは、まず初めにファイル名をサーチエンジンで検索しても絶対に検索結果として表示されないようにランダム生成された長いファイル名のPHPをセットアップ。このPHPに、自動的に特定のページにジャンプさせるMeta refreshタグを組み込んで、PHPをクリックするとマルウェアサイトにジャンプするように設定しました。また、argsおよびリフレッシュタグを含まないHTMLも作成。PHPのほうには?user=foo&password=barを介して、ユーザーネームとパスワードを譲渡。アダムさんは作成したPHPとHTMLの2つのリンクをSkypeのIMで友人のイアン・グリッグさんに送りました。グリッグさんには、送られてきたリンクを絶対にクリックしたらダメ!というメッセージも送信されたとのこと。

アダムさんがSkypeのIMでリンクをグリッグさんに送信してから45分後に、下記のHEADリクエストがApache HTTP Serverで確認されました。

65.52.100.214 - - [16/May/2013:13:14:03 -0400] "HEAD /CuArhuk2veg1owOtiTofAryib7CajVisBeb8.html HTTP/1.1" 200 -
65.52.100.214 - - [16/May/2013:14:08:52 -0400] "HEAD /CuArhuk2veg1owOtiTofAyarrUg5blettOlyurc7.php?user=foo&pass=yeahright HTTP/1.1" 200 -

Apache HTTP Serverで確認された2つのログが意味することは、セットアップされたばかりでアダムさんとグリッグさんしか知らないはずのリンクに何者かがアクセスしたということです。しかもリンクはランダム生成された通常より長いものなので、アダムさんとグリッグさんのIMを読み取らない限り、誰にもわからないはず。誰がアクセスしたとのかということは、HEADリクエストに含まれるIPアドレスから判別可能。今回のテストでApache HTTP Serverに残されたログのIPアドレスはワシントン州レドモンドにあるMicrosoftを示す65.52.100.214でした。

アダムさんが行った今回のテストから、MicrosoftがSkypeのIMを見ていることは99%確実となりました。アダムさんによるとSkypeを利用するのが不安なら、Mac OS Xで動作し、Skypeと連携できるAdiumなど別のIMサービスで代用することもできるとのことです。

[Gigazine]

Posted by nob : 2013年05月30日 06:46

そのとおり!!!Vol.28、、、依存従属心を棄てて初めて見えてくる。。。

■「アホノミクス」が5つの悲劇を引き起こす!
浜矩子がアベノミクスに反対する理由

アベノミクスによる株高・円安は勢いを増し、景気回復に対する期待が高まっている。しかし、同志社大学大学院教授の浜矩子氏は、この政策に対して、反対の態度を明確にしている。
浜氏はアベノミクスを時代に合わない「アホノミクス」とバッサリ。私たち読者が、現在の「好景気」の裏に潜む「罠」について知らぬまま、手放しでこの経済政策を祭り上げることに、強い危機感を示す。

本インタビューでは、著者の新刊『「アベノミクス」の真相』で著者が予言する「5つの悲劇」のうちひとつについて聞いた。

浜矩子(はま・のりこ)
同志社大学大学院ビジネス研究科教授。 1952年生まれ。一橋大学経済学部卒業。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所長、同研究所主任研究員を経て、2002年より現職。専門はマクロ経済分析、国際経済。専門はマクロ経済分析、国際経済。 『「通貨」を知れば世界が読める』(PHPビジネス新書)、『新・国富論』(文春新書)、『超入門・グローバル経済』(NHK生活新書)など著書多数。

株高・円安は「景気回復」の結果ではない

――政府は5月の月例経済報告で景気の総合判断を2カ月ぶりに上方修正しました。これはアベノミクスが一定の「成功」を収めたということではないでしょうか?
イギリスの『エコノミスト』誌が、「アベノミクス」を特集。 「性急なアベノミクスに富国強兵の影を見るエコノミスト誌は、『飛行物体アベ』にあまりご近所の国々をお騒がせするな、と注文しています」(浜氏)

そうはいっても設備投資はまだまだ弱い。アベノミクスの「成功」は、もっぱら「株高」や「円安」に集中している。必死で市場を誘導しようとするチーム・アベの奮闘に、ひとまず市場が付き合って儲けを追求しているという姿です。

ここにきて、むしろ長期金利の上昇が目立ってきましたね。安倍政権が最も避けたかった展開です。しかしながら、これは身から出たさび。ここまで株式市場や不動産市場にカネが引き寄せられるようなあおり方をすれば、収益性の低い国債から資金が逃げ出して、株や不動産に投資されるのは当然の成り行きです。

このままいけば、「国債神話」を彼らが自分たちの手で壊していくことになりかねません。「国債神話」とは、すなわち、「日本の国債はあらかた日本の投資家が持っている。日本の投資家は日本の国債を売らない。だから日本はギリシャ化しない」というあの論法です。

円安についても、すでに少々制御が効かなくなっている感があります。魔法のかけ方は知っているが、魔法の解き方はまだ身に付いていない。そんな「魔法使いの弟子」的なところが、早くも露呈しつつあると思います。

バブルは起こるがデフレは終わらず

――具体的には、どのようなリスクが考えられるのでしょうか?

私は最悪の場合、アベノミクスによって「5つの悲劇」が起こる可能性があると考えていますが、第1の悲劇は「デフレ下のバブル経済化」です。

メディアでは「この金融緩和をきっかけに、設備投資や消費拡大が起これば、日本経済は本当の意味で、復活する」といった報道がなされていますが、これは間違いです。

安倍政権と日銀の「チーム・アベ」が目標とするのは、バブルによるデフレ退治です。つまり、彼らは企業が設備投資を拡大したり、私たち庶民の消費が拡大したりすることを、そもそも狙っていないのではないかとさえ思えてしまいます。

この金融緩和の結果、株や不動産などの資産、すなわち「カネの世界」だけがバブルに沸き、私たち庶民の毎日の生活に関係する「モノの世界」ではデフレが続くという、本来ならば起こりえないはずのことが、日本経済で起こってしまうのです。

もうおわかりでしょう。

結局のところ、この政策で恩恵を受ける個人は、差し当たり株や不動産を持っている人つまり、ごくごく一部の富裕層だけということになります。

しかも、さらに怖いのは、富裕層ではない人々も、今の調子であおられれば、投機性の強い株や不動産に手を出してしまうかもしれないということです。超低金利の中で、おとなしい投資をしていたのでは収益が上がらない。将来に備えて、この際、アベノミクス相場に乗ってみようか。そのような発想で、いわば「生活防衛型投機」へと普通の市民たち、生活に不安を抱える市民たちが誘導されてしまうのが恐ろしい。そのような流れが形成されたところで、アベ・バブルが崩壊した時が悲惨です。

痛い目をみるのが安倍政権だけならいいですが、そうは問屋が卸しませんからね。

「Xデー」へのカウントダウンが始まった!

――「アベノミクス好景気」が終わるのはいつ頃とお考えですか?

カウントダウンは、もう始まっていると思いますね。

1ドル=100円を超えてから、円安が止まらず、国債の利回りも上昇しています。これまで、自分たちの思いどおりに市場を動かそうとしてきた「チーム・アベ」の人たちも、もしかしたら焦っているかもしれません。

私は市場と「対話」することの危険性を常々訴えてきました。グローバル化、複雑化した市場をコントロールすることは、絶対に不可能です。市場をコントロールしようとすればするほど、市場に振り回され、身動きが取れなくなる。

「Xデー」のカギを握るのは、この日本バブルでひと儲けしようとしている、外国人投資家たちです。彼らは当然、このバブルがいつか終わることを知っています。要するに、彼らは「売るために買う」人々ですから。今は虎視眈々と、「いつ売るか」を考えているところでしょう。

「株は上がる」という掛け声に押され、投資に手を出した個人が損をするという悲劇が、なるべく小さくなることを祈るばかりです。

[東洋経済ONLINE]

Posted by nob : 2013年05月27日 21:19

矛盾が見え隠れすれども、、、言い得て妙。。。

■今の若者はプライドが高すぎる
“戦う哲学者”中島 義道氏に聞く
長谷川 愛 :東洋経済 記者

中島 義道(なかじま・よしみち)
電気通信大学元教授・哲学塾カント主宰
1946年福岡県生まれ。77年東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。83年ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了、哲学博士。専門は時間論、自我論。2009年電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科教授を退官。現在は「哲学塾 カント」を主宰し、延べ650人が参加した。著書は『働くことがイヤな人のための本』『私の嫌いな10の人びと』『人生に生きる価値はない』(以上、新潮文庫)など約60冊を数える。

「イマドキの20代が何を考えているのかわからない」。ため息混じりでつぶやく先輩方をどの職場でもよく見かける。世代間ギャップの議論は今に始まったことではないが、「ゆとり世代」と言われる若手社員が特にわからない、と悩む人は多いようだ。2012年のHR総合調査研究所の調査によれば、企業の人事担当者が持つゆとり世代への印象は、6割が「受け身」、4割が「精神的に弱い」と答えている。積極的に動かず、傷つきやすいと思っている先輩社員が多いということだ。

当然、やる気に満ちあふれたスバラシイ20代の若手社員も多いに違いないが、20代の生態はますますナゾに包まれていると言っていいだろう。

そこでこの連載では、東洋経済の次世代を担う20代記者が集結し、イマドキの20代に関係するトピックを、いろいろな角度から取り上げてみようと思う。先輩方が20代を知るキッカケと、20代の気持ちを代弁していきたい。先輩、20代のこと、どう思いますか?

笑顔の絶えない人が嫌い、いつも前向きに生きている人が嫌い、自分の仕事に「誇り」を持っている人が嫌い。普通の日本人が無意識に無視している世の中の違和感と徹底的に対峙し、“戦う哲学者”の異名をとる中島義道氏。折り紙付きの人間嫌いでもある。

中島氏の哲学の根底にあるのは、「どうせ死んでしまう」というぞっとする理不尽だ。生きていくためには働かなくてはならないが、就活戦線や若手ビジネスパーソンが働く企業で求められるのは、「明るく、コミュニケーション能力が高い人」ばかり。「無用な人付き合いは避けたい」「無理に周りに合わせるのはもう嫌だ」という20代はどこに行けばいいのか。「どうせ死んでしまう」のに、どうして嫌な思いをしてまで働かなければならないのか。中島氏に聞いた。

――日本の会社についてどう思いますか。

私はアルバイト以外に一般企業で働いたことは1回もありませんが、すごくわがままなので、どこの企業でも勤まらないでしょう。私が日本社会で特に嫌いなのは、会社というものが家族のように丸抱え式になっていることです。私は大部屋で働くだけで嫌ですよ。教授は研究室が与えられているので、ずっと鍵を閉めて、そこで寝転がっていることもできた。ノックされたって、開けないかぎり、いないことになっているのでよかった。

会社を全部個室にしてしまえば?

プレハブでいいから会社を全部個室にして、ごくたまにほかの社員と一緒であるようにしたら、かなりの人が就職すると思います。いつも後ろ向きな暗い人だけでできている実験会社を作ってみるのも面白いですね。社員食堂も何もなくて、行事やレクリエーションも行きたい人だけ行けばよくて、ほかの社員が来ているかどうかもよくわからないような(笑)。

――家に閉じこもって、1人でできる仕事を目指すのはどうでしょうか。

作家のような1人でやる仕事を多くの人が望むのですが、難しいですよね。今、芥川賞を目指す人が10万人以上と言われています。みんな尊敬されるタイトルが欲しいんです。東大を出ても金持ちにはなれないことは知っているけれども、「この人は東大を出た」という「知的なもの」としての評価を求めているんです。ここに哲学をしに来る人のひとつの理由は、「私はヘーゲルやカントを読みます」と言うと、なんとなく人を見下せるから。そういう人の多くは、すぐ辞めてしまうのですが。

――多くの日本人は、毎日好きでもないものを売ったり、何のためにやっているのかわからない仕事をしなくてはなりません。仕事で満足感を得るには、どうしたらよいのでしょうか。

他人から尊敬されるとしても「人間としてはすばらしいけれども、仕事はまったくできない」というのではダメで、生活の糧を得ている仕事を通じて他人に尊敬されなければならない。しかも、その仕事が生きがいのあるものであるか、あるいは自分のとても好きなことをするかでないと、満足できない。

誰でもできることをしておカネをもらっても、そんなに満足感を覚えません。コンビニの店員を一生やるのは大変でしょ。組織で、何々会社の何々課長であるということを除いたら何もなくなっちゃう人や、誰ともすぐに交換できてしまう仕事はつまんない。「哲学塾 カント」は幸か不幸かほかのものとは交換できないから、ほかの人がここをやってもダメですよ(笑)。

私は若いときから、「自分だから」読んでくれる、「自分だから」評価されるという者にあこがれていました。三島由紀夫が書いたカフカ論だから読む、このニーチェ学者の書いたのならいい、この演奏家の演奏だから聴く、というように。昔は学者になろうと思っていたけど、どんな優れた学者でも何百人のカント研究者の1人では面白くないと考えるようになりました。

――「好きなことをする」のほうですが、好きなことが見つからない場合はどうしたらいいのでしょうか。

それは“好きなこと”を絞っているからですよ。人に尊敬されることとか、親が納得することとか。そんなこと言ったらできるわけないじゃないですか。本当にのんべんだらりと生きたかったら、それに邁進すればいいんじゃないですか?

人生どうなるかわからないのに、初めから全部を決めてしまう変な青年がいて、「僕の理想には1000万円以上必要だから、辞めます」と言うんです。「なんでですか?」と聞くと、「東大を出て、博士課程まで行って、教授になるには1000万円かかるから」と言うんです。これはおかしいですよね。

今の若者はプライドが高い!

今の若者はものすごくプライドが高い。何の実績があるわけでもなくて高いんです。そのプライドはとても傷つきやすくて、20歳、30歳だったらまだかわいらしいけれど、40歳、50歳になっても何も評価されることをしていなくて、プライドだけ高くてもダメでしょう? 「プライドを持つな」と言うのは難しいから、どうしようもない。絶対に傷つかないで、プライドを満足させたいと思っている人が多いのです。

――好きなことはどうやって見つけたらいいですか。

私は考えたんです。(A)好きなことができるけれども、名誉も地位もカネも与えられない。あるいは、(B)好きなことはしてはいけないが、名誉も地位もカネもすべて与えられる。どちらを選ぶかと聞かれたら、私は(A)を選ぶ。それが「好きなこと」を知るひとつの試金石かな。好きなことができるのなら、ほかに何も求めないのだから、そのために挫折しても別にいいわけですよね。

65歳を過ぎた今、私は比較的好きなことをしています。優秀な若い哲学仲間(非常勤講師)が10人くらい来てくれる哲学の場があるのは、何にも代えられない宝ですね。初めから自分にそういう目標があったわけではなくて、「あれもだめだ、これもだめだ、それもだめだ」と思ってやってきているうちに絞られてきたんです。「哲学をやりたくてたまらない」と思っていましたが、この歳までとにかく続けてこられたのはまったくの偶然でしょう。

人を見ていると、好きなことをしている人は人間的に柔らかくて、とても気持ちがいい。一方、満ち足りていない人は、他人に害を加えるんですよ。「俺もできなかったんだから、お前もするな」「夢なんか持つな」となっちゃう。私は哲学をしたいという相談を受けたら、誰にでも「はいどうぞ、路上生活者になるかもしれませんがやってください」と言います。私は今、好きなことをしているから、他人があまりうらやましくない。確かに村上春樹みたいに売れたらいいと思いますよ。イチローだっていいけど、イチローみたいにはなりたくない。野球は大嫌いだし(笑)。

私は、自分が好きなことをして他人を喜ばせている人は、さらに褒美をあげなくてもいいと思っている。むしろ、危険な労働をしている人や人生でいわれのない苦しみを受けている人(たとえば被差別者、障害者など)に褒美をあげたほうがいい。ベストセラー作家や野球選手は、もう十分報われているから、そのうえ賞をあげることはない。

看護師や消防士の年収は1億円にすべき?

私の考えでは、看護師さんと消防士は年俸1億円。イチローは好きなことをやっているから500万円くらいでいい、それくらいの認識を持っています。私自身に関しても、名誉がついて回る仕事は全部やめようと思ってる。名誉教授も断ったし、すべての賞は辞退する。いかなる褒美もいらない。その代わり、他人が名誉あることで表彰されてもまったく無関心です。

――中島先生自身は4年前まで大学の哲学の教授として働いていらっしゃいましたが、就職する際に、絶対に譲れないと思った条件は何でしたか。

私は金持ちや有名にはならなくていいと思っていたのですが、自分の考えていることを言わせてくれないところはいやだと思ったんです。ほとんどの会社は言わせてくれない。 好きなことが言えるには哲学とか、文学とか、ある特権的な立場でないとダメでしょ。私が主宰する「哲学塾」では、少々身の危険がありますけれども、好き勝手なことが言えます。そういう言語が使えるということは、私にとっての「自由」のいちばん重要なところです。本当に自分が考えていることを言わないと、自分の言葉がなくなっていく。自分が何を考えているかもわからなくなってしまう。

最近は「絆」の大号令

現代日本は、疑いを持つにしても、みんなと同じ疑いしか受け入れてくれないし、ちょっと他人とずれると精神的にきつい。とても縛りが強くてストレスがたまる社会ですよね。特に最近は「絆」の大号令でしょ。「絆はいらない」とは言っちゃいけないんだよね(笑)。私はいわゆる「中二病」で、ある面であの頃から全然成長していない。だから私には若い人から「大人のくせにこういうことを言っていいのか」とか、「初めてはっきりと言ってくれる大人がいるのに驚いた」という手紙が来ることがあります。

ネット上で匿名で発言する人は、生身の体を張らずに、安全地帯で語っているから嫌い。私は匿名の言語はいっさい信じない。一方、作家はどんなバカな作家でも、私も含めて、刺されたり爆弾を仕掛けられたりするかもしれない。殺されないまでも、ものすごい失点を被るかもしれない。だからこそ、言語を発する権利があると思う。やくざの親分でも誰でも、名前を出して語るかぎり、匿名でどんなに立派なことを語る人より、批判も反発もされるから、えらいと思っています。

――好き勝手に言えることのほかに、仕事に求めていたことはありますか。

嫌な他人を拒絶できることですね。新入社員のように弱いと誰も拒絶できません。その人ににらまれて、会社での居心地が悪くなると思うから。「私はこういう信念で動いています」と言うためには、強くなくちゃいけない。そのためには、その会社が必要としている人であればいい。会社でうまくやるためには、できる社員になるしかないんです。そして社長になれば、「今日からみんな、“さん”づけにしましょう」など、かなり自分の好きなように変えられます。それまで、ある程度、耐えなくちゃいけない。

学問の世界でもそうですが、本当に誠実にやっている場合には、絶対に見ている人がいます。誠意を持って、仕事で能力を発揮してやっていると、少しずつ変えられるようになってくる。ホストクラブだって1番になればいい。1番のホストはかなり自由が利くと思う。でも100番とかではダメです。

昔から学校が大嫌い

――どのようにして、大学教授、そして物書きという仕事に納まったのですか。

私は子どもの頃からとても生きにくいと感じていました。学校が大嫌いでした。特に、運動会とか遠足とか掃除とか何とか大会とか、勉強以外のことはすべてなければいいと思っていた。自分の感受性が変わっていると気づいたのは、小学校2年生くらいじゃないかな。勉強はできましたが、すごくヘンな子でした。太った女の先生が、「皆さん笑う2年生になりましょう、ワッハッハ、ワッハッハ」と笑い出したときに、私は1人だけ笑わなかった。そうしたら先生が、「中島君、なんで笑わないの?」と聞いたので「バカらしいから」と答えました。嫌な子ですよね。

今だったら何とかかんとか症候群とか、いろいろ病名をつけられたと思いますよ。でも、勉強が好きで成績もよかったから、それでもっていたんでしょうね。

私は東大時代、文Ⅰから法学部に行かずに、クラス50人で1人だけ留年して、哲学をしようと思い教養学部教養学科(科学史科学哲学分科)に行きました。東大法学部卒だったら引く手あまたですけれども、そんなところに行ったってもちろん職なんか何もない。完全な落伍者じゃないですか。もちろん、親から何から、すべての人が反対しました。私自身も、法学部を捨てるということも、留年することも、親への初めての反発だったこともあって、天国から地獄に落ちるくらいの大ショックでした。でも、あれが自分の人生の正しい選択でしたね。

それから紛争が始まったりして、大学院で留年し、退学し、さらに法学部に学士入学し、さらに大学院に再入学し修士論文を書いて、しばらく予備校教師をしていましたが……。ウィーンに私費留学したときはすでに33歳でした。1979年、ジャパンバッシングのさなかでしたが。そこで日本人学校の非常勤講師をしながら、4年半で博士号を取って東大の助手になりました。その後、仲間たちがどんどん有名大学にポストを得て、自分は全然ダメだと思っていたときに、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)が売れて、次々に本を書くようになりました。なぜか知らないけどね。そのときはわからない。でも、いつの間にかかなり危険な決断をしてきていました。自信があったわけではなくて、いつもどうにかなると思って。

妹が高校生から大学生になって、結婚して子どもを生むまで、私はずっと大学生でした。自分はこれまで引きこもりとか、マイナスのことを全部やってきたんですけれども、ウィーンに行ってから今に至るまでに体験的に知ったことは宝です。こんな体験をすると、ほとんど何も怖くなくなる。4年前、定年を迎えずに大学を辞めました。知らなかったのだけど、途中で辞めたので退職金を800万円引かれちゃった(笑)。

若者よ、思い切ったことをしよう

――今の若い人たちも、安全なことばかりでなく、思い切った選択をすべきですか。

ゆとり世代の人は生活に困らないからこそ、かなり若いうちに身体を張って自分自身の好きなこと、あるいは特別に好きじゃなくても、何か自分が有意味だと思うことに対して邁進してみて、失敗すればいいと思いますよ(笑)。そのほうが、何もしないより「失敗という体験」が残ります。私は33歳でウィーンに行きましたけど、53歳じゃやっぱり行けませんよね。

わがままをしていると、必ず人と対立するし傷つきますが、それでもなるべくわがままをすべきだと思う。そしてうまくいかなくてもいいじゃないですか。自業自得ですから。わがままを抑えている人生なんてつまらないじゃないですか。若いときを振り返ればそれなりに懐かしいけど、大変でしたね。でもマイナス面には何かプラス面が必ずある。今となっては、本に恨みつらみを書けますからね。

作家たちもそうかもしれないけれども、表現者ってむしろマイナス面を生かしている形が多いわけですよね。私も今生きていることや、死ななくちゃいけないということが納得できないから書くわけです。これまでに60冊書きましたが、まだ本当に書きたいことを何も書いていませんよ。

昔はとても暗くて生きやすい時代だった

――そもそも働きたくない人はどうすればよいのでしょうか。

働きたくない人は、実はほとんどいないと思いますね。働かず、朝から晩まで寝ていても、遊んでいても、面白くないもん。ただ、若い人にとっては職場の人間関係が大変なんですよ。そして、今の若い人は人間関係に対するスキルを磨いていないから、たちまちくたびれてしまい、会社を辞めてしまう。

私たちの時代は、とても暗い時代で生きやすかった。ほとんどの人がしたいことができませんでした。大学に行けた人は当時2割くらいでしょうね。 1965年に東大に入ったのですが、授業料が月に1000円。それすら払えない人もいて、ほとんどの者はすごく貧しかった。夏には白いワイシャツと黒いズボンで3カ月通し、冬でもオーバーを着られないという学生もいました。まだ炭鉱事故があったし、東北では飢饉があって、貧乏ゆえの悲惨な事件がたくさんありました。

でも、そういうきつい時代は、今の時代のような不幸がないかもしれない。おカネを儲けるなど、毎日の生活を維持することが最高の価値ですから、それで気が紛れるんです。人生の目標は「どうやったら飢え死にしなくて生きていけるか」というイメージだったのです。今の社会では、すべての人が大学に行ける。おカネにも余裕があって、自分で車も買えるし、女の子たちを喜ばせるいろいろな物を獲得しうる。すべてチャンスは与えられている。だけど負ける人がいる。これはきついですよね。

今の若者が欲しているもの

こういう社会では、労働で勝ち得たものや努力して得たものには、比較的価値がなくなってしまう。われわれの世代は、豊かな生活とか、権力を持ちたいとか、有名になりたいという欲望が露骨にあったんですけれども、今の若い人は、車も液晶テレビも海外旅行も別に欲しいと思いません。

――今、価値があるものとは?

今、すべての人が欲しいのは、広い意味の「知的能力」でしょう。成熟した脱工業社会の日本では、もはやほとんどの人には大学に行って知的職業に就くしかありません。誰にとっても要求されることのレベルがものすごく高くて、英語もコンピュータもできるのが当然になってしまっている。ところが、人間は生物でそんなに急激には進化しないから、頭の悪い人はいっぱいいるでしょうし、基本的には変わらないんですよ。

結局は、頭がいいとか、育ちがいいとか、男ならかっこいいとか、女ならかわいいとか、素質的なものに価値が置かれるようになる。

――素質で勝負するようになると、もう能力差は最初から変えられないのでしょうか。

変えられないこともないけれども、どんな努力をしても歴然とありますね。中学、高校くらいになると必ず負け組ができるでしょう。とてもかわいらしくてみんなに好かれる子と、比較的嫌われる子が出てくる。これはもう、初めから勝負はついていますよね。

それ以上に、今はコミュニケーション能力が欠けていると、とても生きにくい社会です。今の若い人たちは大変だなあと思います。こういう社会に適応した人は楽だけれども、適応しない人はみじめでしょうね。

「便所飯」は何を表しているのか

――日本は高校までは強制的に集団生活ですが、大学は比較的自由です。それに慣れて、会社に入るとまた大変です。

大学はそうですね。でも、大学でもトイレで食事をする学生がいると聞きますが、ああなっちゃうのは困りますね。その背後には、やっぱりみんな一緒という雰囲気があると思います。口では「みんな違って、みんないい」と言いますが、実はこんなことは全然教えていない。日本人は集団性をものすごく尊びますが、もうあんまり実情と合わなくなってきている感じがします。

私の息子はウィーンで5年間暮らしたのですが、まず日本人学校にやったんです。うちの子は変な子だから、そこにうまく適応できなかった。先生が「ボランティア活動をしましょう」と命令すると、うちの子は「ボランティア(自由意志)だからしなくていいでしょ」と言って怒られる。スクールバスに乗らないと怒られる。ほかの子どもと一緒に食堂で食べないといけないし、サッカーの練習も1人でやってはいけない。

それで、半年後に生徒が70カ国くらいから来ているアメリカン・インターナショナル・スクールに転校させました。そこでも息子は同じことをしたんですよ。うちの子がパンを買ってどこかで一人で食べていても、先生たちは「なんでそれが問題なのですか?」と言うんですね。食事は食堂で食べてもいいし、弁当を持ってきてもいいし、食べなくてもいい。スクールバスに乗らなくてもかまわない。遠足にも行かなくてもいいんです。

選択肢がすごくあるから救われるんです。言いかえれば、多様性です。極端に言えば、「もう学校なんかなくなっていい」という意見もある。1日6時間も子どもたちを檻に入れるなんて、おかしいじゃないですか。高齢者介護のように、自宅に教師を派遣したっていいじゃないですか。

――今の若者は社会になじめないのか、仕事もすぐ辞めるし、弱いと言われます。

昔の人は体罰もあったし、皆から罵倒されたり、お互いけんかしたり、差別発言もいっぱいあったりする中で生きてきました。荒っぽかったけれども、誰もが若いときから、世の中は不合理で理不尽であることを学んでいました。どんなに勉強がしたくても、「ダメだ! 高校を出て働け!」と親から言われたり、「長男は東京に出ちゃいけない」と命令されたり。私のように、巧みに親をだましながら好きなことをやってきた人もいますが、大多数はあきらめました。社会と大人の圧力によって、虐げられていたのです。それは人類始まって以来、ごく普通のことなのですけれどね。

100万人以上の引きこもりは社会への抵抗

ところが、今は中学や高校の段階であきらめることができずに、こういう現実的なコミュニケーション能力を学んでこなかった人がかなりいます。これは 40歳からは学べません。しかられて鍛えられたことがないから、他人の顔色も読めず、今の雰囲気もわからない。バイトをしても勤まらない。ある青年は「店長に敬語を使いなさい」と言われると、「あなたも私に敬語を使いなさい!」と答えて、怒鳴られ、どうしていかわからなくて泣く。新入社員に対して上司がちょっと怒るとすぐ辞めてしまう、ということもよく言われています。

こうした現象はその人たちの責任ではなく、社会全体の責任かもしれない。私は100万人を軽く超える人数の引きこもりが家で寝ているというのは、こういう社会に対する「どうしてくれるんだ!」という抵抗だと思います。豊かになるとこうなるし、豊かじゃないときにはそれなりの不満があるし、つまりどうやってもダメなんですけれどね。

――迷える若い人が講演会や自己啓発本などから学べることはありますか。

私は他人の意見は何も参考にならないと思っている。各人それぞれ違うから。だから、わざわざそんなところによく行くなぁと思っています(笑)。講演会に行ってもしょうがないじゃないですか、他人のことなんだから。他人はちらっと参考にするくらいはいいけれども、自分に何の適性があるかは、自分自身でしか決められませんよ。

[東洋経済ONLINE]

Posted by nob : 2013年05月21日 07:28

得ること、、、

それが呪縛の始まり。。。

Posted by nob : 2013年05月19日 01:33

そのとおり!!!Vol.27、、、拍手っ。。。

■社説[原子力規制委報告]政策転換を迫る判断だ

 原子力規制委員会が、二つの重い判断を下した。

 日本原子力発電敦賀原発(福井県)の敷地内断層について、規制委の調査団は、2号機直下の破砕帯を「耐震設計上考慮する活断層」とする報告書を取りまとめた。国は活断層上に原子炉建屋など重要施設の設置を認めていない。国の現行基準では、13万~12万年前以降に動いた断層を活断層とみなしている。原電が判断を覆す新証拠を示さない限り、廃炉は確定的な情勢となった。

 また、規制委は、大量の機器の点検漏れが見つかった日本原子力研究開発機構の高速増殖炉原型炉もんじゅ(同県敦賀市)について、再発防止に向けた安全管理体制の再構築ができるまで運転再開の準備作業を行わないよう命じることを決めた。事実上の運転禁止命令だ。

 いずれも、日本の今後の原子力政策に大きな影響を及ぼす判断である。東京電力福島第1原発事故を教訓に、新たに発足した原子力規制委員会だからこそ導き出し得た結論だといえよう。

 敦賀原発の敷地内断層に関する報告書をまとめた調査団団長役の島崎邦彦委員長代理は、結論の背景を「規制委が推進側と切り離されたことが一番大きい」と指摘した。

 旧原子力安全・保安院は、原子力を推進する側である経済産業省の下にあった。「安全神話」に寄り掛かり、チェック機能が十分働かなかった。

 安全面を最優先に、科学性・客観性に徹した今回の判断を評価したい。

    ■    ■

 一方で、調査団の出した結論は摩擦も生んでいる。

 規制委に廃炉を命じる権限はない。判断は原電に委ねられるが、原電は「合理的な判断と言えず、到底容認できない」との抗議文を調査団に提出した。今後も、活断層を否定するための調査を継続する方針だ。

 原電に出資する大手電力も反発を強めている。廃炉となれば、巨額の廃炉費用が発生する。多額の費用負担が迫られ、経営に影響が及ぶ。

 地元も揺れている。長年、原発立地がもたらす経済効果に依存し、雇用も自治体財政も原発に大きく支えられてきた。原発に代わる新たな基盤を見いだすのは容易ではない。

 気がかりなのは政治の姿勢だ。自民党では、再稼働を視野に「電力安定供給推進議員連盟」が発足した。エネルギーの安定確保に向けた方策を議論し、党や政府に提出する意向だという。

    ■    ■

 今後、事業者などの反発が激化し、規制委に対する圧力が強まることも懸念される。

 だが、調査団の判断を、政治が妨げ、封印するようなことがあれば、規制委の存在自体が問われる事態になる。福島の事故で原子力への信頼は地に落ちたことを忘れてはならない。規制委には厳格な姿勢を貫き通してもらいたい。

 政治がなすべきは、廃炉に向けた具体的なプロセスを示すことだ。

 原発は国が政策として推進してきた経緯がある。地元の不安に対して国が積極的に関わり、払拭(ふっしょく)に努めるべきだ。

[沖縄タイムス]

Posted by nob : 2013年05月19日 01:16

理性と我慢は人が人たりうる所以。。。

■橋下市長もう止まらない、慰安婦問題発言 「アメリカはずるい」「建前は止めた方が良い」

大阪市の橋下徹市長(日本維新の会共同代表)が、いわゆる従軍慰安婦の制度について「必要なのは誰だって分かる」などと発言し、米軍司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と述べたことが波紋を広げているが、橋下市長は2013年5月14日朝ツイッターを20回以上にわたって更新して釈明した。

慰安婦問題については基本的に従来の見解を繰り返したが、米国が公娼制度を認めていないことについて「だいたい、アメリカはずるい」「建前は禁止でも、軍人の性的欲求が0になるわけがなない」などと主張した。

「日本が不当な侮辱を受けないために言うべきことは言わなければ」

橋下市長は、過去の日本の侵略行為や植民地政策については「反省とお詫び」が必要だと強調。その上で、慰安婦については、
「当時が良かったからと言って、今の時代で全て正当化されるものではないのは当たり前」
「人間に、特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは厳然たる事実。現代社会では、それは夫婦間で、また恋人間で解消することが原則になっているが、時代時代に応じて、様々な解消策が存在した。日本以外においても軍人の性的欲求不満解消策にいわゆる慰安婦が活用されていたのは事実」
と従来の主張を繰り返した。

朝鮮半島出身の元慰安婦の女性については、
「日韓の間で法的な賠償問題は解決済みだからと言って、紋切り型の役所的な言葉を慰安婦の方にぶつけるのは政治家の態度振る舞いではない。法的な問題は解決済みであっても、言葉のかけ方、接し方は別だ」
と一定の配慮を見せながら、
「ただ国を挙げて韓国女性を拉致して強制的に売春させた事実の証拠がないことも、厳然たる事実。世界が誤解しているなら、日本が不当な侮辱を受けないために言うべきことは言わなければならない」
とし、事実関係を国外に対して改めて説明すべきだとの考えを強調した。

米軍司令官には「法律上認められている風俗業を活用しろと言ったんだ」

米軍司令官に沖縄の風俗業活用を進言した背景については、
「だいたい、アメリカはずるい。アメリカは一貫して、公娼制度を否定する。現在もそうだ」
「しかし米軍基地の周囲で風俗業が盛んだったことも歴史の事実。占領に合わせて日本政府が特殊慰安施設協会を設けたがGHQは禁止令。しかし、私業の街昌(原文ママ)が横行した。建前は禁止でも、軍人の性的欲求が0になるわけがなない。何らかの解消策を真正面から考えないといけない」
と主張。米国防総省の報道担当者が朝日新聞に対して、
「我々の方針や価値観、法律に反する。いかなる問題であれ、買春によって解決しようなどとは考えていない。ばかげている」
と橋下市長発言を批判したとされることについては、
「僕は、法律上認められている風俗業を活用しろと言ったんだ。建前は止めた方が良いと」
「米軍は、法律上認められている風俗業にも、出入り禁止としているらしい。出入り禁止としても、軍人の性的欲求が0になるわけではない。風俗業を活用したからと言って、沖縄での米兵の性的事件が収まるかは分からない。因果関係については立証はない。ただ、建前論は止めてくれと」
と反論。

経済的事情を背景に不本意な形で風俗業に身を置くことは防ぐべきだとしながらも、
「日本をはじめ完全なる職業選択の自由がある国で、法律上認められた風俗業を否定するのか」
とした。

日本の売春防止法では、売春の「勧誘」「斡旋」「場所の提供」や、いわゆる管理売春を禁じている。

連続ツイートの終盤では、毎日新聞が掲載した会見の一問一答にリンクを張った上で、「かなりフェアに発言要旨を出している」「この毎日の一問一答がある意味全て」とした。

[J-CASTニュース]


■橋下氏「風俗女性への差別だ」 石原氏「間違ってない」

 日本維新の会の橋下徹共同代表は14日、自らのツイッター投稿で、沖縄県の米軍普天間飛行場を訪れた際、司令官に風俗業の活用を進言したことについて「米軍が、法律で認められた日本の風俗業を利用することは何ら問題はない」と改めて主張した。

 米国防総省報道担当者は「ばかげている」などと批判。橋下氏は「アメリカはずるい。アメリカは一貫して、公娼(こうしょう)制度を否定する。しかし米軍基地の周囲で風俗業が盛んだったことも歴史の事実」「日本国において法律で認められた風俗業を否定することは自由意思でその業を選んだ女性に対する差別だ」などと反論した。

 戦時中の旧日本軍の慰安婦についても「意に反して慰安婦になった方は気の毒だ。それが戦争の悲劇であれば、だから戦争なんかするものではない」とする一方、「人間に、特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは厳然たる事実」「世界各国を見れば、軍人の性的欲求の解消策が存在したのは事実」と重ねて主張した。「反省とお詫(わ)びをしなければならないところはしっかりやる。ただ、不当に侮辱を受けるようなことに関してはしっかりと反論する。これが、本来の政治家の態度振る舞いだと思う」などともつぶやいた。

 橋下氏は14日午前6時過ぎから「慰安婦と歴史認識について」と題し2時間半で25ツイートを投稿した。

■石原氏「軍と売春はつきもの」「間違ったこと言ってない」

 日本維新の会の石原慎太郎共同代表は14日、橋下徹共同代表が戦時中の旧日本軍慰安婦を「必要だ」と発言したことに対し、「軍と売春はつきもので、歴史の原理みたいなもの。決して好ましいものではないが、彼は基本的にそんなに間違ったことは言っていない」と述べ、橋下氏を擁護する考えを示した。国会内で記者団に語った。

 橋下氏は13日、旧日本軍の慰安婦について「慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」などと発言した。石原氏は「(戦時中は)売春婦を取り持つみたいな施設をつくる商売があった。そういうものは歴史の中の一つの公理みたいなものだ」と指摘。そのうえで「ものの言い回しやタイミングの問題もあるが、あなた方(報道機関)の捉え方も問題がある。あまり被虐的に考えない方がいい」と語った。

[朝日新聞]


■「自分の娘を送れるか」 元慰安婦 橋下氏に面会へ

 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長と二十四日に面会予定の韓国人元従軍慰安婦金福童(キムボクトン)さん(87)と吉元玉(キルウォンオク)さん(84)が十八日、沖縄県西原町と広島県福山市でそれぞれ集会などに出席した。金さんは「自分の娘を(慰安婦として)送ることができるのか」と憤り、吉さんは「暴言を吐いてはいけないと伝えたい」と話した。

 沖縄県西原町の沖縄キリスト教学院大で講演した金さんは、十四歳で従軍慰安婦になり、中国やインドネシアなどの前線を旧日本軍と転々とした経験を話し、橋下氏の発言を「妄言」と批判。「過去の歴史を変えることはできない」と述べた。

 講演後に記者会見した金さんは、強制連行について「血の涙がにじむ経験をした本人がいるのに、どうして証拠がなかったと言えるのか。それ以上の証拠があるのか」と語気を強めた。

 吉さんは、支援者を対象とした福山市内での講演会で、平壌に住んでいた十三歳の時に「工場で稼がせてやる」とだまされて連れ出され、ハルビンなどの慰安所を転々とした経験を語った。

 日本の政治家から相次ぐ従軍慰安婦に関する発言については「被害に遭った人間がまだ生きているというのに、ひどいことを言うのは聞くに堪えない」と訴えた。

[東京新聞/同日追加]

Posted by nob : 2013年05月19日 01:02

悟りに至る途とは、、、

悟りを求め続けて

日々思い迷い悩み続けること。。。

Posted by nob : 2013年05月18日 07:19

悟りとは、、、

煩悩を受け容れること。。。

Posted by nob : 2013年05月18日 07:18

健康に近道はない。。。

■サプリメーカーが語りたがらない10の事実

1. 「選択肢の多さで消費者を圧倒する」

 複数の消費者団体によると、市場には異なる1000のブランド名で売られている5 万4000種以上もの栄養補助食品がある。実際、米国食品医薬品局(FDA)はサプリメントを、ビタミン、ミネラル、ハーブまたは植物性薬品、アミノ酸、酵素、臓器組織、腺エキス、代謝産物などの「サプリメント成分」を含む摂取可能な製品と幅広く定義している。しかも、この業界は今も成長している。米会計検査院(GAO)が先月公表した報告書によると、2009年にはおよそ250億ドル(約2.47兆円)だった売上高が2011年には300億ドル以上にまで伸びた。

2. 「サプリは薬剤と違ってFDAの認可なしに販売できる」

 FDAはサプリメントも規制しているが、処方薬や市販薬とはその基準が異なっている。後者の製造元は新製品が市場に出る前に、その安全性と有効性を証明しなければならない。これとは対照的に、栄養補助食品の製造元は一般的に言って製品の製造や販売前にFDAの認可を必要としない。1994の栄養補助食品健康教育法が成立する前に米国で販売されていた栄養補助食品に含まれる成分を使用している限りは、という条件が付くが。その法案が成立する以前には販売されていなかった「新たなサプリメント成分」を使う製造元は、その製品の販売前に FDAに通知し(認可を受ける必要はない)、その成分が製造元が行った評価で「合理的に安全と見込まれた」ということを示す資料を提出しなければならない。

 FDAは市場に出た後のサプリメントを監督し、政府は特定のサプリメントの使用と関連性がある心臓発作や脳卒中といった深刻な有害事象のすべてを報告することを製造元に義務付けている。消費者はFDAのウェブサイトで、規則違反があった製造元へ送られた警告書を検索することができるが、有害事象の報告を検索できるデータベースはない。

3. 「ラベルでサプリを判断するのは難しい」

 サプリの成分は、その梱包容器に重量が大きい順に列挙されることが連邦法で義務付けられている。しかし、競争上の理由で、FDAは製造元がラベルの「成分表示」の欄に「独自のブレンド」の成分の正確な分量を記載することを義務付けていない。独立系の健康栄養剤検査機関、コンシューマーラボ・ドット・コムの社長、トッド・クーパーマン博士によると、製造元は「ブレンド」や「調合法」といった言葉を使うことで、関節サプリに使われる軟骨成分、コンドロイチンのような高価な成分の正確な分量をごまかすこともできるという。ラベルを読むときは自分に必要な成分に的を絞り、それが成分表示欄に個別の成分として記載されていること、「ブレンド」や「調合法」といった言葉が後に続いていないことを確認すべきだとクーパーマン博士は言う。

 コンシューマーラボがサプリの検査で最も多い品質欠陥は、ある成分を実際よりも多く表示している製品だという。あるサプリの成分表示欄に、その錠剤にはある栄養素が100ミリグラム含まれていると書いてあっても、実際には20ミリグラムしか含まれていないという例もある。次に多い品質欠陥はその逆で、ある成分について実際よりも少なく表示しているパターンだ。クーパーマン博士は、主力商品にさえもこの種の不正表示があると話す。その一方で、米国栄養評議会のスティーブ・ミスター会長はこの種の不正表示はあまり多くないと述べている。

4. 「健康効果には議論の余地がある」

 FDAはサプリメントの製造元が梱包容器に構造的・機能的効用を記載することを許可している。たとえば、「食欲を抑えて減量を助ける」といった具合に、ある成分が人体の構造や機能にどのように作用することを目的としているかが書かれている。ところが製造元は、「肥満治療のための減量を促進する」というような表現でその製品が病気を治癒、治療、防止するという主張はできない。それでも、米国保健社会福祉省監察総監室が2012年に127のサプリを分析した結果、栄養補助食品の20%がそうした主張を記載していた。この報告を受けて、 FDAは現行の法律の枠を越えて構造的・機能的効用の根拠を調べ直すための明確な権限を求めるかどうかを検討するとした。

5. 「健康的な食事に代わる錠剤など存在しない」

 米ペンシルベニア州ピッツバーグ在住の登録栄養士、ヘザー・マンジェリ氏によると、サプリメントへの理にかなったアプローチとは次のようなものになる。健康的でバランスのとれた食事から始める。医者か栄養士に相談して足りない栄養素を、必要であればサプリメントで補う。「私はいつも食事をいちばんに勧めている」と同氏は話す。ある程度の努力はいるが、ほとんどの人は1日に必要な栄養素を食事だけから摂取でき、またそうあるべきだという。唯一の例外として同氏が挙げたのは、1日1600カロリー以下の食事で減量に取り組んでいる顧客たちだ。必要な栄養素のすべてを食事からとるのが難しい彼らには、よくマルチビタミンの摂取を勧めているという。

6. 「免責条項や警告文を読むには拡大鏡がいるかもしれない」

 サプリメントの梱包容器にある構造的・機能的効用のそれぞれには、その効用が FDAによって評価されていない(そして、その製品はいかなる病気の診断、治癒、治療、防止を目的としていない)とする免責条項を付さなければならない。しかし、これを見つけるのは容易ではない。免責条項はビンや梱包容器の下の方に小さな文字で書かれていることが多い。米国栄養評議会のミスター会長によると、これは通常、製造元が魅力的で整然としたラベルを作ろうとするからであり、意図的な難読化ではないという。

7. 「魔法のやせ薬など存在しない」

 もちろん、すべての減量用サプリメントが同じではなく、ある程度は役に立つものもあるかもしれない。減量用サプリの製造元は、食事療法や運動を含むより大きなプログラムの一環としての製品の摂取を推奨していることが多いが、この業界の中にはその必要性に疑問を呈する人もいる。登録栄養士のマンジェリ氏は「減量につながるのは食事療法と運動」であり、サプリではないと指摘する。

 一方のミスター会長は、特定の減量用サプリは食事療法や運動と併用されることで効果を発揮し得ると主張する。満腹感に寄与し、食事の量が減る食物繊維が多く含まれた製品もあれば、代謝を少し促進するサプリもあるとミスター会長は弁護する。

8. 「自然と安全は別物である」

 ヒ素、毒キノコ、タバコなど、自然界にも危険なものはたくさんある。この10年間で厳しく検査された最も有名なサプリメントのいくつかには血圧を上げ、心臓にストレスを与えるアジア産のハーブ、マオウが含まれていた。そうしたサプリは減量用や運動能力向上用として販売されていたが、マオウ摂取者の間で死亡事故や健康被害がいくつか報告されると、FDAはそうしたサプリには病気やけがの不当なリスクがあると判断し、2004年には販売禁止とした。

9. 「増加した効き目は薬剤によるものかもしれない」

 処方薬を栄養補助食品として販売するのは違法だが、それをやめようとしない製造元もある。たとえば、男性の性的能力を高めるサプリにはバイアグラの有効成分であるクエン酸シルデナフィルが含まれていたり、減量用サプリには処方薬シブトラミンが混ざっていたりする。シブトラミンはFDAが認可した薬だったが、心臓障害や脳卒中を引き起こすとして2010年に市場から排除された。専門家によると、こうした混入の多くは意図的であり、FDAはそうした行為の防止に積極的に取り組んでいる。

 ミスター会長によると、主要な製造元はその製品に処方薬を加えたりしないという。潜在的な問題を避けるには「私書箱しか書かれていないような聞いたこともないネット通販店から購入しないことだ」とミスター会長は助言する。

10. 「摂取しているサプリを医者に知らせる必要がある」

 患者の多くは服用している処方薬のことを医者に伝えるが、サプリに関してはきちんと話さない場合が多い。これは誤りだと専門家は指摘する。ハーブ系サプリの多くは人々が摂取している処方薬と作用し合うのだ。たとえば、軽度のうつ病に有効であることが示されているサプリ、セイヨウオトギリソウ(セントジョーンズワート)は処方された抗うつ薬と併用されるべきではないと、米テネシー州キングスポート在住の開業医で、米国家庭医学会の次期会長でもあるリード・ブラックウェルダー医師は言う。同医師は、運動や非医学的治療と共に、薬に代わるハーブを患者に勧めることがあるという。その一方でニューヨークのメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターで統合医学サービスの責任者を務めるバリー・キャシリス博士は、がん患者の化学療法や放射線療法の効果を減少させ得るハーブ系サプリもあると指摘する。「すでに病状が悪化している患者に深刻な問題を引き起こす可能性もある」

[THE WALL STREET JOURNAL]

Posted by nob : 2013年05月12日 03:50

言わずもがな。。。

■日本を含む36の国家で国民監視用にスパイウェアを使用していることが判明

カナダのトロント大学にあるThe Citizen Labの最新レポートによると、現在世界の36カ国において、イギリスGamma International製の「FinFisher」というソフトウェアを使用して、政府機関が国民のIT動向を監視しているということが分かりました。

FinFisherは「FinSpy」の名前でも知られている、アンチウイルスソフトに検知されることなくPCやスマートフォンを使ったあらゆる行動を記録するソフトウェアで、以前から世界25カ国で使用されているのが確認されていましたが、今回、新たに11カ国での使用が確認されました。

このソフトは、アラビア語などのために文字を右から左に表記することができるRight-to-Left Override(RLO)という制御記号を利用して、実行ファイルを普通の画像ファイルであるかのように偽装して実行させ、PCやスマートフォンに侵入します。例えば、アルジャジーラの記者からのメールのように見せかけて、バーレーンの活動家の写真として「exe.Rajab1.jpg」というファイルを送ってくるのですが、実際に送ってきているのは画像ファイルではなく「gpj.1bajaR.exe」という実行ファイル。

開いてみると期待通りに画像が表示されるのですが、その裏でFinFisherは侵入を果たしているというわけです。

一度FinFisherが侵入した端末は、C&Cサーバー経由で、すべての動きをモニタリングすることができるようになります。

Wikileaksによって公開されたFinFisherに関する情報によると、政府の情報局はSkypeで行われている“疑わしいコミュニケーション”を監視するために、広範囲のインターネットカフェに対して FinFisherを使用したり、暴力団やマフィアなど犯罪に関わる組織の動向監視のために使用したりしているようです。実際に一部の活動家が2011年のエジプト革命後に政府のサーバーに侵入した結果、ムバラク政権がFinFisherでスカイプ通話の傍受を行っていたという証拠になる情報を発見しています。なお、FinFisherを販売しているGammaはムバラク政権にFinFisherを販売したことは否定しています。

ウォール・ストリート・ジャーナルによると、政府による監視に関わる市場は約50億ドル(約5000億円)という巨大な規模になっていて、FinFisherが世界25カ国で使用されていることが確認されたのはThe Citizen Labの報告書が発表されるわずか2ヶ月前だったのですが、そこからの2ヶ月の間に11カ国での使用が新たに確認されています。これらのスパイウェアを使用することは、多くの国では合法的なことだと見なされています。

FinFisherが使用されていることが確認されたのは、オーストラリア、オーストリア、バーレーン、バングラデシュ、ブルネイ、ブルガリア、カナダ、チェコ共和国、エストニア、エチオピア、ドイツ、ハンガリー、インド、インドネシア、日本、ラトビア、リトアニア、マケドニア、マレーシア、メキシコ、モンゴル、オランダ、ナイジェリア、パキスタン、パナマ、カタール、ルーマニア、セルビア、シンガポール、南アフリカ、トルコ、トルクメニスタン、アラブ首長国連邦、英国、アメリカ、ベトナムの36カ国です。

監視・盗聴用のソフトウェアは、FinFisher(FinSpy)のほかにも数多く存在していて政府・警察・軍隊・情報機関向けに販売されていることがWikileaksによって明らかにされています。

[Gigazine]

Posted by nob : 2013年05月10日 07:50

いつもそこにある、、、目に見えない真実。。。

人の数だけある

往くべき場所と還るべき場所。。。

Posted by nob : 2013年05月09日 11:38

そのとおり!!!Vol.26、、、ついでに後編。。。

為末:僕の場合は、誰かのためいいことをして感謝された時でしょうか。自分はこの人に感謝されている、と思えると満たされます。でも、競技で勝負する時は、ドライになって、時には嫌な人になって「あいつは何だ」と言われても割り切らなければならない。

 自分の中で何かしら分配する感じです。周りが敵だらけで、誰も自分を理解してくれないのはちょっと耐えられませんから、家族か誰か、自分なりに理解者を確保するようにしていました。

竹中:私はかつて政治の世界で大変批判されて、さすがに落ち込むことがありました。そのときに助けられたのが小泉純一郎さんの一言でした。「悪名は無名に勝る」。ああ、そうか、と(笑)。褒められたわけですね。

為末:悪名は無名に勝る、なるほど。僕は組織にいられなかった人間ですから、偉そうなことは言えないんですが、たとえば組織の中にいる方は、もう一つ、違う場所を意識して持っておくというのが重要な気がします。

自分で自分を変えるより、環境に変えてもらう方が確実

為末:会社員時代、プロ時代、アメリカにいた時代、僕は言うことも考えていたこともそれぞれ結構違っていました。

 「その場所にいながら、その場所ではないことを考える」、というのは、やっぱり難しいと思うんです。だから、距離を置く場所、会う人を変える、人に会う比率を変える、といった感じで、「今の状態から考えを変える」よりも、「自然と自分が変わっていくように周囲の環境を変えていく」ほうが、近道なんじゃないかな、と思います。

竹中:政府系銀行や役所など、私も組織のなかにわりと長くいたものですから、為末さんのおっしゃることはわかります。

 私はよく言うんです。出る杭は打たれる、出すぎる杭は打たれない、と。ただし、ですぎる杭は引っこ抜かれるケースもありますが(笑)。でもね、日本社会はわりとよくできていて、ちゃんと実績をあげていれば、出すぎる杭でも打たれないですよ。そういった許容度をこの社会はちゃんと持っていると私は思います。

 江戸がすでに100万人都市だった1790年頃、ニューヨークの人口は3万3000人程度でした。私たちは200年前からこの狭い地域に肩を寄せ合いながらみんなで暮らせるような社会を持っているんです。これは日本の誇るべきソシオキャピタルで、人を傷つけたりせずに配慮します、という社会なんですよ。

竹中:私が「いいな」と思うのは、資生堂名誉会長の福原義春さんの“ハイフニスト”という考え方。福原さんは「経営者−(であり)−写真家」という2つの領域を持っていらっしゃるんです。

為末:なるほど。2つが「−(ハイフン)」でつながって1人の中に入る。

竹中:2つの領域を持つことによって、1つが何かスランプのときはもう1つが助けてくれるし、バランスを取ることができる。そしてそれぞれの道を突き詰めていくと、結局、とても似てくると。つまり、どの道であっても、名人という人は必ず似ているんですよ。

 ですから、今風に言うとダブルベンチャーと言いましょうか、常に複数の場、顔を持っておくのはすごく重要だと思うんですね。

為末:場や相手によって伝え方を変えることも大切かもしれませんね。僕自身はノンポリで確固たる考えを持っているとは思いませんが、なんとなく媒介役が向いている気がします。

 抽象的なポイントをこの人に超越してほしいという思いがあったら、実はこういう考え方もあるんじゃないですかと、伝えたい相手に合わせて、話をちょっとだけ作ったり、大げさにわかりやすくして伝えるようにします。要点がわかってくれたらいい、と。

突き詰めているから優しく話せる

竹中:為末さんはお話がとてもお上手だと思います。でもそれは絶対に小手先のテクニックではないと思いますよ。

 これも小泉さんから学んだことですが、やっぱりね、腹に落ちているかどうかが肝です。腹に落ちていたらどんな表現もできるんですよ。本当に腹に落ちていたら、あとは相手の顔を見ながら話せばいいだけで、テクニックは後からついてくる。そこが最大のポイントだと思います。

 そして突き詰めて考えていると、プレーンな言葉、易しい言葉で話せるようになります。

為末:腹に落ちていないからか、妙に難しく話す方、いらっしゃいますよね(笑)。

竹中:自分の考えているプロセスをああでもないこうでもないなんて、そんな話は誰も聞きたくない(笑)。やたら話が長くて何を言っているかわからない人っているでしょう?

為末:僕、英語は得意じゃないですが、英語で言えないことは、僕自身がだいたいよくわかっていませんね。それと、子どもに教えられないのも、自分がわかっていない時。ですから、ふだん会わない相手と話すのは、自分自身が腹に落ちているかどうかを判断する、ひとつの手段になるかもしれません。

竹中:そのお話は私も大賛成です。英語で話せない、子どもに話して聞かせられないことは、きっと言葉で何かをごまかしている。日本語は曖昧にごまかすのが便利なように出来ている言語で、英語はボキャブラリーが少なく、ストレートな言語。言うべきことをごまかせないんです。

 それから、外の風に当たる、というのも大切です。私は言葉の言い訳におもねてばかりいる若者には、一カ月インドに行ってこいと言います。私たちはなんて恵まれているんだ、人間はなんて愛おしいんだということに気づき、彼らは本当に目が覚める。

 スラム街で子どもをあやすお母さんも、きれいな色の髪飾りで髪を結んでいる。少しでもきれいでありたいんですね。そうした光景を見ると、若者の物事に対する考え方が変わります。ことほどさように、いつもとまったく違う風に当たるというのは、大切だと思うんです。

為末:そうですね。自分を変えるインパクトはそう手軽に得られません。追い込まれないとなかなか……。僕はヨーロッパに一人で遠征に行った時、英語が話せなかったので、ずっとひとりぼっちでした。日本だったら競技場にいると結構スター扱いなのに、ほとんどないがしろ(笑)。そうした環境のなかで、何かパリン!とつまらないプライドのようなものが壊れた。良い経験になったと思っています。

 日常から離れるのは大事ですね。ただ、どうやって離れるかが難しい。

大学・留学という非日常が社会人には重要になる

竹中:大学のオンリーブ(on leave)やサバティカルのように、7年働いたら1年休めますといったことが出来ると、本当はとても豊かな社会になると思うんですけどね。自分の生活を見直せて、自分に欠けているものがわかりますから。普通の日本の会社は退社しないとそうした時間を作れなくて、ハードルが高すぎます。

為末:もっと留学が普通になるといいですよね。大学も小分けにして、3〜4回留学できるようになるといいのに。

竹中:為末さん、どこかで博士号をとられるといいんじゃないですか。アメリカの大学は25歳以上の人が4割ですよ。そして35歳以上が2割ぐらい。大学は18〜 22歳の若者が楽しく青春時代を過ごす場所ではなく、学びたい大人のいく場所なんです。それって職場のサバティカル制度と表裏一体だから可能なんですね。

 また、大学側にとっては、為末さんのような方は知的リソースになります。アメリカのハーバードなどは、大学に貢献できる人を求めます。自分はいかに他の学生と違うかということをアピールしないととってくれません。

竹中:三木谷浩史さん、新浪剛史さんは、ハーバードMBAのほぼ同期。堀ロバートさんや南場智子さんもそうですね。当時在籍していた会社から留学し、その後、起業している。戻ってきて、出る杭になって打たれたかもしれませんが、出すぎた杭になったらもう打たれなくなった(笑)。でも、会社としてはロスだと思います。

為末:「余計なことを覚えてきやがって」、みたいな部分があるんでしょうか(笑)。本当は「余計」かどうかわからないのに。

竹中:いや、余計なことって本当に重要です。

 有名なお話ですが、グーグルに「勤務時間の1割か2割は仕事と別のことを絶対にやりなさい」というルールがありました。そのリダンダンシー、遊びや余裕から「Google Earth」が生まれたと言われています。

「遊びでやっている人」には勝てない

為末:僕は『ホモ・ルーデンス』(ホイジンガ著)という遊びに関する本が好きなんですが、クリエイティビティは義務感やかっちりしたまじめな空気から、生まれてこない気がします。

 運動でも同じです。選手も「勝ちたい」と「勝たなきゃ」の間で微妙にずれる瞬間があって、「勝たなきゃ」になると急激に苦しくなる。モチベーションが削られてしまう。勝ちたいという、ちょっと遊んでいる感がある時期のほうが、やろうとすることの発想も幅広い。「勝たなきゃ」になるとリスクをとれなくなりますから、勝ちパターンにこだわってしまって、挑戦しづらくなります。

 プロの世界は、勝利をある程度義務感で押し付けられながら、どうやって遊ぶか、というところが難しいです。遊べない選手は小さく終わっちゃう。ですから、遊び感は、僕はとても重要だと思います。

竹中:これは我々経済学者がよく使う言い方ですが、ニーズとウォンツは違うんですよね。

 お腹が空いて早く食べたいから3分でできるラーメンを食べるのはニーズ。だけど、私たちにはウォンツがある。何か美味しいものを食べたいというウォンツは無限にあるから、何が美味しいかを知りたいというニーズに答えるグルメ雑誌が売れる。

 衣食住が満たされてくると、そういう意味で遊び心が重要になってくる。でもこうした我々が「遊び」と呼ぶものは、実はかなり高度な企画時間になるんです。

為末:イノベーションによってウォンツが発見されますよね。ああ、これが欲しかったんだ、とか。

竹中:そうそう。例えば、掃除機の……あれはなんでしたっけ。

為末:ルンバですか?

竹中:あ、ルンバだ。あんなもの誰も欲しいと思っていなかった。だけど、こんなものができるよと言ったら、それは面白いねということになって買ってもらえる。これがシュンペーターが言った「イノベーションは実はほとんど供給サイドから出る」ですね。

 イノベーションという言葉は「新結合」という意味です。結びつきですね。東京が魅力的な都市であるのは、いろいろな対話の結びつきができるからだと思います。たくさんの人がいて、たくさんの会社があって、多様な人がいるから、いろいろな結びつきができる。そうした出会いのある場所が大都市。イノベーションの可能性が満ちている場所です。

為末:そういえば、僕、アンパンってイノベーティブだと思います。あれはまさに結合ですよね(笑)。

竹中:その通りですよ。私はアメリカに住んでいて一番困ったのは、大好きなアンパンが食べられないことでした。パンはあるけれど餡がないから、アンパンがないの。

為末:アンパンのように、パンの中に甘いものを入れるみたいなことって、抽象的に捉えていないとできない。主婦が料理する時、これがないけどこれで代用できるわ、なんてやりますよね。これは結構高度な行動です。

日々の料理が上手な主婦は、抽象化能力が高い

為末:だって、頭の中で料理を抽象的にとらえていないとなかなか代用を思いつけませんから。選手だったら、足を怪我したりしていつもの練習ができなくなった時、代用の練習を探せる人と探せない人がいる。もちろん、代用の練習を探せる人のほうが強いです。このあたりのイメージ力も重要な気がします。

 抽象化してポイントをなんとなくおさえていると、このポイントでいくとこれに代えられるな、と発想できるようになりますよね。

竹中:イノベーションはそうした分析力が大事です。

為末:別の言い方をすると、アートっぽいとも言えるかもしれないですね。

竹中:クリエイトですから、そうですね。今回の私たちの対談は六本木アートカレッジで行ったわけですが、こうした場所に来たり、アートに触れたりするのは、お手軽な「遊び」になると思います。先日、会田誠さんの展覧会(「天才でごめんなさい」)が論議を呼びましたが、印象派がパリに出た時だって徹底的に叩かれたわけです。こんなのは邪道だと悪口を言われた。

 イノベーションというのは、きっと最初はそういうものなんでしょう。でも、「悪名は無名に勝る」ですよ(笑)

為末:なるほど、そこにつながりますか(笑)。

(構成:中沢明子)

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2013年05月09日 11:36

そのとおり!!!Vol.25、、、大多数の物差しをわかったうえで、そこから距離を置くことができるかどうか。視点を引いて見られるかどうか。それが自分軸をつくるうえで一番難しい。。。

■成功しなくても、自信を持つことはできますか?
対談:竹中平蔵×為末大

 元プロアスリートで、著作、ツイートでも幅広い人気を持つ為末大さん。先日行われた東京・アカデミーヒルズでの講演「『自分軸』のつくりかた」のあと、竹中平蔵・アカデミーヒルズ理事長との対談が行われました。「為末×竹中」という異色の組み合わせ、話はいったいどんな方向に向かうのか、お楽しみください。最初に1ページだけ、対談につながる講演内容を抜粋してお読みいただき、2ページ目から対談に入ります。(構成:中沢明子)

 僕は自分の競技人生を振り返ったキーノートを作っています。今日は、それをもとに思いついた約30個のキーワードを見ながら、「個の時代」をテーマに「自分軸をつくる」ということをお話しさせていただきました。

 たとえば「成功=勝利」。僕はアスリートですから、自分にとっての勝利条件を考えると、最初にゴールした人が勝ち、というわかりやすさがあります。でも、引退した今、人生という舞台で考えると、何が勝利か、決めるのは結構難しいものだなと思っています。

 ある人は政治の世界で上がっていくことと言い、ある人はお金持ちになることだと言い、もちろん僕の後輩たちはスポーツで一番になるのが勝利だと言う。それぞれの人生でいろんな勝利がありますが、何か一つに統一してしまうと、実はそれが自分軸を阻害するのではないか。僕は今、そんなことを考えています。というのも、勝利条件を「自分で決める」のは実は難しいと思うからです。何が勝利か。ある程度、引いてみないと、つまり、比較対象がないとわからないのではないでしょうか。

 子どもは成長する過程で「何々ができてえらいね」と褒めてもらえますが、それを繰り返すと子ども心にだんだん「どうもこの方向で自分は抜きん出ていて褒めてもらえるんだ」と気づきますし、逆もしかりです。

 つまり、物心つく前から人間は世の中にある価値観の物差しのなかで生きている。それによって、多くの人が「成功」だと言っているものを僕達は「成功」と信じているんじゃないか。そうしたマジョリティーの評価ってなんだろうな、と思うと同時に、マジョリティーを意識することは、とても重要だと考えるようになりました。

 大多数の物差しをわかったうえで、そこから距離を置くことができるかどうか。視点を引いて見られるかどうか。それが自分軸をつくることの一番の難しさだと考えています。他人との比較で「自分はすごい」と自慢するにも他人がいないとできませんからね(笑)。

 他人からどうしたって離れられない。自分自身を世の中に認めさせたいという思いが強ければ強いほど、世の中が評価するものから離れがたい。

 しかし最終的に、自分自身が満たされる「勝利」や「成功」は、自分軸に沿ったものでなければならないと思うのです。

竹中:為末さん、今、おいくつでいらっしゃいますか。

為末:34歳です。

竹中:私は34歳の頃、為末さんのように深く考えていなかったなあ……。

 「人生は有限だ」とご講演でおっしゃっていましたね。私はもう60歳を超えましたが、60歳近くになってようやく、人生は有限で、その中で自分が本当にやりたいことをもっと大事にしていこうと改めて気づきました。でも、為末さんは陸上競技という極限のスポーツと向き合いながら、ずっとそうしたことを考えてこられた。

 それで、勝利、成功という言葉に関連する質問ですが、人生を語る時、やはり、「幸せかどうか」という概念は重要なポイントだと思います。為末さんはどのように「幸せ」を位置づけていらっしゃいますか。

為末 大(ためすえ・だい)
1978 年広島県生まれ。日本では未だに破られていない男子400mハードルの記録保持者(2001年エドモントン世界選手権 47秒89)。また、2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」を設立。現在、代表理事を務めている。 2012年に現役を引退。オフィシャルサイトは「為末大学」。

為末:「今」をどうとらえるかだと思います。

 最初のメダルを取った時は、メダルさえとればスターになって、その後もハッピーな人生が待っていると信じて頑張りました。

 でも、最初の数カ月が過ぎると、メディアは「銅メダルの次は何色のメダルですか」とたずねるんですね。考えてみれば当然の質問です。ただ、そうなると、この陸上競技という“山登り”はいつまでたっても終わらないんだな、と感じました。

 山登りに例えるのは、僕がそんな人生観だからですが、山頂に行けば全部解決するわけではなかったんですね…解決すると思っていたんですけれど(笑)。

成功につながらない努力には、何か意味があるのか?

為末:それで、山頂に辿りつくために今この山登りを耐えるという世界観ではなく、今この時の山登りを充実させるために山頂を「設定」していると、いつしか考えるようになりました。そして、「幸せ」は、今この時の山登りを自分がどう感じて生きているか、にかかっているのではないか、と思うんです。

竹中 平蔵(たけなか・へいぞう)
経済学博士
1951 年和歌山県生まれ。1973年一橋大学経済学部を卒業後、日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)に入行。89年米ハーバード大学客員准教授。2001〜 06年に経済財政政策担当相、金融担当相、郵政民営化担当相、総務相を歴任。2006年から慶應義塾大学教授・グローバルセキュリティ研究所所長。アカデミーヒルズ理事長も勤める

竹中:なるほど。もうひとつ質問させてください。「自分はここまで来た。そして、これまでライバルもたくさんいたし、その人たちは決して努力しなかったわけではない」という話もされていましたね。

 実はその人たちはその人たちとしてすごくいい人生を送ってこられたんだろうな、と私は思います。私の好きな言葉で「dream an impossible dream」という言葉があります。「impossible dream」、見果てぬ夢を見る。つまり、見果てぬ夢であっても、上っていくプロセスそのものの達成感が、おそらく人生の中ですごく重要な意味をそれぞれに持っていると思うんですね。

 為末さんは世界選手権でメダルを取るという、極限の達成感までいかれたわけですが、そこに至らなかった方も、人生で同じように為末さんのように考えてこられたのではないでしょうか。

竹中:ですから、「impossible dream」なのか、「possible dream」なのか、その夢を低すぎず、高すぎず、適度に設定できたかによって、結果的にその人の満足度が決まるのではないか。ご自分の努力も大切ですし、何らかの運もあるでしょうけれど。

 私たちの人生は本当に短い。しかしだからこそ、その人生を大切にしたいなと歳を重ねるにつれ思うようになり、夢の設定位置について考えています。

 そこで、為末さんにとっての「possible dream」をお聞きしてみたいです。

為末:僕はとにかく金メダルを取りたかったんです。世界一に1回なってみたかった。結局なれませんでしたが、そういう意味では幸せです。金メダルを取ってやるという強い気持ちで、全身が野心に染まった何年間がありました。あの興奮はやっぱりすごかったと思います。

 あまりにも過程の興奮に価値を置きすぎてしまうと、夢がかなう、かなわないと幸福感は関係が薄くなりますし、それなら今やっていることをずっとやっていてください、という話になります。ですから、もう少しそこは戦略的に考えてもいいと思いますが、結果からだけ報酬を得るのではなく、努力というプロセス自体からもある程度報酬を得るということは大事な気がします。

 結果とプロセスのバランスが白黒つけづらくて難しいですが、自分の中で「幸せ」を考える時、何となくそのあたりが要諦になると思っています。

成功しないまま、自信を持つことはできるのか?

竹中:ご講演で為末さんがおっしゃった、マジョリティーの物差しからどれぐらい距離を置けるのか、という部分が問題になってきますね。他人に認めてもらうことから距離を置く。自分の納得する目標を掲げつつ、自分がどこまでできたかではなく、自分は全力を尽くしたという達成感を持つ。幸せかどうかは、そこにかかっていると。

 でも、マジョリティーの物差しから距離を置くことは、実はトートロジー(同語反復)です。自信がないと距離は置けません。その自信は、ある程度人に認められて何となく出てくるものだと思います。

 ですので、為末さんは目標を成し遂げ、自信が持てたために、「マジョリティーから距離を置くことが重要だ」と言えるようになったとも、私は思います。

為末:取りあえず「勝ってみないと分からない」世界はあるのかもしれません。僕は自分が最初に決めた目標をほぼ達成して、人から認められ、だけど、どうもそれだけでは幸せになれないな、こんなに簡単な話で満足できないな、といった気分になりました。

 それははたして、一度夢をつかんだところで変わったのか、それとも結果が出なくてもやり切った人はそう感じるのか。自分の心持ちを思い返すと、僕の場合は、ある程度最初に設定した目標を達成した後に変わったように思います。ですから確かに、何かそこが矛盾している、と思いますね。

竹中:なるほど。我々はマジョリティーの物差しから独立していたい、インディペンデントでありたいと思えるために、ある程度の実績がなければいけない。そうした矛盾と葛藤の中に私たちは皆、いるのだと思います。

為末:そうですね。難しいし、そのバランスも常に変化していると思います。

竹中:その矛盾をどう乗り越えるかを考え始めると、「努力か、才能か」という話につながってきますね。努力すれば自信が持てるのか、才能にはかなわないと諦めるのか。

 為末さんは、ウサイン・ボルト選手の例をあげて「ものすごいものに理由はない。魔法や秘密はないのではないか」ともおっしゃっていました。非常に興味深い指摘です。

 実は、先日、慶應大学環境情報学部の小論文で「暗黙知」と「形式知」に関する面白い問題があったんですが、それは徒弟制度の話なんですよ。徒弟制度は理屈で教えず、とにかく師匠のまねをずっとしろ、というのが基本です。落語家も聞かせてくれるだけで何もやってくれない。スポーツも楽器もそうですよね。上手な先生が基本的なことは教えてくれるけれど、技術を習得したら、後は見よう見まねでやる。

 そこで、スポーツで「この筋肉が太い」といった数値を測るのと同じように、徒弟制度の師匠の動きを全部解析しようというプロジェクトがあります。「この手の動き方はどうなっているか」というのをできるだけサイエンスで解明しようとやっています。

「あなたが特別な人とは思えない」

為末:ほう。

竹中:それはそれで意味がまったくないわけじゃない。だけど、結局最後のところは、師匠が秀でている理由は、よくわからないんです。

 だから徒弟制度は意味があるんだという指摘、それに関連してあなたはどう思うかというような小論文でした。この問題はなかなか難しいと思ったんですが、実は政治の世界も徒弟制度みたいな部分がありますし、これはすべての人の人生においても言える気がしています。

為末:その点については、僕の2年後にメダルと獲得した末續慎吾くんが面白い例だと思います。

 彼は200mの選手で、僕のハードルよりメダルを獲得するのが難しいのですが、合宿生活を一緒にしていたんです。それで彼が「あなたが特別な人とは思えない。食べているものも一緒、練習も同じくらい、だから自分にもできるかも、という気になった」と言うんです。

 つまり、徒弟制度のひとつの特徴はマインドセットではないでしょうか。芸能人の子供がよく芸能人になるのは、芸能界は「向こう側の世界」ではないと自然と体感しているからだと思います。

 もうひとつ、細部を気にしすぎると全体が崩れてしまうことがスポーツの世界には結構あります。

為末:僕も足の動きが気になって、個々の軌道をきれいに矯正したのですが、全体的にみると、上半身がそのせいでねじれてしまったんです。要は一箇所を切り取っていじくろうとすると、全体のバランスが崩れてしまうことがあるんですね。

 本当のコツは、全体の調和を最優先にしながら短所を調整することです。そして、それは暗黙知の世界でないと得られないと思っています。

 ある程度までは形式知で絞っていき、最後は暗黙知で全体を整えるとすれば、徒弟制度のような、空気から得られる学びを尊重することはかなり大切ではないでしょうか。

竹中:達成感を得られる水準に持っていくには、最後は複合的なバランス感覚が必要、と。非常に示唆に富んだお話です。大事なものが多いと手段がブレるということですね。

 行動経済学の有名な話を思い出しました。例えば1000円のAランチ、Bランチ、Cランチが食堂で供されているとします。しかし、なぜかいつもAランチを選ぶ人がいる。

為末:なぜでしょうか。

俯瞰して、自分をうまく操ろう

竹中:それは、BやCを選んだ時、いつものAを失うからです。

 我々は得られるものよりも失うものに対してとても敏感で、センシティブになるんですね。だから就職先も簡単に変えられない。恋人は簡単に変える人がいるかもしれませんけれども(笑)。

 失うものに対して非常に保守的であることは、今までの制度にしがみつくことです。ですから、為末さんがおっしゃったように、視点を離して見る、俯瞰する、という方法は、おそらくとても重要です。

 自分で自分をプロデュースするなら、あまり目前のことにこだわらず、自分がどう見られているかという視線にも固執せず、もっと自由に選択して、自分軸を持って生きようよ、だって人生は有限なのだから。為末さんからそんなメッセージを受け取りました。

為末:自分は独り立ちできると思い過ぎても、何となくうまくいかないとか、失敗したときのダメージが大きいような気はします。ある程度、自分のエゴなどをマネージメントして、「ここは満たしどころ」「ここは我慢しどころ」といった感じで上手にコントロールできるといいですね。

竹中:なるほど。ではたとえば為末さんが満たされるのは、どんな場合ですか?

(後編に続きます)

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2013年05月09日 11:17

人の本当の姿は見えない部分にある、、、ハルキ氏近況。。。

■ 村上春樹氏 ボストン爆破テロで寄稿

ボストンマラソンに参加した経験がある作家の村上春樹さんが、先月の爆破テロ事件で傷ついた人たちへのメッセージをアメリカの雑誌に寄稿し、苦しみから目をそらすことなく静かに時を重ねることで困難を乗り越えていこうと呼びかけました。

村上春樹さんが寄稿したのは、今月3日付けのアメリカの雑誌「THE NEW YORKER」の電子版です。

「ランナーを自任する一人の世界市民よりボストンへ」と題した寄稿文の中で村上さんは、かつてボストンで3年間、暮らしたことや、ランナーとしてボストンマラソンに6回参加したことを紹介し、これまで33回走ったマラソンの中でも、ボストンマラソンこそが「一番好きだ」と語っています。

そして、村上さんは18年前の地下鉄サリン事件で被害者を取材した経験を踏まえ、ボストンの爆破テロで身体的、精神的に傷ついた多くの人たちに対し、「悲しみと怒り、絶望がない交ぜとなった気持ちを打ち消すのは容易ではない」と思いを寄せました。

そのうえで「報復を考えても安らぎにはならない。傷を忘れず、苦しみから目をそらすことなく、正直に、そして静かに時を重ねていくことが必要だ」と呼びかけました。

さらに、村上さんは「テロ事件を克服し、ボストンマラソンが、再び、美しく自由な雰囲気にあふれる大会として復活することを心から願う」ということばでメッセージを締めくくっています。

[NHK NEWS WEB]


■村上春樹さん 書くことの意義を語る

世界的な人気作家で、公の場で語ることの少ない村上春樹さんが、京都でファンを前に講演し、「小説を通して心のつながりを作りたい」と、書くことの意義を語りました。

講演会は、臨床心理学者で、生前、村上さんと親交の深かった、河合隼雄さんのゆかりの財団の呼びかけで実現しました。

会場の京都大学のホールには、熱心なファンが開演の1時間以上前から訪れ、抽せんで選ばれたおよそ500人が講演を聴きました。

講演は、カメラ撮影や録音が認められないなか、対談形式で行われ、村上さんは小説を書くことについて、「人の本当の姿は見えない部分にあり、小説は見えていない物語を描き出すことが必要だ」と指摘しました。

そのうえで、「小説を通してそれぞれが持つ物語が共感し合い、深みを増していくもので、心のつながりを作りたい」と、書くことの意義を語りました。

また、先月、発売された長編小説、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」について「人は心に傷を受けても時間をかけて少し成長する。そうした成長物語を書きたいと思った」と、新作に込めた思いを語りました。

さらに、地下鉄サリン事件の遺族を取材したあと涙が止まらなくなった経験を語り、「本当に悲しい体験が小説を書かせてくれる。事件の遺族を題材にした作品を読み返すと、あの時の気持ちがよみがえってくる」と、作品を書き続ける原動力の1つとして悲しみがあることを明かしました。

村上春樹さんと河合隼雄の関係

今回の催しは、臨床心理学者で、文化庁長官も務めた故・河合隼雄さんの遺志を受け継ごうと、ことし新たに創設された「河合隼雄物語賞・学芸賞」を記念して開かれました。

平成19年に亡くなった河合さんは、ユング心理学の研究で知られましたが、文学にも深い関心を持ち、多くの作家と交流がありました。

村上春樹さんとも親交が深く、村上さんは、河合さんと会話を交わすことについて、「頭の中のむずむずがほぐれていくような不思議な優しい感覚があった」と著書の中で明かしてます。

阪神・淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた平成7年には、村上さんが河合さんの地元の京都を訪ねて対談を行い、その内容は、「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」と題された本にまとめられました。

この対談の中で大きなテーマとなったのは、個人と社会との関わりについてでした。

対談では、二人が、かつての学生運動や震災、オウム真理教の事件に触れ、自身と社会との関わりについて考えを語り合いました。

この中で、村上さんは「関わりのなさ」を意味する「デタッチメント」が自分にとっては重要だったが、自分の社会的責任感のようなものをもっと考えてみたくなったと述べたうえで、「関わり」を意味する「コミットメント」について最近よく考えるようになり、自身の心境が変化していると語っていました。

[NHK NEWS WEB]


■村上春樹さん デビューしたころを語る

6日、18年ぶりに一般の人を前に語った催しの中で、村上春樹さんは、小説家としてデビューしたころのことについて語りました。

村上さんはデビュー当時はジャズバーを経営していて、仕事を終えてから時間を見つけて小説を書いていたということです。

誰からも小説の書き方を学んだことのない村上さんは、最初は短い話を断片的に重ねていく書き方しかできなかったということで、当時について、「村上龍さんの長編、コインロッカー・ベイビーズを読んでこういうふうに書きたいと思って、店をやめました。自由になって、好きな時間に書けるのがうれしかったです。とにかく長いものを書こうと思い、結末も分からないままに最初の数ページを書いてどんどん進めていくと、それがうまくできたので、僕はこういうのがあっているんだなと思いました」と、回想していました。

また、先月発売され、自身の作品では史上最短で100万部を突破したことでも話題になった小説、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」についても創作のエピソードを語りました。

この小説は、主人公が4人の仲間から突然関係を絶たれ、そこから自分を見つめ直す長編の物語で、村上さんは、最初は短編を書こうと思っていたということです。

村上さんは「書いているうちに4人のことを書きたくなって長編になりました。どうして関係を切ったのかを書きたくなった。登場人物の一人が、主人公に対して4人に会いに行くように言いますが、それと同時に、僕に書きなさいと導いてくる。不思議なことですが、そういうことがあるのです」と話したうえで、「これは成長物語で、(主人公のような)そういう経験をされた方は少なからずあると思うんです」と語っていました。

また、村上さんは小説を書く意味についても語りました。

村上さんは「僕は結局、魂のネットワークのようなものをつくりたいと思うようになったんです。読者が僕の本を読んですごく共感するものがある、自分にもそういう経験があると思うと感応する。僕の物語に呼応して感応する。また別の読者がいて、僕の物語に感応するとネットワークができるのです。それが物語の力だと思います」と、語っていました。

[NHK NEWS WEB]


■【村上春樹さん公開インタビュー発言要旨】魂のネットワークのようなものをつくりたい

▽冒頭発言

  河合隼雄 (かわい・はやお) 先生とは20年ぐらい前に初めてお会いし、その後あちこちで時間を一緒に過ごした。

 われわれが共有していたのは物語でいうコンセプトだったと思う。物語というのは人の魂の奥底にある。人の心の一番深い場所にあるから、人と人とを根元でつなぎあわせることができる。僕は小説を書くときに、そういう深い場所におりていき、河合先生も臨床家としてクライアントと向かい合うときに、深い場所におりていく。そういうことを、犬と犬がにおいで分かり合うように分かり合っていたのではないか。僕がそういう深い共感を抱くことができた相手は河合先生しかいませんでした。
 
▽インタビュー

 〈初期作品について〉

 デビュー作「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」などは、店をやりながら時間を見つけて書いた。 村上龍 (むらかみ・りゅう) さんの「コインロッカー・ベイビーズ」を読み、こういう書き方をしたいと思い、店をやめた。結末が分からないまま最初の何ページかを書き、うまくできたので、僕はそういうのに向いているのだなと思った。

 〈小説家の仕事について〉

 (徐々に)魂のネットワークのようなものをつくりたい気持ちが出てきた。みんな自分が主人公の複雑な物語を、魂の中に持っている。それを本当の物語にするには、相対化する必要がある。小説家がやるのは、そのモデルを提供することだ。

 〈新作「色彩を持たない 多崎 (たざき) つくると、彼の巡礼の年」について〉

 「ノルウェイの森」のときは純粋なリアリズム小説を書こうと思った。(新作は)僕の感覚としては、頭と意識が別々に動いている話。今回は前作「1Q84」に比べて、文学的後退だと思う人がいるかもしれないが、僕にとっては新しい試みだ。

 (多崎の恋人の) 沙羅 (さら) さんが、つくるくんに名古屋に行きなさいと言うが、同じように僕に書きなさいと言う。彼女が僕も導いている。導かれ何かを体験することで、より自分が強く大きくなっていく感覚がある。

 今回は生身の人間に対する興味がすごく出てきて、ずっと考えているうちに、(登場人物たちが)勝手に動きだしていった。人間と人間のつながりに、強い関心と共感を持つようになった。

 (多崎は友人4人との共同体から切り捨てられるが)僕も似たような経験をしたことはある。人はそういう傷を受けて、心をふさいで、時間がたつと少し開いて、ひとつ上に行くことを繰り返しながら成長する。

 〈読者に向けて〉

 僕の本を読んで泣きましたと言う人がときどきいるけど、僕は笑いが止まらなかったと言われる方がうれしい。やっぱりユーモアの感覚がすごく好きなんです。

 僕自身は一生懸命書いているが、好みに合わないことはもちろんある。ただ、理解してほしいのは、本当に手抜きなしに書いているし、それが誇りになっている。もし今回の小説が合わないとしても、村上は一生懸命やっていると考えてもらえるとすごくうれしい。

(共同通信)

[47NEWS]

Posted by nob : 2013年05月07日 00:52

溜息ばかり、、、日本人の一人として心底恥ずかしい。。。

■日本、トルコの原発受注に事実上成功
コンソーシアムに優先交渉権付与、工事費2兆円

 日本のコンソーシアム(企業連合)が、2011年の福島第一原子力発電所事故以降では初めて、海外の原発の受注に事実上成功した。

 安倍晋三首相とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が3日、トルコの首都アンカラで首脳会談を行い、トルコのスィノプに建設する原発4基の優先交渉権を、三菱重工業とフランスのアレバ社によるコンソーシアムに付与することで合意した、と発表した。日本メディアはこれを、事実上の工事の受注を意味する、と報じた。2023年の稼働を目標とするトルコの原発は、工事費が24兆ウォン(約2兆1600億円)となる見通しで、韓国や中国も受注競争を繰り広げてきた。一時は韓国の受注が有力視されたこともあった。だがトルコ側が、建設会社が事業費を自ら調達し工事を行った後、電力を供給することで資金を回収する方式を求めたため、自主的な資金調達力が劣る韓国や中国は受注に消極的になった。なお、日本政府は今回の工事受注のため、コンソーシアムに対し低金利の融資など全面的な支援を行った。

 2009年、アラブ首長国連邦(UAE)の原発の受注合戦で韓国に敗れた日本はその後、官民共同で原発の受注に向けた総力戦を繰り広げてきた。日本は10年、巨額の借款の提供を通じ、ベトナムの原発の受注に成功したが、11年の福島原発事故を受け、原発の輸出を事実上中断した。だが、昨年末に就任した安倍首相は、原発を輸出産業として育成するため、今回の受注に向け全面的な支援を行ったとされている。

 安倍首相が3日、トルコで原発の受注を発表した記者会見の模様は、NHKによって日本に生中継された。安倍首相はトルコ訪問に先立ち、UAEとサウジアラビアを訪問し原子力協定を締結するなど、原発の輸出を支援する意向を示した。安倍首相は記者会見で「日本は世界でも最高レベルの原子力発電技術を有しており、福島原発事故を経験したが、高い安全性を誇れる」と主張した。日本企業は現在、フィンランドやリトアニアでも原発の受注が有力視されているという。

東京= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員

[朝鮮日報]

Posted by nob : 2013年05月04日 12:24

そのとおり!!!VOl.24

■憲法記念日:美香に平和教わった 「96条、なぜ変える」

 昨年8月、内戦下のシリアで殺害されたジャーナリスト、山本美香さん(当時45歳)。同級生で中学教諭の岩澤宏行さん(45)=山梨県都留市=は山本さんの死後、教壇で戦争の話をするようになった。「美香に世界で多くの命が奪われていることを身をもって教えられましたから」。最近、憲法9条を変えようという声が強まっていることに不安が拭えないという。「生徒たちが兵隊になって誰かをあやめたり、逆に命を奪われたりすることはあってはならない。9条はそこに直結している」と思うからだ。【片平知宏】

 「危ない所に行くんじゃねえぞ」

 「大丈夫。本当に危ない所には行かないから」

 そんなやりとりをしていた2人。昨年8月21日未明、「日本人女性ジャーナリストがシリアで重体」というニュースを見た岩澤さんは直感した。「美香だ。どうして」。無念さが胸に広がった。

 都留市立都留二中、県立桂高で同窓だったが、山本さんは社交的で成績優秀、クラスのリーダー的な存在。当時はさほど親しいわけではなかった。1998年に岩澤さんが「視野を広げたい」とインドの日本人学校に赴任する際、壮行会に山本さんも駆けつけた。96年に初めてアフガニスタンへ赴き、戦場ジャーナリストとして活動を始めていた山本さんは「私も外国に行って仕事したいんだ」と話した。親しみを覚えた。

 インドから帰国した岩澤さんは2001年に都留市であった山本さんの講演会に参加した。アフガニスタンで女性や子供が戦争に巻き込まれ、いかに苦しんでいるか。信念のこもった目と語り口だった。「生徒にも聞かせたい」。勤める中学校に山本さんを招き、講演会を3回開いた。評判を聞いた他校も山本さんに講演を依頼するようになった。

    ◇

 山本さんが亡くなって、決意した。「美香の足跡を子供に伝えられるのは自分。教師である限り伝え続けなければ」

 専門は数学。戦争のことを教えたことはなかったが、昨年10月、総合的な学習の時間に2年生約90人に授業をすることにした。教壇に立つ前、山本さんが子供向けに書いた本「戦争を取材する 子どもたちは何を体験したのか」(講談社)の一節を読み返した。

 <この瞬間にもまたひとつ、またふたつ……大切な命がうばわれているかもしれない−−目をつぶってそんなことを想像してみてください>

 <さあ、みんなの出番です>

 授業では山本さんの歩みや紛争地の現状を紹介。そして問いかけた。「日本は平和だが、外に一歩目を向けると、事故や病気以外で命を奪われる子供たちがいる。君たちがいま、これから、できることは何だろう」

 国会で憲法96条を変えようとする声が強まっているが、岩澤さんは言う。「現行憲法にも検証すべき点はあるかもしれません。でもなぜ96条を変えるのか。何をしたいから変えるのか。変えたら次はどうなるのか。みんながもっと考えるべきではないでしょうか」

[毎日新聞]

Posted by nob : 2013年05月04日 12:10

悟りに至る途とは、、、

悟りを求め続けて

日々思い迷い悩み続けること。。。

Posted by nob : 2013年05月03日 13:37

悟りとは、、、

煩悩に囚われる自らを受け容れること。。。

Posted by nob : 2013年05月03日 13:33

確かに、、、思い当たります。。。

■子どもに使ってはいけない10の言葉(と代わりに使うべき言葉)

最近の研究により、子どもに対して話すときによく使われている一見とても建設的な言葉のいくつかが、実は極めて有害だとわかりました。良かれと思って口にしているのに、子どもたちはそうした言葉によって内面的な価値基準を信頼できなくなり、人を欺くようになり、できる限り楽をして難しいことには挑戦しなくなるようしつけけられてしまうのだそうです。

この記事は、米ライフハック系メディア「Lifehack」のShelley Phillips氏によるゲスト投稿です。

それでは、避けるべき10の言葉をみていきましょう。さらに、子どもたちに本来備わっている自発性を促し人との気持ちのつながりを強められる、「別の言い回し」や「やり方」も併せて紹介します。

1.「よくできたね!」

この言葉の問題点は、往々にして何度も繰り返されることと、実際には子どもがたいして努力していないことに対しても使われることです。子どもたちは、パパやママがそう口にしたことは何でも、そう口にした時だけ、「よくやった」ことなのだと思い込んでしまいます。

その代わりに、「頑張ったんだね!」と声を掛けてあげましょう。子どもの「努力したこと」に注目することで、努力することは、結果よりもずっと大事なことなのだと教えることができます。そうすれば、子どもたちは難しいことに挑戦する時も粘り強くなり、失敗は次の成功へのステップなのだと理解するでしょう。

2.「いい子ね!」

この言葉は良かれと思って使われたとしても、こめられた思いとは逆の効果をもたらします。ほとんどの親は子どもの自尊心を高めるつもりでこの言葉を使います。しかし、残念なことにかなり違った影響を与えてしまうのです。子どもたちは、あなたに頼まれた用事をやってのけた後に「いい子ね!」と言われると、あなたが頼んだことをしたから「良い」のに過ぎないと思い込んでしまいます。これは、「良い子」というステータスを失うことが怖くなるというシナリオにつながり、自ら率先して協力するという意欲が失われ、協力するのは肯定的なフィードバックを受けるためだ、という意識に変わってしまいます。

代わりに「お手伝いしてくれるから、とってもうれしいな」と言ってみましょう。この言葉はあなたが求めている内容と子どもたちの行動があなたにどう影響するのか本当の情報を子どもたちに届けてくれます。また、あなたの気持ちは完全に省いて、「あなたが、おもちゃをお友達にも使わせてあげたのを見てたよ」という風に話しかけることもできるでしょう。そうすることで、子どもは共有することが「良い」ことかどうかを自分で判断できるようになり、ただあなたに褒められたいからでなく、自発的にその行動を繰り返すようになります。

3.「絵が上手ね!」

子どもの作品に親の評価や判断を与えると、子どもが自分の作品を判断し評価する機会を奪ってしまいます。

代わりに、「赤と青と黄色を使ってるね! 何を描いたか教えてくれる?」などのような言い方をしてみましょう。評価を与えるのではなく、ただ観察することできれいな絵なのかそうでないかを子どもが判断できるようになります。絵について子ども自身に語らせることで、自分で描いた絵を評価したり、描いた意図やスキルを共有したりする取っ掛かりを提供できます。こうした会話は、子どもが成長し芸術的な才能を伸ばすにつれてその創造性を育てるものです。

4.「いい加減に止めないと、○○だよ!」

子どもを脅しても良いことはほとんどありません。第1にあなたはそのことで、子どもに絶対身につけて欲しくないスキル自体を教えています。つまり、相手が望まないときでも欲しいものを得るために暴力や悪知恵を使えばいいということです。そして第2に、怒りにかられて罰を持ち出したものの、それをあくまで貫くか従わなければ引き下がって結局あなたの脅しは無意味なものだと子どもに教えることになるという、困った立場に自分を置いてしまっているのです。いずれにしても、あなたは望んだ結果を得られず、子どもとのつながりにダメージを与えてしまいます。

脅そうとする衝動を抑えるのは難しいですが、気持ちを共有し、別のもっと適切なことに目を向けさせるといいでしょう。「弟を叩いてはいけません。怪我したら大変でしょ。仕返しされて今度はあなたが叩かれるかもしれないし。何かを叩きたくなったら、枕とかソファーとかベッドなら叩いてもいいよ」と話してみましょう。より安全で子どもが自分の感情を表現できる他の手段を提供することで、振る舞いに明確な線引きをしつつ子どもの感情もきちんと認めることになります。こうすることで、より優れた自制心と精神的な安定を育てられるのです。

5.「もし○○したら、○○をあげるよ」

モノで子どもを釣るのは有害です。それは、純粋に安らぎや調和のために協力したいという思いを邪魔する場合と同じくらいひどいものです。この手の取り引きは歯止めが効かなくなる可能性があり、あまり頻繁に使っていると、こんな風に後で泣きを見ることになります:「イヤだ! レゴを買ってくれなきゃ部屋の片づけはしない!」

代わりに、「片づけのお手伝いをしてくれてどうもありがとう!」と言ってみましょう。心からの感謝の気持ちを伝えると、子どもたちはみずからもっと手伝おうという気になるものです。もし子どもがだんだんと手伝わなくなってきたら以前手伝ってくれたことを思い出させましょう。「数カ月前、ごみ出しを手伝ってくれたこと覚えてる? あの時はとっても助かったのよ。ありがとう!」と語りかけ、お手伝いをすることは楽しくて本質的にやりがいのあることなのだと、子ども自身に気づかせましょう。

6.「お利口さんね!」 

利口だねという言葉は、子どもが自信を持ち自尊心を高めるのに役立つと考えがちです。けれども残念ながら、こうしたことを褒める手法は実際には反対の結果を招きます。おまえは頭がいいと子どもに告げることで、いい成績を取った時だけ、目的を達成した時だけ、または理想的な結果を生み出した時だけ利口なのだというメッセージを意図せず送ってしまいます。それは、期待に応えなければという大きなプレッシャーになります。

いくつかの研究結果から、パズルを解いた後で頭がいいと子どもたちを褒めた場合、それ以後その子たちはさらに難しいパズルを解こうとはしなくなる傾向があるとわかりました。これは、もしうまくできなかったら「利口」ではなくなってしまうという不安を子どもたちが持ってしまうからです。

代わりに、努力したことへの評価を子どもに伝えましょう。結果ではなく努力に目を向けることで、本当に大事なことが何かを子どもたちに教えられます。もちろん、パズルを解くことは楽しいですが、もっと難しいパズルに挑戦することも同じように楽しいのです。前述の研究で努力に注目して「うわあ、すごく頑張ったね!」と声を掛けた場合、より難しいパズルを解こうとする子どもの割合は大幅に増えたそうです。

7.「泣かないで」

子どもの涙を見るのはなかなか辛いものです。けれども、「泣かないで」と言うのは子どもたちの気持ちを認めず、おまえが泣くことは受け入れられないと宣告しているようなものです。これにより子どもは感情の押し殺し方を学び、最終的にはより大きな感情の爆発につながりかねません。

子どもが泣いている時は、少し距離を置いてみてください。そして、「泣いてもいいんだよ。誰だって、泣きたい時はあるから。ここにいるから、いつでも話を聞いてあげるよ」と語りかけてあげましょう。また、「今すぐ公園に行けないのがとっても残念なのかな?」というように子どもが抱えているだろう感情を言葉にしてあげることもできます。そうすれば子どもは自分の気持ちを認識してそれを言葉にすることをより早くできるようになるかもしれません。また、感情を表現するように促すことは感情の調節方法を学ぶ助けになります。これはその子にとって、生涯にわたって大切なスキルとなるものです。

8.「○○するって約束してあげる」

約束が破られると子どもはひどく傷つきます。先のことはどうなるかわからないのですからこの言葉は今後一切使わないことをお勧めします。

代わりに、子どもに対して正直でいましょう。「今週末はサラちゃんと遊びたいんだよね。ちゃんとわかっているよ。そうできるように頑張ろうね。でもね、思ってもみないことが起きることもあるって覚えておいて欲しいの。だから、今週末のこと、絶対とは言えないんだ」といったように誠実に言うのです。また、「する」と言ったことについて本当にベストを尽くすことも忘れてはいけません。約束を守れば信頼が生まれ、破れば絆が損なわれます。何を口にするかは慎重に考え約束を守るために努力を尽くす必要があります。

もうひとつ注意点があります。もし約束を守れないなら、そのことを潔く認め子どもに謝りましょう。あなたは同時に、子どもに対して約束を守れなくなった場合のふるまい方を教えていることを忘れないでください。

いろいろな場面で、約束を破らざるを得ないことがあります。あなたにはささいなことに思えても子どもにとっては重大なことかもしれません。ですから、正直者の手本になれるよう最善を尽くし、そうできない場合には、進んで自分の失敗に責任を取りましょう。

9.「大したことじゃないでしょ!」

大人はいろいろな形で子どもの気持ちを最小限に評価し軽く扱います。この点には、よく注意すべきです。大人の視点で取るに足らないことにだって子どもたちは価値を見出すこともあるのです。そのため、子どもの視点から物事を見るように努めてください。良し悪しの線引きをしたり、子どもの要求を拒否する場合でも、その「気持ち」については理解してあげましょう。

おまえの望みはたいしたことではないと説得するより、「そうしたいのはわかるけど、今日は無理なんだよ」とか「がっかりさせて悪いけど、ダメなんだよね」などの言い方をしましょう。はるかに子どもを尊重した言い方です。

10.「何でそんなことをしたの?」

あなたが問題だと思うことを子どもがしてしまったなら、そのことについて話をすべきです。ですが、感情的になって冷静な判断ができない時は子どもにとって間違いから何かを学ぶいいタイミングではありません。また、「なんで?」と問いただすことは、自分のふるまいについて子どもに考えさせ分析させるものではあるものの、大人にでさえ難しいスキルを求めていることになります。この問いかけに直面した子どもの多くは、黙り込んで自己防衛的になってしまいます。

代わりに、子どもが何を感じていたのか、根本的なニーズは何だったのかを推測して会話のきっかけをつくりましょう。例えば、「お友達があなたの考えを全然聞こうとしないから不機嫌だったの?」のように。子どもが何を感じ何を必要としていたのかを理解しようと努めることで、その出来事について腹を立てている自分の気持ちが治まることに気づくこともあるでしょう。

5 Things To Stop Saying to Your Kids and What to Say Instead | Lifehack
Tessa Miller(原文/訳:風見隆/ガリレオ)

[livedoor NEWS]

Posted by nob : 2013年05月01日 14:34